ななきたのご隠居~野崎 幸治

千葉市美浜区で行政書士をしています。
地元では「ななきた(磯辺7丁目北自治会)のご隠居」と言われています。

奥の細道旅行譚(仙台城跡など)

2018年01月28日 | 旅行

るーぷるー仙台を「青葉城跡」バス停で降りました。

護国神社の鳥居を通り、大手門跡に出ます。

仙台市博物館とか仙台城見聞館とかありますがここに来たらやっぱりこの伊達政宗公騎馬像ですね。

仙台市内を見渡すように政宗公の騎馬像が悠然と佇んでいました。

その仙台市内です。

仙台城は伊達政宗公によって1602年には完成されたと言われているそうです。

東と南が広瀬川と竜の口渓谷の断崖、西が険しい山々に囲まれた天然の要害で、石垣は主に本丸の周りに築かれました。

確かにバスに乗っているとこれが市内の一画かと思うほど険しい道を走って行きます。

バスの運転手さんがガイドもしてくれますが「先日イノシシが入場料も払わず東北大学植物園の入場門を駆けて入って行った」などと面白く話していました。

この植物園も原生林が生い茂っていて時間があったら散策してみたい場所です。

城址の一画に宮城県護国神社がありました。

護国神社と云うのは各県にあるのでしょうか。千葉にもあります。

せっかく仙台に来たので公園内のレストランでずんだ餅を食べました。

千葉そごうで宮城の物産展を開催されている時にたまに買いますが変わらぬ味でした。

宮城伊達藩といえばお家騒動で有名です。

前回三代藩主「綱宗公」の墓所が立派なのを見てきました。

その綱宗公が江戸の吉原にて放蕩を繰り返し叔父伊達宗勝(一関殿)が諫言したのにもかかわらず聞き入れず謹慎の身となりました。

これには世継ぎ問題が絡み幕府の老中酒井雅楽頭と伊達宗勝の六十二万石の密約があったのではないか。

藩内の守旧派、進歩派を交えての大騒動になります。そこに天下の知恵者かはたして大悪党か宿老・原田甲斐の出番となります。

仙台に行く前に山本周五郎の「樅の木は残った」をもう一度読んでみようと探しましたが処分したみたいで見つかりませんでした。

そこでブックオフに行って中古本を買ってきて読み返しましたがたいして感動もありませんでした。

山本周五郎の本では若い頃「さぶ」「ながい坂」「赤ひげ診療譚」など、もちろん「青べか物語」もですがたくさん読みましたがもう一度読む気にはなりません。

どんどん若い作家が出てきて最新の社会現象を取り入れた小説の方がやっぱり面白い。

さてご隠居の好きな三大なんとかですが、

三大お家騒動といえば「黒田騒動」「加賀騒動」そして「伊達騒動」です。

 

さて次は青葉山駅バス停で下車しました。

バスは東北大学の広大なキャンパスを横切るように走っています。

少し構内を散策しました。

ここは東北大学の理学部や工学部のあるキャンパスですがそれにしても広い。

国立大学は各県にありますが旧帝国大学といわれる全国6大学は規模が違うようです。

それに学生数がに少ないのでゆっくり勉強が出来そうです。しかしこれだけ広いと教室を移動したり食事など不便じゃないかと思いました。

そういえば東北大学の理・工学部と言えば長岡半太郎や本多光太郎など偉大な物理学者を出していますね。

東北大学の学生の皆さんもじっくり勉強してノーベル賞でも取ってください。

 

さて次は大崎八幡宮です。

バスを降りるとこちらも階段が続きます。

本殿は修理中でした。

大崎八幡宮は伊達政宗公によって1607年に創建されました。

本殿、石の間、、拝殿が一体となった権現造の典型だそうです。

司馬遼太郎もここを訪れています。

「参道は街中にありながら古い木立に囲まれていて、杜にちかい厚みがある。

八幡宮だから、社殿も八幡造りだとおもっていた。八幡造りはは、そのルーツである宇佐神宮(大分県)の建物でもわかるように、屋根にそりがあり、本殿と拝殿が相接している。

