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ななきたのご隠居~野崎 幸治

千葉市美浜区で行政書士をしています。
地元では「ななきた(磯辺7丁目北自治会)のご隠居」と言われています。

木曽路を歩く・日本大正村

2014年09月28日 | 旅行

木曽御嶽山が久しぶりに噴火しました。先日出かけた木曽路の宿場町は大丈夫でしょうか。また木曽福島の駅前など混乱しているかもしれません。早く収まってくれることを切に祈ります。

 

さて恵那駅より明知鉄道に乗車して大正ロマンの街として売り出している恵那市明智町に向かいます。

鉄道は明、町名は明です。

明知鉄道明知線は恵那駅より明智駅まで25.1km、2つの峠を越えて日本一急勾配の飯沼駅を過ぎたかと思うとのどかな丘陵地帯が見えてきたりほっこりする車窓です。

明智駅です。中部の駅百選にも入っています。

駅構内には鮮やかなヘッドマークがたくさんありました。

駅前は広々としたロータリーになっています。

 

観光案内所に行ってパンフレットでもいただこうと歩き始めました。殆ど人に会いません。

「第一町人発見!お父さん今何やっているの?」とか言ってみたい。

十六銀行も大正風?

いやあご立派。 観光案内所、レストラン浪漫亭が入っている建物。

ちょっと。お金賭けすぎじゃないの?

早速、町の案内図をもらって歩き始めます。最近はどこでも案内の冊子がよくそろっています。

まずは大正路地

石畳の小道は落ち着いていてゆっくり散策できます。

気持ちがいい初秋の風も吹いていました。

大正村役場

トイレ完備などと案内図に書いてあるのも親切です。

明治39年に建てられた町役場。登録有形文化財。

地元の若い人たちが観光PRのビデオを撮影していたりして少し活気がありほっとしました。

路地の終点に絵画館がありました。

明治10年に建てられたこの建物は最初は小学校でした。

絵画館を右に曲がって丘の上を見ると大正ロマン館です。

6月は庭園のバラの花が綺麗だそうです。東京の古河邸や鳩山御殿みたいですがこれといった歴史的建造物ではないようです。

地方に行くとやたら公共事業で作った巨大な建造物が目につきます。

代官所陣屋跡

旧三宅家

元禄元年に普請された萱葺き屋根の家です。当時の雰囲気が分かります。

町を歩いているとこんな感じの街道の交差点、好きです。

尾張三河から信州への塩の道・絹の道として賑わったそうですが納得。

大正時代館

珈琲でも飲みながら蓄音機の演奏を楽しんで日本の近代ではわりと落ち着いていた大正時代を偲びましょう。

明治、昭和は戦争に明け暮れていましたからね。

大正時代は短かったので大正時代生まれの人は影が薄いのではないでしょうか。

でも太平洋戦争では明治時代の連戦連勝しか知らない上官にこき使われ、戦後の復興期になると昭和の人達に頭が古いなどと言われ苦労したようです。

その人達も80歳後半から90歳代です。本当にご苦労様でした。

帰りの列車は2両編成になりました。

途中下車して寒天のさと恵那市山岡に寄りました。

山岡駅

「かんてんかん」という資料館と寒天を素材に取り入れた寒天料理が味わえるレストランが併設されています。

どこか懐かしい風景

国内の95%以上を生産する「細寒天の里」山岡だそうです。

昔マッハ文朱さんという女子プロレスラーがいましたがここの寒天を使った食事療法で見事ダイエットに成功したことで有名になったそうです。

地元のタクシーの運転手さんが言ってました。

寒天ラーメンを食べてみました。

ラーメンの生地に寒天をねりこんであるのではなくて寒天そのものをラーメンのようにに細くしてありました。

 

