ななきたのご隠居~野崎 幸治

千葉市美浜区で行政書士をしています。
地元では「ななきた(磯辺7丁目北自治会)のご隠居」と言われています。

僕の細道旅行譚(秋田市内続き)

2018年09月27日 | 旅行

引き続き市内をぶらぶらします。

お堀から旭川(大町公園橋)を渡ります。

川沿いの建物は秋田市内一の繁華街「川反(かわばた)」通りです。

やっぱり夜に来ないともう一つと言う感じです。

オフシーズンの時は何回かなじみの店で飲みましたが竿燈が開催されている時はすごい人なんでしょうね。

秋田市民俗芸能伝承館(ねぶり流し館)にやって来ました。

ここでは竿燈のさわり部分的に見学することができます。

室内ですので祭の夜、街を練り歩く竿燈には到底及びませんが近くで雰囲気を味わえます。

ねぶり流しは古くから伝わる祖先の霊を弔う行事に豊作を望む庶民の祈願などが結びついてさかんに行われたそうです。

初めは、身に着いた汚れや悪霊などを川に流し、夜に提灯を高くかざして歩く行事でした。

かつて祖先の霊が迷わぬようにと、家も前に灯火を高く掲げる習慣もありました。

また寝ている間に悪霊が取り付くと信じられていたので、盆の頃眠気を取り払うために七回水浴びをするなど、眠り流しと呼ばれていました。

江戸時代後半には「眠り流し灯籠」といい、子供や若者たちが長い竹竿に灯籠を沢山つけて町中を練り回る「竿燈」行事となりました。

「ねぶり流し」は明治14年から竿燈と呼ばれ、今は「秋田の竿燈」として全国的になりました。

次は旧金子住宅です。

江戸時代後期に質屋、古着商を営み明治期には呉服の卸商を操業して昭和50年までこの地で商いが行われていました。

地方に行くとこんな感じの豪商が結構あります。

ご隠居みたいに一生涯小さな分譲住宅で暮らしているものにとっては想像もつかない暮らし向きなのでしょう。

室内にある立派な金庫です。

ご隠居は最近終活をボチボチしていますが最近小さな手提げ金庫を捨てました。

お金も3000円ぐらいしかありませんでした。もちろん空にして捨てました。

次は赤れんが館(旧秋田銀行本店本館)

以前に盛岡の街を紹介した時にも同じように岩手銀行赤れんが館という建物がありました。

各県の中央銀行と思われる物は同じような感じです。

階段だってすごい立派です。

こんな感じで預金しに来ると利息も余計にもらえる感じがします。権威がありますよね。

最近は静岡のほうの銀行みたいにあきれ返るようなもありますが確実に金融機関の信頼度は落ちていますよね。

けっこう疲れました。40年ぐらい前によく泊まったビジネスホテルがまだ営業していたので懐かしかった。

夜はここから川反の町に少しばかり繰り出しましょうかね。

 

 

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僕の細道旅行譚(秋田・久保田城)

2018年09月25日 | 行政書士のお仕事

やっと秋田駅に着きました。

改札口を出てプロムナードには金足農業高校の垂れ幕がありました。

優勝したのかなと思ってみていたら祝の次に「準」の文字が小さくありました。

さて少し秋田の街を歩いてみました。

舗道も広くて気持ちの良い散策が出来そうです。日本中どこにいても奇麗な街並みになっていますね。

お堀が(千秋公園)見えてきました。

昼過ぎに行ったのにハスの花が咲いていました。

清楚ですよね。何処の蓮池に行ってもお釈迦様が葉っぱの上でたわむれていそうです。

城址公園の中に入ってみましょう。

先ずは佐竹資料館です。今日は休日でした。なんだなんだ。

千秋公園の広場。

秋田犬にふれ合おうということで各地にふれあい所が設置されています。

暑かったのでだれ気味です。

いつもはこんなに立派なんだぞう!