ぜんたいとしては、白拍子の舞う姿のようにすがすがしいものである。

が、大崎八幡宮は、頭からそういう形式を無視して、ずっしりとした桃山風に統一されていた」

 

次は定禅寺通り市役所前のバス停で下車、仙台の町を少し歩いてみました。

三越がありました。

千葉の三越は最近撤退して駅前はそごう千葉店しかありません。百貨店も周りの店舗ばかりでなくアマゾンなどのネット販売とも競争しなくてはいけないので大変でしょう。

仙台の商店街は立派なアーケードがありますね。雪が降るからでしょうか。単に屋根がついているというだけではなくてお洒落にどの通りもなっています。

七夕祭りの頃は賑やかなんでしょうね。

 

さてこれで仙台の旅は終わりです。年が明けてから寒い日が続いていて出かける気がしません。

ブログのネタもなくなったしどうしましょう?聞かれてもこまるってか。

 

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奥の細道旅行譚(瑞鳳殿)

2018年01月26日 | 旅行

毎日寒い日が続いていますね。皆様元気でお過ごしでしょうか。

千葉でも朝は連日氷点下です。

ご隠居みたいに第二の人生を送っている人達はいいのですが仕事をしている若い人たちは大変だろうなと思います。

ご苦労様です。

先日千葉でも雪が降り、ご隠居の事務所の前も少し積もりました。

幸いこの日は気温が高かったので夕方までには溶けました。

 

さて仙台の市内散策です。

「るーぷる仙台」という観光スポットを回るシャトルバスが便利なので乗ってみました。

仙台市内をぐるっと回ります。一日乗車券を買うと乗り降り自由で便利です。

そのうえ一時間に4,5本出ています。

日曜日で混んでいました。12月でも結構外国人観光客もいます。

最初の「晩翠草堂前」で降りようと思いましたが身動きできないぐらいで下車する人もいないので省略しました。

バスは瑞鳳凰(ずいほうでん)のバス停に着きました。

会津若松でも日光でもシャトルバスはこんな形のバスでした。観光地の流行でしょうか。

瑞鳳寺。

伊達藩二代藩主伊達忠宗公によって造営されました。本尊は平泉の毛越寺より遷した釈迦三尊像です。

坂道を登って瑞鳳殿に向かいます。

この坂道は戦災からも免れて藩政時代からのものです。杉木立も300年以上たています。

日本の神社仏閣の境内は杉を始めとして針葉樹が多いですね。

明治神宮も最初は針葉樹の森にするように政府の要望がありましたが造園家だった本田静六先生が土壌が針葉樹にはあっていないということで広葉樹を植樹しました。

現在はみごとな神宮の森になっています。総理の忖度など気にしないで仕事の主張を通すと後世に立派なものが出来るみたいです。

一方本多先生は株式投資も上手で分散投資で富を築いたとか。元祖日本のウォーレン・バフェット(バークシャー・ハサウェイ代表)です。

この人の言葉で

「世の中は

濡れ手で粟をつかむようなうまいことが

そうザラにあるわけではない

てっとり早く成功せんとする人は

てっとり早く失敗する人である」

最近仮想通貨なんかに目の色変えている人に読ませてあげたい。

話がだいぶずれました。坂を進みましょう。

ここでも秋が残っていました。

右側で入場券を買います。

涅槃門(ねはんもん)