さて恵那駅まで戻り帰路につきました。

快速名古屋行きに乗車。土岐とか夏になると関東地方の熊谷、館林などと並んで暑さで有名な多治見など大都市のベッドタウン的風景の中を行くものと思っていました。

突然車窓の左側に見事な渓谷が見えてきて、水量豊かな流れが豪快です。一級の観光地ではないのでしょうか。

自宅に帰って調べたら古虎渓という観光地で快速だったので停車しませんでしたが「古虎渓」という駅もありました。

古虎渓ハウスなどという若い人に人気の心霊スポットもあるそうですよ。

 

そこから少し走るとまた何もなかったようにベッドタウンが続きます。日本の地形は本当にすごい。

高蔵寺駅まで来ると環状鉄道などに接続して大都会です。

 

やがて名古屋駅に到着。中央本線・西線 塩尻~名古屋 174.8km全線乗車です。

反対ホームに下り特急「しなの」が停車していました。また木曽の山ん中走っていくんだなと思ったら少し前なのに懐かしくなりました。

木曽路の旅は終わりです。

「木曽路の女」という歌がありました。

 

雨にかすんだ  御嶽山を

じっと見上げる  女が一人

誰を呼ぶのか  せせらぎよ

せめて噂をつれてきて

ああ恋は終わっても 好きですあなた

湯煙に揺れている 木曽路の女

原田悠里さんの歌ですね。

「木曽路のご隠居」じゃ歌にも絵にもならない。あたりまえか。

 

さて名古屋。

新幹線で大阪などは行っても途中下車して観光しようと思いません。

この機会だから少しぶらぶらするかと改札を出て高島屋に入りました。

これが東京のデパートよりきれいでたまげました。旅の最終日、汚い格好でうろうろしていると叩き出されるのではないかと思いそうそうに引き上げました。

 

新幹線ホームに立ちました。

今年は東海道新幹線開業50周年です。

開業当時は一日60本でしたが今は426本。

日本人は東に西へと何の用事があって走り回っているのでしょうか。

 

