ななきたのご隠居~野崎 幸治

千葉市美浜区で行政書士をしています。
地元では「ななきた(磯辺7丁目北自治会)のご隠居」と言われています。

東京日和(十条銀座)

2020年02月23日 | 日記

上中里駅から京浜東北線で東十条駅に来ました。

ここから十条駅に向かいます。

突然に踏切です。

最近都会の真ん中で平面交差の踏切があるのは珍しい。

電車の車輪は大きいですね。

十条駅です。昔(のことを言うと笑われますが)赤羽線と言って池袋と赤羽の間をコトコト走っていました。が

いまや埼京線になり渋谷方面から大宮まで通勤線として活躍しています。

さらには川越線に乗り入れ八高線の高麗川駅、そして電化区間は八王子駅まで、また北に向かえば気動車に乗って高崎まで秩父の山々をのんびり見ながら旅ができます。

そんなわけでこの辺も近いうちに高架線になるそうです。大動脈です。

TVでおなじみ十条銀座の商店街が見えてきました。

魚屋さん、少し時間が早いせいかまだ人はまばらです。

でも行列の出来ている店舗もあります。

あいにく休みですがこの店はよくTVの中継に出ますね。店一杯に焼き鳥など並べておいしそうです。

かなり長いアーケード街になっています。

砂町銀座、戸越銀座とならんで十条銀座。

ご隠居の子供のころはどこの駅前にでも見られた風景ですが、駅前にすら大型スーパーができてまわりは寂しくなりました。

商店街がシャッター通りにになったら今度はダイエーが倒産したりして世の中、目まぐるしいです。

十条銀座が終わると青空が見える富士見銀座となりました。

銀座通りの大安売りです。

この先は環七通りになります。見渡しても大きなスーパーも見られないのでこの辺が繁盛しているのでしょうか。

東十条駅の方に戻ると十条富士が鎮座していました。

古墳と想定される塚を利用して築山されたようです。

地元では「おふじさん」と呼ばれて親しまれているそうです。

場所はこじんまりとしていますが、6/30、7/1の大祭(山開き)は沢山のテントが出て店が並ぶそうです。

小高い丘でも山開きというのはいいですね。

都心でも神社仏閣のある場所には大木が茂っていていいですね。

スダジイは暖地性の照葉樹林で福島県から台湾の見える与那国島まで日本の暖かい場所ならどこにでも見られる木です。

伊豆半島になんか冬旅行するとクス、タブの木、ツバキなどの常緑樹が山一杯に覆いかぶさっています。

紅葉する木も美しいですが陽ざしを浴びた暖かそうな常緑樹と沖を流れる紺碧の黒潮、白い灯台でもあればなおさら素晴らしい景色です。

砂漠などは原油が出て儲かっていても緑は少なそう。地球って公平にできていますね。

人間の歴史は森や林をみるとすぐにぶった切って宅地や農地にしますが将来のためにも緑を残したいですよね。

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東京日和(平塚神社)

2020年02月16日 | 日記

春節も終わってたまたま日本に来ていた中国の人たちも帰国して少しは落ち着くかと思っていました。

しかし国内ではコロナウイルスの騒ぎは収まりそうもありませんがちょこっと出かけてみました。

京浜東北線の上中里駅です。生まれて初めて下車しました。

高崎線や宇都宮線・京浜東北線を利用することは結構ありますがあまり存在感のない駅ですね。

京浜東北線の北行に乗って山手線と別れる田端駅から一つ目です。

駅を降りると「蝉坂」の案内がありました。東京はどこに行っても坂の多い街です。うしろに新幹線の高架線がみえます。

平塚神社のかたわわらに30~40間の坂あり、六阿弥陀第三札所無量寺に続くとなっています。

さて今日の目的地、平塚神社の参道が見えてきました。

東京にあっても静かです。歩いていてもウイルスの心配はなさそうです。

お水舎も手を洗った後はふたを閉められるようになっていました。

平塚神社は平安後期に八幡太郎源義家公(源頼朝・義経の先祖)が奥州征伐の凱旋途中にこの地を訪れ領主の豊島太郎近義に鎧一領を下賜したのが始まりです。その鎧を埋めて塚を築き自分の城の鎮守としました。塚は甲冑塚と呼ばれ高さがないために平塚と呼ばれたそうです。