「涅槃」とは「煩悩(ぼんのう)を取り払った悟りの境地となる状態」を意味するそうです。

ご隠居もこの年になってもまだ煩悩というか欲があるのでこの門をくぐって反省しましょう。

瑞鳳殿。

伊達政宗公は1636年、70歳で生涯を閉じましたがその遺命により経が峯に造営された墓所です。

昭和20年の戦災で焼失しましたが昭和54年に再建されました。

資料館に立ち寄った後、善応殿の方に向かいます。一度階段を降ります。

戊辰戦争弔魂碑。

東北地方に来ると(新潟もそうですが)戊辰戦争の記憶がいまだに残っているような気がします。

感仙殿。

二代藩主伊達忠宗公の墓所です。

忠宗公は法治体制の確立、新田開発、治水、港湾整備に振興をはかりました。

二代目はまだお父様の影響を強く受けているのでまともに頑張るようです。

三代目の孫になると・・・・

三大藩主、伊達綱宗公の墓所です。

さて三代目は幼い頃から芸術的才能にたけていたそうです。

その生涯は書画、蒔絵などに天分を発揮して優雅な余生を送ったと言われています。

そうですか・・・・・・。

北朝鮮の三代目もリトルロケットマンなどと言われないで絵画にでも精を出せばいいのにと思いました。

それにしても瑞鳳殿見学するだけでも時間がだいぶかかりました。又るーぷるバスに乗りましょう。

 

 

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奥の細道旅行譚(十符の菅)

