ななきたのご隠居~野崎 幸治

千葉市美浜区で行政書士をしています。
地元では「ななきた(磯辺7丁目北自治会)のご隠居」と言われています。

印旛沼

2024年11月03日 | 旅行

佐倉にまた出かけました。

今日はケンタッキーフライドチキンを食べて、それから始めました。

千葉市若葉区源町にある増田家住宅を佐倉・くさぶえの丘に移転したものです。

これらの住宅は江戸時代後期から明治にかけて千葉県の上層農家の特徴となっております。

この住宅は茅葺き屋根の住宅です。板の間の室内で、中には囲炉裏もあるようです。

敷地内には案内板が立ち、江戸時代の農耕機具なども展示されています。

周辺は、とても多くの緑に囲まれ、江戸時代の雰囲気を現代に持ってきたような錯覚を覚えます。

この頃の人々は、どんな暮らしをし、何を考え、どんな日々を送っていたのか。

前述したように千葉市は若葉区から移設したものです。

周囲の景色にとけ込んで、まるで最初からそこにあったかのように思えます。

春にはサクラソウが咲き、夏には蝉が鳴き、秋には紅葉もきっと綺麗で、四季折々の姿が見れることでしょう。

この建物の中は資料館のようになっていて、いろいろなものが入っています。

くさぶえの丘自体が公園になっていて、老若男女が楽しめるところとなっているので、ぜひ寄ってみてください。

 

前回は向日葵があるところに行きましたが、今回はずーっと右側の方に行ってきました。

印旛沼は、千葉県は北部の利根川の下流に位置する湖沼です。

印旛沼自体が千葉県立印旛手賀自然公園に入っています。

この印旛沼は本来周囲60キロメートルの規模でした。

戦後の干拓によって2つの細い水路でつながった北部調節池と西部調節池に水域が分かれています。

北側は長門川を渡って利根川に流れ、花見川側は東京湾に流れています。

ここは一周全部公園になっていて、回れるようになっています。

とにかく楽しい場所なので、一日のんびりできます。

 

前回に四街道に行った際に撮ったものなのですが、入れるのを忘れていたので今回入れました。

JR四街道駅から南西へ500メートルほど行った四街道十字路の傍らに駒方方形の道標石塔が立っています。

ここが「四街道の地名発祥の地」で、文字通り4方向への道が伸びています。

石塔の各面には、それぞれの指す方向に向かって、4つの街道の名が書き記されています。

長沼方向が船橋道方面

都賀方向が千葉町道方面

四街道駅方向が東金道・馬渡道方面

大日五差路方向が成田山道方面

というようになっております。

 

所で皆さん毎日定年を過ぎた方はどう暮らされておりますか。

私は朝4時には起きて7時過ぎに朝食を食べ、すぐに風呂になります。

その後はリハビリマッサージの人を招き、マッサージをやります。

その後は昼食を食べ、13時30分から14時20分ぐらいまでは体操を行います。

その後15時におやつを食べ、夕食までは何もありません。

その間にテレビを見たりインターネットでyoutubeを見たり株を見たりして過ごしています。

とにかく毎日暇で困っています(笑)

今日はここまでとします。また近々お会いしましょう。

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久留里から上総亀山まで

2024年10月08日 | 旅行

木更津から亀山まで行ってみました。

ここは32.2㎞ですが、17往復ありますが木更津から亀山までは7本しか気動車がありません。

この間行った東京ドイツ村はこの途中にあります。

木更津駅を出て、すぐに広大な湿原地帯です。まっすぐ延びる線路の先には上総の山々が遠くに眺められ、車両の両側にはどこまでも田んぼが広がっております。

犬を連れたおじさんが歩いていたり、サギなどの大きい野鳥も見えます。

次は久留里に着きました。戦国時代に里見氏、江戸時代には土屋氏、黒田氏など徳川の大名が居城とした久留里城の城跡があります。

それほど広くはなく、歩道も整備されているので車いすでも安心してみることができます。案内板に沿って気軽に歩いて房総の眺めと歴史、自然に親しんで行きました。

久留里城は築城時に雨が多かったことから雨城とも呼ばれていました。

清澄・三石山系に降る雨に恵まれた久留里は、環境省の「平成の名水百選」にも選ばれるなど名水の里としても知られています。町内各地に伝統的な白噴井戸が掘られていて、一般公開されている井戸も豊富にあります。散歩がてら美味しい水巡りを楽しむのも一興です。

実際に飲んでみましたが、やっぱり百選に選ばれるだけあって味がいいなと思いました。

久留里駅を出るといよいよ房総丘陵エリアへ。トンネルも登場し、車窓風景も山岳地帯を走る列車のような雰囲気へと変わっていきます。線路に付かず離れずで流れていた小櫃川の谷も深くなってきて、途中では美しい渓谷も眺められます。18分ほどで木造の小さな駅舎が建つ上総亀山駅に到着します。

これが終点の亀山です。

なんとなく終着駅という感じがしませんか?