ご隠居が購入した指定券はあいにく博多発の「のぞみ」で車両のドアを開けると長旅に疲れたという感じがどっとしました。

皆が博多から乗車したわけではないでしょうが旅を楽しんでいるよりは用事があって仕方なく移動しているという感じです。

駅弁食べながら車窓を流れ去っていく山や畑をみて旅する在来線の特急の方がやっぱりいいなと思いました。

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木曽路を歩く・恵那峡

2014年09月27日 | 旅行

恵那市にやってきました。

人口約5万人の岐阜県の中堅都市です。名峰恵那山は中津川市の所在とか。

中央高速の恵那山トンネルは道路のトンネルとしては5位の長さですが完成した当初は日本一長いトンネルでした。

恵那峡とワンダーランド

駅前はバス待ちの人々や客待ちのタクシーも何台も並びかなりの街のようです。

駅前のロータリーから自動車で15分も行くと素晴らしい渓谷が現れるなんて驚きです。

朝靄の恵那峡

早速恵那峡めぐりの遊覧船に乗車してみましょう。

遊覧船に乗るころにはあいにく雨足が速くなってきました。

長い人生で初めてやって来て乗船して30分余りが一番雨が強く降っていました。そしてもう来ないかもしれない。

恵那駅に戻ったころには晴れてきました。人生と同じで自分ではどうしようもないことってよくありますね。

恵那峡大橋

獅子岩

雨に煙る恵那峡

紅葉の頃来たら素晴らしいでしょう。

やっぱり晴れた日にもう一度来てみたいというのが本音でしょうか。

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木曽路を歩く・馬籠宿

2014年09月25日 | 旅行

馬籠宿にやってきました。

木曽山中最後の宿場です。もっとも名古屋の方からくれば長い坂道に面したこの宿場が始まりです。

山の尾根に沿って急斜面の両側に石垣を築いて屋敷を造る「坂のある宿場」ですが観光客には人気があるみたいです。

島崎藤村の関係するものが多いからでしょうか。

坂道の下の入り口から歩き始めるとすぐに水車がありました。水の流れが速いので場所がいいのでしょうか。

脇には水路が流れ草花が咲き坂道を歩く息苦しさを癒してくれます。

振り返れば遠くの山々が美しくえます。

昔の殿様もこんな坂道、籠をかつぐのも大変だから「おれも歩くわ」などとは絶対に育ちのいい人は言わないんですよね

みやげ物店、喫茶店もこじんまりとしています。

宿場沿いから一歩横に入ると墓への案内板がありました。

馬籠は島崎藤村の生地、そして菩提寺の「永昌寺」

島崎家の墓

近代文学を代表する文豪。自然主義の極致と言われる作品は文壇に大きな影響を与えたと

ガイドに書いてあります。

夜明け前の主人公「青山半蔵」は父親がモデルです。藤村の血縁ではいろいろのことがありそんな異常のなかで小説を書きあげていったのですね。

小説の中で嘉永6年黒船騒ぎのことがありますが、現在みたいにテレビもネットもない時代山の中の知識人達はほんとうにあせったでしょう。

藤村記念館

廻廊式の記念堂、隠居所、研究室などがあります。

坂を一往復しました。

木曽を廻る宿場町から解放されたら緑の田園が広がっていてなんだかほっとしました。

秋になると黄金色の景色になるのでしょうか。

馬籠からは中津川市に出るのがバスの便もいいのですが我々は鉄道乗継もやっているのでバスで南木曽駅に戻りました。

南木曽駅から中津川駅へ。

長野からくる短い編成の普通列車はここまでです。中津川駅からは6両編成の名古屋行き普通や快速が1時間に1,2本出ています。少し大都会に近づいた感じです。

ここからは名古屋駅まで初めて乗車する区間です。

中津川市は人口約8万人、本来は中津でしたが大分県に中津市というのがありここは市内の川の名からこの名前になりました。

 

三菱電機の中津川製作所があります。昔経済紙で読んだことがありますが「風の中津川」といわれジェットタオルなどユニークな商品を数々作り出しましたが今は多分海外に現場を移して何を造っているのでしょうかね。

 

時間がないので中津川には下車せず乗り換えて天下の恵那峡に向かいます。

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木曽路を歩く・妻籠宿

2014年09月23日 | 旅行

さて南木曽(なぎそ)駅に降り立ちました。

特急も停車する駅ですが売店もなく駅前のロータリーにはタクシーが2,3台そして商店街らしきものも見当たりません。

最近テレビで路線バスの旅みたいな番組をよく目にしますが地方バスなどでは乗客は番組のスタッフ以外はまばらです。

まるで空気運んでいるるみたいで気の毒だなと思って観ています。

ここでも妻籠宿から馬籠宿まで行くおんたけ交通のバスに乗りました。観光客以外は地元らしき人は一人でした。

観光シーズンが終わると空気を運んでいるようになるのでしょうか。

でも駅前の観光案内所とバス営業所を兼ねている事務所の人達は皆親切で嬉しかった。

街道に沿って木曽川がいきよいよく流れています。

妻籠までやってくるとだんだん山が深くなってきた感じがします。標高430m、この先馬籠峠は801mです。

昔の旅人も気を引き締めて歩いて行ったのでしょう。

枡形の跡

どこの城下町にもあるように道が十字路になっていなくて迷路のようになっています。

(街道を直角に二度曲げて外敵を防いだ「枡形」です)

