連休を利用して、我が家は夫の故郷である長崎へ行ってきました。
新型コロナウイルスの世の中、自粛ムードではありましたが、
ちょうど日程の都合がつき、飛行機とホテルが取れたので、急遽、出かけることになりまして。
こうでもしないと、高齢の夫の両親ともなかなか会えないので。
2泊3日の旅程で、なか日に、夫の姉弟たちと共に、軍艦島に行ってみることにしました。
姉弟たちも、長崎にずっと住んでいながら軍艦島上陸は初めてだそうで、
・・・軍艦島というのは、正式名称は「端島(はしま)」と言い、
明治時代から昭和49年まで、炭鉱の島だったところです。
岩礁を埋め立て、拡張し、近代的なアパートを建てた姿が軍艦に似ているところから、
「軍艦島」と呼ばれるようになったようです。
近年はメディアにも取り上げられ、世界文化遺産にも一部登録されたので、ご存じの方も多いかな。
さて、行く予定の前日に、軍艦島クルーズを行っている会社で予約を入れ、
その時点ではまだ定員に余裕があったのですが、当日、満席になってました
天候が良かったし、この時点では長崎には新型コロナの影は薄かったとみた。
料金は大体4000円くらいかな。優先のオプション付けたりしたからあいまいです。
そのうち、上陸にかかるのが310円(上陸は長崎市の管轄らしいです)。上陸代、安い気がします。
天候によって上陸できなければ島の近くをぐるりと回るクルーズになるようですが、
船の中での、ツアーガイドさんのお話は面白かったので、
乗船の優先ができたら、いい席を確保した方が多少高くても有意義だと思います。
軍艦島は長崎市の湾の外にあるので、船酔いが心配ということで、
我が家では錠剤の酔い止めを飲んだのですが、
結果的には誰も酔わなかったけれども(この日は荒れてなかったこともありますが)、
皆、のちのち、眠くて眠くてたまりませんでした。関係あるのかしら。
軍艦島に着くまでにも、長崎港には貴重な世界文化遺産がたくさんあるのです。
以前ブラタモリという番組で感心しながら見たのだけれど、
ほとんど頭に入っていなかったから、
今回のクルーズでガイドを聞いて、あらたに「ほ~っ」と思いながら見てたけれど、また右から左かも。
ちなみに・・・新型コロナで有名になった船ダイヤモンドプリンセス号は、
この長崎の造船所で造られていて、我々もそれを当時、長崎湾から見たのですが(大きさにびっくり)、
今回、バスで羽田から家に帰るときに、大黒ふ頭に停泊している船を見たのです(多分、消毒中)。
ちょっと不思議な感じ。
横道にそれましたが、40分ほどの乗船で、まず、軍艦島外からの撮影スポットへ。
ガイドさんによると、午後からの方が日の当たりがいいそうで、
この写真が軍艦ぽく撮れました(写真はすべて娘A撮影)。
多分31号棟アパート。昭和32年頃建設。
劣化がひどくて痛々しいけれど、穴が開いているところからは、
ボタ(石炭のカス)を捨てるためのベルトコンベアが通っていたらしい。
そして、いよいよ上陸です。
右側にあるのが、第二竪坑入坑桟橋跡。
ここから、地下600m位をエレベーターで降りたそうですが、
ガイドさんによると、エレベーターの速度はスカイツリーのエレベーターと同じくらいらしい。
それで、エレベーターの囲いがないって言ってたけれど、本当か?気絶しそうなんですけれど。
そこからさらに、横や斜めに採掘の坑道があって、海面下1000mまで及んだそうです。恐ろしか~。
長崎のこの界隈の石炭はとっても良質だったそうで、需要があったんですね。
こちらは30号棟アパート。日本最古の7階建て鉄筋コンクリート造(1916年)だそうです。
資材を運んだり、足場を組んだり、当時は建設も大変だっただろうね。
昭和30年代には、人口密度が世界一になったそうですが、
生活は裕福で、電化製品の普及率も高かったそうです。
石炭の需要の減少に伴って、炭鉱の閉山となり、無人島になってしまいました。
世界文化遺産というのは、軍艦島全体ではなく、
実は「明治日本の産業革命遺産」ということで、
具体的には明治時代に造られた護岸部分の石積みと、坑道が正式な登録らしいです(ガイドさん談)。
こうして上陸時間、数10分があっという間に過ぎ、船に戻ったわけですが、
帰りの船では、ほとんど寝ておりました。ガイドさんすみません。
軍艦島は、今後も潮にさらされつづけ、劣化していくのでしょうか。
「観光地としての軍艦島」というよりも、
自分にとっては、軍艦島の歴史(ガイドさん談による)が今回の見どころでした。