2018年01月22日 | 旅行

薬師堂から一度仙台駅に戻り東北線で岩切駅に向かいました。

芭蕉は5月8日(陽暦6月24日)加右衛門に別れを告げ松島方面に向かいますが途中「おくの細道の山際に十符の菅(とふのすげ)」を見ました。

奥の細道は芭蕉が考えたのだと思っていましたが中世の文献にその固有名詞あるそうです。

この年になって初めて知りました。人生いくつになっても勉強かとも思いましたが知らなくても毎日の生活には困らないなとも考えました。

駅を降りるて七北田川に沿って35号線を歩きます。どこにでもある風景です。

その昔芭蕉と曾良さんはてくてく歩いて行ったのでしょうね。

今市橋が見えてきました。この先の信号を左に折れた場所のようです。

東光寺です。奥の細道の碑がありました。

本堂は改築中でした。かなり有名な古刹のようです。

路地を入ると「十符の菅」「十符の池跡」看板がありました。

十符の菅は網目が十筋あり、きれいな網目が浮き出てこれを材料にした菅菰(こも)は珍重されたそうで仙台藩でも大事に栽培したそうです。

なお「符」は網目のことです。

路地を歩いていくとつきあたりなってしまいました。この辺に池があったのかなと写真を撮っていました。

上のほうで農作業をしていた人が降りてきて「芭蕉の写真かい?」と話しかけてきました。

「うん。千葉の山ん中からはるばる来た物好き一行です」

「最近は小型のバスでもガイドさん付きでやって来るから物好きでもないけど12月にはあまり来ないねぇ」

「わしらは戦後満州から引き揚げてきてここで農業をやっているけど少し有名になって嬉しいよ」

そのあと苦労話を聞いてから帰ろうとしたら「十符の池はもう少し下ったところだけど案内するよ」

早く言ってくれればいいのに思いましたが親切なおじいちゃんでした。

この右側あたりだそうです。

いろいろネットで見てもきちんとした場所はあまりはっきりしませんね。

「奥の細道」のほうは今市橋を北に渡ったところから「六、七丁西に行所ノ谷間」にあった十符の菅の辺の「田の畦」の道をいうそうです。

岩切駅に戻って来ました。工事中か?プレハブの駅舎でした。

現在東北本線は東京駅から盛岡駅まででその先は第三セクターになってしまいました。

なお東北本線は利府支線(岩切・利府間4.2km)というのががあります。利府には別段用事もなかったのですがここまで来たので乗車してみました。

朝夕は仙台駅から直通があるみたいですが日中は岩切駅が始発です。

空いているなと思っていたら上りの東北本線、仙台行き列車が到着して乗り換え客がどやどやと乗って来ました。

進行左側は新幹線の車両基地になっていますが日中なのでみんな稼ぎに出ているらしく車両はあまり止まっていません。

列車は4kあまり走って利府駅のホームに滑り込みました。一応外に出てみましょう。

がらんとしていますが若い人には思い出の場所ではないんでしょうか。

昔、姪に「おじさん今度仙台の宮城スタジアムにコンサートに行くんだけど始まるのは夜だからそれまで時間つぶせるような観光地ある?」

と電話がありました。

「おめぇ、東京だって音楽なんかいくらでも聞けるのになんで電車賃かけて仙台くんだりまで行くんだぁ」

「年寄りはもの知らないねぇ。」と笑われました。

宮城スタジァムでしょうか(利府駅からバスで約10分)。EXILE、GLAYとか嵐の大きなコンサートが開催される場所です。

15年5月連休に開催された嵐の20万人コンサートの時には市内の何処のホテルも満員で電車もまた大きなホテルでは観光バスをチャーターしてすごい騒ぎでした。

ご隠居はそんなのがるとは知らずに松島に出かけたのですが新幹線も東京から満員でほとんどの人が仙台で降りたので不審に思っていたらコンコースがすごいことになっていました。

やっと予約したホテルも石巻でした。

コンサートが終わったあとには駅脇の横丁で一杯。青春の余韻に浸るのかな。

もっとも帰りの新幹線の時間が気になってそれどころではないかも。

それにしても不便な所にサッカー場を造ったものですね。

さて仙台駅に戻り仙山線に乗り換えて一つ目東照宮駅です。

芭蕉も5月7日に参拝しています。日光東照宮を参拝してからこちらはどんな気持ちだったのでしょうか。

石鳥居。伊達忠宗公の奉納。

 

家康公が1591年奥羽仕置の視察を終えて岩出山から江戸に戻る途中、当時天神様の境内であったこの地で休息されたという故事によって鎮座地に選ばれたそうです。

すごいですねぇ。休息したというだけで東照宮が造営されてしまうんですから。

現在では安倍総理に一極集中なんて言われていても歯医者の学校一つ作るのに便宜図ったと非難されたりして可愛いものです。

随身門。国・重要文化財。

扉も素晴らしいが中に入れないので残念でした。

12月というのに仙台では秋が残っていました。

さて仙台で芭蕉が訪れた場所はあと亀ヶ岡八幡宮(省略しました)だけになりました。

せっかく仙台に来たので次回は市内の名所旧跡を回ります。

 

宮城野(後半)

なほ、松島・塩竃の所々、画に書きて贈る。かつ、紺の染緒付けたる草鞋二足餞す。

(松島、塩竃などを絵に書いて贈ってくれた。紺の染緒をつけたわらじ二足も餞別にいただいた)

さればこそ、風流のしれ者、ここに至れりてその実を顕わす。

(このこころにくい贈り物に至ってまさに風流の本領を発揮した)

あやめ草 足に結ばん 草鞋の緒

(端午の節句にあやめ草を足に結んで、邪気を払い勇んで旅に出かけましょうか)

かの画図にまかせてたどり行けば、奥の細道の山際に十符の菅あり。

(絵図をたどって行くといわゆる奥の細道の山際に有名な十符の菅がある)

今も年々十符の菅菰を調えて国守に献ずといえり。

(今でも毎年菅菰を調達して藩主に献上するということである)

 

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奥の細道旅行譚(陸奥国分寺薬師堂)

2018年01月19日 | 旅行

楽天の球場(Koboパーク宮城)からさらに南下します。

JR貨物仙台貨物ターミナルがありました。夕方になると東北本線を通って東京の方に貨物が運ばれるのでしょうか。

観音堂

「木下地区」に入ります。芭蕉が訪れた頃にも日の光も通さないこんもりとした松の木に覆われた場所となっています。

今わすっかり市街地になっていて、一画にあった高校が移転して大きな公園となって整備されています。

木陰に薬師堂が見えてきました。

曾良の日記には5月7日(旧暦)快晴、加衛門と権現宮(東照宮)を拝、玉田・横野を見、つつじが岡ノ天満宮から木の下に行。

薬師堂、古へ国分尼寺跡あり。…省略・・・わらじ二足加衛門持参。

仁王門。写真が傾いてしまいました。これ一枚なのでご容赦を!へたくそ。

鐘堂

加衛門にもらった草鞋の染緒に菖蒲を結んで晴れた日を気分も良く旅を続ける楽しみみたいなものが感じられます。

紫色のあやめ草は魔除けであり、健脚を祈念して芭蕉を勇気づけたのでしょうか。

紺色の染緒とアヤメは実際にはマムシよけであり、ブルージーンズのインディゴブルーは毒蛇除けだそうです。

本堂

約1200年前聖武天皇の詣により建立された最北の国分寺です。当時は奈良の東大寺と同規模の大きさで南大門や講堂など七堂の伽藍が天平の甍をいただいて荘厳だったのでしょうか?

