ある貧しい男がいた。
彼は、仕事をしていく上で「食事」と「睡眠」が、とても重要だと考えていた。
だが、そうは考えていても、実践している気配はない。
食事に関して言えば、朝はトースト1枚、昼は家にいた場合はパスタ。営業で外に出た場合は立ち食いソバ。夜は、家族の晩メシを作りながら、クリアアサヒを飲み、ベビーチーズをかじる。家族揃っての食卓では、ベビーチーズで腹が膨れたので、クリアアサヒを飲みながら、おかずを適当につまむだけだ。
夜間に仕事をした場合の夜食は、塩むすび一つと味噌汁。
「食事」が重要だと思っているとは思えない貧しさだ。
そんな彼の貧しい食生活の起源は、彼の中学3年時の4月まで遡る。
中学3年の4月までは、彼には祖母がいたから、食事は祖母が作ってくれた。愛情のこもった食事だった。
しかし、祖母がいなくなってからは、毎日の食事がスーパーの総菜中心になった。
フルタイムで週に6日働いていた彼の母親は、家に帰ると疲れ果てて食事を作る気力が持てなかった。
だから、仕事終わりに、いつも東急東横線中目黒駅近くの東急ストアで、総菜を買って帰った。それを器に移し替えたものが晩メシだった。
他にも、こんなことがあった。
運動会や遠足の時、まわりはみな手作りのお弁当を持ってきていたが、彼が持っていったのは、母親が近所の総菜屋で買ってきた「助六寿司」だった。
いつもいつも助六寿司。それ以来、彼は「助」と「六」という文字を見ると拒否反応を示すまでになった。
高校や大学にあがると、そこには「学食」というありがたいものがあったので、昼間の食事が突然裕福になった。
だが、家に帰ると夜は総菜。
その結果、夜も学食で食うことが増えた(安かったから)。
社会人になってからは、ランチというありがたいシステムが、ビジネス街には存在した。
そして、夜には居酒屋というものが出現した。
外食中心の毎日だった。
結婚してからは、毎日、朝晩に妻の手作りのメシを食うことができるようになった。
そのことに、彼は大きな幸せを感じた。
総菜、外食、バイバーイ! と叫んだ。
そして、子育て。
子育てでは、彼は料理を担当した。まず離乳食を作り始めた。子どもたちが大きくなったとき、離乳食を作ったのはお父さんだったんだよ、と自慢したかったからだ。
家族のために料理をするようになって数年が経ったとき、彼はあることに気づいた。
家族には美味いものを食ってもらいたいが、自分のものは、どうでもいいのではないか、と。
家族だからと言って、全員が同じものを食う必要はない。
メシを作っているだけで満足なんだから、最後の食う作業は、自分は、はしょってもいいのではないだろうか。
つまり、そのとき、彼の食生活は若い頃の貧しさに舞い戻ったのである。
大学時代66キロあった体重は、いまは55キロまで落ちていた。
仕事が忙しいときは、メシを食う暇がないので、52キロまで落ちることがあった。
180センチ、52キロ。アンガールズではないか。
昨日の昼、彼の妻が、花屋さんのパート帰りに何を思ったか、助六寿司を2人分買ってきた。
「食べましょーよ!」
それを見て、彼は震えた。
子どもの頃のトラウマで、彼は助六寿司の食えない男になっていたのだ。
スーパーなどで、助六寿司が並んでいるのを見ると、踏んづけたくなる衝動に駆られる。あるいは、テーブルをひっくり返したくなる。
そして、出来合いの総菜も嫌いだ。鳥肌が立つ。彼は、総菜の類いを買ったことがない。あんなおぞましいものを何故ひとは好んで食うのか理解に苦しむ。
助六寿司が、彼の目の前にあった。
彼は、妻には、過去のトラウマのことを話していなかった。話す機会がなかったからだ。自分の黒歴史など、過去から消してしまった方がいいとずっと思っていた。
しかし、現実として、目の前に助六寿司は存在した。彼の黒歴史が明確な形をして、そこに存在した。
だが、今これを食べないと夫婦仲に亀裂が入るだろう。
「なんで、私が買ってきたものが食べられないの!」
わかりました。暗示をかければいいのだ、と彼は思った。
これは、ただのいなり寿司とカンピョウ巻きと太巻きだ(それは、そうだ。ガリだって付いている)。
いなり寿司は、単体で食ったことがあった。カンピョウ巻きと太巻きも食ったことがあった。
つまり、これは寿司のコラボレーションに過ぎない、と彼は思った。
まとまった結果、助六寿司に形を変えているだけだ。言ってみれば、合体ロボットのようなものだ。
彼は、そのように自分に暗示にかけた。
自分を納得させながら、恐る恐るいなり寿司を食べた。
あれ? 美味いぞ。
カンピョウ巻きも美味い。太巻きって、こんなに美味かったっけ。
「美味しいでしょ」と彼の妻が聞いてきた。
彼は、何のためらいもなく、うなずいていた。
助六さんを30数年間拒否してきた俺は、いったい何だったんだ、と彼は思った。
彼は、助六さん、ごめんな、と助六さんに謝った。頭を下げた。
そんな彼の姿を見て、彼の妻は、おぞましいものを見るような目をして、去っていった。