杯が乾くまで

鈴木真弓(コピーライター/しずおか地酒研究会)の取材日記

『杯が満ちるまで』

2008-06-18 17:09:04 | NPO

 先週末、発送した吟醸王国しずおか映像製作委員会会報誌『杯が満ちるまで』を査収された方々から、早くもお返事をいただきました。

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 嬉しかったのは、一般女性の会員から「いいスタッフに恵まれていいお仕事ができそうね」「自分自身は少額会費しか出せないけど、出来るだけ周りの人にPRするから会報誌をもっと送って」という声をいただいたこと。

 そして、ある蔵元社長が「あなたの文章にあった“静岡の酒造りを通して、静岡の自然やモノづくりの価値を後世に伝えたい”という一文は、まさに自分の思いそのもの。ぜひ応援させていただく」とおっしゃってくださったこと。

 私が会報誌を通して伝えたかったことを、まっすぐにキャッチしてくれる人がいたんですね。本当に嬉しかったです。

 

 有能なプランナーや敏腕プロデューサーが戦略的に資金調達方法を考え、実行するのとは次元が違いすぎるやり方かもしれません。でもライターの私に出来ることといったら、文章を通して理解してもらうこと。非効率のようですが、こういう冊子を作って読んでもらうしかないのです。だからこそ、1人でも2人でもこういうレスポンスをもらえるというのは百万の味方を得た思いがします。

 

 

 日頃、NPO団体の広報活動に関わっていると、広報物を作ることで対外的なPRのみならず、内部スタッフにも活動の見直しや点検に役立っている事例をよく見ます。最近はコンサルの先生が「リーダーの思いばかり強くて、メッセージが整理されてない」「読者にわかりやすく編集しろ」と指示することも多いよう。確かに、資本のとぼしいNPO団体の広報物の中には、学級新聞なみの手づくり感たっぷりのものがあったりしますが、NPO側からは「寄付をお願いする身で、あんまり立派な広報物を作るのは気がひける」という声も。個人の思いや仲間同士の絆がベースになっている団体では、他者に伝える・理解してもらうという行動に慣れていない、或いはさほど重きを置いていない、というケースもあります。

 

 私自身は、メッセージというものは、どうしたって受け取る側の感度や受信容量によって、理解の深さ・浅さが生じるわけですから、見た目にさほどこだわる必要はないと思っています。そのメッセージが発信者の真実の声であるならば。

 

 

 真実の声を持つメッセンジャーに必要なのは、体裁を整えることではなく、受信者の選択です。もちろん、あまりにも独りよがりで未整理状態のものを公表していいわけではなく、他人に読んでもらう上での最低限のマナーや気遣いは必要で、私がサポートするのもその最低ラインあたりですが、無理して万人受けする見せ方・伝え方に神経を磨り減らすくらいなら、伝える相手を精査し、ピンポイントに届く方法を考えるほうが、結果として効率的。広報の使命も果たすような気がします。メッセージをまっすぐにキャッチした人が、新たなメッセンジャーになって広げてくれるのですから。

 そのためには、日頃の自分たちの活動を点検し、現在、どういう人に有効か、足りない層はどこか、将来的にはどういう層に広げていくべきかを内部で熟考する必要があります。広報というのは、その意味でも、団体活動の重要なエンジンになるわけです。

 

 

 そんなことをつらつらと考えながら、いざ、自分で作ってみた会報誌。今のところ送り先を限定していますが、多くの支援者を集め、映画という杯を満杯にするには、そんな悠長なことを言っていられないのかも。ブログ読者で興味のある方がいらっしゃいましたら、お送りいたしますので、ご一報ください。

 6月20日(金)15時15分から静岡市民文化会館中ホールで行われる『朝鮮通信使』無料上映会にお越しいただける方は、私、受付あたりに居ますので、一声お掛けくださいね。


