杯が乾くまで

鈴木真弓(コピーライター/しずおか地酒研究会)の取材日記

真夏の城ヶ崎海岸ウォーク

2009-08-09 15:54:52 | 旅行記

 世間ではお盆休みウィークに入ったようですね。昨日(8日)はやっとの晴天を待って東京新聞『暮らすめいと』の伊東取材に再チャレンジ。電車利用の旅行記事を作るため、今回は電車と徒歩での取材です。観光客でにぎわう熱海Dsc_0023や伊東の駅はバカンス空気満載。仕事で来る場所・来る時期じゃないのは重々承知してますが、取材者だからって冷めた目で見るんじゃなくて、読者の気持ちになって知らない土地を歩くワクワク感を大事にしよう、そのためにもバカンス客に同化しようと自分を奮い立たせました。

 

 今回のターゲットは記事のメインとなる城ヶ崎海岸。昔、門脇灯台近くの駐車場に車を停めて灯台や吊り橋の周辺をチョコチョコッと歩いた記憶がありますが、昨日は伊豆急富戸駅から伊豆海洋公園まで、ピクニカルコースを約3時間かけてじっくり歩きました。

 

 

 

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 涼しい時期にスタスタ歩けば2時間もかからないコースらしいのですが、昨日はなにせ、真夏の11時から14時、炎天下でのウォーキング。フェイスタオルは1時間もたたずにぐっしょりです。シャツはむろん、パンツも腰から膝のあたりまで汗でジトーっと湿り、髪の毛は風呂上りみたいにびっしょり、強力日焼け止めを何度塗り直しても汗で流れて、気が付くと両腕の、カメラを構えるときに太陽光にさらされる部分だけが真っ赤に焼けてしまいました。

 

 

Dsc_0032  ふだんまったく歩かない人間が、こんな状態で3時間も歩きどおしでいると、さすがに見た目から変調を来すようで、途中、木陰に座ってひと休みしていたら、通りがかりの子どもが親に「休んでるの?あの人」と、死体でも見つけたかのようなおびえた表情で訊いています。あわてて水を飲むポーズをとって「ひと休みしてるだけです」メッセージ。手鏡で顔を見たら、びっしょりの髪に血の気が引いた青白い顔。うわっドザエもんだ!と背筋が冷たくなりました(苦笑)。

 それでもめげずに歩きとおせたのは、仕事の使命感・・・なんてカッコつけるわけでも何でもなく、ただ単純に、城ヶ崎海岸の景観が素晴らしかったから。・・・いやぁ、こんなに美しい地形で、コースも歩きやすく、見どころ満点の場所とは、まさに灯台下暗しの心境でした。

 

 

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 防風・防潮林として絶壁の上に気高く立つクロマツ、真夏の環境を好むたくましいハマカンゾウ(オレンジ色のユリ)など、海岸の植物の生命力にも心打たれます。

 切り立った断崖の大迫力に圧倒された後、岩壁にしたたかに根付き、暑さを歓迎するかのように鮮やかな色彩をたたえる松の緑や花々に目をやると、植物は人間なんかよりもはるかに勁いと実感します。

 

 

 

    

 全身が重くなっても、目の前に「撮り逃せない!」Dsc_0016 と思える樹木や花々や海岸のビューポイントを見Dsc_0035つけると、別のチカラが湧いてきます。それだけ歩きがいのあるコースでした。

 

 

 

 

 

Dsc_0086  伊豆海洋公園の脇に、連着寺という日蓮宗の寺があり、ここをコースの終点にしようと思いました。国天然記念物のヤマモモの巨木や、日蓮上人が袈裟をかけたと伝わる松があり、境内にはぼけ封じのお地蔵様も。

 

 

Dsc_0081  日蓮は立正安国論を唱えた後、鎌倉幕府の怒りを買って伊東へ流罪されたことがあります。のちにこの地を治めた小田原北条氏の今村若狭が日蓮にちなんで祖師堂を建てたのが始まり。本堂横にはカッコいい日蓮像が威風堂々と立っていました。

 来年は、日蓮が伊東に流されて750年目の節目にあたり、5月に大法要が予定されているそうです。

 

 

 

 

 

 

 バスで伊豆高原駅まで戻り、駅から歩いて5分の立ち寄り湯『高原の湯』で汗を流し、気分一新で電車で伊東へ。毎年8月8日夜に行われる松川の灯籠流しをせっかくだからと見物しました。

 

 灯籠流しも、幼いころ、清水の巴川で観て以来…。橋のたもとでカメラを構えていると、隣の親子連れが、ライトアップした東海館をバックに夜の河に灯る灯籠の光に歓声を上げています。父親に抱っこされ、灯籠の意味をさかんに質問している浴衣姿の5歳ぐらいの女の子が、たどたどしい質問をしながらも、手Dsc_0099 に持つ携帯カメラを器用に操作するのがなんだかおかしかった・・・。

 

 

 私の巴川の灯籠の思い出といえば、昭和41~42年頃の話で、モノクロのイメージしかないんですよね。灯籠の色を思い出せない・・・。だからこそ、夕べの灯籠の色彩が一層鮮やかに瞳に染み込んできたのですが、今の子は生まれたときからデジタルカラーに囲まれていて、景色の見方や思い出の色も、自分らの世代とはまったく違うんだろうなぁと想像します。

 

 美しいモノを素直に美しいととらえ、感動する感性を、いくつになっても大事にしたいなぁと実感した夏の一日でした。