リスタートのブログ

住宅関連の文章を載せていましたが、メーカーとの付き合いがなくなったのでオヤジのひとり言に内容を変えました。

貧しいひと・食事編

2017-12-03 06:29:00 | オヤジの日記

ある貧しい男がいた。

 

彼は、仕事をしていく上で「食事」と「睡眠」が、とても重要だと考えていた。

だが、そうは考えていても、実践している気配はない。

食事に関して言えば、朝はトースト1枚、昼は家にいた場合はパスタ。営業で外に出た場合は立ち食いソバ。夜は、家族の晩メシを作りながら、クリアアサヒを飲み、ベビーチーズをかじる。家族揃っての食卓では、ベビーチーズで腹が膨れたので、クリアアサヒを飲みながら、おかずを適当につまむだけだ。

夜間に仕事をした場合の夜食は、塩むすび一つと味噌汁。

「食事」が重要だと思っているとは思えない貧しさだ。

 

そんな彼の貧しい食生活の起源は、彼の中学3年時の4月まで遡る。

中学3年の4月までは、彼には祖母がいたから、食事は祖母が作ってくれた。愛情のこもった食事だった。

しかし、祖母がいなくなってからは、毎日の食事がスーパーの総菜中心になった。

フルタイムで週に6日働いていた彼の母親は、家に帰ると疲れ果てて食事を作る気力が持てなかった。

だから、仕事終わりに、いつも東急東横線中目黒駅近くの東急ストアで、総菜を買って帰った。それを器に移し替えたものが晩メシだった。

他にも、こんなことがあった。

運動会や遠足の時、まわりはみな手作りのお弁当を持ってきていたが、彼が持っていったのは、母親が近所の総菜屋で買ってきた「助六寿司」だった。

いつもいつも助六寿司。それ以来、彼は「助」と「六」という文字を見ると拒否反応を示すまでになった。

高校や大学にあがると、そこには「学食」というありがたいものがあったので、昼間の食事が突然裕福になった。

だが、家に帰ると夜は総菜。

その結果、夜も学食で食うことが増えた(安かったから)。

 

社会人になってからは、ランチというありがたいシステムが、ビジネス街には存在した。

そして、夜には居酒屋というものが出現した。

外食中心の毎日だった。

結婚してからは、毎日、朝晩に妻の手作りのメシを食うことができるようになった。

そのことに、彼は大きな幸せを感じた。

総菜、外食、バイバーイ! と叫んだ。

そして、子育て。

子育てでは、彼は料理を担当した。まず離乳食を作り始めた。子どもたちが大きくなったとき、離乳食を作ったのはお父さんだったんだよ、と自慢したかったからだ。

 

家族のために料理をするようになって数年が経ったとき、彼はあることに気づいた。

家族には美味いものを食ってもらいたいが、自分のものは、どうでもいいのではないか、と。

家族だからと言って、全員が同じものを食う必要はない。

メシを作っているだけで満足なんだから、最後の食う作業は、自分は、はしょってもいいのではないだろうか。

つまり、そのとき、彼の食生活は若い頃の貧しさに舞い戻ったのである。

大学時代66キロあった体重は、いまは55キロまで落ちていた。

仕事が忙しいときは、メシを食う暇がないので、52キロまで落ちることがあった。

180センチ、52キロ。アンガールズではないか。

 

昨日の昼、彼の妻が、花屋さんのパート帰りに何を思ったか、助六寿司を2人分買ってきた。

「食べましょーよ!」

それを見て、彼は震えた。

子どもの頃のトラウマで、彼は助六寿司の食えない男になっていたのだ。

スーパーなどで、助六寿司が並んでいるのを見ると、踏んづけたくなる衝動に駆られる。あるいは、テーブルをひっくり返したくなる。

そして、出来合いの総菜も嫌いだ。鳥肌が立つ。彼は、総菜の類いを買ったことがない。あんなおぞましいものを何故ひとは好んで食うのか理解に苦しむ。

助六寿司が、彼の目の前にあった。

彼は、妻には、過去のトラウマのことを話していなかった。話す機会がなかったからだ。自分の黒歴史など、過去から消してしまった方がいいとずっと思っていた。

しかし、現実として、目の前に助六寿司は存在した。彼の黒歴史が明確な形をして、そこに存在した。

だが、今これを食べないと夫婦仲に亀裂が入るだろう。

「なんで、私が買ってきたものが食べられないの!」

わかりました。暗示をかければいいのだ、と彼は思った。

これは、ただのいなり寿司とカンピョウ巻きと太巻きだ(それは、そうだ。ガリだって付いている)。

いなり寿司は、単体で食ったことがあった。カンピョウ巻きと太巻きも食ったことがあった。

つまり、これは寿司のコラボレーションに過ぎない、と彼は思った。

まとまった結果、助六寿司に形を変えているだけだ。言ってみれば、合体ロボットのようなものだ。

彼は、そのように自分に暗示にかけた。

 

自分を納得させながら、恐る恐るいなり寿司を食べた。

あれ? 美味いぞ。

カンピョウ巻きも美味い。太巻きって、こんなに美味かったっけ。

「美味しいでしょ」と彼の妻が聞いてきた。

彼は、何のためらいもなく、うなずいていた。

 

助六さんを30数年間拒否してきた俺は、いったい何だったんだ、と彼は思った。

 

彼は、助六さん、ごめんな、と助六さんに謝った。頭を下げた。

 

そんな彼の姿を見て、彼の妻は、おぞましいものを見るような目をして、去っていった。