木曽路はどこも水が豊かです。

しかしここは飲めませんという注意書きがありました。

奈良井宿とたたずまいは似ていますが山が迫っている感じがします。

ちょっとさびしい感じです。夕方だったからかな。

郵便資料館

妻籠郵便局として営業していますがお洒落にできていますよね。藤村の「夜明け前」にも開局当時のことが書かれています。

妻籠宿本陣

妻籠宿本陣は島崎氏が任命されて明治に至るまで本陣、庄屋兼ね努めました。

島崎藤村の母の生家で、次兄広助が養子に来ていたそうです。

脇本陣奥谷

国の重要文化財に指定されています。

島崎藤村の初恋の相手「ゆふ」さんの嫁ぎ先らしいですよ。

さてこの先は昼なお暗い馬籠峠を越えて木曽路最後の馬籠宿に向かいます。

もちろんおんたけ交通のバスに乗って峠越えです。

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木曽路を歩く・上松宿

2014年09月21日 | 旅行

木曽福島駅前から小さなバスに揺られて約50分、こんな山の中にアトラクションはあるのでしょうか。

途中は手入れの行き届いた山林が続きます。赤沢自然休養林

日本の森林浴発祥の地です。

日本三大美林、ご存知でしょうか。

木曽檜、秋田杉、青森ヒバ

ヒバはヒノキ科アスナロ属ですから外見からはどれがどれやらよくわかりません。

樹齢300年を超えるヒノキの大木が威厳ある美しさで迎えてくれます。

7つの遊歩道も整備されていて体力なわせて散策すれば心の中まで洗われそうです。

人間の歴史は森を見ればすぐに木を切り倒して住宅や畑にしてしまいますが日本人には森を大切にする心が残っていてよかったなと思います。

さて赤沢森林鉄道に乗車しました。これが目的の一つです。

大正時代から始まり昭和50年5月にはトラック輸送には勝てずに廃止になりました。

木曽谷の奥深く分け入り(最盛期には428km)木曽の良木を搬出して来ました。

乗車券はヒノキで作られていて記念になります。

 

往復2.2km25分の旅です。途中、東京ディズニーランドのレイジングスピリッツのように一回転するようなサプライズはもちろんありません。癒し系です。

渓流を眺めながらのんびり乗ってみましょう。爽やかなヒノキの芳香です。

整備のため運行しない日があるのでよく調べていきましょう。

ボールドウィン号

大正4年、アメリカ製。津軽森林鉄道ととに好評を博した蒸気機関車です。

煙突に特徴ありますね。防塵構造になっています。今年で導入100周年だそうです。もちろん現在は保存されているだけです。

 

そして上松まちのもう一つの観光地は寝覚ノ床

浦島太郎が現生に戻ってきて知人を探して諸国をさまよいいつしかこの上松に住み着きました。

そしてここでお土産の玉手箱を開きまるで夢から醒めたようにいっぺんに300歳の老人になってしまいました。

 

でも浦島太郎の伝説は日本各地にあるそうです。

東急東横線反町駅には「浦島太郎伝説」というパネルがあるそうです。

横浜市神奈川区にも浦島伝説があって、太郎は竜宮城から玉手箱だけではなくて観音像も持ち帰り、父母の墓がる武蔵国白旗(現在の神奈川区)にたどり着く。

そこで玉手箱を開けずに墓を守りながら暮らしたとのことです。

日本中歩いていると一つの話でもいろいろストーリが違ってきて面白いですね。

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木曽路を歩く・福島宿

2014年09月18日 | 旅行

木曽福島にやってきました。

駅を降りるとすぐ前が中山道です。市街地に向かって歩いていたがまず喫茶店に入りました。

奥の部屋に座るとテラスがありなんとその先は崖、下に木曽川が流れ、街並みがありその先は雄大な木曽山脈です。

駅から市街地までの左側は崖に沿って店舗が並んでいるのです。

パンフレットには谷底の街 木曽福島と書いてあります。

喫茶店の女性が話が面白くて長居をしてしまいました。

天性の話し上手とはこういう人を言うのかなと思いました。夜スナックになるので夕食後来てみようかと思いましたが夜大雨になり諦めました。

道を下って木曽川に出ました。木曽路はどこも木曽川と道連れです。

崖屋造り

木曽川沿いのわずかな土地を利用して建築された崖屋造りの家並みです。

最近は大雨が全国的に多いようですが大丈夫なのかなと他人事ながら心配になります。

山村代官屋敷

戦国大名木曽氏の旧臣で山村氏は関ヶ原の功労で木曽代官と福島関所を預かりました。

当時の屋敷図を見ると広大な屋敷が建っていたようです。

藤村の「夜明け前」に活写されているそうです。 島崎藤村と木曽川は木曽路について回ります。

庭園は木曽駒ヶ岳を借景にして築山泉水式の眺めも素晴らしい。

大名と家老が食したおもてなし料理(饗応料理)

