ななきたのご隠居~野崎 幸治

千葉市美浜区で行政書士をしています。
地元では「ななきた(磯辺7丁目北自治会)のご隠居」と言われています。

僕の細道旅行譚(厳美渓)

2018年05月30日 | 旅行

一関駅からバスで厳美渓にやって来ました。

満開の桜と雪解け水の渓谷の美しい観光地です。(今回はもう桜は終わってしまいました)

まずは御覧場橋からみる景色です。

ここから上流の天工橋を眺める景色が素晴らしい。

天工橋です。

下流はこの辺からゆったりとした眺めになります。

厳美渓のバス停のある付近が中心です。景色もこの辺が最高です。

ただ残念なことは流れが速いのでご隠居の好きな舟下りがないことです。

太古の時代、栗駒山の噴火でつくられた石英安西岩質溶結凝灰岩が浸食されてできた自然の芸術。

ブラタモリがきたらうまく説明してくれるかもしれません。

名物空飛だんごです(郭公だんご)

ほとんど台湾からの観光客でした。むこうではかなり有名みたいです。

東屋からかごの中にお金を入れます。

木づちで板をたたきます。かなり大きな音です。店の方にケーブルが行きます。

かごにおだんごとお茶が入っています。(お釣りがあればいっしょに入ってきます)

カップの中にお茶が入っていますがこぼれていないのがノウハウかな。

五星紅旗の旗が揚がっていました。

天工橋を渡って向こう側に行けば中でゆっくり食べることもできますがこの雰囲気がいいのでしょうかね。

旅に出ている気分。とくに海外旅行にはいい思い出かな。

厳美渓を眺めながらいただきましょうね。

 

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奥の細道旅行譚(毛越寺)

2018年05月25日 | 旅行

毛越寺(もうつうじ)にやって来ました。

平泉駅をでて反時計回りに歩いてきましたが毛越寺は駅からまっすぐに歩くと10分ぐらいです。

毛越寺入り口が見えてきました。

右側には観自在王院跡の広大な史跡公園が目に入ります。

観自在王院は二代基衡の妻が建立した寺院で阿弥陀堂が池に臨んで建てられていたそうです。

安倍昭恵さんもくだらない小学校を作るのなんかに奔走しないで立派なお寺でも建てたら如何ですかね。

現在は建物は失われてしまい今は遺跡が修復されている最中です。

陸奥の片田舎と言っては失礼ですが広大な建造物がその当時あったのですね。

そんな藤原一族が新興勢力の頼朝に滅ぼされたのは何がいけなかったのでしょうか。

ご隠居は歴史に疎いのでよくわかりません。

早速中に入ってみましょう。

毛越寺本堂

奥州藤原氏二代基衡、三代秀衡が造営しました。

当時の伽藍は中尊寺を凌ぐと言われていましたがご多分に漏れずすべて焼失してしまいました。もったいない!

裏手に回って大泉が池を廻りましょう。

850年に慈覚大師がこの地にさしかかると一面霧に覆われて一歩も進めなくなりました。

なんとか先に進むと白鹿がうずくまっていました。大師が近づくと白鹿は姿を消し白髪の老人が現れました。

この老人は「この地に堂宇を建立して霊場にせよ」と告げました。

大師はこの老人が薬師如来の化身と感じ一宇の堂を建立したのが寺の起こりだそうです。

大泉が池は平安時代の浄土庭園を今に伝えています。

汀には洲浜、荒磯、築山などの海浜の景趣が配されています。

ご隠居は功徳を積んでいないので極楽浄土に行けないかもしれません。

遣水

山水を池に取り入れるための水路。

谷川を流れ下り更に蛇行しながらゆったりと平野を流れる川の姿を表現しています。

でもあの世に行って毎朝読経をした後こんな池のほとりで鶯の声でも聞きながらうつらうつらしていたらいいですね。

時には下着の見えるような絹衣をまとった美女がお酌してくれたりして。ドヒャー。

ご隠居はまぁこの世でしぶとく長生きしそうだよね。

おばちゃんは大泉が池を見ながら何を考えているのかな。

開山堂

慈覚大師をお祀りしています。

常行堂。

極楽浄土のような池をひと回りしました。

がやっぱりまだこの世で飲んだり食ったりしていたいなと思いました。

 

さてさて芭蕉一行は毛越寺には寄らずに南下して岩手山から尿前の関に進みました。

当ブログではこの先酒田までは掲載済みです。次は象潟からですが・・・・。

せっかく陸奥にいるのでさらに北をめざ、しご隠居が勝手に行く「僕の細道旅潭」です。

次回は厳美渓です。

 

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奥の細道旅行譚(中尊寺金色堂)

2018年05月22日 | 旅行

さて中尊寺金色堂です。

芭蕉は奥の細道でもっとも期待していた場所の一つです。厳かな気持ちで歩きました。

平成23年「平泉一仏国土(浄土)を表わす建築・庭園および考古学的遺産群ー」として世界遺産委登録されました。

金色堂新覆堂(おおいどう)

観光ポスターや旅行雑誌どれを見てもここからのアングルになってしまいますね。

昭和37年から7年間の解体修理が行われました。旧覆堂からこちらに移し、中には金色堂がガラススクリーンで覆われて空調設備の整った環境です。

せっかくの世界遺産です。ご隠居もどさくさに紛れて一枚!

さて中に入ってみましょう。

ここからは撮影禁止なのでパンフレットで我慢してください。

薄暗い場内に入るとガラスケースの中で輝いています。

いやぁ・・・・・・・・素晴らしい。

おもわず

五月雨の 降り残してや 光堂

        です。

4本の巻柱に長押、白く光る夜光貝の細工、透かし彫りの金具、漆の蒔絵と工芸技術を結集して荘厳さを醸し出しています。

仏像は須弥壇の上にご本尊の阿弥陀如来、その前に観音菩薩と勢至菩薩、左右に地蔵菩薩、そして持国天と増長天が邪鬼の形相でこの世の仏界を守護している形になっています。

嵐山光三郎さんは

光堂をたたえつつも芭蕉は「五月雨を降りのこしている・・・・」という感慨を詠みきった。覆堂があるのだから、もとより五月雨が降りかかることはないのに、あえてそうほめそやしたのである。

ということは、芭蕉は五月雨が降り注ぎ金箔がはげおちて朽ち果てた光堂を幻視していたことになる。

そこにいる客は嘆声をあげて金色堂の須弥壇の前に立ち、ただ茫然と口を開けているばかりだ。

が、嘆声はやがて無常の溜息となって行くのだ。

「五月雨の・・・」の句碑が、訪れる者の詠嘆を見さだめるように金色堂のわきで雨に濡れている。

覆堂も手前に標柱を入れるといい写真になったんですね。今から行けないから残念です。

さあ感激を胸に外に出ました。

経蔵

「中尊寺経」を納められていたお堂。

真紅に色づいたいろはもみじが降りしきるころが見頃だそうで、境内一の秋光です。

煌びやかな金色堂と比べて侘び、寂の世界がまた素晴らしそうです。

金色堂旧覆堂。鞘堂(さやどう)ともいいます。

かつてはこの中に金色堂があり風雪から護っていたそうです。

もちろん松尾芭蕉もこの薄暗い中に入り参拝しました。

うっすらと光が差し込む堂内で燦然と輝く仏像群を見た芭蕉はどんな感想だったのでしょうか。

ご隠居のような凡人には見当もつきません。

芭蕉と奥の細道句碑

中尊寺の北方鎮守、白山神社内には能舞台があります。

5月4日・5日は白山神社の祭礼で古実式三番と御神事能が行われます。

山全体がおごそかです。

鯉のぼりがだれています。かなり降りてきました。

もうすぐ端午の節句かと思い(4月27日の旅)俗世界に戻った気分です。

次は毛越寺です。

 

