ここで何度か書いているが、感情過多のバラード歌いが好きではない。
たとえば、MISIAのように歌手としての才能をすべて備えている人が、ここぞというときに魂を込めて声を張り上げるのは、説得力があるからいい。
しかし、ただ声量があるだけの歌手が、おのれの声量を誇示したいがために、やたらと声を張り上げる歌唱には、疑問を持つ。
「魂を込めて歌う」ことと、「ただ声を張り上げる」ことは、まったく違う。
声を張り上げて歌っている人は気持ちがいいかもしれないが、少なくとも私には、音魂がまったく伝わってこない。
だから、バラードの押し売りは、好まない。
ただ、Every Little Thingの持田香織さんの歌うバラードは、好きだ。
彼女の歌うバラードは、決して感情過多にはならない。
平坦な導入部から始まって、盛り上がるサビの部分でも、必要以上に力を入れることなく、重要な歌詞を噛み締めるように歌い上げる。
そのテクニックは、際立っていると思う。
それは、きっと持田さんの声の性質と彼女の性格が、そうさせるのではないかと私は勝手に思っている。
物事に必要以上にこだわる人ではないのだろう、と私は持田さんの性格を想像している。
きっと、男前の性格なのではないか、と。
そうでなければ、あそこまでサラッと恋愛をテーマにした曲は歌えないのではないだろうか。
恋愛ソングを思い入れたっぷりに歌われるのが好き、という人は女性に多いようだ。
バラードの性質として、その方が感情移入しやすいというのはわかるが、私はその方式が歌手のテクニックとしては、あまりにも安易なのではないかと思う男である。
悲しい歌を激情に任せるままに歌うのは、表現方法としては、稚拙である。
泣かんばかりの表情で声を振り絞って歌うのは、一種のごまかしと言っていい。
プロである以上、その種の安易な手段を使わずに、歌詞の世界を表現すべきだと思う。
そういった意味で、持田ネエさんの表現手法は大変優れている、と私は思っているのだ。
伝えるべき情景を最小限の感情表現で伝えるというのは、実はかなり高度なテクニックと言っていいのではないだろうか。
近年、声帯を痛めたせいか、高音が出づらくなった持田ネエさんだが、優秀なボイストレーナーに出会えば、また美声を取り戻すこともできるのではないか、と私は楽観的である。
そして、これからもずっと男前の歌声を聴かせてもらいたい、と思っている。
たとえば、MISIAのように歌手としての才能をすべて備えている人が、ここぞというときに魂を込めて声を張り上げるのは、説得力があるからいい。
しかし、ただ声量があるだけの歌手が、おのれの声量を誇示したいがために、やたらと声を張り上げる歌唱には、疑問を持つ。
「魂を込めて歌う」ことと、「ただ声を張り上げる」ことは、まったく違う。
声を張り上げて歌っている人は気持ちがいいかもしれないが、少なくとも私には、音魂がまったく伝わってこない。
だから、バラードの押し売りは、好まない。
ただ、Every Little Thingの持田香織さんの歌うバラードは、好きだ。
彼女の歌うバラードは、決して感情過多にはならない。
平坦な導入部から始まって、盛り上がるサビの部分でも、必要以上に力を入れることなく、重要な歌詞を噛み締めるように歌い上げる。
そのテクニックは、際立っていると思う。
それは、きっと持田さんの声の性質と彼女の性格が、そうさせるのではないかと私は勝手に思っている。
物事に必要以上にこだわる人ではないのだろう、と私は持田さんの性格を想像している。
きっと、男前の性格なのではないか、と。
そうでなければ、あそこまでサラッと恋愛をテーマにした曲は歌えないのではないだろうか。
恋愛ソングを思い入れたっぷりに歌われるのが好き、という人は女性に多いようだ。
バラードの性質として、その方が感情移入しやすいというのはわかるが、私はその方式が歌手のテクニックとしては、あまりにも安易なのではないかと思う男である。
悲しい歌を激情に任せるままに歌うのは、表現方法としては、稚拙である。
泣かんばかりの表情で声を振り絞って歌うのは、一種のごまかしと言っていい。
プロである以上、その種の安易な手段を使わずに、歌詞の世界を表現すべきだと思う。
そういった意味で、持田ネエさんの表現手法は大変優れている、と私は思っているのだ。
伝えるべき情景を最小限の感情表現で伝えるというのは、実はかなり高度なテクニックと言っていいのではないだろうか。
近年、声帯を痛めたせいか、高音が出づらくなった持田ネエさんだが、優秀なボイストレーナーに出会えば、また美声を取り戻すこともできるのではないか、と私は楽観的である。
そして、これからもずっと男前の歌声を聴かせてもらいたい、と思っている。