<続き>
3.なぜ中国?
地下式の横焔式窯は、中国の地下式の昇焔式窯から進化したように思われる。横焔式窯は、数千年先行していた昇焔式窯の経験なしに発明されたとは考えにくいコンセプトである。この横焔式窯の出現は、焼成物を設置するためのスペースをより広く提供するためのものである。
横焔式窯がなぜ中国で出現したかを説明するための記録や研究結果は存在しない。(・・・ドン・ハイン氏は断言しているが、実際はどうであろうか。それを確認する資料を持ち合わせていない。以下に示す図8-図10はHP「陶工伝習書」掲載の図を編集したものである。龍山文化初期(前3000年頃)の窖(穴)窯は昇焔式(図8)で、龍山文化後期(前2000年頃)に横焔式の窖窯(図9)が誕生している。以上前記HP記載の図をスケッチして掲載したが、ドン・ハイン氏は以下(緑文字)の説明しか記載していない。)
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中国では黄土層の中に昇焔式窯が掘削によって作られた。その内部空間の掘削と改造は簡単で、これが横焔式窯の開発につながった。黄土層の掘削に基くこの追加プロセスは、大きな利点を有していた。主に焼成室の内部空間は、焼成室の反対側の端で煙突を有する空間から掘削された可能性がある。中国の初期の地下式の横焔窯は、自由形状としての卵型で、この形の窯は韓国や日本の穴窯、そして東南アジアに点在する。
東南アジアの沿岸地域に導入された窯は、地上に設けられ、煙突端部でより大きな幅と、より矩形の平面プランである。
上述した横焔式窯の発展的順序を考えれば、早期の窯が内陸部に導入され、後のモデルが沿岸地域に導入されたように見えるが、実は沿岸地域が早い時期に築窯されている。(ドン・ハイン氏のこの説は総論賛成、各論異論在りで、ドゥオンサー窯は地下式横焔窯の9-10世紀で沿岸部である。)東南アジアの横焔式窯は、竹を含む木材燃料を燃やすように設計された細長い焼成室を持つタイプであり、反対側に煙突または通気孔を持つ。内陸部では多かれ少なかれ卵型であるのに対し、沿岸部の窯は幅の広い通気孔の使用により、より長方形または台形であり、トンネル状である。(ドン・ハイン氏は前述の文章のみでどのような窯の影響を受けたか図示していないが、影響をうけたであろう龍窯(図10)を下に示しておく。)
商品の陶磁器に関しては、広範な文献があるが起源、開発段階、窯場の年代に関する情報は、ほとんど公表されていない。現在多くの窯址が発見されており、発掘事例も多いが、生産手段に関して徹底的に調査され文書化されてはいない。しかし、そのような研究によって、東南アジアでの陶器生産がより包括的に理解されることになる。
(ドン・ハイン氏は“なぜ中国”として東南アジアの窯は中国から伝播したと結論付けているが、西方の視点に欠け何か一方的なようにもみえる。製陶技術は窯のみならず、少なくとも轆轤の回転方向や窯道具の類似性とも関連するが、こちらの視点も欠いている。)
<続く>
3.なぜ中国?
地下式の横焔式窯は、中国の地下式の昇焔式窯から進化したように思われる。横焔式窯は、数千年先行していた昇焔式窯の経験なしに発明されたとは考えにくいコンセプトである。この横焔式窯の出現は、焼成物を設置するためのスペースをより広く提供するためのものである。
横焔式窯がなぜ中国で出現したかを説明するための記録や研究結果は存在しない。(・・・ドン・ハイン氏は断言しているが、実際はどうであろうか。それを確認する資料を持ち合わせていない。以下に示す図8-図10はHP「陶工伝習書」掲載の図を編集したものである。龍山文化初期(前3000年頃)の窖(穴)窯は昇焔式(図8)で、龍山文化後期(前2000年頃)に横焔式の窖窯(図9)が誕生している。以上前記HP記載の図をスケッチして掲載したが、ドン・ハイン氏は以下(緑文字)の説明しか記載していない。)
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東南アジアの沿岸地域に導入された窯は、地上に設けられ、煙突端部でより大きな幅と、より矩形の平面プランである。
上述した横焔式窯の発展的順序を考えれば、早期の窯が内陸部に導入され、後のモデルが沿岸地域に導入されたように見えるが、実は沿岸地域が早い時期に築窯されている。(ドン・ハイン氏のこの説は総論賛成、各論異論在りで、ドゥオンサー窯は地下式横焔窯の9-10世紀で沿岸部である。)東南アジアの横焔式窯は、竹を含む木材燃料を燃やすように設計された細長い焼成室を持つタイプであり、反対側に煙突または通気孔を持つ。内陸部では多かれ少なかれ卵型であるのに対し、沿岸部の窯は幅の広い通気孔の使用により、より長方形または台形であり、トンネル状である。(ドン・ハイン氏は前述の文章のみでどのような窯の影響を受けたか図示していないが、影響をうけたであろう龍窯(図10)を下に示しておく。)
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(ドン・ハイン氏は“なぜ中国”として東南アジアの窯は中国から伝播したと結論付けているが、西方の視点に欠け何か一方的なようにもみえる。製陶技術は窯のみならず、少なくとも轆轤の回転方向や窯道具の類似性とも関連するが、こちらの視点も欠いている。)
<続く>