それでは坂を上がって表門に入ります。

長坂門

久保田城内の開閉の管理と城下の警備、火災の消火等を担当していた物頭の詰所。

振り返ってみるまた趣が違います。

八幡秋田神社。サルスベリの花が綺麗でした。

佐竹義堯(よしあき)公の銅像。関ヶ原の戦いの時挙動が良くなかったので睨まれて秋田に左遷されました。

常陸の国(茨城県)から国替えになった佐竹氏は秋田で20万石の城下町を築きました。

 秋田に移るにあったって茨城の美女をみんな連れて行ったと言う話があります。

そこで秋田美人となるのですが残った茨城はどうなったのでしょうか。

久保田城御隅櫓(おすみやぐら)

場内に八つの御隅櫓の一つで市制100年を記念して復元されました

早速登ってみましょう

櫓は「矢を射る座(くら)」すなわち見張り場としての役割と「矢倉」すなわち武器庫としての役割を持っています。

展望室までの展示物です。

秋田美人のポスターです。

ご隠居もサラリーマン時代秋田には仕事で非常に縁がありました。

ある時湯沢の製材所の社長さんに「秋田美人と言うけどあまり合わないなぁ」と言いました。

「オメェ。美人はみんな東京に行っちゃって、ゆんざわ(湯沢)にはいねえんだ。いるのは子供とばあ様だけだ。うちのおっかあだって若い時は東京にいて美人だったけど今じゃ期待にこたえられねや」

とか言っていました。

天守閣ではないんですよね。とにかく屋上から穏やかな秋田の町並みが見えてきました。

ご隠居がいた頃は冬になると秋田は何処に行っても真っ白な景色になりました。

特急いなほがマスクをしたように前面真っ白にして窓だけがわずかに見えるような状態で日本海を疾走していました。

最近は雪も少ないのでしょうか。そして電車ではなく車での移動でしょうね。

 

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僕の細道旅行譚(羽後亀田駅)

2018年09月20日 | 旅行

羽越線羽後亀田駅に下りてみました。

昭和49年野村芳太郎監督(原作:松本清張)丹波哲郎、加藤剛、そして若き日のわが千葉県知事の森田健作などが主演している「砂の器」のロケ現場になった駅です。

映画の景色も奇麗だったし戦中、戦後の混乱期に一人の若者の成功と挫折がものすごく印象的でした。

また戦時中にもかかわらず駐在さんが行き連れの親子の世話をして病気の親は療養所に入れて外地では戦争やっていても秩序が保たれていたんだなと思いました。

一応切符を売っている女性がいました。お客も数人いましたが電車に乗るのではなく駅前にコミニティバスが来たらみんな乗って行き誰も居なくなりました。

さて物語は蒲田駅操車場で遺体が発見される所から始まます。

手がかりは何もなく犯人と被害者が蒲田のトリスバーで飲んでいたことが分かります。

ホステス(当時は女給)すみ子がチラリと二人の会話の中で「カメダは今も相変わらずか」とい会話を聞いたと話す。

カメダは人の名前か地名かと考えているうちに秋田に羽後亀田があることが分かり刑事の丹波(西刑事)と森田(吉村刑事)が捜査に出かけます。

上野発21時の急行「羽黒」で羽後本荘経由13時間かかって羽後亀田駅に到着します。

通常の座席で(ボックス席)の出張ですから大変ですよね。西村京太郎シリーズの十津川警部と亀井刑事みたいにすぐに新幹線かなんかで行くのは楽ですよね。

駅を降りても何もなくて駅前の食堂に入って森田がかつ丼を食べていたら丹波が「君は若いから食欲あるねぇ」などとの台詞があります。

町は駅から2kmぐらい離れています。

その森田健作も来年は70歳です。いつまで県知事やるんですかねぇ。

結局調査は間違いでその後全国に話が飛びます。この辺が面白い。

 言語学者なども出てきて東北地方独特の濁音の多いなまりは中国地方の一部でも使われているということが分かる。

そして島根県の山奥に亀嵩と言う場所があります。そろばんの産地。映画の中では素晴らしい農村の風景です。

まだ行ったことがありませんが一度行きたいなと思っています。

亀嵩のあとは伊勢、名古屋とロケ地になって行きます。そして究極の殺人の動機が分かって行きます。

駅前に観光マップがありました。

駅から341号線を2kmぐらい歩くと岩城の城下町みたいです。

そこまで行けばロケ場所の朝日屋とか龍門寺なんかが見られるかもしれません。

しかしタクシーなんか呼んでもいつ来るかわからないし9月と言うのに滅茶苦茶暑くて歩く気もしません。

いつものように手頃の場所にて撤収です。

戦時中だったらご隠居が小隊長ぐらいでも(もっとも根性ないからいつまでも一兵卒でしょうが)すぐに撤収の号令を掛けそう。

いつまでたっても勲章なんかもらえそうもありません。

秋田行きの列車を待っていると何本も貨物列車が通りました。

地方に行くと旅客よりも貨物の方が元気です。

やっと来ました。2両編成の秋田行きです。

何処に行ってもこんな感じです。イライラしてはいけません。のんびりと。

そういえば「砂の器」の主人公は老後、警察官を辞めて予定を決めないで全国を旅行していたのでなかなか本人を特定できませんでした。

ご隠居もあっちこっちふらふらしているのでどこで交通事故で死んでもいいように身分証明書だけは携帯していきましょうかね。

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奥の細道旅行譚(蚶満寺)

