ななきたのご隠居~野崎 幸治

千葉市美浜区で行政書士をしています。
地元では「ななきた(磯辺7丁目北自治会)のご隠居」と言われています。

磐越西線の旅(猪苗代町)

2015年05月25日 | 旅行

列車が会津若松をでると車窓に会津磐梯山が見えてきました。

そして猪苗代駅に着きました。

バスの時刻表を間違えていたのか湖畔の方に行くバスは出たばかりです。

レンタサイクルもありますがじい様が汗かいて自転車なんかに乗っていると若い人に気持ち悪がられて逃げられそうなので止めました。

タクシーに乗ると

「観光地としてはもう一つ整備不足だけどその分いい所もありますよ」

「住みやすいですか」

「そうねぇ、夏は昼間は暑いけど猪苗代湖のおかげで夕方になると涼しい風が吹いてきて気持ちいいよ。

それに冬は寒くて磐梯山からの風が冷たい。けど朝起きて真っ白な磐梯山を見ると今日も元気で頑張るぞという気分だね」

「景色に恵まれていますね」

「お昼まだだったら名物は馬肉、かつ丼、それにお蕎麦も美味しいよ」

と言っているうちに野口英世記念館に着きました。

周辺には食事できる店が何軒もあり一大観光地です。

この一画には世界のガラスを展示しているような建物もありました。

馬肉は嫌いだしこの辺のかつ丼はどんぶりのご飯の上にきざみキャベツが敷いてありその上にたれに浸したトンカツが乗っているのだと思います。玉ねぎに卵が溶いたものはかかっていません。

結局天ざるを食べましたが確かにお蕎麦は美味しかった。

記念館の中にに入ってみました。

まずは庭の方に向かいます。

誕生地の碑です。

野口英世の生家です。

英世は若松の会陽医院の書生となる16歳までこの生家で過ごしたそうです。

猪苗代湖の四季を見ながら少年時代の英世はどんなふうに過ごしたのでしょうか。

誰でも知っている囲炉裏の場面です。

1915年(大正4年)渡米してから15年ぶりに、ただ一度だけ帰国しました。

それから100年、リニューアルオープンした記念館です。

展示館の方に入ってみました。

大型のプロジェクターシアターがありざっとその生涯を見られます。

北面が全面ガラスで磐梯山が良く見えます。野口英世の生涯、素顔、母シカの自筆の手紙など展示してあります。

野口英世のロボットはよくできているなと思いました。先日三越の受付嬢にロボットがやっているのには感心しましたが同じ感じです。

猪苗代湖の方に出てみました。

湖の近くは葦の原になっていてうっかり入るともぐってしまうそうです。

もう少し近くまで行ければいいのにと思いました。サイクリングロードがあり長浜の方に行くと遊覧船にも乗れます。

疲れたのでその元気もないので止めました。

サイクリングロードのわきにタンポポが咲いていました。

振り返ると会津磐梯山が綺麗に見えました。

そろそろ今回の旅も終わりです。駅で聞いたら郡山からの新幹線は終日満席でした。

2015年ゴールデンウィークは連日天気に恵まれて気持ちのいい休日でしたね。

 

さてカレンダーを見ると6月がひたひたと迫ってきます。もうじき一年の半分が終わりになります。

時間は容赦なく過ぎていきますね。お元気で。5月の配信は終わりです。

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磐越西線の旅(飯盛山)