現在に換算すると一泊三食30万円くらいとか。昔も金持ちは美味しいもの食べていたんですね。下っ端は粗末な所に宿泊していたみたいです。

だから戦になれば功あげて頑張るのでしょう。その点は戦がビジネスに変わっただけで現在でも同じですね。

 

さてさらに福島関に行ってみました。

東海道の箱根・荒居、中仙道の碓井などと並び四大関所のひとつ。

いざ有事となれば木曽川の断崖に望む険しく狭い場所にありすぐに一帯を封鎖できたとか。

高台にありたどり着くのに息を切らせました。

とにかく江戸に攻め込まれないことがすべての中心だったようです。

さて江戸時代の風情の町並みをのんびり眺めながら駅前に戻りました。

七笑酒造(ななわらい)という蔵元がありました。ただそれだけのことです。面白いネーミングだなとおもいました。福島の地酒だそうです。

山みず季URARA つたや

明日の出発を考えて(駅前の交通に便利な)ご隠居としては珍しくグレードの高い旅館に宿泊しました。

夕食は懐石料理風で美味しかった。(別に旅館からなんのサービスもうけていませんよ)

温泉は崖に面して眺めが良かった。

夕食後風呂に入り木曽山脈の峰々の上に煌めく星空でも眺めようかと思いましたが大雨で霧しか見えませんでした。

残念。

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木曽路を歩く・奈良井宿

2014年09月15日 | 旅行

中山道、木曽路を歩いてみました。木曽11宿です。

木曽路へは8時ちょうどのあずさ2号で・・・・・

ではなくてスーパーあずさ5号で出発(新宿からでる下り特急は1,3,5号と奇数番号です)

塩尻駅 10時28分到着 10時49発の中津川駅行き2両編成の普通列車です。

日曜日のせいか座る席もないほどの混雑です。

11時17分やっと奈良井駅に到着です。ざっと半日かかってしまいました。

木曽路はすべて山の中である。あるところは岨づたいに行く崖のみちであり

あるところは数十間に臨む木曽川の岸であり

あるところは山の尾をめぐる谷の入り口である。

      (夜明け前 冒頭から)

奈良井駅を下車するとすぐに奈良井宿です。保存状態もすごくいいようです。

なによりいいのはそこに生活感があり賑わいがあります。単なる名所旧跡ではない感じがします。

お蕎麦屋さん、土産物屋さんそれに漆器の店。観光に依存していない普通の居宅もあります。

それでは街並みを楽しみましょう。

昔は参勤交代の大名行列が連なり通り過ぎた道。活気があったのでしょうね。

奈良井は平成23年NHK朝の連続ドラマ「おひさま」の撮影地です。

木曽はどこでも湧水があふれています。(水場)

都会人はこれを見るとミネラルウォーター流れていて十円玉がじゃらじゃらしている感じがします。

鎮神社  これから先は鳥居峠に向かいます。

お昼は五平餅とお蕎麦です。まだ歩くのでお得意のビールは飲みませんでした。

 

市の有形文化財の「中村邸」を見学しました。

江戸の終わりごろ漆の問屋として栄えていた建物です。

母屋は間口が狭く、奥行きが深い短冊状の敷地に、間口三間間二尺、奥行き九間半の二階建てです。一階より二階が少し前に出た「出梁造り」という中山道の宿場町に多い形です。

とパンフレットにかいてあります。

確かに細長い。

裏に回ると手入れの行き届いた草花と蔵もありました。

木曽の大橋(木曽の檜で出来ています)