そんなことより平塚神社といえば内田康夫の浅見光彦シリーズですよね。前にある平塚亭の団子とともにファンにはおなじみです。

内田さんは北区西ヶ原に住んでいたのでこの辺がかなり舞台になっています。

北区役所の第一庁舎1階のロビーに行くと浅見光彦の住民票が500円で販売していたので記念に購入しました。

他人の事実証明をとるので浅見光彦の委任状とか行政書士の証明書が必要かと思いましたが何もいりませんでした。

内田さんは1980年「死者の木霊」でデビューしましたがその時は自費出版だったそうです。

驚いてしまいますね。ある程度有名にならないとなかなか相手にしてくれないのかもしれません。

実はご隠居も100万円も使って自費出版したことがありますが未だにまったく有名になっていません。

こうしてみると北区は意外にみるべきところの多い観光地ですね。

以前に写真教室で出かけた旧古川庭園(当ブログで紹介済みです)もここからすぐです。

テレビでおなじみ平塚亭です。

浅見光彦ばかりでなく「おかしな刑事」の舞台にもなっています。

伊東四朗と羽田美智子が団子をおいしそうに赤い毛氈の縁台座って食べているシーンがありますがここは販売しているだけです。

別の場所で撮影しているみたいです。

中に入ってみましょう

内田康夫さんのサインやドラマに出演した人々の写真がありました。

みたらし団子 140円、豆大福も有名なんですと女主人が言ってました。160円

添加物が全然入っていないようでその日のうちに食べないと固くなってしまいました。

それにしても内田康夫さんの作品は次から次へとドラマになるので本を買って読む気になれませんでした。

83歳(2018年)で亡くなるまでどれくらいの小説を書いたのでしょうか。そしてご隠居みたいな暇な老人をTVで楽しませてくれました。

せっかくここまで来たので帰りに本屋さんによって並んでいたなかの一冊を買ってきました。

もしかしたらテレビで見たかもしれないと思って読み始めましたが途中までは記憶にはありません。もっとも最近はすぐに忘れれからなぁ。

昔、高橋治の「風の盆恋歌」という恋愛小説が結構よかったのを思い出しました。

これも内容はすべて忘れましたがあのころから富山県八尾町の「風の盆」祭りが有名になりました。

越中おわら節,三味線の音色、幽玄の世界、夜更けの町をしんみり流していく、賑やかで明るい阿波踊りと正反対のお祭りみたいです。

最近は9月の3日間で20万人もの人が観光バスや電車で山間の町に押し寄せるそうです。

ご隠居の友人が行ったときはかき氷一杯食べるのも大変で二度と行きたくないと言ってました。

ほとんどの人は富山市内や宇奈月温泉温泉などからやってきて2,3時間で帰るので早朝の時間の雰囲気の良さがわからないとか。

平塚亭の並びにある独立法人国立印刷局東京工場の前に来ました。

祝日だったので休みです。インターネットで予約しておけば工場見学もできます。

刷ったばかり一万円札が段ボールに詰め込まれ廊下に所狭しと積んであるかもしれない。そんなことあるわけないかな。

大阪で花見ごろになると通り抜けで有名なのは独立法人造幣局というみたいですよ。コインが中心です。

どっちにしろ官僚の天下り先に組織を変えて退職金あっちこっちでもらってあるいているのでしょう。

単なる印刷している人たちは財務省だろうが独立法人だろうがどうでもいいんじゃないでしょうか。

さてこの後はTVでもお馴染みの「十条銀座」に行ってみました。次回にね。

 

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千葉さんぽ(旧生浜町役場)

2020年02月09日 | 日記

暖冬だった今年ですが急に関東地方も寒くなりました。

そのうえ新型ウイルスも心配で人ごみの中に出るのがこわいですね。

ぶつぶつ言いながら市内の小さなスポットに行ってみました。

旧生浜町役場です。

昭和8年8月竣工です。

木造二階建て洋風建築で主屋根がフランス風瓦葺きの市内では数少ない昭和初期の洋風建築物の一つだそうです。

玄関ポーチの上のバルコニーは明治初期から大正期にかけて建てられた郡役所建築によくみられる擬西洋意匠表現をもち、旧生浜町役場の外観を象徴的に飾っているとのことです。

