杯が乾くまで

鈴木真弓(コピーライター/しずおか地酒研究会)の取材日記

富士山・太陽・伊勢神宮を結ぶ祝祭空間

2010-09-03 11:09:01 | 歴史

 この夏、先の記事に書いた菅江真澄遊覧記とともに集中して読んだのが、万葉集研究で知られる文学者・中西進先生の著作集。先生のお話は、ご自身が館長を務める奈良県立万葉文化館で直接うかがったことがあり、万葉の時代の古代文学については、知らないことがありすぎて恥ずかしくなった覚えがあります。モノを書く仕事をする以上、日本語の成り立ちや変化について一度はきちんと勉強しなきゃなぁと頭をかきかき・・・。県立図書館で先生の全集を見つけ、見つけた以上は素通りできないと、とりあえず3巻借りてきました。1巻あたり500ページぐらいあるので、全巻(36巻)制覇するのはいつになるやら・・・。

 

 

 

 中西進著作集4の中に、先生が2001年に雑誌『歴史街道』(PHP刊)で発表した「富士山・太陽・伊勢神宮を結ぶ祝祭空間」という記事があります。これが、静岡県民が持つ富士山のイメージとは異なる視野を与えてくれて大変興味深かった!

 

 三重県の伊勢湾に面した二見町に、よく観光ポスターなんかで見かける有名な『二見浦の夫婦岩』がありますね。大小2つの岩にしめ縄が張られ、大きい岩(夫岩)のほうには鳥居が立っているから、聖なる岩に相違ありません。

 この夫婦岩にはカエルの置物が置かれている。古代の人は、ヒキガエルは「日招き(ひおき)」ガエル=太陽を招くカエルだと考え、夏至や冬至のときに太陽のお祭りをした。そして、夫婦岩から望む日の出の角度をカレンダーの基準にしていた。

 

 

 さらに興味深いことに、この夫婦岩は、『伊勢神宮外宮』と伊勢湾海上にある「神島」を結ぶ延長線上に位置します。外宮本殿の奥にある高倉山の霊崛(れいくつ=洞窟)は、天照大神がこもった天の岩戸だといわれる。中西先生は「夫婦岩は夏至の日に海中から出現する太陽の出口、そのゲートの形と見える。夫婦岩は太陽軸である」と述べています。

 

 

 ところが、さらに興味深いのが、「この両岩は遠景に山を持つ。富士山である。太陽が昇ろうとするところに見える円錐型は、じつは海上はるかにとらえた富士山の姿である」こと。「夫婦岩の結論的な意味は、朝日を昇らせる山としての富士山を遠景に置く、その入口としての鳥居のごときものであった」と中西先生。「聖山としての富士山の発見は、伊勢の人々による海上の景によってであった。現代人はとかく陸路から考えたり机上で考えたりしがちだが、古くは水路が発見のルーツであった。那智の滝の発見も海上からだし、神奈川県の大山も海上航路の目標として大切にされた。悲しいことにアメリカの本土爆撃機も、富士を目標として日本に侵入してきた」。

 

 

 古代の人は、富士山は富士山、夫婦岩は夫婦岩と、個々に信仰していたわけではなく、伊勢神宮―夫婦岩―富士山を結ぶ約250キロもの“神の領域”としてとらえていた。点ではなく面で、これほどの巨大空間を遥拝するという古代人の深く広いモノの見方には、どこか学ぶべきところがあると感じます。

 

 

 

 中西先生は、「富士山はそのまま神であり、夫婦岩は岩でありながら生殖の機能を持ち、露出した二つの巨岩は、海中に隠された巨大な洞窟(天の岩戸)の入口の柱に見立てることが出来た。富士山は夏至の日に巨岩の中央にあって太陽を生み、人々の生活に秩序を与え、豊かな恵みをあたえた」と結論付けます。そして「今や国土は地域地域にばらばらに解体され、国土の開発は、本来統一的であった国土の生命を切り刻んで死に至らしめようとしている。日本の国土は土のかたまりにすぎなくなっているではないか」。

 

 

 現在、富士山を世界文化遺産登録にしようとさまざまな運動を展開中で、私も県広報誌の仕事で何度かその動きを取材したことがありますが、静岡・山梨エリアに限った話だったので、先生のこのご指摘はまさに“目からうろこ”でした。

 

 

 自分は静岡県民のくせにまだ富士山に登ったことがないので、言い訳がましく聞こえるかもしれませんが、富士山は遠くから眺めるだけでも、これほどの意味があるって知っただけで、頂上にたどり着いた気分になりました(苦笑)。