2015年05月24日 | 旅行

さて飯盛山にやってきました。

会津を旅すれば必ず立ち寄るポイントです。皆様よくご存知でそれぞれの思い入れもあるとと考えられるので簡単に紹介しましょうね。

両側に並ぶお土産屋さんはいつ来ても商売熱心です。

いつ頃からでしょうか。右側にコンベアーみたいな長い昇降機がついて参拝しやすくなりました。

感じとしては品川の泉岳寺、四十七士の墓と似ていますがこちらは山中ということもあり緑豊かで厳かな感じです。

いつも線香が絶えないようです。

白虎隊十九士の墓

白虎隊は戊辰戦争で戦った16歳~17歳の少年達の墓で飯盛山の中腹にあります。

鶴ヶ城が飯盛山から中央、緑の山の上に見えます。

火に包まれた城下を望みながら若い命を散らしました。

当初20名でしたがその内一名だけが死ねずに生き延びその人の証言だともう一度城に戻って戦おうとか激論があったそうです。

ズームで撮ると少しぼけてしまいました。

さざえ堂

江戸時代中期の仏堂で上り下りが、らせん状になっていて同じところを通らずに見物できる世界的にも珍しい建物だそうです。

戸の口堰洞穴

昔は水がなくてこの洞穴に白虎隊が一時避難したそうです。

さてそろそろ会津若松ともお別れして次の猪苗代湖に向かおうと思ったら電車の発車時間が迫っていたのでタクシーに乗りました。

「あっちこっちの城下町に行きますが会津若松は賑やかのほうですね」

「休みの時だけですよ。連休が終わるとがっくり観光客も減って涙が出ちゃいますよ」

「やっぱり大河ドラマの影響も限定的ですね」

「八重の桜が放送されていた時はこの3倍ぐらいの人出だったかなぁ」

「でも城下町はなんか清々しくて好きですよ」

「ここは盆地だから夏は暑いし冬は結構雪も降るんで住むにはきつところだなぁ」

何となく最後まで悲観的でした。

電車も赤べこがお出迎い

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磐越西線の旅(会津武家屋敷)

2015年05月21日 | 旅行

会津武家屋敷にやってきました。

7000坪の敷地内に家老屋敷を中心に歴史的建造物などが立ち並んでいます。

階段を上って資料館の白壁を見ながら歩いていくと表門に出ます。

 

うやうやしく出迎えてくれました。どこにでもある観光地の人形です。

家老屋敷です。

この家老屋敷は会津藩家老西郷頼母(さいごうたのも)邸を復元したものです。

西郷頼母は「八重の桜」では西田敏行が演じたそうです。

歴史的には会津藩は幕末に最大の危機を迎えるわけです。

西郷は藩主の松平容保公の京都守護職就任を政局に巻き込まれるからと反対したそうです。

その後も戊辰戦争では新政府に恭順(和平)を進言しましたが徹底抗戦を主張する指導部に押し切られました。

強硬派の指導部はどこにもいます。現状を考えず(すでに東京では明治と年号が改まり新政府に対して人々の気持ちも希望に流れています)正義とか大義を振り回します。

その結果白虎隊みたいな若くて将来のある子供たちを死に追いやってしまいます。

西郷もその後鶴ヶ城の守備の戦いに参加したりしますが最後まで数奇な運命をたどります。

サラリーマンをやっていた頃でも会議で弱気の人は「最初から目標が小さくてどうするんだ」などと糾弾されます。

ガンガン強気な意見に流れてゆきがちで結局最後はたいしたことなくて経費ばかりかかってしまうことがよくあります。

まあそういう強気な人は結果が悪いと他人のせいにしてしまいます。

 

ご隠居の自治会でも高齢化が進んでもう夏祭りや運動会を止めようというと必ず強硬な反対意見が出ます。

実際にテント一つ設営するにも大変になってきている現状があります。

日本だけではないと思いますがどうして強硬で大きな夢みたいな策が指導権を握るのでしょうかね。

雨戸は角の小さな金属にあたって90度回転します。

旧中畑陣屋

一回りすると最後はお土産物屋さんとレストランの入った棟から出口に向かいます。

会津のお土産はやはり赤べこでしょうか。

さて会津に来たら飯盛山は観光ポイントとしてはずせませんね。何回も行った人もいると思いますが次回紹介します。

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磐越西線の旅(会津若松市内)

2015年05月19日 | 旅行

周遊バスに乗り七日町通りに出て白木屋前の停留所で下車してみました。

会津若松には30年ぐらい前に来ただけなので初めて来たようなものです。ものすごくお洒落な街になっています。

休日に知らない街をぶらぶらするのは楽しい気分です。

白木屋漆器店

新島襄や八重の泊まった清水屋旅館跡

なんの店だったかなぁ?