11899年に火災で焼けましたがその後伊達政宗公により再建されました。

大塔

隣の敷地には近代的に建てられた護国山陸奥国分寺本堂がありました。

 

宮城野(前半)

名取川を渡って仙台に入る。あやめ葺(ふ)く日なり。

(おりしも家々に端午の節句のあやめをかざる日だった)

旅宿を求めて、四、五日逗留す。ここに画工加右衛門といふ者あり。

いささか心ある者と聞きて、知る人になる。

(多少風流を解する者と聞いて知り合いになった)

この者、「年ごろ定からぬ名所を考え置きはべれば」とて、一日案内す。

(年来、名のみしられて所在のはっきりしない歌枕(歌に詠まれた名所)を調べておきましたと案内してくれた)

宮城野の萩茂り合いて、秋の気色思ひやらる。玉田・横野、躑躅が岡はあせび咲く頃なり。

(宮城野の萩はみごとに繁って(総合公園のあたりか?)古歌によまれた秋の景色のすばらしさが思いやられる)

日影も漏らぬ松の林に入りて、ここを木の下といふとぞ。

(日も差し込まぬ鬱蒼とした松の林にはいってここが木の下という)

昔もかく露深ければこそ「みさぶらひかさ」とよみたれ。

(古今集に「みさぶらひ御笠と申せ」(お供の人よ、ご主人にお笠をお召くださいませ」と申しあげよ)というほど昔も梅雨が深かったのか)

薬師堂・天神の御社など拝みて、その日は暮れぬ。

 

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奥の細道旅行譚(杜の都の天神様)

2018年01月12日 | 旅行

さて今年のブログも奥の細道の続きからぼちぼち始めましょうか。

もう昨年になってしまいましたが12月の晴れて気持ちのよい日に仙台を散策しました。

奥の細道の足跡を訪ねてからは何回も仙台駅に降り立ちました。

しかし今回初めてはやぶさに乗車しました。

「はやぶさ9号」新青森行きです。東京駅を9時8分に出発すると上野、大宮に停車しただけで仙台駅には10時40分に到着しました。

速いですね。ちなみに芭蕉は旧暦3月27日に千住を出発して5月4日(太陽暦6月20日)に仙台を訪問しています。

12月ということもあって駅のコンコースはクリスマスモードでした。

青葉通りのケヤキ並木も冬景色です。

司馬遼太郎さんが昔の本ですが「街道をゆく」にこう書いています。

「仙台駅の駅前の空間は世界のどの都市にもない造形的な美しさがある。歩行者廻廊がセピア色の駅舎をもうひとつ淡くして、橋の側面材は自然石のような材をつかっている。

橋の路面もゆったりしている。タイルの色は数色もちいて、ほどこされている縞模様は淡い紫色で、印象派の陽かげをおもわせ、まことにむねがひらけてくるようなあかるい表現になっている」

