杯が乾くまで

鈴木真弓(コピーライター/しずおか地酒研究会)の取材日記

駿河近郷十二薬師巡礼その2

2013-05-28 14:33:49 | 歴史

 5月13日に参加した駿河近郷十二薬師巡礼のつづきです。

 

 お昼は日本平ホテルの和食の店。ホテルが新しくなってから初めての食事だったので期待していたんですが、予約の時間に到着したのに揚げ物も煮物も冷めていて、いかにも作り置きした団体客向けのランチコースって感じ。湯飲みが小さいのでお茶はすぐに空になってしまい、お代わりしたくても仲居さんがなかなか来てくれなくて、急須を置いていってくださいとお願いしてもなぜかNO。見た目は良くても肝心のホスピタリティがこれじゃぁ・・・とガッカリしちゃいました。まだスタッフがオペレーションに慣れていないのかな。せっかく静岡市民自慢のホテルになったんですから、気持ちよく過ごせるよう、改善を期待しています。

 

 気を取り直し、午後に回った6ヵ寺をご紹介します。

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 七番ヵ寺は草薙の長昌寺薬師堂。徳川初期の創建のようですが仔細は不明で、寺も明治19年(1886)に廃寺となっていて、今は、「草薙一丁目自治会館」の中に薬師如来像だけが残されています。ふだんはお参りする人がほとんどないようで、鍵を預かっている向かいのお宅の奥さんはバス2台でやってきた我々にビックリ。ご近所のお年寄りもやってきて、「こんなにたくさんの人にお参りしてもらってありがたいねえ」と感無量の表情でした。

 

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 狭い会館には全員が入りきらず、私も外で読経や御詠歌を聞くだけ。頭ごしに垣間見る厨子だけではお薬師さまがどんなお姿なのかうかがい知ることはできませんでしたが、病気平癒や健康長寿を願う人々の信仰の的である一方、このみほとけは、寺がつぶれ、薬師堂が失われてもなお、地域の人々の「守り伝える」という意志によって生かされている。・・・ただの造形物でもモニュメントでもない、人の心の象形なのだと真に迫るものがありました。

 

 

 

 

 

 

 

 八番ヵ寺は中之郷の鳳林寺薬師堂。鳳林寺の飛地境内である熊野神社の敷地内に、薬師堂があります。寺そものは正保・慶安年間(1644-51)に創建され、本尊は地蔵菩薩。薬師堂は元文4年(1739)に創建されました。

 

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 この薬師堂も狭くて全員が入りきれませんでしたが、堂内には薬師如来のほか大日如来、八幡大菩薩、千手観音、虚空菩薩、文殊菩薩、普賢菩薩、勢至菩薩、閻魔大王などほとけさまがオールスター軍団のようにズラッと並び、圧巻でした。中でも迫力満点の閻魔さま、近所の子どもたちのスケッチモデルにうってつけのようで、子どもたちの閻魔画が窓枠いっぱいに貼られていました。神社の中にあって、外からはなかなか気がつかないけど、地域にちゃんと愛されている薬師堂なんだなあと思いました。

 

 

 

 

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 九番ヵ寺は馬走の薬師堂。馬走神社裏手の堂山の中腹にあり、今回廻った中では登り階段がキツくて一番苦労したかな。ご高齢の参加者には大変でしたが、それだけにご利益も期待したいところ。この薬師堂は元禄12年(1699)頃の創建で、有東坂村に住む水野氏のご先祖が、夢に薬師如来が現れ、「我いまに藪の中に埋もれて年を経たり。掘出して供養せよ」とお告げをしたそう。さっそく見つけてお祀りしたところ、眼病にとくに功徳があったので、村民こぞって薬師堂を建立したという言い伝えだそうです。この山を『堂山』というのは、薬師堂があるからなんですね。

 

 御堂の中は観られませんでしたが、こうして連れて行ってもらわねば、ここに薬師堂があって眼病にご利益があるなんて知らなかったと思います。・・・50歳を過ぎ、自分にとって視力低下は老化現象の中でも深刻な悩み。しみじみ仏縁だなあと実感し、ありがたく合掌しました。

 

 

 

 

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 十番ヵ寺は村松の鉄舟寺。今回訪ねた中で、唯一、参拝経験のあるお寺です。ご存知、山岡鉄舟ゆかりの名刹。もともとは飛鳥時代に藤原氏の一族である久能忠仁が、今の久能山東照宮のあたりに建立し、奈良時代に行基が来山して久能寺と号しました。戦国時代に武田氏が久能山に侵攻し、城を造るため、村松の妙音寺のあった場所に寺を移し、久能山妙音院となります。そして明治になって住職不在で廃寺となってしまったのを、明治16年、山岡鉄舟が再興した、というわけです。

 

 さすがに歴史があるだけに、薬師如来は三尺三寸の木造坐像で、脇侍の日光・月光菩薩とともに平安時代の作。源義経が久能寺に預けたとされる薄墨の笛や、鉄舟の墓のことは知っていましたが、お薬師さんが巡礼コースに入っていることは今回初めて知りました。京都や奈良の有名古寺にひけをとらない伝統と歴史を持つのですから、もう少しこの寺の魅力を効果的にアピールできないものか・・・と、ついつい取材者目線で見てしまいました。

 

 

 

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 十一番ヵ寺は宮加三の東向寺。慶長年間(1596-1614)に有度山麓の寺家山に創建した寺で、のちに移転。宝永4年(1707)の大地震で大破し、再建したものの、安政の大地震でふたたび全壊。明治3年に三保の領主太田家の旧宅を移して再建し、昭和42年に改めて現在の御堂を新築したそうです。度重なる震災をくぐりぬけてきた根性のお薬師さまなんですね・・・!

 

 

 

 

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 十二番ヵ寺は横砂の東光寺。旧東海道沿いにある天文年間(1533-54)創建の寺です。かつて勅使が関東へ下向した際、興津川の洪水で足止めに遭い、この寺に宿泊することになりましたが、門扉がなかったため、丸木を集めて格子戸の門を急ごしらえしたとか。ゆえに今でも寺の門扉は格子戸となっています。

 

  巡礼最後の寺ということで、御詠歌はこのように詠われました。

 『 のぼりきて ふだらく山のふもとより これが如来の たちところなり 』(観音様がおられるという、ふだらく山の麓より登るように、一番から順拝して東光寺まで来た。この寺こそ、本当に如来のおわす所のようである)。

 

 ご参加のみなさま、本当におつかれさまでした。とにもかくにも、お参りのご利益がありますように・・・!