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北タイ陶磁の源流考・#45<ドン・ハインの「東南アジアの窯業系統・20」>

2017-03-28 06:51:30 | 北タイ陶磁

<続き>

12.2つのゾーニング・その2
内陸部に関しては、キルンは地下式として始まり、その後のすべてのキルンの開発はその概念上の制約内にとどまった。内陸部の窯は、地面に掘られたものであろうと、地上に築窯されたものであろうと、僅かな差異はあるものの、単一の形態であり卵形である。その元の形は一定のままであり、本質的にすべての変更は単純にそのパラダイムのより大きなサイズとより焼成効率を追求したものに向かっていた。
沿岸地域での横焔窯技術の起源に関する相対的な確実性と比較して、内陸部における横焔窯の根源の推測は信頼度をもっていると考える。この技術は、中国南西部の雲南省のどこかの窯場から得られた可能性があるが(これは必ずしも信頼性が高いとは云えない。なぜなら雲南で中世の地下式横焔窯は発見されていないことによる)、タイ人がベトナム北部の山岳地域からラオス、タイ、および北東ビルマに移動したという論述が正しいならば、源泉はまた広西チワン族自治区でもあり得る。沿海部・ベトナムの状況とは異なり、内陸部へのキルンの導入について、中国の覇権のもとでの伝播とはことなり、その影響はおそらく非公式な人々の移動によるものである
内陸部でのさらなる普及に関しては、陶工が西側と南側に移住する人々とともに移動し、漸進的に拡大したと仮定することは妥当と思われる。しかし、その地域での初期の陶磁器生産は、時にはプローム(Prome)やタイの北部、ビルマの下層部を占めていたモン族と結びついているため、横焔式窯の知識が最初に手に渡ったのはモン族であったろう北部タイのMON施釉陶と特定の初期(10世紀頃)の中国陶磁の形と装飾の間には、魅力的な類似点がある。横焔式の導入が10〜11世紀に行われたので、製作された焼物は五代(907-960)と北宋(960-1127)の期間に似ている。しかし、その影響がより古いアイデアを保持している地方の窯からもたらされる可能性については、許容されるべきである。
(当該ブロガー注:何を云いたいのか理解し辛い点もあるが、地下式横焔窯も中国からの伝播としている。しかしながら場所は特定できないが、どこかの地方窯が発祥の根源である可能性を否定していない。当該ブロガーもそのように思いたいが、これについては根拠がなく、ドン・ハイン氏の推測にすぎない。)

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