とにかく書いておかないと

すぐに忘れてしまうことを、書き残しておきます。

「『である』ことと『する』こと」⑤(「近代」とは何か2)

2017-06-07 06:44:33 | 国語
 近代とは何か②

 近世と近代の違いは何でしょうか。いくつかに分けて説明します。

[宗教から科学へ 神から人間へ]
 中世ヨーロッパの人々はキリスト教を信じていました。神を信じ、神の時代を理想としていました。教会を信じ、神父の言葉は絶対でした。日本は宗教が西洋よりも強く影響を与えていたわけではないようですが、仏教の教えは人々に浸透していました。また宗教ではないのですが儒学が江戸幕府で奨励されました。儒教は、「五常(仁、義、礼、智、信)という徳性を拡充することにより五倫(父子、君臣、夫婦、長幼、朋友)関係を維持することを教える」と説明されています。いずれにしても絶対的な教えを信じていたわけです。

 それに対して近代になると、神に代わって科学を信頼するようになってきました。科学的な真実こそが人間の信じるものであるという考え方に変わってきたのです。これは科学的真実がこれまでの思い込みを否定し、そして様々な人間の力を超えるものを生み出してきたからでしょう。蒸気、電気などが機械を動かし、様々な奇跡的なことを実現したのです。科学の力は人類の力です。絶対的な存在であった宗教がその地位を追われることになります。(ただしこの変化は徐々に進行します。いまだに宗教の力は強いし、日本における儒教の力も強くのこっています。)このように近代という時代は科学の力が浸透し、科学が宗教の地位に座るようになった時代と言えます。

[農業から工業へ 生存から経済へ お金儲け最優先の時代へ]
 近世までの産業の中心は農業でした。農業人口が圧倒的に多い。流通も発達していなかったので自給自足に近い状態でした。生産量もそれほど多くない。貯えもなくその日暮らしの生活だったわけです。

 しかし、近代になり科学技術が発達し工業が発達すると、都市に工場ができ人々は都市に移り住みます。自給自足の生活ではないので、食料や生活に必要なものは買う必要が生まれます。その結果経済が発達します。工場では様々なものが大量生産され、それが安価で売られるようになり、人々の生活はどんどん楽になっていきます。

 その結果人間はお金の価値を最優先させるようになります。

[生かされている時代から生きる時代へ]
 古代から中世にかけては、神を信じ神に生かされていた時代でした。近世になり人間は人間の力を発揮し人間の力で世界にいどみはじめますが、それはまだ思想の中心ではありません。人間は神を信じていましたし、あまりに自分勝手なことはしようとはしませんでした。自分の役割を果たすことが生きる目的でした。

 しかし、近代になり人間は自分の力を信じるようになります。自由に自分の生き方をすることを価値だと思うようになります。だから人間は平等でなければなりません。そして自分にはあらゆることに挑戦する権利が必要になるのです。逆に過去にしがみついている人間は生きることが困難になってくるわけです。

近世(江戸時代)
 宗教   維持   親族  職人  村  身分   忠誠   農業   体力

近代
 経済   効率   知力   都市   科学   個人   機械  工業 自由 
 大量生産   進歩  平等  
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