久しぶりに奥の細道です。
当ブログはやっぱり旅行の話がすわりがいいようです。
東北新幹線を一関駅で降りました。
一関市はピカチュウが沢山出るそうです。
大船渡線はPOKEMON with YOUトレイン が出ていて列車全部がピカチュウで列車の中でもピカチュウが大発生するそうです。
更に在来線を乗り継いで北を目指します。
芭蕉一行は5月12日(陽暦6月28日)の夕方一関に着きましたが「合羽モトオル」ほどの大雨に見舞われてよく3日に平泉藤原三代の跡を訪ねたようです。
一関駅からは15分ほどで平泉駅に到着です。
右側の駅名は今東光さんの筆跡だそうです。
駅前を見渡して見ましょう。電柱もなく整然とした街並みになっています。
世界遺産に登録されるにあたっては町並みをを整備しなくてはいけないので相当の予算を使ったそうです。
収入を増やすには出費も増えます。
ご隠居でも2,3か月仕事もあって売上増えたなぁと思っていると車ぶつけたり自宅の雨どいが壊れたり予期せぬ(売上原価と関係ない)出費に迫られることがあります。
沢山稼いで出費も多いか、こじんまり仕事して消費を少なくするかどっちがいいのでしょうか。
ご隠居的にはこじんまり仕事して質素に暮らす方がストレスもたまらなくていいのですがみんなはどっちかな?
現地に来る前に地図を見ていたら駅前に「芭蕉館」と書いてあるので資料館かと思っていましたが単なるレストランでした。
いつも食事に関しては下調べをしてこないので昼も過ぎていたのでぶらりと入りました。
岩手に来てすぐですが早速わんこそばを注文してしまいました。岩手です。
おばちゃんがホイホイといれてくれるのではなくもうお椀に小分けしてありました。
味は・・・・・・・・・ふだんわんこそばを食することもないので何とも言えません。
さて店を出て広場を右折して中尊寺通りから踏切を渡ると「伽羅御所入り口」の標柱がありますが何もないとのことで先を急ぎます。
次に柳御所遺跡という標柱がありました。広大な広場です。
その先は北上川が流れています。
初代清衡が平泉に進出して最初に居館をかまえたところで「吾妻鏡」にも記されています。
更に行くと高館義経堂(たかだちぎけいどう)です。
早速入山しましょう。
階段を上ると北上川の雄大な流れが見えます。
新幹線であっという間にここまでやって来て芭蕉が訪れた当時とあまり変わらない風景が見えます。
芭蕉は日光、松島、平泉、出羽三山など特に思入れが強く書かれているようです。
芭蕉ファンも多いのでこのへんでうっかりへらへら軽い文章を書くと怒られそうですので嵐山光三郎さんの文章でも。
川向こうに見えるのは束稲山(たばしねやま)か?芭蕉もここから衣川を見てこの山も目に入ったと思いますが本文には触れていません。
単なる旅行記ではないので義経滅亡(世の儚さ)のことに集中させるためでしょうか。
上流方面です。
藤原秀衡は兄頼朝に追われて逃げてきた義経を衣川の館とも言われたここに住まわせあつくもてなしました。
しかし頼朝の威圧に畏れた四代泰衡は父秀衡の命に背いて義経を襲いました。
最後までお供をした弁慶(の立往生)をはじめ鈴木重家など10騎は獅子奮迅の戦いでした。
1189年4月30日31歳にて妻子とともに果てるのでした。
義経は稀代な英雄だったがために頼朝の取り巻きなどにはけむたがれましたがいい部下を持っていましたよね。
嵐山光三郎さんです。
奥の細道本文そのままの風景が眼前にあるのだ。これ以上の説明はいらぬ。
私は、この部分を序章ともども暗記していて、傘にパラパラとかかる雨音を聞きながら反芻した。
雨にけぶる夏草の原には、かつて15万人の藤原氏の都人が住んでいた。
頭の中でこの一節を繰り返しつつも寂として声は出ない。
義経主従や藤原三代の栄華は、生い茂る草の中に夢のように消えてしまい、芭蕉の目には山川草木の中に宿り、ただ無常の風が吹くばかりなのだ。
義経堂がありました。
木像の義経像が祀られていました。さらに近づいて堂内の写真を撮るのも失礼かと思い止めました。撮影禁止とは書いてありませんでした。
義経堂の向かい側に「平泉芭蕉祭記念句碑」がりました。
「夏草や 兵共か 夢の跡」
平泉(前半部分)
三代の栄光一睡の中(うち)にして大門の跡は一里こなたにあり。
秀衡の跡は田野になりて金鶏山のみを残す。
まづ高館に上れば、北上川、南部より流るる大河なり。衣川は和泉が城を巡りて高館の下にて大河に落ちいる。
泰衡が旧跡は衣が関を隔てて南部口をさし固め夷をふせぐと見えたり。
さても義臣すぐつてこの城にこもり、功名一時の叢となる。
「国破れて山河あり、城春にして草青みたり」と笠うち敷きて、時の移るまで涙を落しはべりぬ。
夏草や 兵(つわもの)どもが 夢の跡
その昔義経主従が奮戦したが儚くも一場の夢と消えた廃墟。
その廃墟の上には夏草が茫々と生い茂り人生の刹那の興亡と夢を象徴しているようです。