ブログネタが尽きたので、安易に前回の続きを。
前回、10年前のことを書いた。
仕事のない日が6日続いて、ヨメの機嫌が悪かったという話だ。
そして、3日目には居たたまれなくなって、プチ家出をした。
そのとき、友人のコピーライターの前で醜態をさらした。
人様に迷惑をかけたのだから、もう迷惑をかけるのはよそう。
普通の人だったら、きっとそう考える。
しかし、甘ちゃんの私は、また人様に甘えてしまったのだ。
その当時の私は、埼玉の中古OA販売会社の社長と懇意にさせていただいていた。
年に2回、その会社ではセールを打つのだが、そのチラシを毎回頼まれていた。
さらに、そればかりではなく、その会社のバーベキューの集いに参加させていただくこともあった。
他にも、動物好きな私のために、上尾のご自宅から、わざわざ私の暮らすさいたま市のメガ団地まで、社長自ら車でハスキー犬を連れて来てくださった。
犬の散歩をさせてくれたのだ。
社長の会社とご自宅は埼玉上尾市。
しかし、会社の倉庫は、都合のいいことに、我が家族が住むメガ団地から1キロ程度のところにあった。
あるとき、倉庫を見学させていただいた。
大きな倉庫ではないが、100平米以上はあったと思う。
そこに、中古のコピー機、業務用ファックス、机、椅子、キャビネット、パソコン、プリンター、モニターなどがギュウギュウに詰まっていた。
そして、倉庫の隅には衝立てで区切られた小さな事務所もあった。
その中に、机と椅子がワンセット。
横長のソファが一つ。
あとは電話付きファックスとエアコンだ。
それを見て、私はヨダレが出た。
なんていい物件なのだろう!
そこで、図々しいことに、私は社長に、おねだりをしたのだ。
もし、この倉庫を使わないときは、私にこの事務所を貸していただけないでしょうか。
無理をお願いするのだから、私は正直に、自分の立場を説明した。
仕事がないとき、家で私が休んでいると、家内の機嫌が悪いということを。
すると、社長はアッサリと合鍵を渡してくれた。
(そのとき、自分が一瞬、社長の愛人になった気がした)
利用するときは、あらかじめ社長にお伺いを立てることを約束した。
今回も前日の夜に、メールでお伺いを立てていた。
「今週は使う予定がないから存分に」というありがたいお返事をいただいた。
仕事のない日の4日目。
前日と同じように、朝4時に起きて、家族の朝メシと息子の弁当を作った。
そして、ヨメが起きる5時前に家を出た。
倉庫までは、自転車で7、8分の距離だ。
私は、ここを「隠れ家」と呼んでいた。
使い初めの頃、HARD OFFでCDラジカセと毛布、ギターと電熱器、ヤカン、鍋を買いそろえ、それらを持ち運んで生活感を出した。
さらに、社長が気を利かせてくれて、ミニ冷蔵庫を設置してくれたものだから、冷蔵庫にはビールが詰まっていた。
そして、カップラーメンと袋ラーメンが、それぞれ10個以上。
それが、私の朝メシ、昼メシだ。
その倉庫は、太陽光が直接入ってくることはなかった。
そんなところも落ち着いた雰囲気で良かった。
少し埃っぽいが、そんなことで文句を言ったら罰が当たる。
隠れ家としては、最高の物件と言っていい。
隠れ家に5時過ぎに着いて、すぐに寝た。
起きたのは11時前。
ビールを飲んで、ラーメンを食い、また寝た。
次に起きたのは、夕方5時過ぎだった。
昨日より体調が良くなった自覚があった。
7割くらいの回復と見ていいだろう。
嬉しくなって、J-WAVEを聞きながら、ノンビリとビールを飲み、魚肉ソーセージをかじった。
そのとき、倉庫のドアがドンドンと叩かれた。
なんじゃ、と思って出てみると、当時小学5年生の娘が立っていた。
「迎えにきたぞい!」
心配すると思ったので、娘にだけは、場所を教えておいたのだ。
そして、7時前には帰るとも伝えておいた。
しかし、娘は直接自転車で迎えに来たのだった。
それは、想定外のできごとだった。
娘は興味津々の様子で倉庫内をまわり歩き、「悪くないな」と頷いた。
ふたりで、魚肉ソーセージをかじった。
娘と一緒に、6時半過ぎに倉庫を出た。
団地と倉庫の途中に、小さな公園があった。
「ちょっと寄ろうぜ」と娘が言うので寄った。
ベンチに並んで座った。
座ってすぐ、娘が言った。
「おまえ、何でも自分ひとりでやるのは間違いだぞ。少しは人に頼れよ。ときどきは泣きごとを言ってもいいんだぞ」
驚いた。
まるで親に言われるようなことを10歳の娘に言われたからだ。
ハハハ、と笑うしかなかった。
しかしな、泣きごとを言うファザーは嫌いだろ?
