ななきたのご隠居~野崎 幸治

千葉市美浜区で行政書士をしています。
地元では「ななきた(磯辺7丁目北自治会)のご隠居」と言われています。

僕の細道旅行譚(チャグチャグ馬コ)

2018年07月24日 | 旅行

今回の東北旅行も順序がいろいろ変えてありますが最後にチャグチャグ馬コのお祭りに出かけたで終わりにしたいと思います。

記録作成等の措置を講ずべき無形の民俗文化財。

残したい日本の音風景百選 6月第二土曜日に開催されます。

盛岡駅を6時40分からシャトルバスを満員になり次第順次運行。約30分乗車。無料です。

お祭りは滝沢市から盛岡市に向かいます。

チャグチャグ馬コの出発点、鬼越蒼前神社(おにこしそうぜんじんじゃ)です。

昔は日本全国で馬を大切に思う気持ちも深く馬の神様の信仰心も生まれたそうです。

こちらでは南部の曲り屋として大事にされました。(馬と人が一つ屋根の下に暮らすように造られた家)

鬼越蒼前神社の祭礼は旧暦5月5日に行われていたそうです。

田植え前の忙しい時期に当たっていましたが、この日だけは仕事を休み、神社の境内で1日を過ごすという風習が生れたそうです。

江戸時代初期に始まりましたが一時すたれ明治20年代に復活しました。

明治20年ごろに戦争(日清戦争、日露戦争)により軍馬の需要が伸びたことが大きな要因です。

当時のチャグチャグ馬コは1000頭ほどの馬が参拝したこともあったそうです。

太平洋戦争が始まると軍馬の需要はますます増えていきます。

すると強い馬はどんどん戦地に贈られます。

結局馬がいなくなりお祭りどころではなくなり戦時中暫くの間中止されていました。今はのんびりお母さんのおっぱい飲んでいられて幸せですね。

戦争が終わって人間は当然復員するわけですが馬は持っていけないのでイギリス軍にもらってほしいと交渉しましたがほとんどは処分されたみたいです。

別れる時に馬は頬に顔を摺り寄せたきて可哀相だったというのが何かに書いてありました。

今になれば人間は勝手などと言えますがその当時の敗戦の混乱の中でどうしようもできなかったのでしょう。戦争だけはやめましょう。

しかし昭和20年には復活しました。30頭ほどのパレードだったそうです。

でも偉いですね。戦争が終わって皆が人どころではない時代にもう祭りが始まる余裕です。

チャグチャグって何でしょうか。

チャグチャグ馬コに参加する馬は小荷駄馬装束という衣装をつけます。

これは参勤交代で荷物を運んだ馬部隊の装束に由来しています。

その装束のパーツに、ドーナツ型をした金属でできている鳴輪(なりわ)というものがあります。

(山を歩く時の熊や狼よけにつけられたもの)

さらには衣装には大小700個もの鈴がつけられます。

当然馬が歩みを進めるたびに鳴輪と鈴は音を奏でるわけでチャグチャグはその音を表わしたものです。

おやおやチャグチャグ犬コも参加です。

パレードが始まりました。滝沢市長さんとか誰かが言ってました。

始めて出かけたこともあり撮影ポイントがいろいろありそうですが今回はここで撤収です。

 

あとは観光協会で購入したプロの写真を一緒に見ましょう。

また来たいです。岩手山をバックに撮るのが良さそうです。

これで今回の東北地方太平洋岸の旅は終わりです。

当ブログでは酒田までの旅は終わっていますので日本海側は秋田県の象潟からです。

ただし毎日滅茶苦茶暑いので9月になってからぼちぼち始められればいいなと思っています。

とにかく暑いのでご自愛ください。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

僕の細道旅行譚(小岩井牧場)

2018年07月20日 | 旅行

盛岡駅より直行バスで約30分小岩井牧場にも足を延ばしてみました。

時間がなかったので足早に歩いてきました。この旅行記もちんたら書いていたら一か月以上になってしまいました。

早速中に入ってみましょう。

岩手山に少し雲がかかっていました。2038m。

でも牧場から見る岩手山は東北の名峰だなと思いました。

小岩井牧場は日本の鉄道の父と言われた井上勝、三菱を支えてきた小野義眞、そして三菱彌之助が協力して造りました。

小野、岩崎、井上の3人の名前から小岩井牧場となずけました。

三菱直系(キリンビール)の会社です。

ジンギスカン料理のある牧場館に行ってみました。

何はともあれ牧場に来たらジンギスカンに生ビールといったところでしょうか。

外で食べるのもいいですが中もきれいで落ち着きます。

広大な牧場を廻る無料ライナーです。

だって・・・・・。

上丸牛舎の方には資料館とかレンガサイロとか見学場所も多いようですがクマが出るようで歩いては行けず無料ライナーに乗らなければだめみたいです。

盛岡発の帰りのつばさの時間も迫っているのでこの辺で撤収です。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