こんな感じの店舗が沢山あります。

末廣酒造

さて野口英世青春通りに出ました。

福島県と言えば野口英世ですよね。

野口英世青春館

に入ってみました。

よく知っている話では子供の頃囲炉裏でやけどした話です。それは実家のほうで猪苗代湖湖畔にあります。

ここはその後、野口英世がやけどで負った傷の手術を受け、その奇跡に感動して医学を志し進んで書生になった会陽院跡です。

昔は医学部など行かなくても薬局生として学び医術開業試験に合格すればよかったそうです。合格するために猛勉強したそうです。

「ナポレオンは3時間しか寝なかった」と英世自分も実行したとか。とにかく生涯を通じて寝る間も惜しんで勉強したようです。

でも会津女学校の山内ヨネという女学生に初恋をしてラブレターなども送っています。しかし恋は実らず渡米したのちメリー夫人と結婚します。

偉い人は何事にも情熱的に経験していくようですね。

今まで勉強不足で野口英世という人は日本から直接アフリカに渡って黄熱病になって亡くなったと思っていました。

しかしその前にアメリカ、ペンシルバニア大学のフレスキナー博士の助手として毒蛇の研究やスピロヘータ純粋培養でかなりの実績を残していたみたいです。

 

それではかなり感動した後は自分には絶対に無理だ、今迄どおりだらだら生きていこうと気持ちを新たにして又バスに乗り御薬園に向かいました。

室町時代に霊泉が湧きだしたこの地に別荘を建てたのが始まりだそうです。

以来会津の歴代藩主が利用してきました。

三大藩主、松平正容(まさかた)のとき、朝鮮人参の栽培に成功して広く作付を推奨したことから「御薬園」と呼ばれるようになりました。

藤の花が綺麗でした。

心字の池と

楽寿亭(左)・・・江戸時代の中期数寄屋風建築。萱葺きの屋根と細い柱が特徴

御茶屋御殿(右)・・・戊辰戦争の時は西軍傷病者の治療所になりました。建物の内部にはその頃の刀傷があります。

まだまだ見物するところは沢山ありそうです。次は会津武家屋敷に行ってみます。

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磐越西線の旅(鶴ヶ城)

2015年05月15日 | 旅行

会津若松にやってきました。ご隠居の好きな城下町です。

駅を出るとゴールデンウィーク真っ盛り。観光客でごった返していました。

こういう時はまず観光案内所へ。最近どこも観光に力を入れているので相談にも親切でパンフレット類も充実しています。

「まちなか周遊バスが便利です」ということで早速乗ってみることにしました。

「あかべぇ」は市内を時計回りに回ります。

一日何回乗ったり下りたりしても500円です。難点は町が混んでいるとなかなk時間通りには来ません。

「ハイカラさん」は反時計回りに周遊します。

まずはお城に行ってみましょう。

鶴ヶ城入口で下車、少し歩くとお堀が見えてきました。

この辺まではどこも同じです。駐車場に入れない車が列を作っていました。元気で歩ける若い人は車なんかやめて徒歩で散策すればいいのにと思いました。

こんなこと書くと車売れないで困っているのにと自動車のディラーに怒られるかな、。「おまえもちょっと前まで車庫証明の仕事で右往左往してたじゃないか」と言われそう。

鶴ヶ城の天守閣が見えてきました。

1384年に東黒川館が建てられその後1589年伊達正宗が会津に入り1590年には蒲生氏郷が領主になったとパンフレットには書いてあります。

昔のことはどうでもいいので現在の景色・雰囲気を楽しみましょう。

あいにく混んでいて天守閣に登る観光客の列が城外まで長い列でしたので入るのはあきらめました。

混んでいる時は会津若松に宿泊して朝一で来るのがいいでしょう。周遊バスは8時00分から運行されています。

幕末の戊辰戦争では一か月に及ぶ戦でお城は砲弾で傷つき荒れ果てました。その後は明治政府の命令で取り壊されました。

ご隠居はNHKドラマの「八重の桜」は観ませんでしたが大河ドラマファンだったら経緯はよくご存知だと思います。

鉄門

城内に茶室麟閣があったので寄ってみました。

千利休が豊臣秀吉の怒りに触れて切腹を命じられました。

会津城主の蒲生氏郷は利休の筆頭の弟子格でしたが千家がお取りつぶしになると茶道全体が廃れてしまうと危惧して利休の子・小庵をかくまいました。

その後氏郷が秀吉に千家再興を願い出て許されたそうです。その小庵が会津にいる間に麟閣を建てたといわれているそうです。とパンフレットに書いてあります。

新緑が綺麗な庭でした。

まずお城を見て安心しました。あとはゆっくり市内を歩いてみたいと思います。

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磐越西線の旅(喜多方市)