2018年09月17日 | 旅行

さて象潟ではやっぱり行ってみたい蚶満寺(かんまんじ)です。

羽越線の踏切を渡るとすぐです。まずは山門の方から行ってみましょう。

「羽海法窟」の扁額がかかっています。

日本らしい姿です。

伝説の西施の姿でしょうか?お寺の案内書には何も書いていません。

平成2年8月1日象潟町日中友好協会の碑という説名文がありました。

しかし美女と言うのはすごいですね。遠くの中国の話でも話題になります。

旅姿の松尾芭蕉像。あっちこっちで沢山芭蕉の像を見ました。

奥の細道300年松尾芭蕉翁建立趣旨書の銅板がはめ込んでありました。

蚶満寺七不思議のひとつ、寒中雪の中で開花する。

芭蕉の木がありました。立派です。

北条時頼公のツツジ。

蚶満寺には芭蕉の象潟三詠懐紙の忠実な写し一軸が伝存するそうです。

本堂です。

ご本尊は釈迦牟尼仏です。

本堂裏手の小高い場所には芭蕉句碑がありました。

「象潟の雨や」「西施がねぶの花」初案があります。

象潟の合歓の花は7月25日前後に開花するようです。

「象潟島」刻した小さな標柱、船着き場の跡と船つなぎ石、その奥には西行法師歌桜跡などがあります。

ここも島だったのですね。

さて蚶満寺をあとにして駅の方に戻りましょう。

蚶満寺から南500mぐらいの場所です。

能因(平安時代中期の歌人)という人が3年間幽居されていたそうです。頂上には「能因島」の標柱があるそうですが省略です。

西行法師が「象潟の 桜はなみに 埋もれて 花の上こぐ 蜑(あま)のつり船」と詠んでいます。もちろん芭蕉も訪れています。

せっかくここまで来たので日本海をちょっと覗きましょう。

ご隠居の住む検見川浜も夕日の美しい町ですがここは日本海に面していて素晴らしい夕陽でしょうか。

遠くに象潟漁港が見えます。漁港がすぐなので夕飯は海の幸が一杯。特に夏の巨大な岩ガキが名物です。

ご隠居は生ガキは苦手なので遠慮しました。フライは好きです。

日本海の夏もそろそろ終わりでしょうか。

さて芭蕉はこの後北上して秋田、津軽まで行きたかったらしい。江戸の杉風(さんぷう)に出した手紙でもわかります。

ただ曾良は幕府の隠密でこれより北の調査は意味がなかった。それより村上や新潟、直江津の港の方(北前船の航路)の機密事項を探りたかったようです。

そんなわけで芭蕉はふてくされてここから日本海を飛ぶがごとく駆け抜けて岐阜ま帰ってってしまいます。

ここからはいつものようにご隠居がかってに行く「僕の細道旅行譚」です。もう少し北に向かいます。

 

象潟

江山水陸の風光数を尽くして、今象潟に方寸を責。

(これまで山水海陸の美景を見てきたがいまや象潟に対して詩心を悩ます次第となった。)

酒田の湊より東北の方、山を越え、磯を伝ひ、いさごをふみて其の際十里、

日影ややかたぶく比、汐風真砂を吹上、雨朦朧として鳥海の山にかくる。

闇中に模索して「雨もまた奇也」とせば、雨後の晴色又頼母敷と蜑の苫屋に膝を入れて、雨の晴れを待つ。

象潟に船をうかぶ。

其朝天能霽て、朝日花やかにさし出る程に象潟に船をうかぶ。

(天気はからりと晴れて)

先能因島に船をよせて、三年幽居の跡をとぶらひ、むかふの岸に舟をあがれば「花の上こぐ」と詠まれし桜の老木、西行法師の記念をのこす。

(真っ先に能因島に舟をこぎ寄せ能因法師が3年間隠棲した遺跡を訪ねた。)

江上に御陵をあり。神功皇宮の御墓と云。

寺を干満珠寺と云。此所に行幸ありし事いまだ聞ず。いかなる事にや。

(ここに皇后が行幸されたことはまだ聞いたことはない。どういういわれがあるのだろうか。)