僕の細道旅行譚(盛岡)

2018年07月13日 | 旅行

盛岡にやって来ました。

現在では東北本線の終着駅になっています。

この先、岩手県内はいわて銀河鉄道、青森県内は青い森鉄道と第三セクターになってしまいました。

岩手駅構内は新幹線も通っているのですごく賑やかです。

駅構内にあるさわや書店に目が行きました。

東京でもよくトピkkスなどでとりあげられていますが販売方法がユニークです。

POP広告での販売活動評価されています。

ある作品を特製カバーを付け中身を隠して「文庫X]として販売したり、もちろん地元作家の発掘にも力を入れています。

ご隠居も盛岡に出かけてくる前に柚木裕子さんの「盤上の向日葵」を読んできました。

柚木さんは釜石市出身、小学校時代は盛岡で過ごしたそうです。

今では将棋の世界は加藤一二三さんや藤井聡太さんで滅茶苦茶に注目を浴びていますね。

この本は2015年から「読売プレミアム」で連載されていたそうです。将棋の対局場面では難しいい言葉も入りますがその他ではミステリー小説として面白い。

ハードカバーで563ページ、23章からなる大作です。

ご隠居が立ち寄った遠野のことも出てきます。

佐野と石破は(主人公の刑事たちの名前)岩手県の遠野市へ来ていた。

朝の7時過ぎに大宮から「やまびこ」に乗り、新花巻で釜石線に乗り換えた。遠野市に着いたのは昼過ぎだ。

駅を降り立つと、石破はあたりを眺め大きくあくびをした。長時間電車に乗っていた時の癖だ。ぼそりと言う。

「上条圭介もこの景色を見たんだな」(犯人)

佐野も景色を見やる。高い建物がない町の空は広く、里山の緑は目に鮮やかだ。

風がそよいだ。

盆杉の東北は、まだ暑さを残しながらも、吹く風は微かに秋の気配を漂わせていた。

 

さて盛岡も街に出てみましょう。

盛岡といえば北上川。そして岩手山ですね。山は全部が見えません。

今回はチャグチャグ馬コも見に来たので岩手市内のことはあまり調べてこなかったので簡単に歩いてみました。

新渡戸稲造生誕の地。5000円札ではお世話になっています。

東京女子大学の初代学長。もてたでしょうね。羨ましい。

 宮沢賢治が使用した共同井戸

宮沢賢治の抒情詩「ちゃんがちゃんがうなっこ詩情の処」にうたいあげられた由緒ある城下町です。

賢治は大正6年4月から一年あまり過ごし使用していた共同井戸とのこと。

有名になると井戸までこうして残っているんですね。

盛岡城址公園にやって来ました。

石垣だけですが石垣は盛岡さんの花崗岩が使われ日本百名城の一つとなっているそうです。

かつては盛岡藩20万石の居城です。

桜山神社。パワースポットです。

裏山にある烏帽子岩がパワースポットで有名とのこと。よく調べて行かなかったので写真もろくなもんじゃなかった。馬鹿みたい。

岩手銀行赤レンガ館

東京駅の設計者として知られている辰野金吾の作品です。

盛岡銀行本店として明治44年緒落成です。

いろいろ行事が開催されています。

外に出て県庁、市役所前です。

原敬の銅像です。

岩手県はいろいろ立派な人が出ているんですね。

千葉県だと海に出ればすぐに黒潮に乗って魚はたくさん獲れるし、山は低くて山菜なども豊富です。

だからのんびりそこそこに暮らしている人が多くて偉い人が出ないのかもしれません。

石割桜

巨大な花崗岩の割れ目からエドヒガンザクラがたくましく伸びている桜です。

推定樹齢360年、4月中旬には綺麗な花が咲くそうです。

岩手県はサクラまで根性があります。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

僕の細道旅行譚(花巻市)