平泉(後半部分)

かねて耳驚かしたる二堂開帳す。

(かねてから壮麗さを話に聞いて驚嘆していた中尊寺の二堂を開帳する)

経堂は三将の像を残し、光堂は三代の棺を納め、三尊の仏を安置す。

(経堂は藤原三代の像をとどめ、光堂は棺を納め、弥陀三尊を安置してある)

七宝散り失せて、珠の扉は破れ、金の柱霜雪に朽ちて、すでに頽廃(たいはい)空虚の叢となるべきを、四面新たに囲みて、甍を覆ひて風雨を凌ぎしばらく千載の記念とはなれり。

(絢爛豪華な七宝も消え失せ、珠玉を散りばめた扉は損壊し、金色の巻柱積年の霜雪のため腐朽してもうすこしのところで廃墟になる所だった。

堂の四面を新たに囲み、上から屋根を覆って風雨を凌いだ。こうしてはかない現世におけるかりそめの間ながらなお千古の記念となっている)

五月雨の(さみだれの) 降り残してや 光堂

(この寺の建てられた以降、500年にわたって年々降り続いた五月雨も、ここだけは降り残したのか、五月雨けむる空のもとで、光堂は毅然と輝いてかつての栄光を偲ばせている)

 

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奥の細道旅行譚(中尊寺)

2018年05月18日 | 旅行

それでは義経堂から東北線の踏切を渡ってまず平泉文化遺産センターに行ってみました。

今どき入場無料です。太っ腹!

受付では綺麗なお姉さんが待っていてくれてパンフレットをいただきました。

おまけにご隠居の好きなスタンプまでありました。

史蹟を訪れる前に見学した方がいいようです。

奥州藤原氏を中心に平泉の歴史をわかりやすく展示してあります。

無料だからゴマするわけではありませんが必見です。

それではいよいよ中尊寺です。世界遺産。

弁慶の墓といわれています。

桜が少し残っていました。

日本の大きな神社仏閣の門前はどこも似ていますね。

蕎麦屋があり、田楽にビールやっぱり腹ごしらえですね。

表参道月見坂を上って行きます。かなりきつい。

樹齢300年~400年の杉並木です。

あえぎながら写真を撮って後で見たらぶれていました。しょうがねぇなあ。

パンフレットの冬の月見坂を借用。

東物見台

右に北上川が見えます。そして衣川が左手より合流します。

平安初期までは衣川以北は中央政府の支配が及ばない「外地」でこの川が内なる境界となっていました。

奥の細道にも「泰衡らが旧跡は、衣が関を隔てて南部口をさし固め、夷を防ぐと見えたり」と書いてあります。

(北の関門南部口を堅く守り、蝦夷の侵入を防ぐ形に見える)