まずは仙台駅から見て東側を歩いてみました。

仙石線の地下になっている榴ケ岡駅から地上に出ると榴岡天満宮(つつじがおかてんまんぐう)の案内板がありました。

仙台から松島.石巻方面に向かうときには普通は仙石線で行きますが一部は東北線経由でもいけます。

仙台駅で間違えて東北線でも途中まで一緒かと思って乗ってから車掌さんに天満宮に行くのには地下ホームからだよと言われました。気をつけましょう。

道真公は本当に日本人に愛されていたんですね。日本の各地に天満宮が鎮座されています。

みんながみんな頭がよくなりたいと思っているわけでもないでしょうから「学問の神様」だけではわりきれないようです。

天神様と言えば梅の花ですが秋はイチョウも清々しいです。

1667年に伊達藩13代伊達綱宗公が現在の仙台東照宮のある地からつつじが岡に移して造営し「杜の都の天神様」として慕われています。

芭蕉は5月7日(陰暦)に参拝しています。本文を参照してください。

天神様の隣にある榴岡公園です。何処にでもあるような公園ですが寒々とした影が面白いので撮りました。

公園の隅にある仙台市歴史民俗資料館です。

早速入館しました。

館内は農村の暮らしとか戦時中の様子が展示されています。

ガイドさんにこれは「十符の菅(とふのすげ)」で作られたんですかと尋ねたらいやいやと笑っていました。

 

資料館は現存する宮城県内最古の洋風木造建築です。かつては旧陸軍歩兵第四連隊宿舎で明治37年当時の外観構造に復元保存しています。

そういえば仙台は帝国陸軍の第二師団があった町です。

浅田次郎さんの名作「終わらざる夏」という小説を思い出しました。

満州の戦線で戦っていた主人公の一人大屋戦車中隊長と仲間は突然千島列島の最果ての島「占守島(シュムシュ)」への転戦を命じられます。

朝鮮半島から日本海を渡り、山陽本線、東海道線、東京では主人公の一人片岡編集者も今まで戦争には縁のなかったような年齢だったのですが召集されこの列車に乗車します。

そして常磐線を通って仙台駅に到着します。蒸気機関車に牽引されて木の遠くなるような旅です。

車窓は全部ブラインドが下ろされ懐かしい太平洋の景色さえちょっとしか見られません。

仙台駅では第二師団に召集された人たちが下車、また青森の師団に向かう人たちの乗車など混乱を極めます。

蒸気機関車だって運転手だって交代はしていますが疲労困ぱいです。蒸気機関車だって口がきけたら「あたしゃ疲れましたよ」というでしょう。

混乱も収まり夜半に疲れ切った人々を乗せて出発しますがすぐに空襲警報で郊外の山中に停車します。

町の方を見ると空襲で赤々と燃えていて後から大勢の人が亡くなったことを知ります。

空襲にあわなくて良かったのですが・・・。主人公たちは何とか根室まで着いてそこから舟で占守島に赴任します。

しかし終戦になったにもかかわらずロシア軍が攻めてきてみんな戦死してしまいます。本当にかわいそうな話です。(一部実話)

本当に戦争はいけません。国と国とでどんな悔しいことがあってもまずは戦争はしないという前提で交渉してほしいものです。

ある意味北朝鮮は戦略が上手だなと思います。日本人はすぐに頭にきて」真珠湾なんか攻撃したけれど。

さて次は芭蕉も立寄った陸奥国分寺野「薬師堂」に向かいます。ここから少し南に下った場所です。

途中宮城野原公園総合運動場の中にあるKoboパーク宮城の前に出ました。

仙台と言えば楽天イーグルスですね。シーズン中は賑わっているのでしょう。

イーグルスの諸君も千葉マリンスタジアムに遠征してきた時にはそんなに頑張らなくてもいいからね。

野球場のある街は親しみを感じます。ここはパリーグだからなおさらです。

さて「薬師堂」の紹介は次にします。これから歯医者を予約してありますので帰ってくると不愉快な気持ちでしょうからうまく書けないと思います。

 

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彩の国ロマン(聖天宮)

2018年01月07日 | 日記

一月も七日になりました。お正月気分もとっくになくなりましたね。

今朝は七草がゆなどを食したでしょうか。スパーなどで販売している野菜のセットはほんの少しでも300円もしました。(東京なんかはもっと高いのかな)