昔はこの先小湊鉄道につなぐ予定があったのですが、中止になってしまいました。

 

上の写真は私が撮ったものではありませんが、亀山湖の非常にきれいな写真です。

上総亀山駅から車止めを過ぎ、7分ほど歩くと「亀山湖」の湖畔に出られます。こちらは小櫃川の上流部に千葉県で初めてつくられた多目的ダムで、県内でも最大規模を誇る亀山ダムの施設です。

人工的に造られた湖とはいえ、緑の山々と切り立った崖に囲まれた湖畔は上記の写真のように自然の宝庫。湖面に映える亀山水天宮の赤い鳥居も神秘的な雰囲気です。

特に夕方の景色は素晴らしいです。

今日はここまで。また次回お会いしましょう。

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東京ドイツ村

2024年09月05日 | 旅行

東京ドイツ村に行きました。

車で行けば便利なんですけども、電車だと木更津から久留里線に乗り換えてそこからバスで行くことになります。マザー牧場と同じくらい不便です。

バスで行くのも割と便利で、東京駅から直通のバスがあるみたいです。

入場料は一人1000円ですけども、駐車代金が1500円と人より高いです。

入場すると、すぐにヨーロッパのガーニングポイントがあります。

花はバラ、ビオラ、ひなげし、ネモフィラ、マリーゴールドなどが奇麗に咲いています。

ゴルフ場もありまして、ちゃんとしたコースのほかにミニゴルフコースなども18ホールありそれなりに楽しむことができます。

また、観覧車やミニジェットコースターなどもあり、ちょっとした遊園地としても遊ぶことができます。

釣り堀もあり、レジャー施設としてとても楽しむことができます。

動物としては、ミニブタやモルモット、ヤギやひつじなどかわいい動物もたくさんいます。

人間の頭の上を通っていく小さな動物もいます。とても癒されます。

サツマイモや落花生、シイタケやジャガイモが採れる収穫体験ができるところもあります。ジャガイモは6月だけですが、そのほかは9月から楽しむことができます。

料理も色々あり、カントリーエリアではサンライズファームで本場ドイツさながらのソーセージなどが楽しめます。

マーケットエリアではバーベキューを楽しむことができ、先述のソーセージや新鮮な野菜を自分で焼きながらビールを楽しむことができます。

特に夏は何回も行くほど楽しく、友達と楽しんできました。

冬のイルミネーションは夜遅くまでやります。300万球の電飾が広大なエリアの中に色輝いております。

帰るときは木更津まで何にも全くないので、それにも思わず驚いてしまいます。

またそのうちドイツ村で美味しいソーセージを食べたいと思います。

 

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長福寿寺

2024年08月19日 | 旅行

千葉の長南町の長福寿寺に行ってきました。

このお寺は大きな象の像があってびっくりします。まずはお寺にてお参りをしました。

このお寺は宝くじがよく当たるということで有名です。この裏に回ると社務所があり、過去に当たった宝くじの番号などの控えが並んでいます。ここで宝くじの販売も行われており、みんなこぞって買いに来てます。

しかし、私はそれが目的で来たわけではありません。

ここは、紅花でも有名です。平安時代に長南町にやってきて、その後埼玉の桶川にも広がり、最終的には最上藩の最上川あたりが中心となりました。

今は、長南町は廃れてしまっていますが、近所の人は色々ボランティアに来ており、この花を使って染め物なども作っています。

紅花は原産地が南西アジアや北アフリカです。その後日本にも広まっていきました。

日本では6月から7月に見ごろを迎えるキク科の花で、写真の黄色のほかに白や橙色に染まります。今となってはどこにでも咲いています。

育て方は秋に植えて水をたっぷり与え、肥料もしっかりと与えないといけない花です。

「おもひでぽろぽろ」という1991年に作られた映画を御存知でしょうか。

スタジオジブリの作品で、高畑勲監督の今井美樹さんが主役のタエ子の声優を務めた作品です。

「ザ・ローズ」という劇中歌も素晴らしかったです。

あらすじとしては、主人公が28歳の時に会社の仕事に疲れて山形の親の実家に遊びに行きます。

そこで地元の友人になれて紅花づくりを遊びながら手伝っています。

これが結構楽しい様でしたが、休暇が終わり、東京の家に帰ることになりました。

ところが、電車に少し乗るも、やっぱり実家が恋しくなり東京には戻らず、山形に帰ります。

友達とも仲良くなり、恋人のように暮らしました。ただそれだけの話なのですが、私にとってはとても思い出に残る映画となりました。

紅花を見て、またこの映画を見たいと思いました。

 