西行法師が平泉を訪れて一句詠んでいます。

「ききもせず 束稲(たばしね)やまの さくら花 よし野のほかに かかるべしとは」

昔は束稲山は吉野の桜のように綺麗だったみたいですね。

 そろそろ本堂も近いようです。

弁慶堂

堂内には義経・弁慶の木像が祀られています。

ちょっと奥まった場所にあり息も切れていたので入り口で写真を撮って退散です。老人です。

やっと中尊寺本坊正門に辿りつきました。いやいやいや。

山門の入り口でのどが渇いていたのでビール飲んだのがいけなかった。お参りする前に酒飲むバカいないよね。

顔もついでに洗っておくかな。そんなことすると罰が当たるかも。

本堂。中尊寺というのはこの山全体の総称です。

本寺である中尊寺と山内17ケ院の支院で構成されています。

本尊の釈迦如来。高さ2.7m。天台宗東北大本山です。

団体で参拝していたグループのガイドさんが写真は自由ですのでお顔を美しく撮ってあげてください言っていたのでご隠居も便乗して一枚パチリ。

夕方だったので参拝客もまばらです。

遠くに出かけると現地に着くのは昼過ぎ。ハイライトは夕方というパターンが多いようです。

本堂から金色堂に向かう途中にある不動堂。中尊寺の祈祷道場。もちろんご本尊は不動明王です。

この世に生きる私たちの過ちを直し、苦悩を取り除いてくれるご尊体です。あまり深刻な苦悩はないけど反省すべき過ちは多い。

商売繁昌厄除け祈願などわが県、千葉の新勝寺と(成田山)同じようなので参拝省略。

この先いよいよ金色堂です。

一回で紹介するのはもったいないので次回にします。

相変わらずせこいね。

 

 

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奥の細道旅行譚(平泉・高舘義経堂)

2018年05月12日 | 旅行

久しぶりに奥の細道です。

当ブログはやっぱり旅行の話がすわりがいいようです。

東北新幹線を一関駅で降りました。

一関市はピカチュウが沢山出るそうです。

大船渡線はPOKEMON with  YOUトレイン が出ていて列車全部がピカチュウで列車の中でもピカチュウが大発生するそうです。

更に在来線を乗り継いで北を目指します。

芭蕉一行は5月12日(陽暦6月28日)の夕方一関に着きましたが「合羽モトオル」ほどの大雨に見舞われてよく3日に平泉藤原三代の跡を訪ねたようです。

一関駅からは15分ほどで平泉駅に到着です。

右側の駅名は今東光さんの筆跡だそうです。

 

駅前を見渡して見ましょう。電柱もなく整然とした街並みになっています。

世界遺産に登録されるにあたっては町並みをを整備しなくてはいけないので相当の予算を使ったそうです。

収入を増やすには出費も増えます。

ご隠居でも2,3か月仕事もあって売上増えたなぁと思っていると車ぶつけたり自宅の雨どいが壊れたり予期せぬ(売上原価と関係ない)出費に迫られることがあります。

沢山稼いで出費も多いか、こじんまり仕事して消費を少なくするかどっちがいいのでしょうか。

ご隠居的にはこじんまり仕事して質素に暮らす方がストレスもたまらなくていいのですがみんなはどっちかな?

現地に来る前に地図を見ていたら駅前に「芭蕉館」と書いてあるので資料館かと思っていましたが単なるレストランでした。

いつも食事に関しては下調べをしてこないので昼も過ぎていたのでぶらりと入りました。

岩手に来てすぐですが早速わんこそばを注文してしまいました。岩手です。

おばちゃんがホイホイといれてくれるのではなくもうお椀に小分けしてありました。

味は・・・・・・・・・ふだんわんこそばを食することもないので何とも言えません。

 

さて店を出て広場を右折して中尊寺通りから踏切を渡ると「伽羅御所入り口」の標柱がありますが何もないとのことで先を急ぎます。

 

