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12.2つのゾーニング・その1
中国の2つの異なる場所から、少なくとも2つの窯業技術(生産技術)が沿岸と内陸に別々に導入されたとすることは、東南アジア全域での高温焼成窯技術の伝播に関する仮説である。沿岸域と内陸域の間に別々の影響があることを強く示しているのは、地下式窯が出現するずっと前に、地上式窯がベトナムに導入されたことである(当該ブロガー注釈:この見解については不明な点が多く、断言する資料が不足していると考えるが専門家の見解はどうであろうか)。2つのタイプのキルンの地域間相違は、ゾーン間に何らかの影響が生じた可能性があるという考えを排除できない。
沿岸地域では、沿岸北部と中部ベトナムとカンボジア(ブリラム窯を含むタイ北東部)の窯は、広範に単一の伝統に属するようである。すべては、多かれ少なかれ矩形の平面プランと少なくとも次の属性のうちの幾つかを併せ持つ地上式窯である:複数の焚口、複数の燃焼室、天井の支柱、煙突の代わりの通気孔、粘土構造、および搬入搬出用の扉。発達段階はまだ考察されていないが、キルンは時間とともに大きくなる。
タインホア省タム・トーでの漢窯の導入(痕跡はあるが、それが地上式で矩形であると断言できるほどの痕跡はないと考えられるが・・・)は、中国の新しい植民地領にサテライト拠点を設立するため、中国・南東部の海岸沿いの窯場が、導入の根源とみなすことができる。それはカンボジアに、そしておそらくは南部のラオスに広がっている間に変化を受けたが、それは特定の地上式窯の技術である。それらは沿岸地域で独自に開発されたとする見解は示されていない。沿岸域に導入された窯の管状の形状は、隣接する中国の龍窯への形態移行の初期段階と合致している(図37)。
タム・トーの窯を築窯したのは中国人であろうが、おそらくベトナム人もそれに関わり、他に展開するための知識とスキルを得たと思われる。
アンコール王国へのキルンの導入は、陶工がベトナムからクレーン山に行って始めるか、あるいは何らかの形でカンボジア人が技能を習得したか、または中国から直接もたらされたかのいずれかであった。中国が一連の窯業技術移転に関し、それが中國の窯業産業に損害を与える可能性は低いと思われる。
<続く>