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今回は東南アジア諸窯の轆轤の回転方向を検討したい。ドン・ハイン氏によれば、窯様式(形状)の伝播には熟練陶工(伝播元の陶工であれ、そこで訓練を受けた伝播先からの派遣陶工であれ)の存在が欠かせないと指摘している。
そうであれば、伝播元の轆轤の回転方向が伝播先でも踏襲されてしかるべきであるが、一部の例外を除いて、そうなっていない。窯の形は真似るが、轆轤の使い方(回転方向)は真似ない・・・このようなことが起こるのであろうか?
一部の例外は、ドゥオンサー窯である。創業の初期段階は広東系の陶磁を真似ており、轆轤の回転は中国と同じ左回転であるが、やがて右回転に変化する。なぜ左から右に変化するのか、是認できる要因は解明できていないようである。ドゥオンサー窯以外のベトナム諸窯は右回転である。
いきなり左右の回転方向の考察らしきことを記述したが、その回転方向がどのような分布になっているのかをまとめた表と分布図を下に示しておく。
中国の影響を最も受けたであろう、ベトナムはドゥオンサー窯以外は何故か右回りである。ドゥオンサー同様左右混在は北タイのパーン、カロン、サンカンペーンである。ベトナム経由で楕円形(卵型)横焔単室窯が伝播したと感じさせているが、その経路にはベトナムの右回転がラオスとシーサッチャナーライの初期(MON窯)で認められる。
それとは別に左回転の窯場がクメール陶焼成窯とタイ、ミャンマーに認められる。これらをどのように解釈すればよいであろうか。近世のチャムロン親王が集大成した、タイ年代記集成にはスコータイ王が中國に派遣した朝貢使が帰国する際、中国人陶工を伴ったとの記載がある。当該ブロガーは、400-500年前の伝承の信憑性を多少疑問視しているが、あるいはこの影響により中国の左回りが、タイの左回りに
影響を与えたと考えられなくもない。
それにしても平面プランが長方形の地上式窯を北・中部ベトナムとともにブリラムやカンボジアのタニに存在するが、北・中部ベトナムの轆轤は右回転であり、ブリラムやタニに移ると中国と同じ左回転である。この複雑なパズルをどのように解けばよいであろうか。
このパズルは容易に解けそうもないが、幾つかのヒントは存在する。次回は謎解きのヒントを紹介したい。
<続く>