「毎日だったら嫌だけど、一度だけだったら聞いてやってもいい」
そうか、じゃあ、溜めて溜めて、いつか一気に泣きごとを言おうか。
覚悟はできてるか?
「あたりまえだろ。
オレをなめるなよ!」
(娘は、小学校、中学校、高校のときは、家では自分のことを『オレ』と言っていた。
大学生になってからは『ボク』だ。なぜそう言うのかは聞いていない)
いつか・・・・いつか・・・言ってみるか。
「そんなことをいっても、言わないんだろうな、おまえは。
そんな可愛いやつじゃないものな。
まあ、とにかく、おまえのことはオレが見張っているから、安心しろ」
そして、私の顔を覗き込んで、娘は続けた。
「今日の顔色を見ると、回復度7割だな」
驚いた。
確かに、よく見張っていると思った。
私も自分で7割だと思っていたからだ。
きっと明日は10割に回復だ、と私が言うと、娘が「まだあと二日ある。急ぐなよ」と私の膝を叩いた。
それを聞いて、どっちが大人かわからないな・・・と思った。
前回、10年前のことを書いた。
仕事のない日が6日続いて、ヨメの機嫌が悪かったという話だ。
そして、3日目には居たたまれなくなって、プチ家出をした。
そのとき、友人のコピーライターの前で醜態をさらした。
人様に迷惑をかけたのだから、もう迷惑をかけるのはよそう。
普通の人だったら、きっとそう考える。
しかし、甘ちゃんの私は、また人様に甘えてしまったのだ。
その当時の私は、埼玉の中古OA販売会社の社長と懇意にさせていただいていた。
年に2回、その会社ではセールを打つのだが、そのチラシを毎回頼まれていた。
さらに、そればかりではなく、その会社のバーベキューの集いに参加させていただくこともあった。
他にも、動物好きな私のために、上尾のご自宅から、わざわざ私の暮らすさいたま市のメガ団地まで、社長自ら車でハスキー犬を連れて来てくださった。
犬の散歩をさせてくれたのだ。
社長の会社とご自宅は埼玉上尾市。
しかし、会社の倉庫は、都合のいいことに、我が家族が住むメガ団地から1キロ程度のところにあった。
あるとき、倉庫を見学させていただいた。
大きな倉庫ではないが、100平米以上はあったと思う。
そこに、中古のコピー機、業務用ファックス、机、椅子、キャビネット、パソコン、プリンター、モニターなどがギュウギュウに詰まっていた。
そして、倉庫の隅には衝立てで区切られた小さな事務所もあった。
その中に、机と椅子がワンセット。
横長のソファが一つ。
あとは電話付きファックスとエアコンだ。
それを見て、私はヨダレが出た。
なんていい物件なのだろう!
