ななきたのご隠居~野崎 幸治

千葉市美浜区で行政書士をしています。
地元では「ななきた(磯辺7丁目北自治会)のご隠居」と言われています。

八王子いちょう祭り

2025年02月15日 | 日記

やっとインフルエンザも収まりました。

私も最初に風邪にかかってしまい、3日間寝ていましたがその後1週間も出られませんでした。

その後施設の方が次々と掛かり、風邪だけだったのですが私が移してしまったのではないかと疑われました。(笑)

さて、昨年11月16.17日に開催されたお祭りの続きの話です。

八王子市追分町から高尾駅入口まで、ほぼ4kmにわたる甲州街道(国道20号)の両側に、約770本のいちょう並木が並んでいます。

季節に応じてそれぞれの風景で街を彩り、特に秋になると美しく黄葉し、道行く人の目を楽しませてくれます。

上の写真は多摩御陵に行く道です。

隣は高尾警察で、普段は静かで車庫証明ぐらいしか用事はないです。

しかし、お祭りが始まると警察は滅茶苦茶忙しくなります。

八王子いちょう祭りは、その黄葉の時期に合わせて開催されます。

このいちょう並木を守り育ててきた沿道の人々や、新旧の市民、さらに、学生や若い市民たちとの交流が盛んなこのお祭り。

八王子の街を愛する心をお互いに確かめ合いつつ、育てる機会を作り、併せて、自然と心のふれあう地域文化を創造しています。

地域の発展と社会的な拡がりを作ることを目指して、市民の活力を生かして協働のまちづくりを推進しています。

有志市民により企画され、多くの市民の参画を得て市民手づくりの新しい祭りとして実施運営されているのがこのお祭りです。

よさこい祭りの本番です。とても賑やかで老若男女が楽しんでます。

開催場所のあちらこちらでいろいろな行事が行われています。

ここではステージだけのお話をしようと思います。

東浅川を挟んで両側に多摩御陵公園があります。

16日の9:30からは近隣の幼稚園や保育園の園児たちによるパレードがあります。

その後、フラダンスステージやベリーダンスといった踊りの舞台が披露されました。

午後にはコーラスや弾き語りのアコースティックライブ。

パラスポーツ広報やステージの最後にはチアパフォーマンスやむーちゃんダンスがありました。

とりあえずこの辺まで来るとやっと紅葉が見られます。

左は高尾駅、右は大月方面です。

17日は朝から太極拳を基にした健康づくり体操が行われていました。

その後もIs dance パフォーマンスや花笠音頭が披露されていました。

午後に第45回八王子いちょう祭りセレモニーが行われていました。

これは、八王子市・苫小牧市、日光市などの姉妹都市盟約50周年記念セレモニーも一緒に行われていました。

熊野神社でお囃子が始まります。

熊野神社にみんな集まってきて賑やかになってきました。

お神楽の舞を楽しそうにやっています。

原宿関所でスタンプを押してもらってます。楽しい場所になっています。

 

今日はこの辺で。また月末までに次の日記を考えておきます。

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お知らせ

2025年01月11日 | 日記

申し訳ありませんが、インフルエンザが千葉で非常に流行っています。

 

そのため、ちょっとの間だけブログの更新をお休みします。

 

楽しみにされている方には残念化と思いますが、また落ち着いたらブログの方を再開したいと思います。

楽しみにお待ちください。

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お正月

2025年01月01日 | 日記

新年あけましておめでとうございます。

今年もよろしくお願いいたします。

新しい年を迎えて、いかがなものでしょうか。

一週間も過ぎるといつもの日常になってしまいますよね。

私も何とか今年も生きていますが、どうなることやらわかりません。

とりあえずぼちぼちやっていきましょう。

令和7年1月1日

装束稲荷大明神から王子稲荷神社へ夕方から出発しました。

先日の日記でもお知らせしていましたが、どなたか見に行かれた方はいますでしょうか。

居たらぜひ教えてください。

王子稲荷神社で新年を迎え、1月1日の朝になりました。

コロナも落ち着き、ここ近年はとにかく混んでいて大変なようです。

私は病気してしまいこういった催しには行くことが叶いません。

第45回八王子いちょう祭りが昨年の11月16~17日に行われていました。

このお祭りには友人に行ってもらい、上の写真を撮ってきてもらいました。

写真からも見えるように、この時期はまだ暖かかったこともあり、ほとんど紅葉しておらず、ちょっと寂しいお祭りでした。

後ほどまた詳しく日記にてお話ししようと思います。

 