次に柳御所遺跡という標柱がありました。広大な広場です。

その先は北上川が流れています。

初代清衡が平泉に進出して最初に居館をかまえたところで「吾妻鏡」にも記されています。

更に行くと高館義経堂(たかだちぎけいどう)です。

早速入山しましょう。

階段を上ると北上川の雄大な流れが見えます。

新幹線であっという間にここまでやって来て芭蕉が訪れた当時とあまり変わらない風景が見えます。

芭蕉は日光、松島、平泉、出羽三山など特に思入れが強く書かれているようです。

芭蕉ファンも多いのでこのへんでうっかりへらへら軽い文章を書くと怒られそうですので嵐山光三郎さんの文章でも。

川向こうに見えるのは束稲山(たばしねやま)か?芭蕉もここから衣川を見てこの山も目に入ったと思いますが本文には触れていません。

単なる旅行記ではないので義経滅亡(世の儚さ)のことに集中させるためでしょうか。

上流方面です。

藤原秀衡は兄頼朝に追われて逃げてきた義経を衣川の館とも言われたここに住まわせあつくもてなしました。

しかし頼朝の威圧に畏れた四代泰衡は父秀衡の命に背いて義経を襲いました。

最後までお供をした弁慶(の立往生)をはじめ鈴木重家など10騎は獅子奮迅の戦いでした。

1189年4月30日31歳にて妻子とともに果てるのでした。

義経は稀代な英雄だったがために頼朝の取り巻きなどにはけむたがれましたがいい部下を持っていましたよね。

嵐山光三郎さんです。

奥の細道本文そのままの風景が眼前にあるのだ。これ以上の説明はいらぬ。

私は、この部分を序章ともども暗記していて、傘にパラパラとかかる雨音を聞きながら反芻した。

雨にけぶる夏草の原には、かつて15万人の藤原氏の都人が住んでいた。

頭の中でこの一節を繰り返しつつも寂として声は出ない。

義経主従や藤原三代の栄華は、生い茂る草の中に夢のように消えてしまい、芭蕉の目には山川草木の中に宿り、ただ無常の風が吹くばかりなのだ。

義経堂がありました。

木像の義経像が祀られていました。さらに近づいて堂内の写真を撮るのも失礼かと思い止めました。撮影禁止とは書いてありませんでした。

義経堂の向かい側に「平泉芭蕉祭記念句碑」がりました。

「夏草や 兵共か 夢の跡」

 

平泉(前半部分)

三代の栄光一睡の中(うち)にして大門の跡は一里こなたにあり。

秀衡の跡は田野になりて金鶏山のみを残す。

まづ高館に上れば、北上川、南部より流るる大河なり。衣川は和泉が城を巡りて高館の下にて大河に落ちいる。

泰衡が旧跡は衣が関を隔てて南部口をさし固め夷をふせぐと見えたり。

さても義臣すぐつてこの城にこもり、功名一時の叢となる。

「国破れて山河あり、城春にして草青みたり」と笠うち敷きて、時の移るまで涙を落しはべりぬ。

 

夏草や 兵(つわもの)どもが 夢の跡

その昔義経主従が奮戦したが儚くも一場の夢と消えた廃墟。

その廃墟の上には夏草が茫々と生い茂り人生の刹那の興亡と夢を象徴しているようです。

 

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家族信託の続き

2018年05月06日 | 行政書士のお仕事

記録的暑さの2018年GWも最終日となりました。

楽しい思い出たくさん作ったでしょうか?ご隠居は自宅の塀が壊れたりして連休後半はリホームに奔走していました。

 

前回成年後見制度の話をして、引き続き家族信託契約の事を書こうかと思いましたがあれやこれやで時間が経ちやる気が無くなったので簡単に紹介します。

平成19年、信託法が改正施行され新しくなり民事信託(家族信託)利用しやすくなりました。

委任者(遺言者)→受託者(親族、専門職) ←信託事務処理代行者

(信託財産)           ↓            (信託監督人)

            受益者     (受益者代理人)

信託は公正証書で設定する。

任意後見制度を超える役割を果たすこと。当然本人の意思能力は必要です。

金融機関に特殊な信託口座を開設する。

つまり信託財産は信託の設定により委託者からも受託者からもさらには受益者からも独立した誰のものでもない財産となります。

受益者(誰のためにか)

認知症の配偶者など高齢者

未成年の子

無計画で消費癖の強い子や配偶者

後添えの配偶者や内縁の妻(夫) など考えられます。

受託者(信託事務を処理する人)

基本的には親族

「信託の引き受けを業(営利の目的で反復継続)として行う者」は「免許を受けた信託会社」

法人受託者(一般社団法人等)は幅広く活用できる。

ただし株式会社を受託者とするような「営利を目的としない信託の受託者」などあり得ない。

信託の目的

受託者が何をするべきか事務処理の指針及び基準となる「特定された信託の目的」

例えば後見的財産管理型の信託・・・受益者の「安定した生活の支援と福祉の確保」など

信託の終了

残余財産は信託行為に定める(課税のことなど考慮して)

