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6.海岸領域・中部ベトナム
他のケースと同様に、いわゆるチャム族の陶磁は、生産現場が発見されるずっと前から知られていた。様式上の理由から、チャム族による高温焼成の施釉陶磁は、11世紀から16世紀までの間に作られたものと考えられている。1990年代初めにビンディン省で発見された窯群は、2002年に直近の発掘調査が実施された。窯は、航行可能なコン川堤防の田んぼの中の高い人工塚に築窯されていた。それはクイニョンの古い海港に近い場所であった。
発掘された窯は細長く、多かれ少なかれ矩形であり、幅は燃焼室で最も狭く、通気口ではわずかに広い。窯長は時間の経過と共に、約9メートルから14メートルの長さのサイズへと増大した。ゴーサイン、ゴーホイなどの村にある5つの既知のサイトのうち2つが発掘された。ゴーホイでは、窯は粘土で作られているが、後の時期の窯は粘土板で作られた壁を持っており、上部のドームも同じように作られている。焼成室の床レベルの後部壁の多数の開口部は、ベントシステムを形成していた(図15)。

火焔の出口としての通気孔の存在は、煙突が存在せず焼成室の天井が低いことを示唆している。右側の焼成室の壁の中央に位置するサイドドアは、明らかに焼成物の積み下ろしに使用された。そして約50センチメートルの高さの昇焔壁がある。ゴーサイン窯の燃焼室には、6本の柱が三角形に配置されており、他の未発掘窯にも同様の機能が確認されている。長谷部楽爾氏らの報告では、その柱を「火炎分割」と表現した。その柱により結果的にスペースが減少したことは、より高い発熱量を有する石炭または石炭の木材混合物が燃料として使用された可能性があることを示唆している。そうであれば、これらは東南アジアの唯一の歴史的な窯で、そのような特徴と焼成技術を明らかにしたものである。ゴーサイン窯の形のバリエーションは、3つの堆積する最下層の窯で見られた。窯体は長さが約7メートルしかなく、粘土で作られていて、火焔流を上向きにした3つのL字型煙道の珍しい特徴を持っている。青柳、長谷部氏は唐(617-907)王朝のGongxian(鞏縣)窯との類似点を主張している。従ってゴーホイという名前の意味は「外国人の村」であり、その陶磁生産が「中国の陶器の影響下で起こったという概念を支持する」、つまり中国人によってもたらされたと言われている。ベトナムの北部地域は、ベトナム中部での生産に参加していないであろうが、著者(ドン・ハイン氏)は詳細を知らない。
<続く>