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佐倉順天堂記念館

2024年08月06日 | 旅行

今回もまた佐倉に行って、天ぷらを食べてきました。

佐倉藩は、徳川家康になってから代々的に大きくして土井正勝が中心になって最初は作られました。

その後、最後に堀田正亮が明治2年に城主になり、廃藩置県となりました。

幕末、蘭学を推奨し、開国に尽力した老中、正睦の嫡出で最後の佐倉藩主であった堀田正倫。1871年の廃藩置県により佐倉を離れ東京に移住し華族として天皇に仕えました。1887年に宮内省より華族の地方移住が認可されると、旧領地の佐倉に戻る、国の基となる農業、教育の振興に尽くすことを決意しました。佐倉に邸宅を構え、その周辺に堀田家農事試験場を1890年に作りました。この試験場は明治時代の千葉県を代表する農業研究機関です。また学問のための奨学会を作り、当時の佐倉中学校への多額の寄付も行いました。さらに佐倉の人々とも盛んに交流を深め、明治時代にあっても佐倉の地域の象徴的存在として親しまれていました。

「旧堀田邸」は明治23年に旧領である佐倉に設けた邸宅・庭園です。伝統的な和風様式で建築され、平成18年には国の重要文化財に指定されています。

庭園は、眼下の高崎川や対岸台地を借景年、芝を中心に松やサルスベリなどの樹木と景石や灯篭が配置されています。

佐倉順天堂記念館

江戸から佐倉へ移り住んだ蘭医の佐藤泰然が、1843年に開いた蘭医学の塾を兼ねた診療所です。当時は「西の長崎・東の佐倉」と言われ、のちに2代目堂主となる佐藤尚中(たかなか)をはじめ、日本近代医学をリードする多くの人材を輩出しました。

日本医学の発展に尽くした順天堂の事跡を後世に伝えるため、1975年に「旧佐倉順天堂」として県指定文化財(史跡)に指定。その後、1985年から「佐倉順天堂記念館」として一般公開されるようになり、当時の順天堂で用いられていた医学書や医療器具など、数々の貴重な資料が見られます。

順天堂大学や東京医科歯科大学はお茶の水に移ってますます大きくなりました。順天堂は体操などの分野でも頑張っています。これからも頑張りに期待したいです。

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千葉さんぽ(外川港)

2019年12月15日 | 旅行

銚子電鉄にまだ乗っています。

観音駅を過ぎると電車は森の中を走っているような気分になります。

タモリも中井精也もこの辺りの電車の風景が気に入っていました。

本銚子駅で降りて陸橋の上からの写真が良さそうですが降りると次の電車の時間が長いので止めました。

電鉄の最大拠点犬吠駅に着きました。

お客さんも沢山いて構内ではお土産屋さんやぬれせんべいを焼いたり賑やかです。

ぬれ煎餅で一時銚子電鉄の経営を助けてくれましたよね。

最近は「鯖威張る弁当」とか「まずい棒」とかユニークなお土産があります。

構内にある中井精也さんのギャラリーを見るのを楽しみにしていましたが休みです。

かつてBS3の鉄道旅で銚子電鉄を撮影している放送も見ました。

彼の番組を見ていていつも思うのですが素晴らしい鉄道写真を撮るのには一日がかりなんですよね。

ご隠居みたいに電車が来た、それパチリ、次に向けて撤収。ではだめなんですよね。

ご隠居の撮った犬吠駅前です。

銚子電鉄でもらったプロの写真です。

ご隠居のとどこが違うでしょうか。空の色だけは同じようです。

さて次は終点外川です。電車の待ち時間が1時間ぐらいあるので一駅なので歩いてみました。

途中で上り銚子行きの電車に合いました。

銚子はキャベツの生産でも日本有数の土地柄です。

黒潮の恵みを受けて葉のやわらかさとみずみざさが好評のようです。

でも葉物の野菜は市況の動きが激しいので大変でしょうね。

外川駅に着きました。最果ての終着駅と言う感じではありませんが空が青すぎる分なんだか寂しい気持ちになります。

港の方に行ってみましょう。坂道を下って行く風景は銚子の観光スポットの一つです。

漁師町の風情が残る路地を歩いて行くと海が見えました。

今年6月のブラタモリでは銚子が放送されました。

タモリさんと林田理沙さんが海からの風を感じながら歩いていると美しい景色になります。

港からこの坂を利用して船を引き揚げ、碁盤の目のような町の丘の上には美味しいものが待っているというような話でしたね。詳しくは忘れました。

だがご隠居がこの路地にたたずんでいても単なるチンピラ風景にすぎないのは何故でしょう。

小さな港に出ました。

何処の漁港でも同じですが昼ごろ行くと関係者はもう誰もいなくてさびしい市場になります。

さて一度銚子駅に戻り車でポータワーにでも寄って遅い昼でも食べて帰途につきましょう。

銚子ポートタワーはツインタワーになっています。

千葉市内にもポートタワーはありますがここは利根川の雄大な眺めがいいですね。

今回は高い場所から海を飽きるほど見ました。

利根川と銚子市場、市役所等も見えます。

ウオッセ21(お土産屋さん)の中にあるレストランで昼をとりました。

今回は2日間とてもいい天気で思い出が残りました。神様仏様のくれたご褒美だと思いましょう。

今年はいろいろゴタゴタ続きで一泊旅行はこれが初めてでそして終わりになりそうです。

あと15日ばかりで今年も終わりです。皆様お疲れさまでした。

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千葉さんぽ(銚子電鉄)