ベストコンディション

2008-06-16 20:52:33 | 吟醸王国しずおか

 今日(16日)は朝からあわただしい一日でした。

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 まず、朝8時30分から杉井酒造(藤枝市)で『吟醸王国しずおか』ロケ。焼酎の麹づくりの撮影です。

 この時期、仕込み蔵が稼動している酒蔵は、機械化が進んだ大手を除けばほとんどありません。蔵元の仕事は、もっぱら瓶詰めや営業が中心で、冬場に取れなかった休みをまとめて取って海外旅行などでリフレッシュする人もいます。

 焼酎やみりんも造っている杉井酒造では、仕込み作業がないのは8月ぐらいで、年間を通して蔵が稼動しています。生産量が少ないので、作業そのものは、さほどハードではなさそうですが、蔵を休ませないということは、蔵元も気が休まる時期がないということ。改めて杉井さんのバイタリティに感心してしまいました。

 

 

 今日、仕込んだ麹は、山田錦の米粉で造る焼酎の麹。米粉を液化させて造る焼酎は、数年前、米粉の後処理になるということで、液化装置を買った酒造メーカーが競って造った時期があったそうですが、本格焼酎の味にはかなわないのか、すっかり廃れてしまったとか。杉井さんは山田錦を自社栽培する県外の蔵元から、山田錦の米粉は焼酎に出来るかという相談を受け、試しに造ってみることに。確かに、山田錦の米粉焼酎というのは聞いたことがありませんよね。どんな味になるのか楽しみです。

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 ちなみに麹米は山田錦ではなく、静岡県産の一般米(精米歩合70%)。造り方は基本的に日本酒の麹づくりと同じで、蒸してから麹室に引き込んで総破精(そうはぜ)麹を造ります。種もやしを豪快に振り撒く作業に、カメラマンの成岡正之さんはビックリ。確かに、吟醸麹の極端な突き破精造りしか見たことのない人には好対照だったでしょう。

 

 杉井酒造の麹室へ続く木造の階段や屋根の梁、柱なども、被写体としては実に魅力的。どこかの民俗資料館とか古民家展示場でしか触れることの出来ない蔵が、この時期、現役の作業場として人の足音、息吹を響かせながら稼動しているのです。心あるカメラマンなら、撮らずにいられなくなるというのも道理で、成岡さんは建物のイメージショットを夢中で撮っていました。『吟醸王国しずおか』では、人のいとなみや技術の気高さと同時に、酒蔵という建物の価値や魅力も伝えられたら、と思いました。それには撮る側の体制もそうですが、撮った画をどうやって再生するか、ハードの問題も重要になってきます。

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 昼過ぎに静岡へ戻って、13時からアイセル21葵生涯学習センターの『平成20年度アイセル歴史講座第1回・朝鮮通信使鑑賞会』に。過去ブログで紹介したとおり、3月のシズオカ文化クラブ定例会の朝鮮通信使上映会に参加した静岡歴史愛好会の長田和也会長が、ご自身が世話人を務めるアイセル歴史講座の今年度第1回講座に招いてくださったのです。

 

 この講座は年10回の開催で、講師は中村羊一郎さん、黒澤脩さん、田口英爾さん、前林孝一良さんなど静岡を代表する歴史研究家のお歴々。そのトップバッターとして、私なんぞが講師なんて肩書きで招かれていいのか冷や汗モノ。しかも90名の受講生のうち、この作品を観たことがある人はわずか4人。歴史好きの市民に観てもらえる初めてかつ貴重な機会だけに、期待と緊張が入り乱れ、70分の上映中、直立したままでした。

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 携帯用のDVD再生機を使い、黒板の半分くらいのサイズのプロジェクターに映しただけの上映だったので、ハッキリいってハイビジョン作品がまるで台無し。始まっていきなり「観にくいなぁ」「もともとこんな暗い映像なのか」のつぶやき声が漏れ聞こえてきます。上映後、長田会長は「市税を投じて作ったのに、市は作りっ放しで、DVDもただ配ればいいというだけ。本当に観たい市民が、いい画質で観られるようにしてほしい」と私が言いたくても言えずにいたことを、はっきり提言してくれました。

 

 気になる受講生の反応ですが、質問タイムには一人も手が上がらず、肩を落としたものの、帰り際に直接「20日の静岡市民文化会館の上映時間は?」とか「冊報使という言い方をしている資料もあるがその違いは?」などと矢継ぎ早に質問を受けました。

 

 そして最後に、品のよさそうな高齢のご婦人が「今まで観た朝鮮通信使関連の映像作品の中で、一番よかったわ!」とこちらの手を取らんばかりに駆け寄って褒めてくれて、不覚にも涙が出そうになりました。知り合いやメディア関係者がそれなりに(おつきあいで?)褒めてくれることは多々ありましたが、まったくの一般市民で、歴史好きの高齢者の方から、こういう反応をいただけるというのは、作り手冥利に尽きるというもの。念のため持参した赤字だらけの脚本を、思わず胸に抱きしめました。

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 こんなひどい画質でも、これだけ喜んでくださったのなら、なんとしてでもハイビジョン仕様のベストコンディションで観てもらいたかった…!

 

 

 

  

 酒もそうですが、造り手がどんなに心血注いで造っても、出来上がった作品がすべてです。嗜好品ですから当然といえば当然ですが、蔵元は、できれば気分や体調のいい時に味わってもらいたいと願うもの。映像も同じで、監督や脚本家の苦労のほどと、作品の評価とはまったく別。ならば、せめて、いい環境(画質)で観てもらいたい。

 

 今、撮っている『吟醸王国しずおか』も、ベストコンディションで鑑賞できる環境づくりを真剣に考えなければ、と思います。


複眼と深厚

2008-06-15 12:10:04 | 吟醸王国しずおか

 ここ3日間ほど、買い物以外は外に出ないで、自宅で雑務に追われていました。

 静岡の酒の映像化を思い立ってちょうど1年。激動のこの1年を振り返りながら、映画づくりに寄付をしてくれた力強いパートナーのみなさんに感謝のメッセージと、映画づくりへの決意表明&末永いご支援をお願いする『吟醸王国しずおか映像製作委員会・会報誌』を作り、なんやかんやで印刷・発送準備に3日かかってしまいました。内容は、現在、制作にあたる3名のプロフィール紹介。このブログの記事をベースにしていますので、ブログをご覧の会員さんからは「二番煎じじゃないか」とお叱りを受けるかもしれませんが、会員の半数以上はネットをほとんどやらず、撮影の進捗状況をまったくご存じないので、紙媒体の情報提供も必要だと思った次第です。書き下ろしの記事も2本入っていますので、お許しください。

 

 

 さて、昨日(14日)は、会報誌の発送準備の合間に時間を縫って、アイセル21葵生涯学習センターで開催された『静岡人権フォーラム総会』に参加し、久しぶりに金両基先生の“ふだん着の人権論”を拝聴しました。秋葉原事件を受け、先生は「最大の人権侵害は殺人と自殺です。人権について考えることは、イコール良心とは何かを追求すること。それはイコール自分を人間として鍛え、高めること。それを忘れてはいけません」と強調されていました。

 

 

 私はフォーラムに入会したばかりなので、どんな人が集まるのかわからず、20日に静岡市民文化会館中ホールで予定されている金先生監修の『朝鮮通信使』無料上映会のPRが出来れば、と、軽い気持ちで参加したのですが、メンバーの顔ぶれにはビックリ。同和問題、朝鮮総連、韓国民団、県会議員、県や市の職員、教師、歴史研究家等など。人権問題にとりたてて詳しいわけでも、何か身近に問題を抱えているわけでもない一市民の私から見たら、「人権」というキーワードだけでこれほど幅広い階層から、しかも東は沼津から、西は浜松から集まってくるというのが、まず驚きで、、総連、民団、公務員が一堂に会して、言いたいことを言い合うというのも、たぶん、めったに見られない光景じゃないかと思いました。

