朝日新聞の12月7日の「折々のことば」を引用する。
「私」の世界に繋留(けいりゅう)点をもたない思想は、いかにはなばなしく権力にあらがっているようにみえても、しょせん一時の流行におわる。(野田宣雄)
私たちは、他人のことばをそのまま自分のものにしてしまうことがある。そうならないように自分を厳しく戒めながらも、結局は世の中に「忖度」してしまい、世の中に迎合した言動をとってしまう。そのほうが楽だ。しかしそれによって自分を失っていくのだ。
鷲田清一さんは次のように言う。
1960年代末、政治意識の熱っぽかったこの季節に、西洋史家は「私的領域のはらむ問題のきびしさ」との緊張関係の中にない社会科学的思考は「薄っぺら」だとした。自分ぬきで語らないこと。それは、自分がどのような場所から語りだしているかを強く意識することでもある。
自分のない言説によって世の中ができてしまったら、それはコンピューターの世界よりも味気ない。
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