ご隠居もお粥だけではお腹がすくのでお餅を入れたりして食べたら胃に優しいどころかかえってもたれました。

さて明日からは年賀はがきも10円プラスして出すようですがもう今頃もらっても嬉しくないですよね。

「五千頭の龍が昇るお宮」というキャッチフレーズの埼玉県坂戸市の聖天宮(せいてんきゅう)に行ってみました。

天門

畑の真ん中にある駐車場から車を降りるとドーカーンとそびえたっているのでびっくりします。

左側が入場口になっているのでまずは500円払って入ってみましょう。

お正月に初詣に行ってきたなどとなど、とうそを書くとこんなのですぐばれます。そうです昨年暮れに暇つぶしに行ったのであまりご利益はないかもしれませ。

聖天宮は中国台湾三大宗教(道教、儒教、仏教)のひとつ「道教」のお宮だそうです。

日々の道徳を重んじ、善行に報いる最高神「三清道祖」が本尊として祀られています。

日本国内現存する道教のお宮としては最大級の規模を誇り、豪華絢爛の造りは天界の悠久の宮殿を思わせます・・・とパンフレットには紹介されています。

最大級と書かれているので最大のお宮がどこかにあるのでしょうか。まあ細かいことは言わないで先に進みます。

前殿、左は鼓楼、右は鐘楼。

この前で写真を撮って「お正月に台湾に行ってきたんだ」と見栄張ってもばれないような気もします。

「神様と皇帝の建物しか使われない、黄色い屋根瓦と龍は遠くから目を惹きます」とパンフレット。

黄色はいいですよね。ご隠居の事務所も金がガンガン入ってくるように黄色の外壁です。

なんといっても五千頭の龍が彫られています。

道教は中国大陸で発祥した、中国史の起源にさかのぼる太古の民間信仰です。

神話の神々を起源として後の世には三国志の英雄、関羽候なども含む、様々な神々が存在する多神教だそうです。

本殿

本殿のまえで庭を清めていた右側の男性がレクチャーしてくれたのでパンフレットを読まなくてもよくわかりました。

300円納めて線香をいただき三つの願いを煙に託して天に伝えることができるそうです。

ご隠居は三つも願い事がないので早く「億り人」になれますようにとお願いしました。

透かし彫りされた5mもある石柱です。立派です。

客庁

祈祷待合室ですが台湾ムード一色です。

天井もすごいことになっています。

ご隠居の好きなスタンプもあったので押してきました。

こんな風景素晴らしいですね。日本とは思えない。

 

どうですか?

台湾とか行ってみたくなったんではないでしょうか。ご隠居も一度しか台湾には行ってませんが4,5日ぐらいのツァーだと食事も美味しくて飽きませんよ。

 

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2018正月

2018年01月02日 | 日記

あけましておめでとうございます

本年も当ブログを見てくださる皆様の健康と発展を祈念いたします。

    平成30年 西暦2018年 皇紀2678年  正月 

        ななきたのご隠居 (野崎幸治)

 

新しい年が始まりました。

千葉では明るい陽射しが輝いていますが風はとっても冷たくて自宅でぶらぶらしているのがいいようです。

昨日(元旦)の検見川神社の賑わいの様子です。かなりの人出でした。

 

年くれぬ 春くべしとは 思ひねに まさしくみえて かなふ初春

                   西行法師

(年が暮れて明日からは春がやってくるなと思いながら寝たけれども初夢でみたことが叶った)

芭蕉も尊敬していた西行法師です。今年もいい旅したいですね。

皇居

昨年暮れの二重橋。

1月2日は一般参賀で混み合うことでしょう。

正門

考えてみれば東京(江戸)も巨大な城下町なんですよね。

30歳まで東京に住んでいましたが城下町に暮らしているなんて一度も考えたことがないくらい大きな町です。

 

さて東京駅の丸の内側の整備が終わって綺麗になりました。

今までは工事用のトンネルなどもあり駅全体の写真が(素人には)うまく撮れませんでした。

広場もさっぱりしました。

新任の外国大使はこのプロムナードを馬車に乗って陛下に面会に向かいます。

 

東京駅は日本の旅の基点です。

今年も健康で各地を訪れて、

たくさん、たくさん良い思い出を作りましょう。

 

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