奈良井駅で列車を待っていると

上り特急「しなの」名古屋行きが轟音とともに通過していきました。

車窓からの眺めも良く在来線の特急としてはご隠居の好きな一つです。

次は福島宿に向かいます。

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パーティで思ったこと

2014年09月13日 | 日記

ご隠居が所属する千葉県行政書士会会長のN氏が春の叙勲で黄綬褒章を受章しました。

その祝賀会が先日アパホテル&リゾート東京ベイ幕張で開催されました。

もともとは西武鉄道のプリンスホテル幕張で開業しました。

経営が思わしくなく女性社長で有名なアパホテルに売却しました。

温泉を掘り、4階には露天風呂を設置、それまでビジネス客中心を家族中心のリゾートホテルの雰囲気を持たせました。

その結果大繁盛。

500床の新館も建設。1500床のホテルになりました。

企業はブランドも大事でしょうがやっぱり社長の手腕だなと思います。

さて叙勲の祝賀会は国会議員の挨拶から延々続きます。

 

一説によると勲章、大臣表彰まで入れると年間2万人ぐらいの人が受章されるみたいです。

遠方の人が宮中に参内する時は前日に来てホテルに宿泊。モーニンギグなどレンタルすればその費用。

故郷に帰ってホテルで祝賀会。そうそう式典のご案内の手紙にも菊のご紋章で封印。お土産にも菊のご紋章。当然無料では使用できないでしょう。

 

大勢の人を集めてのホテルでの食事、お土産、そこまでの交通費、お金が動きます。

ある意味政府はたいした元手もかけずに景気対策を打っているような気もします。

ご隠居が民間会社でサラリーマンをやっている時は上から下っ端まで勲章のくの字も話題に上りませんでした。

公務員とか各種の団体の役員では勲章が貰えそうとか、勲章をもらうまで役職にしがみついているなどとうわさを聞きます。

職場によって叙勲に温度差があるようです。

 

ご隠居は勲章をもらえるような立派なことやっていないので会費のもとを取ろうとひたすら飲んだり、食べたりして昼間から酔ってしまいました。

 

おまけ

9月10日坂井義則さんが死去しました。ご冥福をお祈りします。

思えば昭和39年10月10日晴れ渡った東京の秋の空

東京オリンピックが開催され坂井さんが聖火の最終走者として国立競技場の階段を駆け上り聖火台に火をともしました。

テレビはまだ白黒でしたが日本中が感動ししました。

そして日本が先進国に向かって快進撃を始めました。

若い日本の出来事も昔話となっていきます。

 

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小海線の旅(4)

2014年09月09日 | 旅行

錦織選手初のグランドスラム決勝敗戦!残念でした。と共にご苦労様でした。

時速200kmを超えるボールのスピードとはどんなものなのでしょうか。

ご隠居のようにテニススクールでヘラヘラやっていた人には想像できません。

 

さて小海線の旅。国立天文台野辺山に行ってみました。

野辺山駅で自転車を借りて牧場の中を走っていくと巨大なアンテナ群が見えてきました。

野辺山高原は水蒸気が少なくて、まわりを山々に囲まれた平坦な地形で、また寒冷地でありながら雪が少ないなどから、宇宙電波・太陽電波の観測に適しているそうです。

ミリ波干渉計

6台のアンテナをケーブルでつないで同時に観測することで、最大で600mの電波望遠鏡に相当する解析力で天体画像を描き出すそうです。おもに天体の様子を細かく調べることに威力を発揮します。

45m電波望遠鏡

「ミリ波」と呼ばれる電波を観測できる電波望遠鏡では世界最大だそうです。大口径を活かして天体からのかすかな電波をとらえます。

 

最近ハワイのキラウエア火山山腹とかアンデス山中のアルマ望遠鏡、さらにはハッブス宇宙望遠鏡(地上600kmを周回)など華やかですが日本でも地道に研究がされているみたいです。

