それでは白河の関に行ってみましょう。
芭蕉一行は陽暦6月7日に訪れています。
白河駅前より関のある白河関の森公園行きのバスは一日2本です。
10:10 13:40
バス会社はどんなマーケティングで時刻表を作っているのでしょうか?でも廃止になっているよりはましですね。
13;40のバスの時間に合わせて乗車。このバスは終点の公園で1時間位待機して折り返しの最終白河駅行きになるので時間的にもちょうどいいようです。
テレビ東京の「路線バスの旅」なども事前に綿密にスケジュール合わせていて出発前から目的地まで行けるか否かはわかっているのでしょう。
この不便さだから最初から行き当たりばったりなら半分もいけないで番組にならないでしょう。
終点のひとつ前の白河の関バス停下車。きれいに整備された関の跡に着きます。
能因法師が
「みやこをば 霞とともに たちしかど 秋風ぞふく 白河の関」
という和歌が有名ですね。
能因法師は白河には行かず、行ったふりをしてこの歌を残したというのも有名な話です。
自宅で日焼けして旅帰りのふりをしたといいます。昔の人はわかっていても文句つけるようなクレーマーはいなかったのかも。
平兼盛の歌
「便りあらばいかで都に告げやらむけふ白河の関超えぬと」(今日有名な白河の関を超えたので都の知人い知らせたい)
白河神社への参道
それでも芭蕉は本文最初に
「春立てる霞の空に白河の関こえんと・・・・」と楽しみにしていたようです。
また
「古人はこの関をこえるとき、冠を正して衣装を改めた」と言われるぐらい由緒正しい場所だったのでしょう。
この故事から本文で曾良がふざけてはしゃいだ句を残しています。
「古関蹟」の碑
白河の関がどこにあったかは諸説がありました。もちろん芭蕉が来た時もすでに関はありませんでした。
1812年まで白河藩主であった松平定信がこの旗宿(福島県白河市旗宿)の地に白河の古関があったと断定した碑です。
鬱蒼とした森の中神社への階段を上って行きます。
まだ2時ちょっと過ぎです。
矢立の松
源義経が平家追討のため平泉から鎌倉への途中にこの地により戦勝を祈願して松の矢を射たてた場所。
根株しか残っていません。
本殿に出ました。
可愛らしい神社ですがパワーがすごく感じられます。
なんか陸奥(みちのく)だなという感じです。
宮城県に「河北新報社」という新聞があります。
これは「白河から北は一山三文」という言葉に反発してつけたそうです。
それでは境内を通って整備された関の森公園の方に行ってみましょう。
白河神社の境内はカタクリの自生地として知られているそうです。花の見ごろは4月中旬。
カタクリは「かたたご」とも言って大伴家持の歌が有名です。
「物部(もののふ)の八十少女(やそおとめ)らが汲みまがう 寺井の上の堅香子(かたたご)の花」
綺麗に整備された「白河関の森公園」の案内図
御一行様の碑がここにもありました。
この公園が都会の真ん中にあったら素晴らしい緑地なのでしょうが回りを見ても滴り落ちる新緑の山々が取り囲んでいるのでどこまでが公園なのかという感じです。
もっともまわりの風景と一体化されているといえばそのとおり。
気持ちのよい遊歩道になっていて古民家やお土産物屋さんがありました。
公園のロータリに行くとバスの、終点の停留所です。
時間がなかったので走って行くと先ほどのバスの運転手さんがニコニコして「来ないからどうするのかなと思っていた」と声をかけてくれました。
この辺は泊まる所はないですよねと尋ねたところ「見てのとおり旗宿まで行かないと民家もないよ」
タクシーなんか呼んだら金かかるし第一ここまで来てくれるかなと思いました。
奥の細道(白河の関)
心もとなき日数重なるままに、白河の関にかかり旅心定まりぬ。
なんとなく不安な心せかれる日数が過ぎていったが白河の関にかかって落ち着いた気分になった。
「いかで都へ」と便り求めしもことわりなり。
昔、平兼盛がこの関を超えたという感動を京都の人に知らせたいと気持ちもよくわかる。
中にもこの関は三関の一にして、風雅の人、心をとどむ。
都に残してきた人達に感銘を伝えたい場所は沢山あるが白河の関は東国三関のひとつで多くの歌人雅客が残したところです。
秋風を耳に残し、紅葉を俤(おもかげ)にして、青葉の梢なほあわれなり。
あの能因法師の秋風の音を耳朶に残して、頼政が詠んだ紅葉の景色を思い出して、今青葉の梢を仰げば一段と感銘深い。
卯(う)の花の白妙(しろたへ)に、茨の花の咲き添ひて、雪にも超ゆる心地ぞする。
古歌に詠まれた卯の花が真っ白に咲いている。さらに茨の花が白く咲き誇って雪景色の中を超えていくような気がする。
古人冠を正して衣装をあらためしことなど、清助輔の筆にもとどめ置かれしとぞ。
昔、竹田の太夫国之がこの関を超えるにあたって、能因法師の歌に敬意を表して冠を正し衣装を改めたという清輔朝臣の書いたものを書きとどめたとか。
卯の花
「ようやく白河の関にやって来ましたね。4月20日です」
「感動がたかまり、ぐうの音も出ないね」
「そう言わずに能因法師の向こうを張って素晴らしい句でもひねってくださいよ」
「ぼくはね大所高所の人だから昔の秀作と比べられるのは嫌だな」
「いざとなると引っ込み思案なんだから。この翁は!」
「曾良さん!適当に一句詠んでください。奥の細道本文に載せましょう」
「曾良さんの辞書に適当などと言う文言はないとか威張ったりして」
「だいたい能因法師のとっつあんも実際に旅に出ていないんだから捏造文章みたいなものですよ」
「旅行記や事件だってその通り書いていたらちっとも面白くない。編集が大事なんです」
「能書きは多いですね」
「違法ではないが一部不適切なもの でなければいいです。曾良さんですからそんなに立派なものでなくて結構」
「どこか江戸の方で聞いたせりふですね」
卯の花を かざしに関の 晴れ着かな 曾良
(卯の花を頭に飾って関を越えよう。それが責めての晴れ着、私たちなりの敬意の表し方です。着替える服や冠など持たない質素な旅人だから)
「お粗末。穴があったら入りたい」
「穴に入るのはいいけれどその辺の山ん中入って迷子にならないでくださいよ。自衛隊だって捜索してくれませんよ」
「わかっていますよ。こんなこ汚ねぇ爺さん誰も探してくれませんよ。
それにしても函館の男の子の精神力は素晴らしいですね」
「うん。将来は博士か陸軍大将だね」
「言ってることが時代がかっていますね」