<続き>
前回、ドン・ハイン氏は以下のようにレポート冒頭で記載している。地上窯は2世紀に中国から伝播したとし、地下式窯は10世紀に中国から伝播したとする。いずれも明確な根拠は記載されていない。その地下式窯の伝来ルートを示す図(図1)には、ドゥオンサーの地下式窯への経路は含まれていない。更に地上式窯の2世紀云々であるが、タイ・トーの地上式と云える窯址の痕跡は、氏が明言するほどの窯址形状を示すものはなく、それは宋時代のものと云われている。2世紀の窯址はまちがいないようだが、それが地上式であるとの根拠がはっきりしない。どうもドン・ハイン氏の観念的思索と思われなくもない。ドン・ハイン氏と云えば、東南アジア古陶磁の古くからの研究者であるが、考古学者としては根拠に欠ける推論が多いように感ずるのは、当該ブロガーのみであろうか?余談が多かったが引き続きレポートの内容を紹介する。
2.窯の進化と機能
陶器と磁器を区別することにより、窯の進化と機能を明らかにすることができる。陶器は700-1100度の温度で焼成されたもので、比較的多孔性で構造的に弱い。粘土粒子と結晶構造のより大きな融合凝集力のために、磁器は水に実質的に不浸透性であり、より耐久力がある。
東南アジアでは麦わら、籾殻、動物の糞、竹、木材などの焚火で土器を焼いていたが、場合によっては高品質の陶器焼成にも使用されていた。磁器の製造と比較すると、磁器では気泡が変形し始める温度まで溶融することなく1280度までの温度に耐えることができる耐火性胎土と、それらの温度を提供する手段が必要である。
より高い温度で胎土中に起こる化学変化のために、磁器は制御された温度勾配を含む条件制御により焼成される必要がある。急速で高温になる金属溶融炉は何千年も前から知られているが、このような焼成条件は磁器には適していない。磁器窯は窯内の製品がほぼ同時に焼成温度に達するように動作する必要があり、金属炉では困難かつ非現実的である。
東南アジアでは2種類の窯形式が存在する。一つは昇焔式窯で、二つ目は横焔式窯であり、昇焔式窯の理解も必要である。陶器(土器か?)の焼成に適した昇焔式窯の出現は非常に古く、かつ広く普及している。中国北部・陝西省西安近くのバンポ(Banpo:漢字不詳)には、6000年以上前の形跡が残っている。
本質的に昇焔式窯は、燃焼室の上に焼成物が配置された焼成室を有する円筒状の構造体である。中東とヨーロッパでの改良窯と幾つかの初期段階の中国の昇焔式窯は、ドーム形の屋根で囲まれ、横にアクセスドアがあったが、東南アジアでは製品の積み込みを容易にするため開放されていた。焼成中には壊れた陶磁や匣または同様の廃材で一時的に蓋がされていた。(これについては当該ブログで2016-04-20に「平戸紀行#4(波佐見・やきもの公園)」としてUP Dateしているので、参考にねがいたい。)
昇焔式窯は効率的に熱を閉じ込めるため、より高い温度を生成することができる。熱の物理的特性が向上し、昇焔式窯が焼成室でかなりの温度を得る傾向があることを意味する。
これとは対照的に、横焔式窯は上昇気流を利用するも火格子を省略し、煙突の追加を必要とする。窯体は細長く水平に配置され、焚口の反対側に煙突または通気孔がある(図3)。初期の形態は燃焼室から煙突まで連続的な床である。時間の経過とともに、燃焼室は焼成室の床レベルより、ずっと下方にセットされるようになる(図4)。
横焔式窯は陶磁焼成(火入れ)の都度、燃料灰の掻き出しが必要である。その掻き出し作業で燃焼室の底(基盤)も、結果として掻き出されるため、レベルが低くなった。それと同時に砂や小さな破片などの物質が、昇焔壁近くの焼成室の床に溶けて、徐々に高さが上昇した。これらのことにより燃焼室と焼成室に段差が生じた。初期の陶工たちは、この変化に対して幾つかの利点を明らかに見出した。
一つ目は、より低い温度(温度となっているが、より少ない燃料ではないか?)で、焼成室に多くの熱が流入し、それによって床と天井の温度差が減少することである。
二つ目は、吸引力が増加したことである。それが利点であるか否かに関しては、更なる説明が必要であるが、上述のような燃焼室の変化は、横焔式窯進化に於ける最も重要なダイナミクスのひとつである。
地下式横焔窯の安定性を提供し、崩壊を抑制するために焼成室の天井は、十分な厚さの堆積物を必要とし、地表までの距離は1m以上であった。それは窯体中央の天井からの垂直距離によって決定され、それは煙突の高さを幾らにするかで左右される。焚口が低くなるように燃焼室を深くし、昇焔壁高さを高くすると焼成の制御方法を変更する必要がある。これを陶工が理解すれば、より高温の均一な温度が得られる。後の段階に至ると、昇焔壁はより高く直立する。それは燃料と燃焼のための立体スペースを増やし、熱の発生を増やすことになった。
