東京老人Tokyorojin

こごとじじい増山静男のブログです。

釧路湿原、根室

2009年06月02日 10時45分43秒 | 国内旅行
 釧路湿原
 
 汽車でなければいけないのかと心配していたら釧路空港から簡単にいける、
山手線がすっぽり入ってしまうくらい、広い、広い、
 展望台から一周90分の散策コースができていた、雑音が何にも聞こえない、ひばりなどのこえとともに実に優雅な散歩だった、今度のたびは、この釧路湿原と日本東端納沙布岬、それに知床に行く予定だった。

 釧路市和商市場で昼食

 ここは有名だけど何のことはない観光客向けの施設で、ごはんとその上に乗せるものを買うのだ、おいしくないわけじゃないけど、たかかったな、

                    
 
 釧路から根室までのかいげん海岸を通る道、牧場、原野、海岸線といろいろな場所をとおる、これはもうフランス(北海岸)だ、行きかうクルマが全くなく、80キロで走れるからだ、湯沸岬の海岸線はミレーが愛したエトルタそのものでる、

                    

 根室に着いた、こちらは釧路とは違って、駅前にホテルがない、駅前どころかビジネスホテルはないのだ、民宿に泊まる、このストーブみたいなものは何だろう?

                     

 答えは、島ふくろうの巣箱である、彼らはこんな大きな木のむろに巣を作るのだ、それはそうだよねこの鳥はでかい、この民宿の息子さんはボランテイァで巣箱を置いている、その場所は秘密にしていて、GPSで管理しているそうだ、大変な仕事だ、もう100羽くらいしかいなくなってしまったこの鳥が少しずつ増えるといいね。 夕食は回転寿司を食べに行った、東京にもないだろうという大きな店で根室中の人を集めてしまうだろう、込んでいて、ウエイテイングだ、さすがにたいそうおいしく、安かった。
                    

 ここのおばさん、である、
                     

北方領土の水晶島の出身だそうだ、ロシアが攻めてきて8月15日に逃げてきたそうだ、あの太平洋戦争が終わって、みんながほっとしたその日から、住む家を追われ肉眼で見える水晶島の自分の家に訪問もできない、終戦のとき6年生だったそうだが、その気持ちは同じくわかる、新京にいた当時1年生の私もロシアにひどい目に合わされたのだ、今でも街でロスケにであうと蹴飛ばしたくなるそうだ、同感である。 

 

                   





 

エールフランス機の行方不明

2009年06月02日 07時13分15秒 | 交通
乱気流に巻き込まれたみたいである、

きのうの全日空機で同じようなことがあった、
今までみたこともないような

 モノスゴイ雲

が、すぐ側にあった、操縦士は上手に迂回して、突っ込まなかったけれども、
あんな雲の中に、入っちゃったら、怖いと思う、
ちょっとよそ見してる間に、エール機ははいっちゃったのだろう、
だけど飛行機はいつもこんな危険と隣りあわせでいるのだ、

似たような事故が続かなければいいのだが。