杯が乾くまで

鈴木真弓(コピーライター/しずおか地酒研究会)の取材日記

歴史の先入観を超えるドラマ(その2)~開かれた江戸

2011-07-01 10:29:03 | 朝鮮通信使

 

 前回の続きです。

 黒田土佐子さんって、家のおかげでシンデレラガールになり、嫡男には恵まれなかったけど何の不自由もなく、娘や孫娘たちと優雅にお屋敷暮らしをしていた深窓の奥方さま、と言っちゃえばそれまでですが、土佐子さんの日記を読むと、決して世間知らずのおひいさまではなく、お忍びであっちこっちに出歩いてて、世情にも通じているんじゃないかってわかります。

・・・と同時に、日記を通してわかるのは、大名の奥方さまでさえ、徳川幕府の外交政策によって平和が保たれているという認識を持っていたこと。

 

 

 北村先生は、土佐子さんの認識が、当時の人々の共有認識だった証拠として、朝鮮通信使見物ガイドブック『朝鮮人来朝行列記』に十返舎一九が寄せた序文「豊坂登る日影ゆたかにして、よつの海原波風穏に、韓国の船万祥を唱えて今年、対州の地に来伏なしぬ、偏に、聖代の御功、猶太平国恩のありがたきを・・・」や、オランダ商館医師のケンぺルの『日本誌』の一節「他の全世界との共同社会とは切り離され、完全な鎖国制度がとられている現在ほど幸福な時点を見出すことは、たしかにできないであろう」を紹介してくれました。

 

 

 江戸時代=鎖国と聞くと、世界から取り残された遅れた時代というイメージを植え付けられますが、少なくとも16~19世紀の世界は征服戦争と植民地侵略に終始していたわけですから、フツウに開国していたら日本は独立国家でいられなかっただろうと、素人でも思います。

 

 

 

 

 

 先月、県知事対談の取材でお話をうかがった東郷和彦さん(京都産業大学教授・静岡県対外交渉補佐官。外務省欧亜局長、駐オランダ大使等を歴任)から「日本はこれから、“開かれた江戸”になれ」というコメントがありました。興味を持って、東郷さんの近著『戦後日本が失ったもの』(角川oneテーマ21刊)を読んでみたら、プロの外交官の認識もこうだったのかと合点がいきました。

 

 

 

 「日本歴史の第一のうねりは、太古から江戸時代までであり、それは、中華の世界から日本独自の文明世界創出へのうねりであった。(中略)江戸時代こそは、世界史における稀有の到達点だったと思う。最も激しい武装集団がつくりあげた最も平和な社会は、江戸末期に至り、学問、文化、武家社会のモラルなど、あらゆる分野における絢爛たる文化として熟した」

 

 

 「江戸は、260年の平和を象徴する。同時に、その平和は、武士という武装集団が責任ある力の配備をすることによって達成したものである。その結果として、当時の日本は、自然と人間生活が調和した、高度に発達した類まれなる文化をつくったのである」

 

 

 

 

 

 江戸とは、大和政権が樹立して以来、中国の文明をお手本にし、その中から国風文化を生み出し、武力あるものが頂点に立ち、一千年がかりで日本という国のかたちを築き上げた、東郷さんのいうところの「第一のうねり」の結晶だったわけです。

 

 

 「第二のうねり」は、明治維新から1945(敗戦)年まで。第一のうねりに比べて、えらくスピーディーですが、日本のお手本は中国から西欧へと交替し(脱亜入欧)、世界恐慌を機に東アジアに自給自足圏を築こうと舵を切り替え、無残にも敗れ去った・・・。武装集団が責任ある力の配備をミスった結果ともいえます。

 「第三のうねり」は戦後から平成バブル崩壊まで。今度はアメリカがお手本になり、アメリカとの安全保障のもとで富国平和を成し遂げた。しかし「アメリカ手本」は行き詰まり、東アジアの諸問題を放置したツケも大きい。第一~第三のうねりまでの、外国をお手本にする手法は通用しなくなり、日本は「新しい日本化」を進めなければならない、と東郷さんは唱えます。

 

 

 

 

 

 「今こそ日本の中に内在している、ずしりと重い、共同体という感覚をとりもどさなければならないと思う。太古からうけついだ日本の自然と歴史的な風景の中にこそ、その共同体としての価値がある。今こそ私たちは、日本の欠落に正面から向き合い、失った共同体としての心をとりもどさなければならない」

 

 

 

 

 東郷さんのいう理想の共同体が、江戸時代のライフスタイルにあったのだと思います。おそらく江戸時代の日本人に意識調査をしたら、今のブータンみたいに「国民幸福度世界一」になるかもしれませんね。ドラマ『JIN』でも、現代からタイムスリップした主人公が「江戸の人っていつも笑っている」とつぶやくシーンがありましたが、脚本家も同じ認識を持っていたのでしょうか・・・。

 

 

 ただし、東郷さんが本書で説く“開かれた江戸”とは、〈江戸にもどる=内向きになる〉ではなく、日本がこういう価値観を大切にし、こういう国を目指すんだということを、外へ向けてきちんと説明し、それにともなった外交政策と防衛政策をとるということ。外交の最前線に立たれ、さまざまな交渉の現場を経験された東郷さんは、突き詰めると「日本はなぜそういう政策を取るのか、日本はどういう国になろうとするのか」という問いに迫られるのだそうです。

 

 

 われわれ一般国民だって、今回の震災や原発事故を経験した後では、日本はどういう国になるべきか、たとえばエネルギー問題は?環境問題は?ライフスタイルは?云々・・・を、ふだんから意識する必要があると実感させられます。

 

 

 

 江戸時代の、ごく平凡な大名夫人だった黒田土佐子さんの「外交評価」を、平成の日本人はどう読み解くか。・・・これは、歴史が突き付けた大きな「問い」のような気がします。