2019年12月08日 | 旅行

銚子の旅二日目です。朝から素晴らしい天気です。

銚子駅です。

駅舎は綺麗になりましたが電車の本数は少なくなりました。

JRの改札は通り抜け銚子電鉄のホームに向かいます。

銚子はしょうゆの街でもあります。

 ヒゲタ醤油とヤマサ醤油の工場があります。

野田市にはキッコウマン醤油の工場もあって千葉県は醤油の一大産地です。

水運と江戸と言う大消費地に近かったのが良かったのでしょうか。

ヒゲタ醤油もヤマサ醤油も無料で工場見学ができます。

時間があったら寄ってみるのもいいですね。

ご隠居は何回も来ているので割愛します。

銚子電鉄のホームにやって来ましたが電車はまだ来ていません。

向こうにJRの上り普通列車が止まっています。

昔は両国駅から準急など列車の本数も多くて賑やかでした。

東京駅の地下ホームが出来て直通特急も運行され便利になるなと思っていたら高速バスがどんどん運行されてお客を奪われてしまいました。

日本全国そんな感じでしょうか。

3000系電車がやって来ました。

かつては京王線として都会を颯爽として走っていたんですね。

ちょっと淋しいかな。一日乗車券を買って乗りましょう。

銚子駅~外川駅間6.4kmの楽しみです。

女性の車掌さんに聞いたら車内はもうクリスマスモードになっているそうです。

明るい車内で良いですね。発車間際には乗客も結構乗っていました。念のためもうし付け加えます。

銚子駅から一つ目の仲ノ町駅で下車しました。

電車庫を見学するために別途入場券を購入しました。

後ろにヤマサ醤油の工場が大きく見えます。しょうゆの街です。

銚子電鉄の自慢、デキ3です。

ちいさなちいさな全長4.4mというミニ機関車です。

大正12年にドイツ、アルゲマイネ社製だそうです。

日本も昔は外国の技術をどんどん導入してきたんですね。

いろいろ出かけると明治とか大正時代にドイツから輸入して現在も元気で稼働しているなんて話を聞きます。

ドイツはなんだかんだ言っても機械技術はたいしたものだなと思います。

(銚子電鉄で販売したいた絵葉書から)

本線をこんなふうに動いていたら誰でも可愛いと思いますよね。

車庫内をぶらぶらしていると銚子行き上りが走って行きました。

この電車は京王電鉄から四国の伊予電鉄そしてここで第三の人生です。

がんばれ!

(銚子電鉄で購入した絵ハガキから)

やっぱりプロが撮れば本線上にも列車を置き、引き込み線の車庫も利用してこんなに豪華になりますね。

 

 

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千葉さんぽ(地球のまるく見える丘)

2019年11月27日 | 旅行

灯台のある街、銚子を引き続きぶらぶらしています。

犬吠埼灯台を背にして歩き銚子電鉄の踏切を渡るとすぐに犬吠埼観音「満願寺」です。

立派な山門です。

参道に向かう前に振り返ると灯台が見えました。

お水舎。お不動様のお水は御先祖様のお土産に・・・・です。

20年くらい昔、坂東33か所観音霊場巡りをやって結願成就しています。

銚子では27番を廻ったあとここに来たと思うのですが全然記憶にありませんでした。本当にボケが始まっているんだなと愕然としました。

しかし家に帰って資料を見たらここは観音霊場ではなかったので行っていませんでした。

少しホッとしました。

しかし5000坪の景勝地に沢山の諸堂が立ち並び驚いてしまいます。

本堂が見えてきました。

徳道上人が創設以来の巡礼の歴史と伝統を受け継いで開設されました。百観音や四国八十八か所その他の霊場を満願成就した人々の浄財で諸堂が建立されました。

「願いがかなう観音様」だそうです。

 

さて次は地球がまるく見える丘展望館です。

ここからも犬吠埼灯台が白亜色で佇んでいます。

手前の立派なお宅が少し邪魔ですね。住民には大きなお世話と言われそうです。

屋上からは360度景色が見渡せ地球がまるく見えます。

朝寄ってきた屏風ヶ浦が良く見えます。

丘の上に沢山の風車があったのですね。

展望室に入ってゆっくり紅茶を飲みました。太平洋を望みながら。

そんなに遠くに行かなくても休日を楽しんでいる気分になり最高でした。

そろそろ陽が傾いてきました。

今晩の宿のある旭市のかんぽの宿に向かいましょう。

途中にある「光と風」の飯岡刑部岬展望館に寄ってみました(以前に当ブログに紹介済み)

かんぽの宿旭は太平洋に面しているので晴れていれば朝日が綺麗です。

お正月とかは初日の出のお客で混みそうです。

何はともあれ旅行二日目も晴れそうで良かった。

 

 

 

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千葉さんぽ(犬吠崎灯台)

