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9.内部領域:ラオスと北西ベトナム:その2
ラオスのビエンチャンの南3キロにあるバン・タオハイとも呼ばれるシー サッタナーク(Si Sattanak)では、壺や鉢、喫煙パイプ、建築用材が長い間知られていたが、Lao-Germantechnical collegeのクリスチャン・ベルダー、タイ語教授Sanguan Rodboonが記録するまで文書化されていなかった。ベルダーは、鉢や壺、瓶、喫煙パイプの存在を指摘し、窯に属していたと思われるレンガを確認した。1970年の大学建設中に、大量の陶磁器片に加えて7つの窯址が発見された。Sanguanは発掘調査に参加したが、後になるまでその結果を公表しなかった。彼は、窯を長さ約6メートル、幅2.6メートル、窯の天井部が地上レベルであり(つまり半地下式横焔窯)、直径40センチメートルの丸い煙突が存在すると記述した。彼は天井の厚さは30センチで、内部のスラグ状の壁はレンガであると誤解される可能性があるため、壁は30センチの厚さで、「粘土」であると記録した。彼は床が傾斜していて、「底」(明らかに燃焼室を指している)が低く、1.2メートルの幅と1.3メートルの長さであるとした。焚口は50センチ幅であり、口の周りのレンガは13×24×4センチメートルであった。
この記述は1989年と1990年にオーストラリア - ラオス共同チームが発掘した窯と同様の寸法であったが、窯は地面に埋もれていて、焼成室の煙突は粘土で作られ、掘削した残土を使用していた。窯の一部としてまたは窯に関連したレンガは発見されなかった。煙突の形態は確かめることはできなかったが、瓦礫の中に見いだされた壁は円形を示唆していた。 Sanguanが考えるように、これらの窯は、タイ北部のLan Naに見られる過渡的な例に似ているが、焼成温度を評価するために使用された瓶を置く、煙突の底に隆起した階段状の棚と、第二にトレンチのような燃焼室(図27)をもつ特徴がある。トレンチ状の燃焼室はどこにもないので、その開発経緯は不明である。しかし、長い間存在していたであろう問題に対する、1つの解決策の延長線上にあるかもしれない。
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燃焼室が拡大し、より高い温度でより多くの熱量を生成するように進化するにつれて、昇焔壁はより広くより高くなった。その結果、高温による熱で昇焔壁を弱体化させ、繰返しの火入れでゆっくりと崩壊させた。修復を実行するために昇焔壁の両側に「ベンチ」が施されて、それを支えたが(図28)、永続的な解決策はレンガで壁を強化する方法であった。
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独特の三角形の印文帯と薄い緑色の灰釉の鉢と壺、中程度の大きさの口縁が波打つ壺、屋根材、灯明、糸車などが主な製品であった。喫煙パイプも一般的で、一般的には釉薬なしで作られたが、場合によっては他の商品に見られるように半透明の釉薬を塗布したものもある。(ドン・ハイン氏はシーサッタナーク窯の創業時期を記載していない、これについて津田武徳氏の見解は16世紀後半としている。)
<続く>