杯が乾くまで

鈴木真弓(コピーライター/しずおか地酒研究会)の取材日記

思いがけない知の連鎖

2010-09-06 21:33:42 | 地酒

 先月、浜名湖のたきや漁に参加したとき、ご一緒した相生啓子先生(海洋自然学者)から、思いがけず、長崎県平戸にある酒蔵のパンフレットを送っていただきました。ホテルの部屋の二次会で私がついつい熱弁をふるってしまった地酒や朝鮮通信使の話が印象に残っていたそうで、添付のおたよりに「平戸に日本最西端の酒蔵があり、数年前に環境省の調査で志々伎湾に行った時、漁協の紹介で泊まった民宿の向かいにありました。ちょうど新酒が出来た頃で、樽から柄杓で汲んでくれたお酒を頂戴し、何かとても尊いものをいただいた思いがしました。民宿では五島列島まで行って獲れたという天然の鯛しゃぶをいただき、とてもぜいたくな気分になりました。ぜひ一度訪ねてみられることをおすすめします」とありました。

 

 

 蔵の名は福田酒造。日本酒『福鶴』『長崎美人』、じゃがいも焼酎『じゃがたらお春』、むぎ焼酎『カピタン』の醸造元です。いずれも飲んだことはありませんが、先生のおたよりを読んでいたら、無性に現地へ飛んで行きたくなりました。

 

 

 送っていただいた福田酒造のパンフレットに、円山応挙の『長崎港之図』が載っていました。この絵のことを、静岡県朝鮮通信使研究会の勉強会で北村欽哉先生からうかがったばかりだったので、コピーとはいえ、思いがけず実物Imgp2882 を見ることができて感激しました。以下は勉強会での北村先生の解説です。

 

 

 「多くの歴史教科書が江戸時代の外交のことを“鎖国の結果、わずかに長崎の窓を通して中国およびオランダから世界の知識を得たにすぎなかった。…日本人の大多数は世界の動きも知らず、泰平の夢をむさぼり続けた”というトーンで書いてきた。教科書に載っている長崎港の絵も、シーボルト著「日本」にある出島の部分を中心に描いた絵がほとんど。本来は円山応挙の長崎港之図のように1万坪近くあった唐人屋敷(出島は約4千坪)をきちんと描いた全体図を載せるべき。明治以降、欧米に傾倒してきた結果、事実とは違うオランダ中心の鎖国史観が形成され、歴史教育現場もそのような見方から脱出できないでいる」。

 

 さらにパンフレットの同じページには、大分県の前知事平松守彦氏の寄稿文が載っていました。長崎県の酒蔵にどうして平松氏が?と思いましたが、この蔵元さんとは縁戚だそうで、氏が提唱した一村一品運動を参考に、平戸市でも地域づくりグループが活動を始めたことが紹介されていました。

 

 

 

 私は7月に東京で平松氏と川勝知事の対談を取材し、平松氏の一村一品運動が焼酎ブームの火付け役だったと書いたばかりだったので、ちょっとビックリしました。以下はその一部です。

 

 

 

(平松)大分はもともと小藩分立の土地で、それを逆手に取ったのが「一村一品運動」でした。

 私は大分の生まれですが、自治省に24年間勤務していた頃は一度も地方勤務を経験せず、その間、地元の農村には若者がいなくなり、農村には「行政は何もしてくれない」という不平不満が蔓延していました。

 一村一品運動は、そんな彼らに「行政に文句ばかり言っていても埒が明かないだろう、何かひとつ、土産物でも観光でもいいから地元に自慢できるものがあれば東京で宣伝しよう」と言ったのがきっかけでした。

 最初に手掛けたのは大分麦焼酎とカボスの組み合わせでした。焼酎は新橋あたりのガード下で飲む庶民の酒というイメージでしたが、試しに赤坂の高級料亭でカボスとお湯で割ってみたら「爽やかで飲みやすい」と評判を得たんです。焼酎は新橋から始まり赤坂でブームになったわけです(笑)。

 

(川勝)確か先生が知事に在任されていた時代に、焼酎の生産量が日本酒を抜きましたね。

 

(平松)生産が追い付かなくなり、焼酎メーカーも桶買いをするほどでした。静岡県のように、お茶という全国版の特産品がある県と違い、麦焼酎はゼロからのスタートで、それがあっという間に成功したのを見て大分県民も、知事さんがそこまでやってくれるんだと目を向けるようになりましたね。

 

(川勝)焼酎で九州がひとつになったんですよね。

 

(平松)お茶は九州でも作っていますが、静岡のネームバリューにはかなわない。まさに “ローカルにしてグローバル”です。ローカルとグローバルは決して対立軸ではなく、両立できるもの。ローカルこそがグローバルなんです。W杯で盛り上がったサッカーもそうでしょう、最初はイングランドの片田舎の玉蹴りだった。それを宣教師たちがヨーロッパやアフリカや中南米に伝えたのがきっかけでした。ローカルなものを磨いて極めていけばグローバルになるんです。

 最初に大分県で一番大分らしいものは何かと考えたら、麦焼酎、カボス、しいたけが挙がった。そして最後に考えたのは人づくりです。若者が自分の地域の産物にコンプレックスを持たず、全国に自慢できるようにするにはどうしたらいいかを考え、しいたけは大相撲の表彰式で優勝力士に授与することにしました。ローカルなものに誇りを持つことが人づくりになる。地元では、地域の成功事例を学ぶ人づくり塾を開いています。

 

 

 

 

 

 福田酒造のパンフレットに平松氏が寄せた一文には、この発言を裏書きしたような内容が紹介されていました。

 

 『かつて大分は小藩分立で各地に多様な文化を創った。裏返せば小成に甘んじる県民性を生んだ。足を引っ張るばかりであった県民性も、いい面で各地に競争心が芽生えた。その一方で、大分県民は“淡白で何事も受け入れる柔軟性を持つ”。頑固一徹といわれる九州人の気質とも異なる。瀬戸内海に面し、大阪商人との取引があったことや、南蛮貿易の交易拠点であったことが影響しているのではないか。

 同じことが長崎についてもいえる。平戸はわが国最古の貿易港で、オランダ戦がじゃがいもを長崎に伝えた。いま長崎県の馬鈴薯生産高は全国一位を誇る。福田酒造の芋焼酎じゃがたらお春は、私の家にも置いてあり、大分と長崎の焼酎の味比べを愉しんでいる』。

 

 

 

 平松氏が解説するところの大分県民気質は、わが静岡県民気質にも相通じるものがあるような気がするし、馬鈴薯の生産量は平成21年度東京中央卸市場取引高でいえば①北海道、②長崎、③鹿児島、④静岡、⑤茨城の順。夏場は静岡県産が日本一の出荷量を誇ります。海に面し、交易によって多様な価値観をもたらされ、さまざまな「お国自慢」を生みだす気質は、大分、長崎、静岡に共通しているのかもしれませんね。

 

 

 

 こんなことをつらつらと考えるきっかけを作ってくれた酒の縁。何を飲むかも大事だけど、誰と飲むか、何のために飲むかが大事なんだなって改めて思いました。

 相生先生、ありがとうございました!