杯が乾くまで

鈴木真弓(コピーライター/しずおか地酒研究会)の取材日記

クラーマー氏の教え

2008-06-24 22:27:29 | ニュービジネス協議会

 私はどちらかというと朝型人間で、20年来の酒蔵取材の習性からか、5時ぐらいには目が醒めます(年寄りか!)。血圧が90-60ぐらいと低いほうなのですぐに身体が動かず、1時間ほどテレビのニュースを流し聴きしながら少しずつ頭を覚ましていきます。前夜、どんなに遅く寝ても、この習慣は変わりません。

 

 この数日、早朝生中継のUEFA EURO 2008に釘付けで、決勝リーグが始まってからは4時起きが続いています。特別、サッカー好きというわけではありませんが、世界一流のプレーはジャンルを問わず、万民を惹きつける魅力がありますよね。欧州の中では昔から好きだったドイツが勝ち進んでいるのがウレシイ。

 

 EUROのレベルと日本代表を比較しても仕方ないのでしょうけど、ロシアやトルコのようなサッカー新興国もそれなりの活躍をするところを見ると、いろんな選手が国境を越えて武者修行し、切磋琢磨し、結果として各国のレベルが上がっている、ということが素人なりに解ります。遠く離れた島国の日本では、そういう機会が圧倒的に少ない。競い合う相手が少なければ、そこそこのレベルで満足してしまう、というのは、酒の世界でも同じです。

 

 静岡の酒が技術=品質的に特筆するほどの向上を成し遂げたのは、競い合う相手が多かった、というのが大前提にあると思います。地酒が地元で圧倒的なシェアを占める県では、黙っていても売れるわけですから、吟醸酒のような手間もコストもかかる酒を主力にしようとは考えない。一方、物流に恵まれるゆえに他地域からいろんな酒が入ってきて、地元での消費シェアが2割以下という静岡では、大手メーカー酒や有名地酒との厳しい生存競争に勝ち抜かなければなりません。

 

 幸いなことに、吟醸造りの技術をいち早く身につけた、サッカーの世界で言えば三浦カズや中田、大リーグなら野茂やイチローみたいな先駆蔵や、かの名コーチ・西ドイツのクラーマー氏のような名指導者がいて、近隣に同規模の蔵が固まって点在し、目標やライバルとなる相手がすぐ身近にいたことが、静岡を吟醸王国へと導いたのです。

 時代や環境の条件が厳しいゆえに磨かれ、その厳しさを糧に出来る人の力が、酒にも、サッカーにも共通して求められるんだと実感します。

 

 

 

 

 

 4年ほど前、静岡県ニュービジネス協議会の取材で、元サッカー日本代表メキシコ五輪銅メダリストの松本育夫さんの講演録をまとめたことがありました。クラーマー氏の話はそのとき初めて聞いて鮮烈な印象を受けました。

 

 

 日本サッカーは1960年のローマ五輪で予選敗退。64年の東京大会は開催国で無条件出場できるものの、世界のCクラスでは面目が立たないということで、代表候補を初めて欧州7カ国へ3週間留学させました。

 西ドイツで出会ったクラーマー氏は、最初、リフティングやドリブルなど子供が教わるような基本練習を延々と命じ、選手は猛反発したとか。

 そんなとき氏は「誰もがやるべき基本を、頭ではなく、身体で示せ」と言い、合宿所では毎朝、選手よりも30分早く起きてフィールドワークを実践し、夜中は選手の部屋を見回ってベッドから落ちた毛布を拾ってかけるなど、24時間休むことなく、選手に絶対的な愛情を示しました。時には「お前たちには大和魂がないのか!」と激怒することも。社会人チームでそれなりの実績を持っていた代表選手たちも、徐々に自分たちが“井の中の蛙状態”で、リフティングひとつ取ってみても、クラーマー氏が求めるレベル=世界とのレベルの差を自覚するようになりました。

 当時、大学生で代表候補入りしていた松本さんは、氏の、コーチというより人間としての度量の大きさに感化され、サッカー指導者はよき教育者だと実感し、自分も将来、指導者になろうと心に決めたそうです。

 

 松本さんは、その後、マツダで社会人生活を送りますが、83年につま恋で新卒内定者の研修会を開いていたとき、ガス爆発事故に遭遇し、かかとと左指4本を失いました。1週間、こん睡状態が続いたそうですが、自分が育てた日本ユース代表の行く末を確かめるまで死ねない、まだまだ育てなきゃならん若い選手がいるんだ、という強い思念が自身を救い、医者からも「普通の人なら社会復帰まで2年はかかるが、治したいという意欲があれば早く退院できる」とハッパをかけられ、8ヶ月で退院したとか。

 

 

 講演の最後の言葉は「全力を尽くした者には必ず見返りがある。1日24時間、どう考え、どう行動するかで、運命を変えることはできる」「人が生きていくには、一に気力、二に目標、三に行動。これに尽きる」でした。

 この言葉は、サッカー選手にはもちろん、酒造家にも、そして、“井の中の蛙”で終わりたくない!と、もがくライターにも通じる教えです。

 

 EUROのドイツ代表を見ていると、このときのお話が昨日のことのように甦ってきて、いつもより脳の覚醒が速まるような気がします。