 

 

 メンバーの中からは「静岡県民は人権意識が低すぎる」という苦言もありましたが、人権を、侵す・侵されるの立場で見る限りは、いつまでも対立の構造や、一般の人のとっつき難さは解消されないのでは、と感じました。金先生が“ふだん着感覚で”と呼びかけるのは、人権を考える間口を広げようとされているのでしょう。この会は、先生のそんな深厚ある語りかけがあってこそ、いろいろな階層の人々が気負いなく集えるのだと思います。人権を侵された経験のある人から見たら、生ぬるいと感じるかもしれません。ただ、そのぬるさが、私のような一市民や若い人々に扉や間口を広げてくれるような気がします。

 先生は事あるごとに「外国人の私が公の場でこういう発言をするのは初めて」とおっしゃいますが、たぶん、(帰化も改名もせず韓国人として生き抜いてこられた)先生でなければ、公で発言をして多くの人々の共感と納得を得ることはできなかったでしょう。こういう導き手がいて、対立軸で見られがちな立場の人々がフランクに集える場があるというのは、未来志向で考えれば、静岡はむしろ新しい人権意識が芽吹く街になり得るんでしょうか。

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 総会の後の講演会では、県会議員で県史編纂にも携わった歴史研究家の前林孝一良さんが、徳川慶喜の静岡時代について解説をしてくれました。慶喜に対する評価は、今の大河ドラマのように勝者側(薩長)から見たら“統領の器にあらず”なのかもしれませんが、歴史というのは、私も朝鮮通信使取材で痛感したとおり、複眼で読み取らなければなりません。

 

 前林さんは「慶喜が鳥羽伏見や戊辰戦争の矢面に立っていたら、それこそ全面戦争になっていた。自分がそういう立場にあることを自覚していたからこそ、勝海舟の進言を受け入れ、身を引いて、その後も恭順を貫き、結果的に日本を流血の革命に突き進ませずに済んだ」と評価します。そして、静岡時代は、幹事役に勝海舟と山岡鉄舟、公用人に関口良輔(初代静岡県知事)、陸軍学校頭取に西周、新番組之頭(SP)に中條金之助(牧之原大茶園開拓者リーダー)、学問所頭に向山黄村(“静岡”の命名者)、一等教授に中村正直(日本初の翻訳本=日本初の100万部ベストセラーを書いた学者)、そして慶喜の“相棒”新門辰五郎が側にいた。静岡学問所は当時の最高インテリジェンスが集結した場で、東京大学が開校したとき、そっくり移されたそうですから、明治初期の静岡というのは、ある意味、何かが生まれるエネルギーの塊みたいな街だったんですね。

 

 

 慶喜が江戸開城後に寛永寺から水戸へ移ったとき、イケイケ統領だったらそのまま上野~会津~函館戊辰戦争に突入していたかもしれません。徳川家16代を継いだ家達の駿府移封に従って静岡へ移ったことが、結果的に、静岡という街に無形の財産を残したわけです。

 

 

 金先生の語りかけは、すぐには成果が現れないと思いますが、何十年か経ったら「結果的に、静岡の街に無形の財産を残した」と評価される、そんな兆しをビンビンと感じました。

 私が吟醸王国しずおか映像製作委員会の会報誌に書いた原稿にも、「映画づくりというのは、すぐに静岡の酒の売上げに跳ね返るというような成果に現れない試みですが、制作者としてこういう気持ちで取り組んでいます」というメッセージを込めました。

 

 

 人権フォーラムの席上、刷り上ったばかりの会報誌を参加者に紹介し、アイセル21を後にして近くにあるNPO法人活き生きネットワークの事務所にお邪魔し、デスクを借りて梱包作業をし、夕方、曲金の宅急便センターへ。

