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北タイ陶磁の源流考・#34<ドン・ハインの「東南アジアの窯業系統・9」>

2017-03-10 07:28:24 | 北タイ陶磁

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7.海岸領域・アンコール期のカンボジアと東北タイ
クメール王国で作られたクメール陶器は、1950年代のアイモニエ(Aymonier)とグロシエ(Groslier)の初期の調査活動以来認識されており、クレン山に生産拠点があることが既知である。これらは、アンロン・トムのクレン山の過去10年間にわたる調査活動によって明らかになった。窯は長さ8〜9メートル、幅2.3メートル〜2.8メートルで、天井を支えるために焼成室の中心線に沿って1列の支柱がある(図16)。

クメールの陶器生産センターは、広大な陶器産業が地域住民に役立っていることを示している。プノンペン南部のカンダル県のクン・エックにあるもう一つの窯場は、クメール首都がアンコールから南に移動した時代に属するようである。これらの発見はすべてここ数年で起こっており、さらに窯の発見が予想されている。
最近までアンコール期の窯の考古学的研究は、バン・クルアット、バン・バラナエ、ブリラム等の生産拠点、そしてスリンとシーサケットのいくつかの地域に焦点を当てていた。これらの窯は、10世紀から12世紀にかけてのことと考えられている。研究の結果は、普遍的な平らな田んぼの景観の中で、人工丘に造られた小さな塊の窯群をみることができた。バン・クルアットでナイジアンとサワイ窯を発掘すると、人工丘の上に建てられた粘土壁構造で斜度が約15度であることが明らかになった。
公表された報告書と現場の博物館の図とモデルは、単一の燃焼室と煙突を備えた長さ15mで幅の狭い(約1.5m)粘土構築窯である。この窯の分析は、多くの識者によって繰り返されているが、複数のキルンが互いに並行して接触しているようである。そのような連続的な窯のレイアウトの他の事例は知られていない。いずれかの窯の修理や交換は非常に困難だが、現場ではいくつかの窯が再建されたことを示している。
また考古学的証拠と一致していると思われる別の解釈は、窯が3〜4メートル幅であり、最大3つの平行した燃焼室と、焼成室の上端に広い通気システムがある(図17)。排煙部は窯の終端部を横切って設けられているが、窯の上部が崩壊しているので、詳細は不明である。このような幅広い粘土構造の固有の弱点を考えると、支柱は不可欠である。これは、焼成室を支えるため縦列で設けられている。

ブリラムのクメール形式の窯を解釈するにあたっては、同時期に同じアンコール帝国の政治体制のもとで運営されている窯を比較検討すべきである。さらに、ブリラム窯とアンコールの近くにある窯の形は、ベトナム・ビンディン省とほぼ同じ構造を示している。つまり、長方形のプラン、複数の排煙孔、本質的に粘土構造である。違いも存在し煙突の主な違いは、ブリラム窯では幅が大きくなる。更にクメール様式の窯で見られる天井を支える柱と、ビン・ディン省の窯は横に積み込み口が存在することが双方の違いである。
ベトナムのものとクメール窯の類似点は、沿岸地域の窯が本質的に一つの技術的伝統に属することを示唆している。 東南アジア内陸部の窯とは、はっきりと異なる伝統を持っている。




                              <続く>