2019年11月22日 | 旅行

銚子にやって来たらやっぱり犬吠崎灯台は定番ですね。

銚子電鉄の犬吠駅の踏切を渡ると白い灯台が見えてきます。

日本の海辺を歩くと代表的な景観ですね。

青い空に青い海、そして白い灯台。平和な景色です。

水面から灯火まで52.30mです。

昔は行く手左側にはお土産屋さんや食堂が並んでいましたが最近はお洒落な店もできました。

犬吠テラステラスという店舗です。今年の元旦に開業したそうです。できたてのピッカピカのお店です。

2階はおみやげやさんに海側には眺望のいい椅子、そしてハンモックもあって寝ながら太平洋が見物できます。

一階は喫茶室にパーラー、軽い食事もできるようになっています。

ご隠居はここまで来たので隣のいつもながらの食堂で海鮮丼を食しました。

白いポストが見えてきました。

以前に行った九十九里の海の駅には水色のポストがありましたね。

最近はポストも昼間から赤い顔して置いてあるわけではないようです。

このポストから投函すると、灯台の風景印で手紙が届くそうです。

それでは中に入ってみましょう。

狭い99段の階段を上って最後は急な梯子です。ミニスカートではやめましょう。

今はミニなんかはいているいる女性なんかはあまりいませんね。

犬吠崎灯台です。素晴らしい景色です。

この灯台を建設したのは「日本の灯台の父」と尊敬されているスコットランド人リチャード・ヘンリー・ブラントさんです。

1874年初点燈が行われました。

彼は明治元年に横浜に到着、8か月間で26基の灯台、灯船を築造したそうです。

そういえば富岡製紙工場でもフランス人のポールブリューナが独身で日本にやって来て懸命な努力で完成させてくれました。

破格な待遇で日本政府は迎えたのでしょうが当時の外国人は技術者魂で作ってくれましたね。

そうそう餘部鉄橋なんかもそうですよね。

日本人も技術力は世界一とか自負しているわけですので後進国にどんどん出向いて行って助けてあげたらいいと思います。

1876年に帰国して、1901年ロンドンで亡くなってウエスト・ノード共同墓地で安らかに眠っているそうです。

現在は殆どの艦船がGPSで運行されているのを天国でどう思っているでしょうか。

 

 君ヶ浜の海辺も素晴らしくよく見えます。天気が最高です。

潮風に当たってやっぱり錆びますよね。

むずかしい話は別にしてなんだかほっとします。

灯台資料館に寄るるのを忘れました。国産第1号のレンズがあったのに。

再び外に出ました。

灯台のある風景は本当に日本らしくて好きです。いつまでもお元気で。

灯台下の遊歩道に出てみました。

潮風が気持ちいです。今年は南房総の初春のお花畑からはじまって晩秋の犬吠崎までやって来ました。

穏やかな時間が過ぎていきます。

灯台が示すのは陸への道標だけではなく明日へ続く希望です。(観光パンフレットより)

 

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千葉さんぽ(屏風ヶ浦)

2019年11月15日 | 旅行

久しぶりで銚子にやって来ました。国のとっぱずれです。

126号線から「銚子ドーバーライン」などというお洒落な名前の道を通って銚子マリーナに着きました。

マリーナも平日なので人影もまばらです。

先ずは銚子の町ですね。

「銚子には三つの時間があります」とのことです。

人々の暮らしを支える岬を作った大地の時間、

力強く、岬に生きる人々の歴史を紡いだ郷土の時間、

そして、岬のむこう、水平線の先に広がる未来への時間。

です。それでは銚子の町を散策しましょう。

公園の向こうに屏風ヶ浦が見えてきました。

銚子から隣町の飯岡の刑部岬までの10kmにわたる海岸の絶壁(海抜40m~50m)です。

英仏海峡のドーバーの「白い壁」に匹敵する荒削りの雄大なスケールということになっています。

ご隠居は英国などにはもちろん行ったことはありませんが実際に行った人の感想はどうか聞いてみたいですね。

屏風ヶ浦の崖上は私有地も存在している上、危険なので撮影などで入らないようにとくぎを刺されています。

もう少し近くに行ってみたいので遊歩道のほうに行ってみましょうか。

銚子の町は大量の風車が回っています。隣町の波崎も風力発電で有名ですが風の具合がいいのでしょうか。

300万年前に海底で積もった地層が隆起して波で削られてできた崖が続きます。

歌川広重の浮世絵にも描かれていて「国指定の名勝及び天然記念物」です。

この崖はまだ手前です。これからです。

あららら・・・ここからがいいのに此の先に行けません。

しょうがないね。観光パンフレットの写真でも載せましょう。

こんな感じなのです。

気を取り直して次に行きましょう。

ここにも尊敬する伊能忠敬さんの碑がありました。

7月26日晴天 此早朝日出て 犬若岬に於いて富士山を測りし

其の悦しるへし

ここから富士山が見えたんですね。今までの測量の正確さを富士山の方位で確認して嬉しかったのでしょう。

千葉科学大学です。

ちょっと前まで森友学園、加計学園問題(もりかけ)で世間を賑わせましたがその加計学園グループです。

この大学も歯学部もあるし設立当時助成金問題で議会でもめて、岡山の大学設立時と同じようようなことになっていたみたいです。

でも時が経ったらすっかり忘れられましたね。森友のご夫婦の裁判はどうなっているのでしょうか。

最近は春の園遊会のことが騒がしくなってきましたね。

安倍ちゃんもこんなに脇が甘いと憲法改正どころじゃなくなくなると思いませんか。

youtubeお借りして崖を見てっましょうかね。

 