此寺の方丈に座して簾を捲けば、風景一眼のなかに尽き、南に鳥海、天をささえ、その陰うつり江あり。

西はむやむやの関、路をかぎり、東に堤を築きて秋田にかよふ道遥に、海北にかまえて、浪討ち入る所を汐こしと云。

(海を北にひかえて外海の波が潟にうち入る所を汐越えとよんでいる)

江の縦横一里ばかり、俤松島に通ひて、また異なり。

(入江の縦横は各一里ばかり、そのおもざしは松島に似ていてまた違ったところがある)

松島は笑ふが如句、象潟はうらむがごとし。

寂しさに悲しみくわえて地勢魂をなやますに似たり。

象潟や 雨に西施が ねぶの花

象潟に雨が降りしきるねぶに花が咲いている。それは古代中国の美女、西施の憂いある面影にも似ている

 

 

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奥の細道旅行譚(九十九島)

2018年09月13日 | 旅行

芭蕉一行は天候が悪く酒田から象潟には雨が激しくて苦労したようです。

曾良の日記

16日吹浦ヲ立。番所ヲ過ルト雨降出ル。女鹿、より難所。馬足不通。

・・・・・・・ウヤムヤノ関成ト云。此の間、雨強ク甚濡。・・・・

昼ニ及テ塩越ニ着。佐々木孫左衛門尋テ休。衣類借リテ濡衣干ス。ウドン食。

・・・・17日小雨朝食後、皇宮山蚶満寺へ行。・・・・・・・

・・・・18日快晴。・・・

芭蕉は雨に濡れた合歓の花が咲き、悩める美女西施(せいし)のようだと感嘆しています。

芭蕉が訪れたのは8月1日(陽暦)だから残花があったかもしれない。

ご隠居は9月になっていたのに少しみられてよかった。同じ花でも芭蕉が見たかもしれない場所です。

今野又左衛門の家

芭蕉が宿泊したという能登屋の跡地を見ながら今野又座衛門の跡に辿り着きます。

象潟の名主で芭蕉訪問時心から丁重にもてなしたと言われています。

熊野神社

芭蕉来遊時の「所の祭」というのは熊野神社の祭礼です。ちょうどお祭りの時で女客で混んでいて最初の日は熊野屋ではなく向屋に宿泊したみたいです。

芭蕉といえどもすんなり宿が取れないことがあるんですね。

象潟橋。正面に雲が覆ていますが鳥海山です。

1689年に芭蕉もこの景色を見たのでしょうか。まあ鳥海山だけは同じ姿でしょう。

それにしても感激します。

町並みは新しくなってしまいました。

鎧下見板といって日本の代表的建築物です。

下見板材を横方向に1寸2分(36mm)ほど重ね合わせて張り込む。

重ね合わせたのにくせを押し縁で(縦材)で抑え込んでいきます。

とても通気が良いそうです。

史蹟 船つなぎ石

昔象潟川をさかのぼってきた和船が綱をかけて船を止めました。

それだけではなんにも面白くないのですが芭蕉と曾良もここから船に乗って象潟の美しい八十八潟九十九島の島巡りをしました。

なるほど。

腰丈橋(こしたけばし)

熊野神社の御祓いの禊を行う場所で御手洗川とも言われた神聖な場所です。

芭蕉も 腰長(丈)や 鶴脛ぬれて 海涼し と詠んでいます。

駒留島

この辺りから九十九島島巡りのコースとなっています。昔は潟湖(湖水)になっていたのでしょう。

芭蕉も船の上から島々を遊覧したのでしょうか。

もうちょっとでいなほが黄金色になるのでしょう。ちょうどいい時に来るのは難しい。

芭蕉は松島は笑うがごとく象潟は憾むがごとしと象潟の景色にはどこか憂いがあるとの感想です。

句にある西施(せいし)とは古代中国の絶世の美女であるが敵国の王を惑わすために差し出された薄幸の美女です。

芭蕉が来遊後115年経過した1804年の大地震で湖底が隆起し、文字通りの蒼海変じて桑田と化しました。

島の周りは水田になってしまい遠くを見ると風力発電の羽が回っています。芭蕉も現在に来たらびっくりするでしょう。

それにしても我が国は地震の多い国ですね。

 

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奥の細道旅行譚(象潟)

