今週(1月13日~)はバイト先のお寺で、『大般若経会』という重要な法会があったため、ずっとお寺に籠もって準備のお手伝いをしていました。お寺や仏教が好きだといっても、こういう大きな法要儀式を裏から体験するというのは初めてで、知らないことだらけでビックリドッキリ。お寺から一歩も外へ出ないのに、スマホの歩数計を見ると一日1万歩以上歩いていて、ひどく疲れたけど面白い一週間でした。
ネットから遠ざかっていたこの一週間のうちに、ネット上で新しい地酒コラムの連載が始まりました。eしずおかのコラムサイト『日刊いーしず』の執筆者に加えていただけたのです。
タイトルはずばり『杯は眠らない』。おかしなタイトルだと思われるでしょうが、初回はタイトルの由来から書き出していますので、ぜひこちらをご覧ください。
eしずおかを運営する静岡オンラインの海野尚史社長は、私が駆け出しライターのころ、初めて雑誌で地酒の連載を持たせてくれた恩人です。海野さんは当時、静岡オンラインの前身・フィールドノート社を立ち上げ、『静岡アウトドアガイド』という情報誌を発行していました。この雑誌で1995年から『静岡の地酒を楽しむ』という連載を持たせていただいたわけですが、今のようにネットを使って誰もが自由に瞬時に情報発信できる時代ではなく、書店売りする印刷物に情報を載せることのハードルの高さといったら、今の若い書き手には想像できないかもしれません。当時、無名の駆け出しライターが、自分の好きなジャンルの記事を署名入りで書かせてもらえたというのは、今思えばとても大きな財産でした。
海野さんは、フィールドノート社を静岡オンラインへとうまく転換され、県内最大のブログサイト『eしずおか』や、フリーペーパー『womo』等、新規事業を次々と成功させました。恩人である海野さんの成功を嬉しく思う一方で、自分のようなアナログ世代の職業ライターの出番はなくなった、と、思っていましたが、私が『吟醸王国しずおか』の制作でメディアにちらほら取り上げられた頃からご縁が復活し、自主映画製作という無謀な冒険に温かいエールをくれました。
2年前、(社)静岡県ニュービジネス協議会で茶道に学ぶ経営哲学研究会を立ち上げたとき、文化活動に興味がありそうな知人何人かにも案内を送ったところ、思いがけず、海野さんが「実はきっかけがあれば茶道を勉強したかった」と入会してくれました。同じく茶道研に入会してくれた平野斗紀子さんとも定期的に会って話をするようになり、そのうちに平野さんがコミュニティ新聞『たまらん』を発行したことをきっかけに日刊いーしずのコラムを書くことになり、次いで私も書かせてもらうことになった、という次第です。
私は、大恩のある平野さんと海野さんが、茶道を通じて絆を深め、自分がその恩恵をふたたび授かってコラムニストに加えていただけたことに感謝の意味を込め、昨年の年末、青島酒造と磯自慢酒造の新酒仕込み見学に招待しました。この見学には、日本酒の記事を書きたいのでアドバイスがほしいと言って来た若手ライターや、日本酒を海外に情報発信する貴重な活動をしている東京在住の通訳・プランナーさんも誘いました。地酒の魅力を伝える書き手や語り部を増やしていくこと、新しいフィールドを持つ次の世代にバトンタッチすることが、アナログ世代のご奉公なんだろうと思ったのです。若いとき、分不相応かもしれないけど、大きなチャンスをもらえたことがどんなに励みになったか、それを思い返すと、自分を頼ってくれる同志や後輩がいる限り、できるだけのことをしようと。
・・・フリーランサーの中には、もらったチャンスを踏み台に、ひたすら貪欲に自分を売り込んで、チャンスをくれた人のことをたんなる踏み台程度にしか考えない人もいます。自分もそうだったかもしれないし、フリーで生きていくには他人を踏み台にするなんて日常茶飯事なのかもしれませんが、表現の場を与えてもらってナンボの世界、与えられた幸運に感謝の気持ちを失ったら人間としてどうなのよって、最近、自戒を込めつつしみじみ思うのです。こういう心境になれたって坐禅や寺の裏方仕事の経験が奏功したのか、それとも単に歳をとった証拠か・・・(苦笑)。
とにもかくにも、多くの人にチャンスをもらい、書かせてもらえる場を与えられて初めて存在価値を自覚できるフリーライターという職業の原点を見つめなおす、そんな仰々しい?覚悟で始めたコラム。ノーギャラですが、海野さんには、職業ライターとして恥ずかしくないレベルのものを書かせてもらいますと、自分で自分の首を絞めるような宣言をしてしまいました。海野さんは「またスズキさんと一緒に仕事が出来てうれしいですよ」と笑顔で応えてくれました。
連載開始にあたり、海野さんとサシで対談したインタビューもこちらで紹介してもらってますので、よかったらご一読ください。