 

 

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千葉さんぽ(上総国一之宮玉前神社)

2019年10月14日 | 旅行

台風19号が過ぎ去りました。被害に遭われた方々にはお見舞い申し上げます。

千葉では15号のこともあったのでかなり構えていましたが美浜区ではほとんど被害はなかったようです。

太平洋のはるか南で台風が生まれて広い地球なのに人口の密集している東京付近に到着するなんて(ましては15号は美浜区に上陸しました)不思議です。

単なる物理学だけで判断できないような気がします。

日常でもたまたま昔の友人のこと思い出したりしていると電話が来たりします。

地球でも人間でも合理的な現象だけで成立しているわけではないような感じです。

 

さて関東地方屈指のパワースポットとして知られる上総国一之宮玉前神社(かずさのくにいちのみやさきたまじんじゃ)にやって来ました。

商売繁昌、縁結び、子授かり、安産など沢山のご利益があるとか。

ご隠居にはすべて必要のないことなので死ぬまで健康でいられるようにお参りします。

最初の鳥居をくぐって御神水をいただきましょう。帰りによる方が良さそうです。

神社のご加護をいただき運気が上がるとされているそうですが長生きのお願いにも効くでしょう。

本殿が正面に見える一の鳥居に来ました。

日本の東端に位置する玉前神社は日の信仰があり、一の鳥居は真東を向いています。春分と秋分の日に鳥居を照らす

日の出の位置と玉前神社を結んだ延長線上には、寒川神社、富士山頂、七面山、竹生島、皇大神宮、大山(だいせん)の大神山神社

そして出雲大社がならびます。

これらの通過地点を「御来光の道(レイライン)」と呼ばれているそうです。

玉前神社はレイラインの東の起点であり、関東屈指のパワースポットと言われているそうです。

昔の人はどんな天体観測をして調べたんでしょうかね。

京葉線の地下4階のホームから地上ホームに向かう途中に玉前神社の綺麗な写真が出ています。

前からどんな神社なのかなと思っていましたが改めて由緒正しい神社なんだなと感心しました。

むずかしいことは別にしてこんな風景も日本的でいいですよね。

お宮参りでしょうか。健やかに育ってこれからの日本を支えてくださいね。

神楽殿

玉砂利の道を素足で3周歩くと足元から土地のパワーいただくことで気が満ち願い事がかなうと言われているそうです。

ご隠居も誰もいなかったのでのんびり歩いてみました。

来週あたり持ち株が上がって儲かればいいな。

なんだなんだ願い事はないとか言いながら結構欲かいているジャン。てか。

上総十二社祭

「上総の裸祭り」とも称し807年から始まったと伝えられる祭りで房総半島に多い浜降り(はまおり)神事のなかでも古式を

守る祭礼として千葉県無形民俗文化財に指定されています。

オリンピックの会場にもなっている釣ヶ崎海岸が祭典場になっています。

堤防から取る写真が定番ですがものすごい人でご隠居みたいな素人がボーとして行くと海に落ちてしまいそうです。

千葉に住んでいるからには一度は行ってみたいですね。

話は変わって風船爆弾です。太平洋戦争中のことです。

風船爆弾は勿来(福島県)やここ一の宮から米国本土に向けて昭和19年11月頃から1000個以上放球されたそうです。

米国西海岸に到達したものは山火事などが起きて市民はたまげたそうです。

気球の周りの紙はこうぞを原料とした和紙、こんにゃくを原料とした糊で接着、女学生や女子挺身隊が働き手。

直系は10m、5kg爆弾2個積載、気球の中は水素ガス。

水素ガスは昭和電工の川崎工場あたりからボンベに詰めて貨車で一の宮の基地に運ばれました。

8000mから10000mを冬の偏西風にのせて(だから11月なんだな)米国本土に向けて飛ばしたそうです。

短気な日本人としては呑気と言うか風まかせの面白い発想ですかね。

でも旧陸軍のエリートが本当にそんなもので敵にダメージ与えられると思ったのでしょうか?