2018年07月07日 | 旅行

遠野市から花巻市に戻って来ました。

花巻といえば宮沢賢治、イーハトーブの町です。

明治29年8月花巻市の大金持ちの商家に生まれました。

まずは羅須地人協会に行ってみました。

道路の反対側は花巻空港です。関西あたりからくる飛行機が多いようです。

周辺の花巻温泉や鉛温泉など有名な場所は国際航業の所有の所が多いようです。

花巻農業高校を辞した賢治が自炊、農耕生活を場所。

農業指導やコンサートなども開かれました。玄関先の黒板「下ノ畑ニ居リマス」は賢治直筆の再現です。

大正10年に上京。印刷物の更生などで自活、創作に励みましたが8月に妹トシの病気で地元に戻ります。

30歳になってから羅須地人境界を設立して活動を始めました。

そして昭和8年9月には永眠してしまいます。37歳。

羅須庭園。県立花巻農業高校の学生や地元の人も管理しているみたいです。

さて次に「イギリス海岸」に行ってみました。

農業高校教諭時代に生徒を連れて行った「イギリス海岸」は北上川河畔にあります。

北上川西岸に青白い凝灰石の泥岩が川に沿って広く露出していたために、そこにいると「イギリスあたりの白亜の海岸を歩いているような気がしました」と作品に書いています。

いまは堂々と北上川が流れていますが賢治の頃は水量が少なかったそうです。

さて駅に戻って来ました。

疲れたので林風舎に入ってお茶を飲みました。

1階は土産物さん、2階は喫茶店、コンサートも開かれたりして感じのいい場所です。

花巻は宮沢賢治記念館や童話村、イーハトーブ館とか賢治の残したゆかりの地の風景が広がっていそうです。

これから盛岡まで行くのであまり時間がありません。

しかしせっかっくここまで来たのでタクシー飛ばして花巻東高校に行ってみました。

大谷祥平君や菊池雄星君が出た高校です。一目拝みたかった。

敷地内に入って先生に千葉から来た田舎者ですが大谷君の活躍に感銘しているもので一枚写真を撮ってもいいか尋ねました。

どうぞどうぞとパンフレットもいただきました。

グランド。

大谷君も一時故障者リストに入っていましたがまた出場枠に入って来ました。

頑張ってください。謙虚で大好きです。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2018/7月

2018年07月01日 | 日記

今年も7月になってしまいました。半分が終わりました。

如何お過ごしでしょうか。それにしても暑いですね。

ロシアワールドカップ2018、毎日の熱戦で夜もゆっくり寝れないでしょうか。

毎日ボーッと過ごしているより夏のひと時が楽しめていいのでしょうか。

ご隠居は野球はボチボチ見ますがサッカーの日本国内の試合は全然見ないのであまりピンときません。

 

先日写真教室で松戸市の本土寺に行きました。

写真教室ではよく来る場所なんで何の感激もありません。

入ってすぐ一番有名な場所でしょうか。

本堂です。

お母さんと一緒、いいでちゅねえ。

いつものようにパチパチ写真を撮りましたがこの日は何となく元気がなくていいものが撮れませんでした。

今年は菖蒲が全然ダメだったようです。

やっぱりちょっと遠くに行きたいですね。

奥羽線と 鉄路シェアする 新幹線 「つばさ」過ぎれば 雉子(きじ)が鳴く

(朝日歌壇 福島市 青木崇郎さんの作品)

つばさは在来線の新幹線ですが普通列車が退避線にいるホームを一気に駆けぬけていくのは気持ちがいいですね。

しかし夏は暑いので自宅が一番いいかも。

 

さて7月1日からは社会を明るくする運動です。

平成30年、内閣総理大臣 安倍晋三閣下から「犯罪や非行を防止し、立ち直りを支える地域のチカラの推進にあたってのおねがい」の文書が届いています。

まずはお偉方の挨拶です。

いつものように音楽隊。

いつものようにポートクイーン、チーバーくんに、ちーべんくんです。

毎年同じような行事が開催され一年が過ぎていくんですね。

8月1日になると検見川神社の夏祭りです。千葉の夏が過ぎていきます。

日本経済新聞文化欄を見ていたら顔ハメ看板にはまって3500枚という記事がありました。

観光地に行くとしばしば「顔ハメ看板」を見ます。

絵が描かれた立て看板に穴が開いておりそこから写真を撮るというやつです。

ご隠居も良く旅行に行ってみますが先ずは自分が撮ってみたいとは思いません。

ただ一枚最上川の川下りの番所で撮ったのがあるくらいです。

彼はすでに45都道府県を訪ねているそうです。

顔ハメ看板撮影で心がけていることはできるだけ無表情にすること。

看板自体が主役だと考え自分を主張しないことだそうです。

結婚式では自分と奥さんや参列者が並ぶ様子の顔ハメ看板を上司が用意してくれたそうです。

いろいろな人がいますね。

さて今年は全国高校野球が始まって100年になるそうです。

甲子園では暑い夏になりそうです。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする