杯が乾くまで

鈴木真弓(コピーライター/しずおか地酒研究会)の取材日記

甲州親子旅

2008-03-30 12:55:21 | 旅行記

 昨日(29日)は完全オフ。両親を連れて身延山に桜見物へ出かけました。

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  父は元・土木技術者で、道路や橋を作る仕事をしていたので、リタイア後も山歩きや難路・悪道の運転を好んで、どこにでも行きたがります。心臓病を患い、体力が衰え、運転中、小さな自損事故をたびたび繰り返すようになったのですが、家族が反対しても“運転したい病”がなかなかおさまりません。巷では高齢者に免許を返納させる動きがあるようですが、父の世代は、自分の体力や精神力に過大な自信があるようで、昨日も出かける直前まで、オレが運転すると言って駄々をこねるのです。結局、私が強引に自分の車で実家まで2人を迎えに行き、有無を言わせず後部座席に乗せました。

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  身延山久遠寺では、思いがけない出会いがありました。復元工事中の五重塔の施工工事者名に、あの、『金剛組』の名が!

 ご存知の方も多いと思いますが、寺社や文化財等の木造建築を手がける『金剛組』は、飛鳥時代第30代敏達天皇6年(西暦578年)創業の、世界最古の老舗企業。創業者は聖徳太子に招かれて朝鮮半島の百済からやってきた造寺工(てらつくるのたくみ)です。本社は、最初に手がけた大阪・四天王寺の横に1400年以上、建ち続け、593年に四天王寺を造ったときに始めたとされる手斧始式(チョンナ始め)は、匠の精神を伝承する儀式として、今も連綿と続けられているそうです。

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  同社の沿革によると、江戸期の第32代当主は、士農工商の身分制度があった時代に、<工>の身ながら苗字帯刀が許されました。32代が残した四天王寺五重塔の設計図は、今でも十分通用する完璧なもので、彼が残した4つの家訓―『お寺お宮の仕事を一生懸命やれ』『大酒はつつしめ』『身分にすぎたことをするな』『人のためになることをせよ』が社是になっているとか。喜久酔の青島孝さんの「利益拡大より継続を」の話が甦ってきます。

 名著『木のいのち木のこころ』で知られる宮大工の西岡常一さんや小川三夫さんが言われるように、この仕事は、営業に20~30年かかるなんてザラで、自分の仕事の良し悪しは200~300年後に修理解体した宮大工が初めて解って評価される、というモチベーションが必要。収益を回収するにも、とんでもない時間がかかります。

 

  ジャーナリスト野村進さんの著書『千年、働いてきました』によると、2年前、倒産危機に見舞われたとき、「金剛組を潰したら大阪の恥」と、それまでまったく付き合いのなかった高松建設(東証一部上場)が立ち上がりました。同社のある淀川区に金剛組を別に作り、天王寺区にある金剛組から営業譲渡するという苦肉の策で社名を残し、金剛家第39代当主を相談役に迎え入れて、世界最長寿の老舗の看板を守ったのです。高松建設からやってきた新社長の小川完二氏は、野村氏のインタビューに「本当に必要な老舗は、みんなが助けようとする。それが日本のいいところ。残念ながら役に立たない老舗は潰れてしまうだろう」と答えています。人のためになることをせよ、という32代の家訓が、青島孝さんも言う「継続の力」になり、周囲の支援を導き出した、まさに生きた実例ですね。

 

  老舗企業についての勉強を始めたばかりの私にとって、“生きた伝説”である金剛組の現場と出会えたことは、久遠寺のしだれ桜を愛でるよりも興奮する出来事でした。桜そっちのけで、工事中の五重塔のシートの向こうのわずかに見える大工さんたちの作業を凝視する私に、両親はあきれ顔。私が金剛組の説明を一生懸命しても、まったく興味なし、といった様子。

 伊豆修善寺の山間の農家で生まれ育った母は、幼い頃から、学校まで往復3時間歩いて通って鍛え上げた体力をさかんに自慢し、父の影響で60歳を過ぎてから本格的な登山を始め、夫婦で日本百名山の踏破を目指し、途中、心臓病でリタイアした父を尻目に、一人で98名山まで制覇。人間が人工的に造るものよりも、自然そのものの姿こそ最高だと考えるようです。

 

  身延山の観桜の後、母がウォーキング仲間から勧められたという市川三郷町の『みたまの湯』で一服したときも、露天風呂から見える南アルプス、八ヶ岳連峰、関東山地の山々を、母は得意満面で片っ端から解説し始めます。山登りのようなアウトドアにはとんと興味が湧かない私ですが、この温泉は、ベテランウォーカーやクライマーが勧めるだけに、快適な湯で、施設も新しくきれいで、ゆったり過ごせました。産直コーナーで見つけた三郷町特産のゴボウみたいに細長い〈大塚人参〉には興味津々。3月いっぱいで販売終了となる大塚人参特製ドレッシングをもれなくゲットしました。

  

  退屈気味の父には、風呂上りに生ビールを飲ませ、その後、勝沼まで車を飛ばして白百合醸造という個人ワイナリーを見学して、ワインをたっぷり試飲させました。「運転手だったら飲めなかったなあ」と満面の笑顔。やっと、自分が運転しないで楽しむドライブの価値が理解できたようです。

  この調子で、運転は近所のスーパーへ買い物に行く程度にしてくれればよいのですが、ドクターストップがかかっているのに、毎日のようにシルバー人材センターに通ってはアルバイトでも何でもいいからと仕事をしたがり、「自由に行きたい所へ行けないなら長生きしてもしょうがない」と駄々をこねる父。気持ちに体力がついていけないこの世代の余生に、どんな生きがいを与えられるか、私にとっては、1400年の企業を継続させることと同じくらい、重い課題になりそうです。