2015年05月12日 | 旅行

ラーメンと蔵の街、喜多方市にやってきました。

喜多方駅

昨日は遅くなって寝ましたが年のせいか旅先だからか早く目が覚めました。

ふれあい通り

ホテルで朝食をとり通りに出ました。まだ人影まだらです。

朝から気持ちの良い陽があたり湿度も低くて楽しい旅になりそうです。

まず駅に行きロッカーに荷物を預け駅から一番遠いポイント、おたづき蔵通りまでタクシーに乗りあとは西回りに町を一周して歩いて駅まで戻ります。

おたづき蔵通り

タクシーに乗っていると朝からラーメン屋さんの前に行列ができている場所があります。

「朝7時からやっている店もあるよ。まあ地元の人は朝からラーメン食っている馬鹿はいないから観光客向けだよね」と運転手さん。

「運転手さん!お奨めの店ありますか?」

「スープでも薄味だったり濃厚だったりトッピングも店によって違うから一概にどこがいいとはお客さんの好みもあるから言えないなぁ」

「やっぱり行列の出来ている店の方が美味しいよね」

「まぁ散々ならんで食べてみたらやっぱり美味しかったとか期待外れだったとかのほうが喜多方に来た感じがするよね」

「なるほど」

「最初からがらすきの店に行ってやっぱり不味かったじゃ、そんなブログだれも見ちゃくれないよ」

なかなか鋭い運転手さんだなと思いました。

小原酒造

そうこうしているうちにおたづき通りに着きました。

小原酒造さんの酒蔵を見学しました。

モーツァルトを聴く音楽酒として有名です。「蔵粋」と書いてクラッシックと読みます。

日本酒に音楽を聴かせると酵母の発酵が活性化してフルーツ香が強くなる。

また音楽のマスキング効果により酵母の死滅率が低下して雑味が少ないという効果があるそうですよ。

ベートベンやバッハなどいろいろな曲を聞かせたがモーツァルトが一番効果があったとか。

新酒ができると青い杉玉を掲げそれが茶色に枯れた色になるころには吟醸酒などができるのでしょう。

杉は殺菌作用があるので昔から酒を運ぶ時に船底に敷いたそうでその辺から酒と杉の葉の関係があるのかも。

町のあっちこっちに清水が湧きだしているのをみても美味しいお酒が出来そうです。

459号線出でて一度ふれあい通りに戻るような感じになります。

飯豊連峰

田付川の橋の上に出ると雪をかぶった飯豊山が見えてきました。神々しい感じがします。

昔サラリーマン時代、夏休みに会社の同僚と飯豊連峰を縦走したことを思い出しました。

ものすごくきつかった思い出があります。新潟県新発田方面から登って最後は喜多方に下山しました。

今なら100万円くれるといっても登らないでしょう。

若喜商店煉瓦蔵

さすがに素晴らしい蔵があります。当時としてはめずらしく2階にバルコニーがあります。

当ブログでも川越、栃木市、真壁町など蔵の街を紹介しましたがまだまだ数多くありそうです。

蔵見世

郵便局も蔵造り

大和川酒造 北方風土館

おびただしい美味しそうなお酒も販売しています。

喜多方蔵の里

蔵の里にやってきました。

喜多方は江戸時代には物資の集散地としてまた若松城下と米沢を結ぶ街道のまちとして栄えたそうですよ。

現在でも4100棟以上の蔵が広く分布しているそうです。

それでは気持ちの良い風に吹かれながら昔をしのんで見学しましょう。

さて時間も押してきたので駅に戻りましょう

ちょっと長い行列の出来ているラーメン屋さんで待つ余裕もないので店内で少しお客が待っている店に入ってみました。

ネギラーメン

メニュー見てどれが喜多方ラーメンと聞いたら全部そうですと言われました。

味の方は・・・・・・・・・・・。

快速あいず で会津若松に向かいました。

485系でしょうか。かつては房総半島を始めとして各地を特急車両として走っていましたが今はのんびり会津の風に吹かれてお客さんを運んでいるようです。

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磐越西線の旅(つがわ狐の嫁入り行列)

