B'zが好きだと言うと、50過ぎのオッサンが「無理してる」「若ぶっている」と言われる。
まあ、何と言われてもいのだが。
一番最初に聴いたB'zの曲は、「BAD COMMUNICATION」だった。
これは、1980年代に発売されたロック・ミュージックとしては、異色のものだった。
サンプリングを多用しており、ギターの松本氏のギターリフが際立つ曲である(盗用疑惑があるようだが)。
長い曲だが、同じリズムを刻みながら、ギターとボーカルに抑揚を付けることで、起伏のある曲に仕上がっている。
ダンス・ミュージックという範疇に入れられることが多いが、私はこの曲をロックとして捉えている。
それは、稲葉氏の声にロックの魂を感じたから。
そして、松本氏のギターにロックの息吹を感じたから。
B'zに関しては、悪意のこもったパクリ疑惑が根強いようだ。
しかし、私は思うのである。
音楽の半数以上が、何かしら模倣が入っているのではないか、と。
耳に残った琴線に触れる曲にインスパイアされ、新たな楽曲が生まれる。
それがリスペクトの対象になる名曲なら、音楽を深く追求する人としてその曲にインスパイアされるのは当然のことと言える。
それを音楽家が自分なりに消化し、自分なりの音楽を構成することは、当然の成り行きのように私には思えるのだ。
その曲の半分以上のメロディを模倣したとしたら、どんなにアレンジに工夫を施したとしても、それは盗用の疑惑を免れない。
しかし、4小節程度の類似を盗用と言ってしまったら、音楽の創造性は、むしろ閉ざされてしまうのではないか、と私は思うのである。
どの曲も、その創造の発端は、多かれ少なかれ、優れた曲にインスパイアされて作られることが多いのではないだろうか。
少しの模倣から新たな名曲が生まれるなら、それは独立したひとつの楽曲である。
売れすぎたために言われる「パクリ」という中傷は、過度の潔癖症か、妬みによる言いがかりとしか私には思えない。
私が聴く限り、B'zの楽曲で他人のメロディや編曲を相当部分盗用したというものは見当たらない。
だから、彼らの曲の一部分が、何かに似ていたとしても、私は「リスペクト」「インスパイア」の範囲で収まっている、と判断している。
他のアーティストの場合も、彼らなりの解釈をして違う世界を作り上げた曲は、私は模倣だとは思わない。
瑣末なことで批判したら、どの分野の芸術だって、創造力の停滞を招くだろう。
ただ批判するためだけの批判は、愚か者のすることだ。
B'zの音楽の最大の魅力は、松本氏のギターと稲葉氏の声。
特に、稲葉氏の声は、人間の声が優れた楽器であるということを強く認識させるものだ。
激しい曲を歌っても、バラードでも、彼の「強い声」は、どんな歌でも独自の世界観を形作る確固たる存在感を持っている。
仕事部屋では、B'zの曲をエンドレスで流すことがある。
稲葉氏の「強い声」は、なぜかわからないが、仕事の効率を上げてくれるのだ。
それは、彼の「強い声」がもつ「チカラ」が、私の想像力や意欲を掻き立ててくれるからだと、私は思っている。
お気に入りのアルバムは「IN THE LIFE」。
今はその中の、最後の曲「ALONE」が流れている。
重厚なコーラスに被さる稲葉氏の「強い声」。
そして、その「強い声」で表現されるものは、珠玉を散りばめたロック・バラードと言っていいものだ。
圧倒的な迫力で、「強い声」が、体に入り込んでくる。
稲葉氏のこの「強い声」が続く限り、B'zは、ジャパニーズ・ロックの世界で、唯一無二の存在で有り続けるだろう。
まあ、何と言われてもいのだが。
一番最初に聴いたB'zの曲は、「BAD COMMUNICATION」だった。
これは、1980年代に発売されたロック・ミュージックとしては、異色のものだった。
サンプリングを多用しており、ギターの松本氏のギターリフが際立つ曲である(盗用疑惑があるようだが)。
長い曲だが、同じリズムを刻みながら、ギターとボーカルに抑揚を付けることで、起伏のある曲に仕上がっている。
ダンス・ミュージックという範疇に入れられることが多いが、私はこの曲をロックとして捉えている。
それは、稲葉氏の声にロックの魂を感じたから。
そして、松本氏のギターにロックの息吹を感じたから。
B'zに関しては、悪意のこもったパクリ疑惑が根強いようだ。
しかし、私は思うのである。
音楽の半数以上が、何かしら模倣が入っているのではないか、と。
耳に残った琴線に触れる曲にインスパイアされ、新たな楽曲が生まれる。
それがリスペクトの対象になる名曲なら、音楽を深く追求する人としてその曲にインスパイアされるのは当然のことと言える。
それを音楽家が自分なりに消化し、自分なりの音楽を構成することは、当然の成り行きのように私には思えるのだ。
その曲の半分以上のメロディを模倣したとしたら、どんなにアレンジに工夫を施したとしても、それは盗用の疑惑を免れない。
しかし、4小節程度の類似を盗用と言ってしまったら、音楽の創造性は、むしろ閉ざされてしまうのではないか、と私は思うのである。
どの曲も、その創造の発端は、多かれ少なかれ、優れた曲にインスパイアされて作られることが多いのではないだろうか。
少しの模倣から新たな名曲が生まれるなら、それは独立したひとつの楽曲である。
売れすぎたために言われる「パクリ」という中傷は、過度の潔癖症か、妬みによる言いがかりとしか私には思えない。
私が聴く限り、B'zの楽曲で他人のメロディや編曲を相当部分盗用したというものは見当たらない。
だから、彼らの曲の一部分が、何かに似ていたとしても、私は「リスペクト」「インスパイア」の範囲で収まっている、と判断している。
他のアーティストの場合も、彼らなりの解釈をして違う世界を作り上げた曲は、私は模倣だとは思わない。
瑣末なことで批判したら、どの分野の芸術だって、創造力の停滞を招くだろう。
ただ批判するためだけの批判は、愚か者のすることだ。
B'zの音楽の最大の魅力は、松本氏のギターと稲葉氏の声。
特に、稲葉氏の声は、人間の声が優れた楽器であるということを強く認識させるものだ。
激しい曲を歌っても、バラードでも、彼の「強い声」は、どんな歌でも独自の世界観を形作る確固たる存在感を持っている。
仕事部屋では、B'zの曲をエンドレスで流すことがある。
稲葉氏の「強い声」は、なぜかわからないが、仕事の効率を上げてくれるのだ。
それは、彼の「強い声」がもつ「チカラ」が、私の想像力や意欲を掻き立ててくれるからだと、私は思っている。
お気に入りのアルバムは「IN THE LIFE」。
今はその中の、最後の曲「ALONE」が流れている。
重厚なコーラスに被さる稲葉氏の「強い声」。
そして、その「強い声」で表現されるものは、珠玉を散りばめたロック・バラードと言っていいものだ。
圧倒的な迫力で、「強い声」が、体に入り込んでくる。
稲葉氏のこの「強い声」が続く限り、B'zは、ジャパニーズ・ロックの世界で、唯一無二の存在で有り続けるだろう。