そこで、図々しいことに、私は社長に、おねだりをしたのだ。
もし、この倉庫を使わないときは、私にこの事務所を貸していただけないでしょうか。
無理をお願いするのだから、私は正直に、自分の立場を説明した。
仕事がないとき、家で私が休んでいると、家内の機嫌が悪いということを。
すると、社長はアッサリと合鍵を渡してくれた。
(そのとき、自分が一瞬、社長の愛人になった気がした)
利用するときは、あらかじめ社長にお伺いを立てることを約束した。
今回も前日の夜に、メールでお伺いを立てていた。
「今週は使う予定がないから存分に」というありがたいお返事をいただいた。
仕事のない日の4日目。
前日と同じように、朝4時に起きて、家族の朝メシと息子の弁当を作った。
そして、ヨメが起きる5時前に家を出た。
倉庫までは、自転車で7、8分の距離だ。
私は、ここを「隠れ家」と呼んでいた。
使い初めの頃、HARD OFFでCDラジカセと毛布、ギターと電熱器、ヤカン、鍋を買いそろえ、それらを持ち運んで生活感を出した。
さらに、社長が気を利かせてくれて、ミニ冷蔵庫を設置してくれたものだから、冷蔵庫にはビールが詰まっていた。
そして、カップラーメンと袋ラーメンが、それぞれ10個以上。
それが、私の朝メシ、昼メシだ。
その倉庫は、太陽光が直接入ってくることはなかった。
そんなところも落ち着いた雰囲気で良かった。
少し埃っぽいが、そんなことで文句を言ったら罰が当たる。
隠れ家としては、最高の物件と言っていい。
隠れ家に5時過ぎに着いて、すぐに寝た。
起きたのは11時前。
ビールを飲んで、ラーメンを食い、また寝た。
次に起きたのは、夕方5時過ぎだった。
昨日より体調が良くなった自覚があった。
7割くらいの回復と見ていいだろう。
嬉しくなって、J-WAVEを聞きながら、ノンビリとビールを飲み、魚肉ソーセージをかじった。
そのとき、倉庫のドアがドンドンと叩かれた。
なんじゃ、と思って出てみると、当時小学5年生の娘が立っていた。
「迎えにきたぞい!」
心配すると思ったので、娘にだけは、場所を教えておいたのだ。
そして、7時前には帰るとも伝えておいた。
しかし、娘は直接自転車で迎えに来たのだった。
それは、想定外のできごとだった。
娘は興味津々の様子で倉庫内をまわり歩き、「悪くないな」と頷いた。
ふたりで、魚肉ソーセージをかじった。
娘と一緒に、6時半過ぎに倉庫を出た。
団地と倉庫の途中に、小さな公園があった。
「ちょっと寄ろうぜ」と娘が言うので寄った。
ベンチに並んで座った。
座ってすぐ、娘が言った。
「おまえ、何でも自分ひとりでやるのは間違いだぞ。少しは人に頼れよ。ときどきは泣きごとを言ってもいいんだぞ」
驚いた。
まるで親に言われるようなことを10歳の娘に言われたからだ。
ハハハ、と笑うしかなかった。
しかしな、泣きごとを言うファザーは嫌いだろ?
「毎日だったら嫌だけど、一度だけだったら聞いてやってもいい」
そうか、じゃあ、溜めて溜めて、いつか一気に泣きごとを言おうか。
覚悟はできてるか?
「あたりまえだろ。
オレをなめるなよ!」
(娘は、小学校、中学校、高校のときは、家では自分のことを『オレ』と言っていた。
大学生になってからは『ボク』だ。なぜそう言うのかは聞いていない)
いつか・・・・いつか・・・言ってみるか。
「そんなことをいっても、言わないんだろうな、おまえは。
そんな可愛いやつじゃないものな。
まあ、とにかく、おまえのことはオレが見張っているから、安心しろ」
そして、私の顔を覗き込んで、娘は続けた。
「今日の顔色を見ると、回復度7割だな」
驚いた。
確かに、よく見張っていると思った。
私も自分で7割だと思っていたからだ。
きっと明日は10割に回復だ、と私が言うと、娘が「まだあと二日ある。急ぐなよ」と私の膝を叩いた。
それを聞いて、どっちが大人かわからないな・・・と思った。