昭和8年、これから8年たつと太平洋戦争が始まるわけですが財政的にまだ余裕があったのですかね。

中に入ってみましょう。

昔は事務所に使用していた場所です。

漁業資料展が展示してありました。

2階に上がってみましょう。

議会室です。質素そうに見えますが当時としては最先端なものなのでしょうか。

現在よりも真面目に議論していたのではないのでしょうか。言論の自由はどうだったでしょうか。

窓から外を覗いてみました。

内房線が浜野駅に向かって走っていきました。

生実は平安時代末期に千葉氏が南生実に小弓城を築き重臣原氏が居城しました。

江戸時代には森川氏が寛永年間から明治の廃藩置県まで、領地替えも受けずに長い間、1万石の生実藩主として存続し生実に陣屋を置きました。

東京湾に面してのどかな田園地帯が続いていたのでしょうか。

かつてリビングの議員控室。

日本も戦前から戦後の長い間、物を大事にしていた時代が続いていたと思います。それから一転して・・・

最近の住宅会社のCMを見ていると本当に近代的になり、とくにリビングルームは素晴らしくなりました。

ご隠居の居間などはゴミだらけの空間でお茶でも飲んでいるような感じですが、最近のリビングは中二階になっていたりして下で子供たちが遊び、それを見ながら上でお酒でも飲むという感じがいいですね。

いつまでも平和で楽しい家庭が続くといいですね。

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2020/2月

2020年02月02日 | 日記

早くも令和2年も2月になってしまいましたね。

3日は節分、4日は立春です。暖冬なので春は近いかな?

ご隠居の近所も老人ばかりで豆まきの子供の声など聞こえなくなって久しいです。

ご隠居だけは何十年も夜になると大声出して「鬼は外」などと喚いているのでまた馬鹿が騒いでいるなと囁かれて居ます。

でも釈尊が「鬼だって殺したらかわいそうだ。せいぜい豆巻いて追っ払う程度にしておけ」という話が大好きです。

成田さんもさすがに2月になれば少し余裕ができてみんなの願い事良く聞いてくれるかもしれません。

新しい年が始まってまずは中国発の新型ウイルスにはうんざりしましたが徳勝龍の優勝にはほっこりしましたね。

幕尻優勝で歓喜の賜杯。「もうじゃない、まだ33歳」日本の力士では最高齢。記録ずくめです。

会社人生でも個人商店でも真面目にコツコツ長くやっていても日の目を浴びることなく定年を迎えたり店を閉じたりする人がほとんどではないでしょうか。一度でも大きな注目を集められてうらやましいなと思います。

ご隠居といえばもともとすぐに投げ出してしまうほうなので成功を勝ち取るのは無理だと思っていました。

墓標には「人生において一度も燃え尽きたことのなかった男ここに眠る」と書きたい。

もっとも墓もいらないかな!桜の木の下にでも埋めてもらいたい。

待つ人の もとへ出ていく 列車あり 待つ人ありて 来る列車あり

(朝日花壇 館林市 阿部芳夫さんの作品))

電車の駅ばかりではなく高速バスやフェリー乗り場、空港。

出発や到着にする場所は華やかでいいですよね。

今年もできれば電車を乗り継いで、途中駅で立ち食いソバでも食べながら遠くの空を眺めたい。

到着駅ではバスの行き方がわからなくて観光協会のお姉さんに訊いたりバスの便が悪くてタクシーに乗ったら地元の運転手さんがものすごく親切で良かったなどと旅をしたいですね。露天風呂に入ったり駅前ビジネスホテルで朝食をとったりしながら。

でも今年も無理かな?

横山秀夫さんの作品をひさしぶりでよみました。

群馬県の方で新聞記者をやっていたんですよね。「半落ち」がよかった。

今回の作品の「ノースライト」は住宅で北側から入る日差しのことです。

さて何を意味しているのでしょうか。

それにしても一冊本を完成させるのにはたくさんの文献をあさって、まったく違ったジャンルでも書き上げられるのかなと感心します。

ミステリーですが殺人事件ではないんですよ。

昔ご隠居もシナリオライターの学校になんか通ったことがありますが他人を感心させる文章を書くには大変なことだな今頃感じています。

とかなんとか毎日ぶつぶつ言いながら今年も時間は容赦なく過ぎていきそうです。

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