 予算もないので、とりあえずお送りしたのは、会員さんプラス映画制作のPRをしてくださったメディア関係者あわせてきっかり100名。今はクロネコメール便ならA4サイズの書類も80円(×100通=8000円)で届けられるんですね。ありがたい時代です。間もなくお手元に届きますので、ぜひご感想などお寄せください。


松下米の田植え

2008-06-11 10:06:49 | しずおか地酒研究会

 ゆうべは日焼けした両腕が、軽い火傷に似たヒリヒリ感にさいなまれ、夜中に何度も目が醒めてしまいました。SPF32の日焼け止めクリームを何度も塗りなおしたはずなのに、油断した~。女子のみなさん、この時期、屋外に1時間以上いるとき、クリームは無能です。衣服で完全防備してください。

 

 梅雨の合間の貴重な晴天。昨日(10日)は『吟醸王国しずおか』のロケで、喜久酔松下米でおなじみ、自然農法で健康優良児の山田錦を育て上げる松下明弘さんの田植えを撮影しました。

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 松下さんは、山田錦をはじめ、玄米食用のオリジナル品種『カミアカリ』など米づくりのスペシャリストとして知る人ぞ知るDsc_0025_2 存在。実は昨日は、2年前のしずおか地酒研究会の田んぼ見学会に参加した食の情報誌『dancyu』別冊編集長の里見美香さんが、「なんて楽しそうに、幸せそうに田んぼ仕事をする人だろう」と見惚れ、東京から駆けつけてくれたのです。世界の穀物市場が流通激変に見舞われる昨今、日本の米づくりの価値を再認識させる好機であり、日本を見回しても、食用・酒用ともに米生産者個人がブランドになっているような例は他にないということで、彼の米づくりを田植えから稲刈りまでじっくり見てみたいと。

 

 『吟醸王国しずおか』の撮影にギャラリーが参加したのは初めて。しかも里見さんのような大物ギャラリーとなれば撮る方も撮られる方も力が入ります。里見さんは前夜、静岡入りして静岡伊勢丹の吟醸バーにも来てくれて、短い時間ながら静岡吟醸を堪能してくれました。こういう力強い応援団がいるって本当に嬉しいし、自分がやっていることが間違っていないって自信を与えてくれます。これも、もとはといえば、松下さんが素晴らしい米を作り、喜久酔の青島さんが素晴らしい酒にしてくれるおかげです。

 

 

 

 事前に松下さんが、「どの田んぼで撮影する?決めてくれりゃそのつもりで準備するよ」と言ってくれたので、私は、彼の自宅に一番近い、鉄塔下の1面をリクエストしました。ここと、反対側の1面は、松下さんが1996年に最初に山田錦を植えたスタートの地。同時期に、しずおか地酒研究会を発足した私は、大粒背高で農家泣かせの山田錦を、「野生種だから強くたくましく育てたい」と不耕起・無農薬で作り始めた彼の挑戦を、会の仲間とともに、田植えやら草取りやら稲刈りやらと、一緒になって支援しました。

 

 

 

 

 

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 喜久酔の青島孝さんがニューヨークから戻ってきたのは、稲刈り直前の頃で、蔵の近くでおかしな連中が集まって米づくりで盛り上がっている姿を見てビックリ。96年という年は、松下さん、青島さん、そして私にとっても忘れ得ぬ年となりました。鉄塔下の田んぼを訪れるたび、13年前、稲刈り前の黄金色に光る田んぼの美しさに見とれ、3人で酒造りへの夢を語り合った夕暮れ時の光景が甦ってきます。

 その頃、ヨチヨチ歩きだった息子が中学生になり、「親父の跡を継いでやってもいいようなことを云い始めた」と目じりを下げる松下さん。中学生かぁとため息をつく(未だに独身の)青島さんと私…。子どもの成長は、13年という時間の大きさを直球ど真ん中で知らしめてくれますね(苦笑)。

