リスタートのブログ

住宅関連の文章を載せていましたが、メーカーとの付き合いがなくなったのでオヤジのひとり言に内容を変えました。

宴会のコンダクター

2016-10-30 08:25:00 | オヤジの日記
2か月に1度、同業者と飲み会を開く。

場所は吉祥寺だ。
しかし、私以外の同業者は、埼玉在住である。

同業者は、私を除いて基本的に5人。
たまに、ゲストが来ることがあるが、ベースになるのは5人だ。

最長老のオオサワさん。
最長老とは言っても、私はオオサワさんの年を知らない。
65以上だと思うが、私には人の年を聞く趣味がないので、詳しい年齢は知らない。

あとは、カマタさん、モチダさん、人類史上最も馬に激似の「お馬さん」、そして一番若いのが30代後半のニシダ君だ。

6人のうち、専門学校出身が4人。
デザインを専攻したのは、最長老のオオサワさんだけ。
写真学校を出たのが、お馬さんとモチダさん。
映像学校を出たのが、カマタさんだ。

ニシダ君と私が大学を出ていた。
ニシダ君は、理工学部。
ただ、数学科の出身のせいかわからないが、コンピュータの操作はできるが、機械の調子が悪くなると、いつもパニックになる。
そのたびに、私にSOSのメールが来る。

私は、法学部出身。
おそらく、デザインから一番遠い分野だと思う。
だから、デザイン能力は、他の方と比べてかなり劣る。

ただ、機械のことは誰にも増して詳しい。
デザイナーとしては、褒められたことではないが。


馴染みの居酒屋で飲んでいると、最長老のオオサワさんが、「Mさんは、社交的ですよね」とおっしゃった。

偏屈な性格のこの俺が、社交的?
ご冗談を。

「みんなの話をよく聞くじゃないですか。聞き上手な人は、社交的だと思いますよ」

それは、大きな勘違いですね。


私は、酒が強い方だ。
他の人の3倍以上の酒を飲んだとしても、酔わない。

私は大量の酒を飲むが、実は、酔っぱらいが嫌いである。

私には大きなトラウマがあった。

大学の飲み会では、私は酔いつぶれたやつを介抱するのが役目だった。
酔いつぶれたら、水を大量に飲ませ、熱いコーヒーを買って飲ませるのが基本。
最終電車に乗せたり、タクシーに乗せたり、あるいは、駅までの帰りに吐くやつがいたら、それを処理したりもした。

心の中では、あれっぽっちの酒で酔いつぶれるなんて、安い体だな、と思ったりしたが、見捨てることはなかった。

大学4年、最後のクラスの飲み会。
15人のうち、危なそうなやつを2人、私は介抱した。

あとは、目や歩き方、喋り方の様子で、安全に帰れるだろう、と判断した。
2人を最終電車に間に合うように、ホームまで連れて行って見送った。

大学は、渋谷にあった。
そして、私の家は渋谷から東横線で2つめの中目黒だった。

電車がなくなっても歩いて帰れる距離だから、終電時間が過ぎても困ることはない。
毎回歩いて帰った。

次の日。
飲み会に参加したクラスメイトが死んだことを知らされた。

彼は、最終電車を逃したため、自宅のある田園調布まで歩いて帰ろうとしたらしいのだ。
当時の東横線は、今のように高架を走っておらず、地面の上を走っていた。
途中で、歩き疲れて眠気に負けた彼は、線路に寝てしまったらしい。
そして、朝一番の電車に轢かれて死んだ。

それを聞いた私は、なぜ彼のことを大丈夫だと判断したのだ、と激しく自分を責めた。
そのとき大丈夫に見えても、あとから効いてくるのが酒だ。
その読みが、甘かった。

ご両親に何度も頭を下げた。
しかし、頭を下げたからといって、生き返るわけではない。

お父さんから、「いまは息子の笑顔しか思い浮かばないんです」と言われた。
消えてなくなりたいと思った。

その悔しさは、酒を飲むたびに、いまでも脳細胞の表面に浮き上がってきて、私をやりきれなくさせる。

だから、私は飲み会では、最大限の注意を払うことにしていた。
参加者の様子をうかがうためには、話を聞くのが一番効果的だ。

そして、どの程度飲んだのかも絶えず監視していた。
言葉がもつれたり、論理的でなくなったときは、酔っているということだ。
すぐ水を飲ませる。
お節介で野暮なやつだと思われても私は構わない。

たとえば、世の中には、こういうバカがたくさんいる。
人に酒を無理やり飲ませようとするバカだ。
人にしつこく酒をすすめるやつがいたとき、私は相手が年上であっても胸ぐらや首根っこを掴んでやめさせた。

そういうときの私は、相当怖い顔をしているらしく、場が凍りついて、まわりをしらけさせるのだが、私は嫌われてもいいと思ってやっていた。
喧嘩になってもいいと思った。

死なれるよりは、ずっといい。


そういう理由で、私は、酔っぱらいが嫌いだ。
そして、同じ過ちを繰り返すのは、もっと耐えられない。


大学陸上部からの付き合いの友人たちは、そんな私を「宴会のコンダクター」と呼んでいた。


彼らに、「マツがいると、安心して飲めるよ」と言われたとき、私はとても幸せな気分になる。