もっとも試験勉強だけ鋭い奴と言うのはどっか抜けているのかもしれませんね。

北朝鮮の馬鹿男が聞いたら笑ってしまうかも。

おいらの国のは核ミサイルを搭載して米国全土に到着できるんだぞー。

アメリカ人はそんなもの来ても驚かないし誰も褒めないと思いますよ。

まずは自分の国の人民に食糧でも確保するのが先でしょう。ね。

本当に戦争ぐらいばかばかしい話はないなと思いながら一宮川の土手に出ました。

ここからヨットにでも乗ってアメリカ西海岸に着いたというようなことならあちらの人も拍手でもしてくれるでしょう。

 

(おまけ)

平成元年10月7日

更生保護制度70周年記念全国大会が東京国際フォーラムで開催されました。

写真は一切禁止なのでありません。

天皇、皇后両陛下もご臨席頂きました。安倍総理が祝辞を述べたりしていましたが国会とか大丈夫なのかなと思っていました。

2時に終わって、夕方自宅でニュースを見ていたら3時から国会中継で安倍さんが演説していたのでやっぱり分刻みで忙しいんだなと思いました。

出席者は全国から約5000人。うち法務大臣表彰など受ける人が3259名です。殆ど出席しています。

ご隠居みたいに「おめぇー数合わせに行ってきてくれ」といった何ももらえない人が約1700人です。(記念品にボールペンはいただきました)

いつまでたっても主役になれないご隠居です。

まぁ勲章なんかもらっても(法務大臣表彰は勲章ではありませんが、だから皇居には行きません)死んでしまえば子孫に捨てられてしまいます。

もっともオマエみたいにたいしたことしていない人にはくれと言っても挙げないよと言われそうです。

帰りの京葉線の窓辺を見ながらなんとなく一日が終わったなと思いました。

どんどん歳を重ねていきます。

 

 

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東京日和(とげぬき地蔵)

2019年04月11日 | 旅行

六義園に来たのでついでに山手線を一つ乗って巣鴨駅に来ました。

駅前にも桜が咲いていました。

おじいちゃんと言うよりおばあちゃんの聖地とか高齢者の原宿と言われている巣鴨地蔵通り商店街です。

すぐ左側に江戸六地蔵の一つ真性寺の大きな笠をかぶっているお地蔵さんが目につきます。

とげぬき地蔵のおかげで六地蔵ではここが一番賑わっているそうです。

昔江戸の出入り口に六ヶ所に地蔵菩薩像を建立したそうで約270cmの高さがあります。

ちなみにあとは品川寺(品川区)大宗寺(新宿区)東禅寺(台東区)霊厳寺(江東区)、そして永代寺跡(江戸川区)はありません

商店街を歩いてみましょう。

若い人が意外と多いのにはびっくりしてしまいます。それもカップルが多い。

成田山の参道でも衣料品を売る店が多いのですが女性は雰囲気で買ってしまうのでしょうか。

地元の衣料品店でも品揃いは豊富だと思うのですがね。

ちょうど昼時で行列が出来ていました。

こういう店が結構美味しのでしょうね。ちょっと看板のメニューを見たらエビフライが・・・・・。

イオンがありました。「まいばすけっと」という名前になっています。

地方に住んでいるとイオンといえば幕張新都心店みたいに馬鹿でかいのを考えてしまいます。

商店街の通りに面して間口10間ほどのイオン。ちょこっと自転車で来て買い物できていいですね。

日常生活に密着したイオンです。

昔のテレビ番組で赤い下着の店が話題になっていましたが最近少ないみたいです。

高岩寺(とげぬき地蔵)に参拝しましょう。

テレビでもおなじみの耳かきの店です。お客がいませんでした。

ここはいつもすごい行列です。

昔毛利家の女中が針を誤飲した際に地蔵菩薩の御影を飲んだところ針を吐き出すことができ、更には御影に針がささっていたという伝承で

「とげぬき地蔵」の通称になりました。

他の病気にも治癒改善のご利益もあるということになっています。

本堂は東京大空襲のさい焼けましたが昭和32年に再建されました。

ご隠居も「いつまでも健康でくだらないブログが書けますように」と参拝しました。

 

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いきいき茨城(神栖市波崎)

2019年03月28日 | 旅行

先日用事があって佐原に行きました。

郵送で済む話なのですが「おめぇの顔見なければ印鑑押さない」とかで出かけて行って無駄話をしてお昼をご馳走になりENDです。

そんなことだろうと思ってカメラを持っていき午後から利根川沿いを下って波崎町まで行ってみました。

波崎町は風車の町です。現在は神栖市波崎となりました。

利根川をはさんで銚子市と向き合っています。

平成30年2月現在44基の風車が立ち並んでいます。

クリーンエネルギーの町です。ドラマの舞台にも良く出てきます。

ウインドパワーかすみ

ご隠居は原発はいらないと思っていますが太陽光発電もどうかなと思います。

景色のいい場所でもやたらに樹木が倒されて殺伐としてその上、山手線内の敷地全部使っても原発一基分ぐらいとか。

むなしいですよね。

まぁ電気がなければ即生活が出来なくなるわけですので贅沢は言えませんがね。

この太平洋の風から電気が造られるんですね。

ピッカピカのできたての活きのいい電気です。東京の方に行くのかな。

銀座の夜を明るくしてくださいね。

波崎の海水浴場の方に来てみました。

風が吹くと砂丘の模様がどんどん変化します。

ちょっと淋しい感じです。でもハマグリなど貝類はたくさん取れるらしくて「二枚貝の採取禁止」の看板がありました。

銚子の友人が言っていましたが波崎の海岸は北向きなので太陽が輝いていてもむなしく感じるとのこと。

波崎漁港でs。日本有数の水揚げ量を誇る漁港です。

ここからも風車が見えます。

波打ち際を見ていると寂しいのですが一歩中に入れば鹿島臨海工業地帯の真っただ中で124号線状はとても賑やかです。

風車と漁港と大工業地帯と変化に富んだ町でした。

 