太陽電波強度偏波計

太陽全体からくる電波の強さと電波の特性を測定して太陽活動の様子を調べます。

 

「地球外生命」なんて映画だけの世界かと思っていましたがどうなんでしょう。

近い所で火星では30億年ほど前に大気と地表の水を失った時、洞窟に微生物が逃げ込んだかもしれません。洞窟にこもった生物は、太陽光以外のエネルギーを利用して生き延びたかもしれないとのこと。

 

また2005年の探査機カッシーニが土星の衛星エンケラドスから噴出する水を観測したそうです。太陽系外に目を移せばもっと確率が高くなりそうです。

 

夢のある観測です。

考えてみれば日本の借金にあたる国債残高は1000兆円を超えて、予算の1/4は国債の償還費用です。

財政破たんすればこんな夢のある事業もできなくなります。早く借入金を減らす政策を打ってもらいたいものですね。

 

さて野辺山駅にもどり小海線に乗り小淵沢を目指します。

途中馬流駅(まながしえき)などというのがあります。

「千曲川のスケッチ」にも出てきますがこの辺は馬の飼育がさかんだったようです。最後の大カーブ「大曲」では甲斐小泉駅から180度進行方向を変えるダイナミックな走行で小淵沢駅に到着です。

小海線(小諸・小淵沢)78.9km全線乗車しました。

後半は木曽路を歩きます。  お楽しみに。

 

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小海線の旅(3)

2014年09月07日 | 旅行

今日は小海線に乗車します。

(小海線の愛称は八ヶ岳高原線です)

JR東日本お奨めのハイブリッド気動車 キハE200形車両に時間を合わせて小諸駅のホームに着きました。

小諸駅にて 左は通常のキハ110系 右はハイブリッド車両

車両内部

ディーゼルエンジンで発電した電気と蓄電池に充電した電気を効果的に使用して走行する環境にやさしい車両とのことです。

ご隠居もトヨタのプリウスに乗っていますがそれを巨大化したもののようです。

列車は野辺山駅に到着です。

ご存知のように野辺山駅は標高1345.67mでJRグループでは日本一標高の高い地点に位置します。

立山に室堂駅(2450m)がありますがトロリーバスの駅なので除外していいでしょう。

さらには清里駅間には標高1375mという最高地点があります。

日本全国旅行好きの人には一回は訪れてみたい場所です。 やっぱり夏がいいですよ。

夏でも駅を降りると爽やかな涼しい風が吹いてきます。

駅前から高原野菜の畑や牧場が続きます。

清里みたいにけばけばしくなくて気持ちいい。

ホームで電車を待っている観光客が沢山いたのですが電車が入線した時は誰もいなくなりました。

標識と気動車が誰にも邪魔されないでうまく撮れました。

 

 

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小海線の旅(2)

2014年09月04日 | 旅行

朝晩涼しくなって気持ちよく寝ていられますね。朝寝坊しないように。

 

さて小海線の旅、小諸にやってきました。

小諸駅を下車すると昔来た時よりかなり寂れた感じがします。

やっぱり新幹線が佐久平の方に迂回したせいでしょうか。軽井沢から小諸を通らずに上田に行ってしまったのは何となく不思議です。

地元の人に聞いてもはっきりしたことは言いません。

懐古園 三の門

小諸と言えばやはり小諸城跡ですね。

駅からしなの鉄道のガードをくぐると懐古園の三の門にでます。

古城の跡という感じがします

料金所から北丸跡、紅葉谷に架かっている黒門橋を通り水の手展望台に出ます。

城内は綺麗に手入れされていて気持ちよく散策できます。

 

小諸城は全国的にも珍しい城下町より低い穴城で浅間山の火山灰でできているため、水を用いず、崩れやすい断崖が堅固な要塞になっている。

とガイドに書いてありました。

水の手展望台から見た千曲川の流れ

緑の山々を切り裂くように流れる千曲川。日本にはよくある風景ですがやっぱり信州だなと思ってしまいます。

こんな感想でしか伝えられないのは歯がゆいというか寂しい。

懐古神社

 

