東京老人Tokyorojin

こごとじじい増山静男のブログです。

5、シャフリサーブス

2013年08月05日 10時02分07秒 | Weblog
ヒバ・ウルゲンチから、サマルカンドまで寝台車でかえって、サマルカンドから、2000メートルのタフタカラチャ峠をこえて行く、サマルカンドで車を捕まえて(捕まえられて)50ドルで手を打った、例によって出札所によって30日のタシュケントまでの切符を買って、

車はイタリアのladaという大昔の車だった、いつも助手席に乗るのだがこの車はシートベルトが出てこない、ウズベキの車はほとんどが職業運転手なので、事故は少ない、この旅行の間事故は一度も見たことはなかった、


砂漠を越えて


寝台車の高校生

数学の先生と奥さん、若い、新婚であろう

シャフリサービス行きの道の検問所、2箇所もある

タフラカチャ峠、豆売りが出ている

周囲は岩山、崩れると怖い

素敵な水が出ている

岩は前部割れているので本当に怖い



シャフリサーブスについた

巨大な宮殿の門、50メートルmの高さがある、そのむこうはティムールの銅像



食事はいつもおいしい

宮殿の門再び





人懐っこい人々





テレビは日本番組をやっている

帰り再びの泉

景色のよい場所の運転手、帰りはシュボレの新車だったので55ドルはらう



サマルカンドではまた撮影会

レギスタン広場再開

元気なおじいさんこの人たちは70才





帰りのタシュケントまでの列車、レギスタン号(スペインで転覆した)は危ないと思ってシャルク号こちらのほうが3人、6人の個室でよい、

タシュケントでは空港近くの4星ホテルに泊まった、140ドルのところ67ドル、至れりつくせりのいいホテルだった、

14日の旅行も大変満足するものであった、

4、ヒバ

2013年08月05日 07時24分30秒 | Weblog
ヒバ

タシケントから750キロ、鉄道も空港も35キロ離れたウルゲンチにある、ウルゲンチまでの寝台列車は昔の車両だったが、2人用個室でよく眠れた、

満月のつきがしだいに高くなった

周囲は砂漠

ウルゲンチから35キロ、タクシー20ドル

ヒバはこのような城壁に囲まれた中世の街、この城壁は容易に乗り越えることが出来るからむしろ内部の奴隷(ロシア人の奴隷が3万人もいたという)が逃げ出さないようにもうけられたのではないか、

城壁の外部



ここはホテルに利用されている、

城壁の内部  



 



修復には日干し煉瓦が使用されている









泳ぐのも早朝でないといけない



  






ヒバに2泊して充分英気を養った、外出するにしてもすぐ近いから楽である、ウルゲンチの帰りはビジネス、一等がなく、2等寝台(6人用)よく寝られた、どろぼうがいないので、とても安心だ、ウズベキの人々はあまり臭くなく、いびきもかかない、寝台の布団がおおきく、あたかも普通のホテルの布団みたいである、




3、ブハラ

2013年08月05日 07時22分57秒 | 海外旅行
サマルカンドから特急シャルク号で3時間、

いつもそうだが、ブハラの駅に着くとタクシーの客引きが寄って来る、一人と交渉して、彼に切符売り場まで着いてきてもらって、次のウルゲンチまでの切符を買うのだ、切符を買うのを忘れたら大変である、

中央に向かって向かい合う座席、リクライニング式

砂漠の中を通る



ナディール・メドレセ、イスラムに反する顔がデザインされた建物

街の真ん中のアジアホテルに落ち着く

沢山ある泉



街の真ん中、泉に沿ったレストラン、黒い着物は歌手


アナウンサーが番組を取り終えたので、写真にはいってもらう





道路でお食事会、

スープをご馳走になる

早朝の散歩

自転車を借りる

アルク城

バラハウスモスク


街の真ん中なので、あるいて、あるいは自転車でまわれた、あさ散歩すると沢山の人が箒を持ってお掃除をしている、ここでは一泊だけであった、ブハラもとても感慨深い街である、



ここから北部のウルゲンチまでは水曜日に特別上等の寝台列車がでるというので、とても楽しみにしていたのだが、切符を買ってみると普通の列車だった、2人用個室だが、シャワーはなし、この辺情報がなくてとても困ったが、なにも水曜日に予定を組まなくてもよかった、不思議なことに1等でもトイレの水は出ない、しかし3等でもサモワールでお茶は沸かしている、