リスタートのブログ

住宅関連の文章を載せていましたが、メーカーとの付き合いがなくなったのでオヤジのひとり言に内容を変えました。

「俺」から「奥さん」へ

2018-03-11 05:36:00 | オヤジの日記

仙台市に、大学時代の同級生が住んでいた。

 

友だちにはなりたくないタイプの男だったが、友だちになった。

きっかけは、一番最初のフランス語の授業だった。

私は生意気にも第2外国語に、フランス語を選んでいた。

6号館の641号室に入ったとき、同じ机の並びに、フランス語の教科書を机に置いたヘチマに似た顔の男がいた。アゴが顔の上部より太かったのだ。

もし、こいつが同じクラスだったら、あだ名は絶対に「ヘチマ」と名付けようと心に決めた。

ヘチマも私の方を横目で見ながら、私の教科書と辞書を確認したようだ。ただ、お互い声は掛け合わなかった。お互い「こんなやつと友だちになりたくない」と思っていたからだ。

そして、講師が入ってきた。講師は黒板に突然、漢詩を書き始めた。

そして、言ったのだ。

「中国語は、日本語のルーツと言ってもいいでしょう。これから一年間、中国語を学んで、中国をもっと身近に感じてください」

え? 中国語?

ヘチマと顔を見合わせた。ここって、641号室だよな。

すると、後ろに座っていた女子学生が「631号室」と、ぶっきら棒に囁いた。

階を間違えていたのだ。

ヘチマとの出会いは、そんなおバカなシチュエーションだった。

 

ヘチマの名は、ノナカと言った。

ノナカは、私と同じく協調性のない男だった。クラブにも入らず、クラスの仲間とも打ち解けることをせず、我が道を行くタイプだった。

クラスの友だちと言えば、ポンコツな出会いをした私と、4浪をして入ってきたクラスで最年長のオオタだけだった。

「俺ファースト」が強すぎて、同級生たちは、絶えず辛辣なことを他人に言うノナカとは距離を置いて接していた。

私もノナカとは決して気は合わなかったが、変な場面では、よく会った。

春休みにアルバイトをしようとして、銀座の「ニュートーキョー」というレストランの面接会場に行ったとき、ヘチマの姿が目の前にあった。

長野県野沢温泉での陸上部の長い夏の合宿が終わったとき、気分転換に陸上部員3人と木曽馬籠宿の民宿に泊まった。そのときも食堂にヘチマがいた。

友人とふたり京都に旅をしたときも、西本願寺で出くわした。

どうやら、ノナカとは、どこかで何かが繋がっているようだ。

 

ノナカは、大学を卒業したのち、ノナカに一番似合わない教師という職業を選んだ。都立高校の教師になったのだ。

そのあと、33歳の時、仙台のご両親の具合が悪くなったので、仙台に帰り、そこで学習塾を開いた。

ノナカは、教師の時も学習塾の経営者の時も「俺ファースト」の姿勢を貫いた。そのブレない態度はアッパレと言ってよかった。

そして今、ノナカは、仙台に2つの学習塾を持ち、東京で4つのミニパソコン塾を持つまで事業を広げていた。

つまり、それなりに成功した男と言っていい。

だが、10年前に、ノナカに不幸が襲った。胃に腫瘍が見つかったのだ。その結果、胃の3分の2以上を切除した。

ノナカに変化が表れたのは、その頃だった。

死を覚悟したノナカは、そのころ、自分の感情を殺すことを覚えたようだ。

人に対しての辛辣な言葉が、少なくなった。

そして、ノナカを決定的に変えたのは、4年前の出来事だった。

ノナカの奥さんが、がんを患ったのだ。余命宣告を受けた。

「手術は、もう無理です」

だが、そのとき、ノナカは諦めなかった。

セカンド・オピニオン、サード・オピニオン、フォース・オピニオンを求めて、全国の医師を訪れたのだ。

そして、手術をしてくれる医師を探し当てた。

「ただ、勘違いしないでください。治るわけではありません。治ることを期待しないでください」と医師には釘を刺された。

 

手術後の奥さんは、一進一退を続けたが、余命宣告を受けた時期を過ぎても、奥さんは生きた。

「俺ファースト」だったヘチマが、奥さんのために、仕事を他の人に任せ、奥さんだけを見て、毎日を生きる姿を目の当たりにした私は大きな希望を持った。

今、ノナカの奥さんは、家事が出来るまでに回復した。そればかりか、週に1回スポーツジムで水泳が出来るまでになった。

ただ、治ったわけではないという。ガンを飼いならしながら、生きている状態だという。

 

「でもな」とノナカが言う。

「女房が、目の前にいて動いているだけで、俺は満足なんだよな」

 

7年目の311。

毎年311が来る度に、実際に被災したノナカと奥さんは、「ああ、またこの日を迎えられた」と深い感慨に浸るのだという。

「俺たちは、まだ確実に生きている」

 

ノナカの奥さんが病気になったとき、私は私のヨメにお願いをした。

ヨメは、巨大宗教の信者だった。

目に見えるものしか信じない罰当たりの私とは違って、ヨメはとても信心深い人だ。

そのヨメに「ノナカと奥さんのために祈ってくれないかな。時々でいいから」と都合のいいお願いをした。

信心深いヨメは、毎日祈ってくれていたようだ。

それを聞いたノナカが、ヘチマ顔で泣き笑いの顔を作った。

 

「ありがたいことだな」

「でも、俺のことは、どうでもいいから・・・女房には来年も再来年も、その先もずっと生きて311を迎えてもらいたいものだな。おまえの奥さんに言っておいてくれないか。俺は外してくれていいって。俺の分は女房に回してくれって」

 

 

いつの間にかノナカは、「奥さんファースト」の男になっていた。

 

 


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2 コメント

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Unknown (Unknown)
2018-03-11 12:07:47
人と人の繋がりだとか
思い遣り
大事なものとは何か

色々な言葉が頭の中に思い浮かびました
1日1日を大事に生きていこう。
そんな記事です

ありがとうございます
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3.11 (ルイコ)
2018-03-11 20:54:51
 初めまして。
読者登録いただきありがとうございました。
 3.11あの日の私はあの場所でこうしていた・・・とはっきり覚えています。 
7年前の3.11の2時46分はラデッシュの種蒔きをしていました。
今日は莢インゲンの種を蒔きました。私は農婆なんで・・・。
 当たり前の毎日があたり前でない・・・そんなことも思うようになりました。大切に生きて行かなければと。
 わたくしも読者登録させていただきます。どうぞよろしくお願いします。
 
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