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ときめき神奈川(曽我梅林)

2019年03月09日 | 旅行

松田の桜まつりと同じ日に出かけたのですが時間が経ってしまいました。

このところ滅茶苦茶仕事が忙しくてごめんなさい。

さて曽我梅林です。

御殿場線、下曽我駅で下車して畑の中を歩きます。

御殿場線がのんびり畑の中を走って行きます。

少し先に白梅が見えてきました。

かなり広い面積の梅林となっています。各梅林を合わせると35,000本もあるそうです。

この地は日本三大仇討の一つ「曽我兄弟」の主人公曽我十郎、五郎兄弟が育った場所だそうです。

ご隠居の好きな三大なんとかです。

「三大仇討」とは曽我兄弟の仇打ち、鍵屋の辻の決闘、もう一つは諸説ありますが浄瑠璃坂の仇討または赤穂浪士の忠臣蔵。

ただ赤穂浪士の方は厳密に言えば仇討ではないのではずす人が多いそうです。

(すっきり晴れているとこの向こうに富士山がみえます)

1193年(頼朝が征夷大将軍になった翌年)に曽我兄弟が父の仇である工藤祐親を討取った事件です。

結構話が難しくて工藤祐経と伊藤祐親が領地争いがあり工藤が伊藤を殺そうと計画するが誤ってその子供を殺害。

その子供には奥さんがいたが後家になり曽我氏と再婚する。そこで生まれた子が曽我兄弟です。

富士の裾野で頼朝が巻狩りをするがそれに乗じて工藤を殺害します。その後二人も死んでしまいます。

仇討を決行するまでにいろいろ苦労話がありますがむずかしい。

鍵屋の辻の決闘は渡辺数馬と荒木又衛門が数馬の弟の河合又五郎を伊賀上野の鍵屋の辻で打った話です。

浄瑠璃坂の仇打ちは宇都宮藩で前藩主の法要の時に出席者同士の争いが始まりだそうです。

 いい天気の日に梅の花を見ながらかたき討ちの話もないですよね。

何処にも今はキャラが来ますね。

梅の花を見に行きますと道真公の話となりますがここには小さな八幡様が鎮座していました。

賑やかに日本列島にも春がやって来ました。

これからいよいよ桜のシーズンです。

あと何回桜の満開の姿を見れるかわかりませんが春をどんどん楽しもうではありませんか。

 

 

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ときめき神奈川(まつだ桜まつり)

2019年02月26日 | 旅行

神奈川県松田町の桜まつり(早咲きの河津桜)を見に行きました。

小田急新宿駅に着くと新型GSE70000形ロマンスカーが間もなく出発です。

10時、10時20分と続けて満席です。

貧乏人のご隠居は普通乗車券で乗れる急行で出かけます。急行と言っても伊勢原駅からは各停になって遅いんですよね。

約90分で小田急線の新松田駅に到着。

静岡に近いせいか蜜柑が沢山販売されています。気持ちの良い商店街を歩きながらJR松田駅に向かいます。

駅前からシャトルバスに乗ろうと思ったらすごい行列で1時間以上待つようです。

結局歩くことにしました。上り坂ですが30分ぐらいです。

公園の入り口で入場券をはらって上りましょう。

一年間丹精込めて手入れしているのでお金とるのは当然ですよね。

河津桜と菜の花のコントラストがいいですね。

後ろにうっすらと富士山が肉眼では見えるのですが写真ではちょっと無理かな。人間の目玉ってなんだかんだ言っても性能いいですよね。

キャッチフレーズは「山から西に望む、雪化粧の富士山と桜のコントラストは一見の価値がある」

松田町はロウバイでも有名だそうです。2月初旬頃までが見頃か?来年生きていたら来たいものです。

松田町内を流れる酒匂川が見えます。その先は相模湾です。

東京に向かう東名高速道路も見えます。

当然花より団子の人達も何処にもいます。

町に向かって滑り落ちていくような気分は子供たちにとっては最高でしょうか。

平日に来てお祭りなのに淋しい景色なんかを撮るのは嫌だと思ってわざわざ日曜日に来たらこの人たちです。

結構有名なんですね。

三脚なんか出して芸術的写真なんかを撮ろうと思ったらやっぱり平日ですね。

オマエに芸術的写真なんか撮れるのか、と言われれば?ですが写真教室の先生にたまに「野崎さんいいアングルで撮れましたね」なんて言われますがいつもケチつけていると来なくなるから配慮しているのかもしれませんね。

2時間ぐらいぶらぶらしてJR松田駅に戻って来ました。 

町の中でもイベントが行われていました。

御殿場線に乗って今度は曽我梅林に向かおうとホームに上ると松田まつりの開催場所の西平畑公園の全容が見えました。標高568m松田山一帯です。

約360本の桜です。日本の春はいいですね。

 

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