残余財産受託者、帰属権利者に給付されるのが民事信託の原則です。

その他

信託口座の開設に当たっては金融機関の求める要件条項が厳しくチェックされます。

〇〇条 受託者はその自由な判断により受益者を変更する権限を有する・・・・などと言うのは不可でしょうね。

 

家族信託について簡単に紹介してみようと思いましたがブログに載せるような話ではないことが分かりました。

日本加除出版社 「新しい家族信託」遠藤英嗣著などに詳しく載っています。

 

さあ明日は月曜日、連休明けの疲れもあるでしょうが一週間頑張って仕事をしましょうね。

5月6日  2018年GW最終日磯辺にて

 

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2018/5月

2018年05月01日 | 日記

5月になりました。

毎年同じことを書いていますが列島では一番気候のよい時期でしょうか。

5日には菖蒲湯にでも、陽の高いうちに入って湯上りにはビールに初ガツオがいいですね。

さて世の中を騒がせていた松山刑務所、今治造船所内にいた脱獄犯がようやく捕まりました。

「刑務所内での人間関係が嫌になった」との動機にはおもわず笑ってしまいました。刑務所でもそれなりに大変なんだと思いました。

人間生きていると小学校には行った時からいじめに遭遇したり会社に入っても、挙句の果てには老人ホームに入ってまで人間関係に悩むそうです。

人間は一人で生きていくと淋しいのに集団になるとおかしくなります。

ご隠居は嫌になったらやめちまえばいいからあまり人間関係には悩まないなぁと言ったら「お前がまわりにストレス与えているんじゃねぇか」と友人にやり返されました。

確かにマイペースで生きている人にはまわりが見えないことがあるかもしれません。反省しよう。

 

ふる里の 古き鉄路よ さび色は 彼方へつづき 蒲公英(たんぽぽ)の花咲く

(朝日歌壇 逗子市 織立敏博さんの作品)

地方に旅するとレールに覆いかぶさる程雑草が茂っているのを見ます。

昔は除草剤など几帳面にまいていましたが採算が合わないのか人手不足かちょっと淋しい。

でもまっすぐなレールが遥か彼方の山々に向かって延びていきやがて青空と一体になる景色もいいものです。

 

新緑、爽やかな風、木漏れ日の美しさ、一年に一度の美しい5月を楽しみましょう。

 

さて今春オープンした東京ミッドタウン日比谷に行ってみました。

三井不動産はあっちこっちにミッドタウンを作っているけど繁昌しているのかな?

有楽町駅から歩いて2,3分です。近所のスバル座はロードショウの発祥の地だそうです。

最近はどこの映画館でも画面も音響も素晴らしいが高校、大学生の頃はやっぱりいい映画を日比谷で見たのが印象に残っています。

休日なのでイベントが広場で開催されていました。

早速中に入ってみましょう。汚い格好していますがつまみ出されることもないでしょう。

エスカレータもすごい混雑でしたよ。

4階が映画館のフロアーになっていました。

昔のことで笑われますが角に三井銀行の本店があってその裏側に映画館がいくつも並んでいて映画が終わると外階段をがらがら降りてきて喫茶店にでも入り名作の余韻に浸るというパターンでした。

昔のこと言っていてもくだらないから6階のパークビューガーデンに行ってみましょう。

外堀が良く見えます。

空中庭園になっています。

空を見上げてみました。

東京には最近こういった類の複合施設が沢山出来ていますが似たり寄ったりの感じです。

結局牛丼屋さんで昼でも食べたと思うでしょう。外れ!今回は3Fで、ある店に入りましたがたいしたことなかったのであえて書きません。

外に出てみました。

新緑が美しくなっていました。東京の5月です。

ちょっと日比谷公園にも寄ってみました。

公園側から見たパーク7ビューガーデンです。

さぁ今月も心地よい風に吹かれて人生を楽しみましょうね!

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