途中に藤村記念館がありました。

藤村像

島崎藤村はいい男で文章もすごいので女性にもてたことでしょう。

ご隠居も文章は面白いといわれていますが顔がいまいちなのであまりもてません。

 

館内は藤村の小諸時代を中心とした作品・資料・遺品が展示されていました。

売店に藤村が執筆したおなじみの文庫本が販売していました。何十年か前に読んだ記憶はありますが内容は全く覚えていません。

「千曲川スケッチ」を改めて買ってみました。

夜ホテルで読んでいたらすぐに眠ってしまいました。

高原の上・・・・・・・から

晴れていく高原の霧の眺めはどんなに美しいものでしょう。すこし裾の見えた八ヶ岳が次第に険しい山骨顕わしてきて、終いに紅葉の光を帯びた頂まで見られる頃には、影が山から山へ映しておりました。

 

甲州に跨る山脈の色は幾たび変わったか知れません。

今、紫がっかた黄。急に日が当たって、夫婦の行く道を照らし始める。

 

見上げれば、ちぎれちぎれの綿のような雲も浮かんで、いつの間にか青空になりました。ああ朝です。

男山、金峯山、女山、甲武信岳、などの山々も残りなく顕れました。遠くその間を流れるのが千曲川の源、かすかに見えるのが川上のです。

千曲川は朝日をうけて白く光りましたー

 

風景描写はこんな感じで書くと売り物になるのですね。

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小海線の旅(1)

2014年09月01日 | 旅行

9月になりました。

雨の朝と共に秋がやってきました。

さて夏休みを利用して長野県下を旅しました。まずは東京駅を出発です。

JR東日本の新幹線ホームは少し早めに来て列車を見ていると楽しい。

ジャパンレッド 「こまち」

こまちとはやぶさは連結して盛岡まで疾走します

おなじみのロゴマーク

お掃除クルーも夏モード

長野への旅は「あさま」から始まりました。

1時間も乗車すると佐久平駅に到着です。

新幹線はさらに上田から長野へ。来年3月14日には富山、金沢に延長です。

来年は間に合わないかもしれませんがそのうち富山湾の蜃気楼でも見に行きたい。

もっともそんなに簡単に見られるものではないそうですが。

 

まず中山道の岩村田宿にいってみました。

江戸から数えて22番目の宿です。

現在はまったく昔の面影は残っていませんでした。人通りの少ないアーケド街が続いています。でも現在の中山道では高崎宿以来の都会的商店街だそうです。

 

かつては内藤氏1万6千石の城下町。旅人は堅苦しい城下町を好まなかったため本陣、脇本陣はなく旅籠も少なかったそうです。

西念寺に行ってみました。

12本の柱で支えられた山門は風格を感じます。

本堂の屋根の構えが印象的です。きりりとしていますね。

旧岩田村藩主仙石秀久の菩提寺

ガイドによると仙石秀久は小諸城初代藩主。秀吉の九州攻めで軍監として就任するが大敗、だれよりも先に逃げ帰った。しかし小田原攻めでは活躍して復活したそうです。過去の経験を生かした人のようです。

 

次に龍雲寺に行ってみました。

やはり山門が立派です

信玄霊廟

武田信玄は信濃路に出兵する時には必ずこの寺に詣で戦勝祈願をしたそうです。

霊廟には信玄の遺骨と副葬品がおさめられているそうです。

 

さて佐久といえば鯉料理です。

あらかじめネットで調べておいた街道沿いの「割烹あさや」で昼間から豪華に鯉料理のフルコースを食しビールも飲んでしまいました。

旅人気分です。

鯉のあらい、鯉こく、から揚げ、甘酢煮など。

 

中山道の旅はまだ続きます。

 

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