 

 出会った頃は夢多き青年だった松下さんと青島さんも、時を経て、いろんなものが削ぎ落とされ、研ぎ澄まされて、それぞれの世界で確たる存在感を示すまでになりました。そんな2人を、映像カメラで撮りおさめることになろうとは、13年前の自分を振り返ると不思議な気がします。自分は、彼らに恥ずかしくないような仕事をしてきたのだろうか・・・撮影中の田んぼを眺めながら、いろんな思いが交錯しました。

 

 

 

 

 

 12年間、天然の有機肥料だけで山田錦を育て続けた鉄塔下の田んぼは、土がしなやかになり、虫や微生物の宝庫となり、鳥が「おいしそうな田んぼ」とすっかり目をつけてしまったようで、土の栄養のために蒔いた肥料を、田植えの前に啄ばんでしまうとか。今はそのために少しだけ代掻きをし、土の内部に肥料を浸透させるようにしています。

 一ヶ所に苗2~3本のみ、広い間隔で“疎”に植えて、1本の苗がしっかり土に根を張り、穂が背高になっても根っこまで太陽の光がしっかり届くようにする松下流の田植え。隣りの田んぼが芝生のように青々としているのに比べ、彼の田んぼは一見、土しか見えません。それが、「美しい田んぼだ」と感じられるように撮ってくれと、成岡さんや山口さんにはやや難しいリクエストをしました。2人はあれこれアングルを変え、土の中に棲む昆虫、鳥、松下さんや青島さんの表情、手元、背中、水面に映った影などを、3~4時間かけて撮り続けました。

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 「植物は、動物なんかよりよっぽど強い。動物は、環境に適応できなくなったら棲む場所を変えられるけど、植物は自分では動けない。どんなにしんどい環境でもじっと我慢し、子孫を残そうと必死に生きようとする。コンクリートの割れ目からだって大根は育つだろう。人間は、とりわけ日本人は、植物のおかげで衣食住が成り立ってきた。そういう畏敬の気持ちを忘れて、人間がコントロールしようなんておこがましいよ」としみじみ語る松下さん。「酒造りも、人間が造っているんじゃなくて麹や酵母が造ってくれる。同じ気持ちです」と青島さん。「いくらいい設備や腕のいい杜氏や意欲ある蔵人に恵まれていても、いい米が入ってこなくなったら僕らは何もできない。米づくりの未来について、酒造家は真剣に考えなければ」と自戒していました。

 今日、植えた山田錦は、今年10月上旬に稲刈りをし、来年1月に仕込みをし、来年秋に出荷されます。田植えとは、一年の酒造りのいわばスタートライン。これから編集に取り掛かる『吟醸王国しずおか』パイロット版では、この2人の田植え姿を最終カットにし、「酒も映画も、これから先がお楽しみ」と余韻を残そうか…などと思っています。

 

 

 

 それよりまずは、ひどい日焼けの後始末。ヒリヒリ感はいまだにおさまりません…。日焼けも泥汚れも勲章みたいに思っている野生種の男たちと、この夏、どうやってつきあうべきか、リアルな課題が待ち受けています。


静岡伊勢丹吟醸バーその2

2008-06-08 10:47:43 | 地酒

 昨日(7日)は、16時から『杉錦』の杉井均乃介社長と一緒に、静岡伊勢丹フーズフェスティバルの蔵元講演会に参加。志太地区の蔵元の中でも、生酛・山廃造りが8割を占めるという異色の蔵元杜氏・杉井均乃介のこだわりと挑戦について、突っ込んだお話をしました。