2018年09月06日 | 旅行

久しぶりに奥の細道の旅に出ました。

芭蕉は酒田から北上して象潟に向かいます。

ご隠居は9時28分発とき313号で出発です。11時34分定刻に新潟着でした。

乗り継ぎに少し時間があるので新潟の街を1時間ばかりぶらぶらしました。

新潟駅前のメインストリート。新幹線の終着駅にしては迫力ありませんが現在新駅舎を建設中みたいです。

信濃川を見に萬代橋まで行ってみました。

途中、流作場五差路にレプリカがありました。

歴史ある萬代橋です。ゆうゆうと信濃川が流れていました。

さて12時32分発いなほ5号で秋田県へと向かいましょう。

先頭車両の1号車はグリーン車でお洒落です。もちろん見るだけ。お客は1人でした。

いなほは新潟駅から秋田駅間を約270km走ります。

厳密には新潟駅から新発田駅間(しばた)は白新線を走り、そこから羽越線を走行なります。

羽越線は新津駅から新発田駅に向かいます。

とにかく日本海に沿って走るので抜群の景色のよさです。

こういう景色のよい路線では駅弁を食べながらの旅がいいでしょう。

最近駅弁は値段ばかり高くなって材料もえびだ蟹だ、高級和牛だ、はい1500円なんて感じでちょっと嫌です。

駅構内のコンビニでおにぎり2個におーいお茶で十分だと思うことがあります。

しかしこの「新潟コシヒカリ弁当」は1000円でご飯も美味しくておかずも昔からの伝統の味で良かった。

とか言っているうちに海が見えてきました。

粟島でしょうか。

羽越線に平行して国道7号線が走っています。

次々と海の画面が変わって行きます。

酒田に近づくと鳥海山が見えてきました。晴れているので美しい姿です。山側の景色です。

15時11分やっと象潟駅に到着しました。

自宅を8時に出たので約7時間かかりました。(途中乗り継ぎ時間が1時間ありましたが)

新幹線、在来線の特急だけで普通列車は全く乗っていないのにこれですから日本も広いですね。

象潟駅です。

この写真は撮るのを忘れていて夕方撮影したものです。

いまは象潟はにかほ市になるんですね。鳥海山と芭蕉の町です。海も奇麗です。

秋田から見た鳥海山。

鳥海山の山頂が秋田県か山形県かで争いがあるそうです。

遠くの人にとってはどうでもいいような話です。

駅広場の北側に芭蕉文学碑がありました。

俳聖芭蕉は元禄2年6月16日九十九島八十八潟と称された絶勝の地象潟を訪れて・・・・

と説明文があります。

ねぶの花がまだ咲いていました。

芭蕉が来遊後115年後に大地震で湖底が隆起してその後水田になってしまいました。

それでは300年以上昔は景勝地だった場所を見て回りましょう。

しかし疲れたので次回です。

 

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2018/9月

2018年09月01日 | 日記

やっと9月になりましたね。

これから12月に向かってどんどん暑くなるということもないでしょうから一安心です。

それにしても熱中症で100万人ぐらいの人が死ぬかと思いましたが結構みんな、なんとかすごして人間というのも生命力あるなと思いました。

まあご隠居も食欲がないとかゴチャゴチャ言いながらも今年の夏も生き延びました。よかった。

もうすぐさわやかな秋ですね。

 

夏草を 刈り終え戻れば 卓上に 冷え冷えとして 桃ひとつあり

(朝日歌壇 安中市 鬼形輝雄さんの作品)

今年は桃が美味しかったですね。

これから梨、葡萄、柿、そして蜜柑つぎつぎと美味しい果実が出回ります。

その季節の旬の果物がいいですよね。年が明けるとすぐにスイカなども見かけるご時世ですが2月頃死ぬんじゃなければスイカは夏に食べましょう。

 

先日東京に行った時東京ミッドタウンに寄ってみました。

ふつうじゃない2020年展とか訳の分からない展示会がありました。

東京って面白いですよね。

0m走

スタートの音がして立ち上がるまでの時間 0.0・・秒?

重量挙げをリアルに再現した立体顔ハメ人形です。この前に顔を出して普通じゃないSNS映えを狙えます。

アスリートの背筋力を実感するために300kぐぉ超える重さの剣をもちあげを試す「エクスカリバー背筋力測定」

バレーボール選手の到達点と同じ高さのボタンに設定したふつうじゃない自動販売機です。

うまくボタンを押せば冷えたコーラが出てきます。

カップヌードルマラソンサイズ。

ふつうじゃない麺の長さでマラソン走行距離と同じ42.195mあります。

 

なんだかんだ言ってももうすぐ高い空が澄み渡る秋です。楽しみましょう。

 

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