2015年05月09日 | 旅行

ばんえつ物語号はさらに会津若松方面に走り去っていきました。

ご隠居は津川駅で下車しました。(新潟県阿賀野町津川)

津川では5月3日は年に一度のお祭りです。たった一日だけです。

駅前には狐のモニュメントが飾られていました。

人口数千人の街に4万とも5万人とも言われている観光客が訪れる「つがわ狐の嫁入り行列」のイベントです。

行列は17時ごろからでお昼を済ませると何もやることがありません。ばんえつ物語号に乗りたかったので早くついてしまいました。

みんな手持ちぶたさにぶらぶらしています。

町は阿賀野川に面しています。5月の陽をうけてキラキラと流れています。

遠くの山はまだ雪が見えます。手前の新緑とのコントラストが素晴らしい。とにかく静か。観光地に行くとスピーカーでガンガン民謡なんかを流しているところもありますがここは風の音と阿賀野川のせせらぎだけです。

一日ぐらいだと何もないということで目一杯休暇を楽しんでいる感じです。地元の人は毎日見ていると飽きて都会に出てパチンコでもやりたくなるかもしれません。

本日の主役麒麟山(194m)です。

昔、麒麟山に狐がいて、毎晩のように狐の声が聞こえて狐火が見られました。

津川の狐火は世界一と言われ麒麟山にまつわる狐や狐火の話は数多くあります。

昔、嫁入りは夜にかけて行われあたりは暗く提灯を下げて行列をしました。

この提灯の明かりと狐火が平行して見え狐の嫁入り行列が生まれたとも言われています。

「狐の嫁入り行列」は幻想の世界です。

しかし、親から子へ、子から孫へと言い伝えられました。

狐火の多く見える年は(狐の嫁入り行列の見えた年)豊作で縁起の良いとされました。

 

まだまだ時間つぶしは続きます。

町は雁木の通りが見られます。

日本中を旅行したイザベラ・バード(明治11年)「通りに面して切り妻壁えお向けており、軒下はずうっと散歩道になっている」と紹介しています。

お母さんと一緒に狐になった気分かな。

パレードは

①午後5時   花嫁・旅立ちの儀 住吉神社

  白無垢すがたが初々しい今宵の主役花嫁。

  うつむき加減でお里に別れを告げる。

②午後5時50分 狐の嫁入り行列 住吉神社出発

 イヤー ソーライーと木遣りにのせて花嫁行列がおごそかに進む。

③午後6時30分 子狐の祝踊り

 可愛らしい子狐が元気いっぱい跳ね回る。 地元の保育園児

④午後7時45分 麒麟山公園到着

⑤午後8時 結婚式・披露宴

 多くの祝福に包まれて、古式ゆかしい結婚式の儀式。

⑥8時45分フィナーレ

 渡し船に乗って麒麟山へ。

狐火に化身し、世にも幻想的なクライマックス。

 

いよいよ住吉神社で儀式が始まります。

やがて行列は夕闇の中に去っていきました。

気のせいか空が曇って風が涼しくなりました。

江戸時代を描いた映画でも結婚式・披露宴はだいたい夜、蝋燭をガンガンつけて煌びやかにやっています。

昔はめでたくて祝福される結婚式をなぜ夜やったのでしょうか。昼間の輝く太陽の下でやった方がいいと思うのですがどなたかご存知でしょうか。

どのガイドをみてもフィナーレは感動的だと書いてありますがここでご隠居は撤収です。

中途半端なレポートですがこれを見て私も来年行ってみようと思う人がいたら幸いです。

とにかく混んでいて宿などとても取れないのでご隠居は喜多方のビジネスホテルに予約してあります。

ここからまだ1時間30分ぐらいかかります。

津川駅発上りの列車は18時43分、次は最終の21時18分です。最終だと宿に着くのが夜間11時ごろになるのであきらめました。

写真教室の先生がいたら

「野崎さん大金はたいて来たんだから

野宿でも立ちションしても石にかじりついてでもフィナーレまでいて良い写真撮らなくちゃあだめだ」

と怒られそうです。

阿賀野川に架かる長い橋を渡って駅まで歩きました。

まだ帰途についている人はほとんどいません。みんな車かな。

駅に着くと狐のモニュメントに灯りがついていました。

お客も少ないのですごく幻想的でした。

空を見上げると黒い山々の峰の上に星が瞬いていました。

休暇を楽しんでいるはずがなんだか悲しい気分にになりました。

ご隠居は寂しい所で一生過ごすより賑やかな所の方が好きだヮ。

朝5時30分に自宅を出てまだまだ長い一日は終わりません。

 