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 前日の『志太泉』望月社長とのトークでは、静岡吟醸の素晴らしさ、志太地域の水のよさ、そして各蔵元が技を競い合って酒質が向上したという背景をお話しましたが、昨日は、静岡イコール吟醸(高級酒)というイメージから少し離れ、常温で気軽に呑める昔かたぎの酒を大事にし、そのクラスで吟醸並みの質の良さを追及していきたいという杉井さん個人の姿勢にスポットを当ててみました。

 

 

 杉井さんはマイクを持つとついつい話に入り込んで、専門的な話にどんどん嵌っていきます。「生酛」「山廃」「速醸」「県と局の鑑評会」なんて言葉、デパートの客層にいきなり聞かせてもピンと来ないなず。内心ヒヤヒヤしながら、フォローできるところはフォローしながらの対談。それでも、彼のように、毎年のように今までやったことのない造りや新規格の商品に挑戦するアグレッシブな造り手のよさを伝えるには、専門的な話で聞いた人が理解できなくても、なんとなく「蔵元自身が一生懸命に考え、体を張って造っているんだ」と感じてもらえればいいと思いました。

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 最近、映画作りのことでいろいろなメディアの取材を受け、そのたびに改めて「地酒の定義って何ですか?」と聞かれることが増えました。地元の水、地元の米、酵母等など、原材料の産地で定義されるというのが一般的ですが、私自身は、造っている人の顔と姿勢が見えるもの・・・それが、地酒の魅力に相違ないと思っています。同じ水源(大井川伏流水)の水で、地元の山田錦、静岡酵母で造った酒は志太地域にもいくつかありますが、それぞれ味は違います。演者や奏者は同じでも、監督が変われば映画も変わる、指揮者が変われば演奏も変わるのと同じです。『杉錦』は、杉井均乃介の製作・脚本・監督作品なんですね。

 

 

 デパートのお客さんに、そこまでのこだわりが通じて実際の購買動機につながるかどうかはわかりませんが、杉井さんの生酛造りの話が、マニアックな地酒の会ではなくデパートの催事場で聞けたというのは、ある意味、ひとつの“事件”かもしれません。

 

 

 

 トーク後の吟醸バーカウンターでは、杉錦生酛純米大吟醸が飛ぶように売れました。何を呑もうか迷っているお客さんには、「蔵元が来てますよ」とさりげなく杉錦をアピール。隣接コーナーで売っていた雑誌sizo;kaの地酒特集号も、「今日だけで30冊売れてます。ふつうの書店ではありえない数字」と編集長本間さん。

 

 金曜夜は会社帰りのサラリーマンで閉店時間まで大賑わいでしたが、土曜夜は夕方をピークに静かになり、20時を過ぎた頃から、仕事が終わった伊勢丹の社員がネクタイやバッジを外して呑みに来てくれました。

 

 インテリア売り場に勤務しているという若い女性2人組が、いろいろな銘柄を熱心に呑み比べしているのを見て、私もつられて喜久酔松下米40と50を1杯ずつ自分で買って呑み比べ。2人に「同じ蔵で同じ米で造り方も同じだけど、比べてみて」と勧めたところ、彼女たちは、さんざんあれこれ呑んでいたにもかかわらず、軽く口に含んだだけで違いが解ったようで、「お酒ってホントに奥が深いんですねぇ」「こうして説明してもらいながら呑むと、違いがよく解ります」と目を輝かせてくれました。こういう販売員が「自分の実体験や感動をお客様にも伝えたい」という気持ちでセールスしてくれたら、デパートの酒売り場も、人が集まる・蔵元の信頼も集まる売り場に変わるのかも。

 

 

 杉井さんも「自分は、冷蔵保存なんか気にせず、台所に常温で置いて気軽に晩酌できる酒も大事に造っていたい。誰もが気軽に買いに来れるデパート売り場というのは、十分意識する必要がありますね」と振り返ります。

 

 

 伊勢丹社員の間に、地酒ファンを増やすこと。これが、今回の企画の“裏の着地点”かもしれません。