今年も人から尊敬されない一年だった。
たとえば、私のヨメは、昔から私の話を聞かないという小さな欠点を持っていた。
その日あった出来事を話しても、話の5分の1くらいで、必ず話の腰を折るのだ。
私が話しだすと、「あー、床が汚れてるー、掃除機かけなくっちゃ!」
話をまともに聞いてもらったことがない。
だから、それを学習した私は、最近では、短いセンテンスで話を伝えることにしていた。
今日は、東京新川と神田で打ち合わせ。
「わかったわ」
しかし、家に帰ると、「あれ、どこに行ってたの? ジョギング?」
スーツ姿で、ジョギングをする人は、かなり少ないと思う。
つまり、尊敬されていない。
27歳の息子は、去年までは、私のことを「パパ」と呼んでいた。
しかし、今年からは「ちゃん」だ。
2階級ランクを下げられた気がした。
22歳の娘は、小学4年頃から、私のことを「おまえ」と呼ぶようになった。
ただ、二人で外に買い物に行ったり、映画を観にいったりしたときは「お父さん」と呼ぶ。
「仕方ないから呼んでやっている」感が、半端ない。
つまり、尊敬されていない。
今年の3月から家猫になったブス猫の「セキトリ」は、最初の頃は、私の膝に乗るとき、「膝に乗ってもよろしいでしょうか」というように私を見上げ、私の顔を窺ったあとで膝に乗った。
しかし、いまは、いつの間にか乗っていた。気がついたら、乗っていた。仕事中も、当たり前のように私の膝に乗っている。
そして、夜中、私がヨガマットという名のベッドに寝ているとき、私の股間を踏んづけて乗り越えていくのである。
彼も尊敬していない。
長年の友人の尾崎、極道コピーライターのススキダ、大学時代の後輩カネコは、私のことを「おまえ」と呼ぶ。
私の方が2歳上なのに、敬おうという気がない。
尊敬されていない。
カネコの娘ショウコは、最近1か月に1度、2人のガキを連れて国立までやってくる。
そして、ロイヤルホストで高級料理を食わせろと脅すのだ。
さらに、「あれ? 国立にもダイソーがあったんだぁ!」と言いながら、グッズを10点以上買うのである。
100円ショップと言っても、100円ばかりの商品が置いてあるわけではない。200円や400円のものもある。ショウコは、その100円ではないものを重点的に選んで、私に「払って」と命令するのが常だ。
私を尊敬していたら、そんなことはできないはずだ。
テクニカルイラストの達人、アホのイナバが私に言った。
「Mさんの字って、ネズミが這ったような字ですよね」(イナバ君、それはネズミではなくてミミズだよ)
静岡で社長様をやっているリブロースデブのスガ君が言った。
「アニキ、俺、最近苦労しているせいでしょうか、白髪が増えてきたんですよね。俺も将来アニキみたいになるんでしょうかね。あー、やだな、それは嫌ーーだな」
おまえらも尊敬してないだろ。
そして、一番、私を尊敬していないのは、この女だ。
大学時代の女ともだち、長谷川邦子の養女・27歳の七恵だ。
「マッチんって、大人の男って感じがしないよね。貧相で貫禄がないし、ただのヒョロヒョロだもんね、キャハッ!」
ということで、来年の私は、人から尊敬されることを諦めた。
この星には、ドナルド・トランプと金正恩という世界で最も尊敬されていない指導者がいて、この星を混乱に陥れている。
最近の私は、この二人よりもましな人間なのではないかと思うようになった。
だから、私は尊敬されなくてもいい。
All we are saying is give peace a chance .
ピースとともにあらんことを。
May the peace be with you .
ちなみに、私の仕事納めは今日。仕事始めは明日。
ヒョロヒョロがキャハッ!
よいお年を。