夏目漱石の『こころ』の授業をしています。昔からどうしても気になることがあります。それは次のセリフです。
「本人が不承知のところに、私があの子をやるはずがありませんから」
これは「先生」が「奥さん」に「お嬢さん(静)」との結婚を申し込んだときの「奥さん」の言葉です。この言葉はお嬢さんは「先生」との結婚を願っていたことを示しているものと思われます。
「先生」はKに対する疑心暗鬼からあせって、「奥さん」に「お嬢さん」との結婚を申し出たのです。しかし、このセリフを聞くと、あせる必要はなかったはずであり、一番喜ぶべきセリフであったはずです。同時にKに対する罪悪感を生み出す重大なセリフでもあるはずなのです。ところがそれがあっさりと紹介されているだけであり、その後の「先生」も感動も後悔もありません。しかもこのあと散歩に出た「先生」はKのことを考えていなかったと告白しています。これは一体どういうことなのでしょう。
この部分の違和感はわたしをずっと苦しめています。授業をしながら今年も考えてみたいと思います。
「本人が不承知のところに、私があの子をやるはずがありませんから」
これは「先生」が「奥さん」に「お嬢さん(静)」との結婚を申し込んだときの「奥さん」の言葉です。この言葉はお嬢さんは「先生」との結婚を願っていたことを示しているものと思われます。
「先生」はKに対する疑心暗鬼からあせって、「奥さん」に「お嬢さん」との結婚を申し出たのです。しかし、このセリフを聞くと、あせる必要はなかったはずであり、一番喜ぶべきセリフであったはずです。同時にKに対する罪悪感を生み出す重大なセリフでもあるはずなのです。ところがそれがあっさりと紹介されているだけであり、その後の「先生」も感動も後悔もありません。しかもこのあと散歩に出た「先生」はKのことを考えていなかったと告白しています。これは一体どういうことなのでしょう。
この部分の違和感はわたしをずっと苦しめています。授業をしながら今年も考えてみたいと思います。
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