季刊発行の静岡県広報誌ふじのくに11号(最新号)が、昨年末に発行され、年明けから電子版でも読めるようになりました。こちらをぜひ。
今号では、川勝知事とモンゴルのソドブジャムツ・フレルバータル大使との対談、県政特集「伊豆ジオパーク構想」、癒しの一杯(県内茶産地紹介)の執筆を担当しました。
いずれも限られた紙面では伝えきれない深い内容ですが、再三言うように、この雑誌自体、県外のオピニオンリーダー向けに発行されているので、県民にはあまり知られておらず、みなさんの眼に留まる機会も少ないというのが悔しい限りです。静岡県がどういう方向で県土づくりを進めているのか、地元県民こそが正しく知るべきだと思い、私はミニコミの遠吠えながら当ブログでふじのくにを勝手に広報させてもらってます。手前味噌ですが本当に貴重な情報が詰まっていますよ!
モンゴルのフレルバータル大使は大変な日本通で聡明な方でした。今回の対談でも、饒舌な川勝知事を上回るほど、大使がグイグイとトークを盛り上げてくださって、対談記事にまとめやすかった。私も10代のころは井上靖と司馬遼太郎で歴史を学び、川端康成で文章修業をした身ゆえ、大使が初めて読まれた日本の小説が【伊豆の踊り子】で、大の司馬ファンでモンゴル大好きだったという故・小渕敬三首相との交流エピソードにはホロッとさせられました。
いつもより文字量も多めで、ちょっと読みづらいかもしれませんが、大変深い内容ですから、ぜひお見逃しなく。
【癒しの一杯】のコーナーは、当ブログで取材時に紹介した富士の天下一品茶。紙面の都合でところどころカットされてしまいましたが、こちらが原文です。地名や人名などより詳細に書き込んでありますので、ぜひご一読ください。
【癒しの一杯】<o:p></o:p>
富士・天下一品茶<o:p></o:p>
茶師の技の命脈、幻の銘茶復活<o:p></o:p>
静岡県に数ある茶産地。気候風土の違いや作り手の思いによって、さまざまな味わいが楽しめる。産地が伝えるお茶づくりのストーリーを想像しながら、一杯をとくと味わってほしい。今回は富士山のお膝元で甦った幻の銘茶物語。<o:p></o:p>
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海外茶商が与えた“天下一”ブランド<o:p></o:p>
富士のお茶づくりは古く、県茶業史によると1614年の白糸村の検地帳に茶畑の記載がある。富士山麓は関東ローム層の黒土で肥沃な土地と豊かな湧水、富士山から吹き寄せる風など自然の恵みを受けて、茶樹がよく育つ。収量が見込めることから、明治以降、富士原野の開墾が本格的に進んでからは、輸出産業として大いに発展。他茶産地への生葉や挿し木の供給源にもなっていた。
そんな富士茶史の中に特筆すべき人物がいる。富士市比奈で茶園を開いた野村一郎(1832~1879)は、“質より量”から、”量より質“への転換を目指し、静岡の市川源之助、遠州の赤堀玉三郎、漢人恵助、江川佐平らを招き、『製茶伝習所』を設立。宇治や江州(滋賀)の伝統製法に、赤堀の“にぎり法”、漢人の“茎裂毛引法”といった新製法を組み合わせた。明治9年、横浜に出荷した一番茶は、長針のように細長く、蜘蛛の足のようで、風味良く、群を抜いて優れていたため、横浜居留地の英国・中国人茶商から『天下一品茶製所』と書かれた扁額を贈られた。“富士に天下一の茶あり”の評判はまたたくまに国内外に知れ渡る。
野村一郎は扁額を授かったわずか3年後、天下一製法の詳細なマニュアルを残さず、48歳で急逝してしまう。その後、赤堀や漢人ら天下一製法に開発に関わった茶師たちがそれぞれの地元で独自に発展させ、”天下一“は、見た目の美しい高級茶を指す一般用語となっていった。やがて手揉み技術は機械に取って代わられ、天下一品茶名の存在も風化していった。
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茶師たちが復活させた天下一品茶<o:p></o:p>
静岡県が茶どころとなった一因には、生産地によって微妙に異なる茶葉の特性を見極め、品質の高い茶に仕上げる優れた茶師が多く育ったことがある。彼らは伝習所を開設し、競い合うように多くの若手を育てた。機械化の際もベースになったのは手揉みの技。優れた職人の手技が機械で再現され、県茶業は大いに発展した。
昭和34年に結成された静岡県茶手揉保存会は、職人の手揉みの伝統を後世に伝える活動をしている。手揉み技術には多くの流儀があり、そのうちの8流派―青透流(志太地区)、小笠流(中遠・浜松)、幾田流(県東部)、倉開流(北遠)、川上流(静岡)、鳳明流(静岡・岡部)、興津流(清水)、川根・揉切流(川根)が県指定無形文化財となっている。保存会は“静岡茶の広告塔”として普及振興にも尽力中だ。
幾田流の流れを伝える富士市茶手揉保存会は昭和57年に結成し、富士茶の品質向上と産地ブランド化に努めてきた。結成直後から目指したのは「天下一品茶」の再現だ。4代目会長の木村三郎氏が実現させ、現在5代目の平柳利博会長が再現活動に奔走している。
2012年6月には中国浙江省で開かれた緑茶博覧会で、かつて横浜の中国人茶商から授かった『天下一品茶製所』の扁額(複製)を展示し、天下一製法の実演を披露。鋭く長い針のような茶葉を30センチ以上も積む独特な飾り方は、現地の人々の目を釘付けにした。11月には富士市立博物館内の旧稲垣邸で実演イベントを行い、2013年からいよいよ市販開始する。
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富士山が世界遺産登録を目前に、その価値が再認識されてきたように、『天下一品茶』が静岡県の手揉み茶技法の価値にふたたび光を注いでいる。
県茶手揉保存会では10年ほど前から8流派共通の「手揉資格認定試験」を実施し、師範・教師・教師補という3段階の指導者育成も行う。最上位の師範として後継育成に努める平柳会長。「技術がなければ“天下一”は名乗れません」と資格取得指導に天下一製法への思いを重ねる。野村一郎はじめ歴代茶師たちの茶質向上にかけた命脈もこうして未来へとつながっていく。
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◆“天下一”にかける茶師の思い/平柳利博さん(富士市茶揉保存会会長・山平園園主)<o:p></o:p>
「茶葉は日々刻々と状態が変わる。その変化に対応できる手揉み技術を会得できると、おのずと機械製法での調整にも活かされる。消費者にも手技を見せながらお茶の話ができる。手揉みの技の向上は、一石二鳥にも三鳥にもなるのです。富士山の麓に伝わる天下一製法の技が、手揉み茶を象徴する日本随一の技であることを証明していきたいですね」
山平園 静岡県富士市中里1021 TEL0545‐34‐1349