<続く>
前回、ドン・ハイン氏は以下のようにレポート冒頭で記載している。地上窯は2世紀に中国から伝播したとし、地下式窯は10世紀に中国から伝播したとする。いずれも明確な根拠は記載されていない。その地下式窯の伝来ルートを示す図(図1)には、ドゥオンサーの地下式窯への経路は含まれていない。更に地上式窯の2世紀云々であるが、タイ・トーの地上式と云える窯址の痕跡は、氏が明言するほどの窯址形状を示すものはなく、それは宋時代のものと云われている。2世紀の窯址はまちがいないようだが、それが地上式であるとの根拠がはっきりしない。どうもドン・ハイン氏の観念的思索と思われなくもない。ドン・ハイン氏と云えば、東南アジア古陶磁の古くからの研究者であるが、考古学者としては根拠に欠ける推論が多いように感ずるのは、当該ブロガーのみであろうか?余談が多かったが引き続きレポートの内容を紹介する。
2.窯の進化と機能
陶器と磁器を区別することにより、窯の進化と機能を明らかにすることができる。陶器は700-1100度の温度で焼成されたもので、比較的多孔性で構造的に弱い。粘土粒子と結晶構造のより大きな融合凝集力のために、磁器は水に実質的に不浸透性であり、より耐久力がある。
東南アジアでは麦わら、籾殻、動物の糞、竹、木材などの焚火で土器を焼いていたが、場合によっては高品質の陶器焼成にも使用されていた。磁器の製造と比較すると、磁器では気泡が変形し始める温度まで溶融することなく1280度までの温度に耐えることができる耐火性胎土と、それらの温度を提供する手段が必要である。
より高い温度で胎土中に起こる化学変化のために、磁器は制御された温度勾配を含む条件制御により焼成される必要がある。急速で高温になる金属溶融炉は何千年も前から知られているが、このような焼成条件は磁器には適していない。磁器窯は窯内の製品がほぼ同時に焼成温度に達するように動作する必要があり、金属炉では困難かつ非現実的である。
東南アジアでは2種類の窯形式が存在する。一つは昇焔式窯で、二つ目は横焔式窯であり、昇焔式窯の理解も必要である。陶器(土器か?)の焼成に適した昇焔式窯の出現は非常に古く、かつ広く普及している。中国北部・陝西省西安近くのバンポ(Banpo:漢字不詳)には、6000年以上前の形跡が残っている。
本質的に昇焔式窯は、燃焼室の上に焼成物が配置された焼成室を有する円筒状の構造体である。中東とヨーロッパでの改良窯と幾つかの初期段階の中国の昇焔式窯は、ドーム形の屋根で囲まれ、横にアクセスドアがあったが、東南アジアでは製品の積み込みを容易にするため開放されていた。焼成中には壊れた陶磁や匣または同様の廃材で一時的に蓋がされていた。(これについては当該ブログで2016-04-20に「平戸紀行#4(波佐見・やきもの公園)」としてUP Dateしているので、参考にねがいたい。)
昇焔式窯は効率的に熱を閉じ込めるため、より高い温度を生成することができる。熱の物理的特性が向上し、昇焔式窯が焼成室でかなりの温度を得る傾向があることを意味する。
これとは対照的に、横焔式窯は上昇気流を利用するも火格子を省略し、煙突の追加を必要とする。窯体は細長く水平に配置され、焚口の反対側に煙突または通気孔がある(図3)。初期の形態は燃焼室から煙突まで連続的な床である。時間の経過とともに、燃焼室は焼成室の床レベルより、ずっと下方にセットされるようになる(図4)。
横焔式窯は陶磁焼成(火入れ)の都度、燃料灰の掻き出しが必要である。その掻き出し作業で燃焼室の底(基盤)も、結果として掻き出されるため、レベルが低くなった。それと同時に砂や小さな破片などの物質が、昇焔壁近くの焼成室の床に溶けて、徐々に高さが上昇した。これらのことにより燃焼室と焼成室に段差が生じた。初期の陶工たちは、この変化に対して幾つかの利点を明らかに見出した。
一つ目は、より低い温度(温度となっているが、より少ない燃料ではないか?)で、焼成室に多くの熱が流入し、それによって床と天井の温度差が減少することである。
二つ目は、吸引力が増加したことである。それが利点であるか否かに関しては、更なる説明が必要であるが、上述のような燃焼室の変化は、横焔式窯進化に於ける最も重要なダイナミクスのひとつである。
地下式横焔窯の安定性を提供し、崩壊を抑制するために焼成室の天井は、十分な厚さの堆積物を必要とし、地表までの距離は1m以上であった。それは窯体中央の天井からの垂直距離によって決定され、それは煙突の高さを幾らにするかで左右される。焚口が低くなるように燃焼室を深くし、昇焔壁高さを高くすると焼成の制御方法を変更する必要がある。これを陶工が理解すれば、より高温の均一な温度が得られる。後の段階に至ると、昇焔壁はより高く直立する。それは燃料と燃焼のための立体スペースを増やし、熱の発生を増やすことになった。
<続く>