久しぶりに映画を2本立て続けに観ました。しかも「宇宙」と「コピーライター・取材記者」がかぶるという、ワタシ的に興味をそそられる2本です。以下はネタバレも含みますので、映画未見の方はスルーしたほうがいいかも・・・。
1本は、こちらにも書いたとおり『はやぶさ~遥かなる帰還』。テーマは宇宙でも物語は人間に焦点を当てたリアルなドラマでした。
ストーリーテラー的な存在で女性新聞記者(架空)が登場するんですが、女性ながらにはやぶさネタを追いかける大新聞の科学部記者でシングルマザーという美味しいキャラ。はやぶさチームの技術者たちのように、彼女も組織の中でいろんな壁にぶつかって、それでも取材記者として一途に食らいつく職業人としての逞しさ、みたいなものを期待したんですが、ベタな家庭事情に重点が置かれ、フツウのキャラになってしまってました。
実話に架空キャラをはめ込むって難しいんですね。映画化されるぐらいだから、実話の登場人物は、もう、それだけで魅力的なキャラだし、それにつり合うキャラを創るって相当の力が要るんだろうと思います。・・・たぶん、“船頭役”が多すぎて、監督や脚本家が持ち前のクリエイター力を十分発揮できなかったんじゃないかな。エンドロールに、なんとかプロデューサーというクレジットがやたら多い映画って、クリエイターからするとそれがそのまんま“重圧”になってるような気がする・・・。
もう1本はラース・フォン・トリアー監督の『メランコリア』。巨大惑星メランコリアが地球に衝突して人類滅亡の日を迎える・・・というストーリーです。「ダンザー・イン・ザ・ダーク」や「アンチクライスト」みたいな“超”のつく問題作を創った鬼才が、なんでまた?と思いましたが、期待を裏切らない監督らしい問題作に仕上がっていて、安心?しました。
ヒロインは広告会社のコピーライター(その設定を知らずに観てちょっとビックリ)。リッチな姉夫婦の豪邸でホームウエディングを挙げてもらうんですが、鬱(メランコリア)を患う彼女は自分の結婚式にもかかわらず、常軌を逸した行動を取り始め・・・と、ここまではトリアー監督テイスト。勤め先のボスから、パーティーの最中も早くキャッチコピーを考えろとせっつかれ、ボスがコネ入社させた甥っ子に見張られ、凄いブチ切れ方をするところなんか、自分には起こり得ない設定だけど気持ちは解る~って頷いてしまいました(苦笑)。
広告業やコピーライターという仕事の、ある意味、“虚業ぶり”も突かれた描き方で、痛く感じました。
と、前半は人類滅亡とはまったく関係なさそうな展開だったのに、後半の逆転ぶりが凄い。
前半、鬱の妹を上から目線で見ていた姉夫婦が、巨大惑星が接近していてヤバいことになりそうと判ると、姉妹の性格やポジションが逆転する。常人だった人間が、突発的な災害に直面して本性をさらけ出してしまう状況を、地球そのものがこっぱみじんに破壊されるという極端な設定にもかかわらず(群衆が逃げ惑ったり、米軍やNASAが抵抗するシーンは皆無で)、姉、姉の夫、その息子、妹の4人だけで描き切るんです。鬱の妹のほうが冷静で、まともにみえた姉夫婦がパニックを起こす・・・こういう滅亡の描き方って斬新です。
監督自身、鬱を患い、鬱病患者には「先の運命を予知して備える能力がある」ことをベースにしたそうです。
人類滅亡とまでは行かずとも、東日本の被災地では、ひょっとしたらこれに似たような家族のドラマがあったのではないかと思わせるほど、今の日本人には重い作品です。その重さを、数々の絵画やワーグナーの「トリスタンとイゾルデ」の旋律によって芸術に昇華させたような監督の手法。『はやぶさ』とは極めて対照的な、クリエイターのパワーのさく裂ぶりが心地良いほどでした。
好き嫌いはハッキリする作品だと思いますが、『メランコリア』は9日まで静岡東宝会館で上映のようですので、興味があったらぜひ。