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磐越西線の旅(「C61ばんえつ物語」号)

2015年05月06日 | 旅行

5月の連休は磐越西線(森と水とロマンの鉄道)新津・郡山間175.6kmを乗ったり降りたりして旅をしました。

今回は上越新幹線東京駅7時00分発「とき303号」で出発です。(右側)

8時59分には新潟駅に到着です。

9時28分発の「ばんえつ物語」が入線していました。

隣のホームに653系の電車が停車していましたが誰も観ていません。

出発の準備も完了のようです。

連休で満席だとのことで機関車も張り切ってシュ!シュ!シューゥと蒸気を吐き出しています。

爺さん頑張れよと煙突に鉢巻でもしめてやりたくなりました。

駅のホームもイベントムードが高まっています。

これ1本走らせても新幹線1両分の利益にもならないでしょうが気持ちです。

例年ばんえつ物語号はC57が牽引するのですが現在点検中でC61が代打です。

客車も特別車両(ばんえつ物語用)になっています。

展望車(グリーン車)

新潟平野はもうすぐ田植えです。

最近コメの値段が下がって気の毒ですが農家のみなさんやる気なくさないで美味しい日本のお米を作ってくださいね。

都会の人にとっては日本の米造りが止められてしまうのが一番怖いです。

コンビニで買う130円のおにぎりで農家に入るコメ代金は15円くらいとかいう話もありますがどうにかならないのでしょうか。

途中でも歓迎の手を振ってくれています。

新入社員らしき車掌さんが大きな声で歓迎のあいさつ。初々しくて良かったよ。

能代川の上をSLの煙がたなびきます。日本の初夏です。

明るい展望車

阿賀野川が見えてきました。

水量がものすごく豊富です。川幅が広くなっているところはダムがあるみたいですね。

SLは100分ばかり走ると津川駅に到着です。爺ちゃん疲れたみたいでかなりの休息です。

停車時間を使っての撮影。

石炭の移動に車輪の点検、水の補給、手間のかかる奴(機械)なのです。それだけにかえって人気があるのかもしれません。

C61-20号機は戦前造られましたが昭和24年に改造されて新鋭機になりました。

その後は花形特急「はくつる」など牽引しました。世のすう勢が電気機関車になってからは地方で各地の貨物列車になりました。

そして引退。群馬県の伊勢崎市の公園に展示されてひっそりと暮らしていました。

さらには昨今のSLブームで引っ張り出されて各部品を取り換え新品のようになり現役時代よりも脚光を浴びて人気があります。

人間の一生に似ていますね。

我々も定年を迎えて第二の人生だとのんびり生きるのも大事なことです。

またボランテァ活動を通じて余生を世の中のために生きるという選択肢があってもいいかもしれませんね。

ただ機関車と違って体の部品を取り換えて青春時代の元気さになったということはないのであまり張り切りすぎるのはやめましょうね。

ほどほどに。

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5月

2015年05月02日 | 日記

5月になりましたね。

目に青葉 ホトトギス 初鰹

日本で一番いい季節になりました。街は花盛り。

事務所の前の花見川緑地もツツジが満開です。

休日ですので陽のあるうちに菖蒲湯にでも入りましょう。

そのあとは初鰹にソラマメ、5月定番の肴で飲みましょうか。

最近はプリン体ゼロ、糖質ゼロ、甘味料ゼロの酎ハイがあります。これでカロリーゼロだったらただの水になってしまうのでないか心配です。

さて皆様はゴールデンウィークはどこかお出かけの予定はありますか?

天気に恵まれるといいですね。

ご隠居は福島方面に明日から出かけます。「ふくしまデスティネーションキャンペーン」開催中で賑やかそうです。

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