それではまた、今日はこの辺で。

またお会いしましょう。

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老人ホーム

2024年12月18日 | 日記

私のいる老人ホームは63人いて、満員です。こういう施設も混んでいるものですね。

朝ご飯を食べて、用のない時は3~4人で集まって話をしたりするのですが、難しい昔話が多いのです。

あくる日も同じ話を延々としている人もいます。三日目も全く同じ話をしています。

要するにぼけ老人が多く集まっています(笑)

まあ誰にも迷惑をかけてなければいいのですが。中には職員に怒鳴ったりして困らせる人もいます。

結構大変な仕事だと思います。

時々施設で犬を借りてくることがあります。アニマルセラピーというそうです。もちろん有料です。

犬を楽しく見てる人もいますが、嫌いなのにイベントに参加してる人もいます。

「苦手なのにどうして参加されているのですか」と尋ねると「何かやってると聞いて来ただけ」

と言って最後まで参加していました。

私自身は犬や猫は好きなので、見に行きますが昔飼っていた(柴犬など)ので目新しさはなかったです。

月に一度演奏会があります。もちろん有料です。

結構上手なのでしょうが、老人ホームということもあり古い歌が多いです。

仕方がないですが、たまに聞く程度です。

 

午後は、老人ホームを経営している会社のオリジナル体操を40分ほど毎日やっています。

それにはなるべく出るようにしています。

 

その後は部屋に帰って、ぶらぶらしていると窓の外にイトーヨーカドーが見えます。

四街道の駅のそばで食べ物屋さんや飲み屋が結構あります。

歌を歌うだけでなく歌の先生も来て上手に教えてくれたりもしています。

私もたまには行きたいのですが、夜なのでちょっと難しいです。

成田まで行くとこの辺では中心で、いろいろなものがあります。

今までぽつぽつと佐倉を紹介していましたが、全体的には紹介できていません。

佐倉城は千葉一族が作ったのですが、本格的には徳川家康が作り土井利勝が大々的に作り上げました。

その後、何代かの後堀田正倫が最後の城主になり、廃藩置県となりました。

敷地内で堀田家農業試験場などを作り、研究に明け暮れていたそうです。

明治6年に陸軍第一軍営東京鎮台の佐倉営所が設置されると、城内の建物は順次取り壊されました。

また、佐倉で有名な「順天堂」は、1843年に佐藤泰然が蘭医塾兼診療所として創設したものです。

佐倉順天堂記念館では、佐倉順天堂や医学史に関する資料が沢山あります。

戦後は国立歴史民俗資料館として京都とここにしかない資料館があります。

ただし、最近は見に行く人よりも従業員の方が多いように感じます。

現在でも基本的な町割・道筋は変わっておらず、往時を偲ばせる文化財が残されています。

 

今年の佐倉の秋祭りは70周年で、県知事があいさつしてくれました。

佐倉に秋の訪れを告げる秋祭りは、鍵の手のような城下町を三日間、山車・御神酒所・御輿が盛大に
練り歩きます。

山車や御神酒所がすれ違う様子や、佐倉囃子に合わせた「えっさのこらさえっさっさ」の掛け声、
踊りは佐倉ならではのものです。

麻賀多神社神輿は、千葉県最大級の大神輿であり、威勢良い掛け声とともに渡御される姿は勇壮です。

佐倉の秋祭りは古くから「麻賀多神社祭禮」が母体で、五穀豊穣に感謝する秋祭りです。

 

佐倉には料理も色々あり、楽しそうです。

ウナギも有名なもののひとつで、過去にもよく食べました。

市役所の中には地元のシェフが入った食堂があります。豚肩ロースのコンフィが1380円しますが、美味しかったです。

房州屋の本店は創業約90年の、佐倉市を代表する老舗蕎麦店です。

佐倉藩鎮守で佐倉七福神巡りの御朱印所である麻賀多神社と、登録有形文化財で日本遺産の旧平井家住宅に挟まれた、観光に極めて便利な立地です。

ここ房州屋のおすすめメニューは「とろろそば」で、佐倉市和田地区の名産品・大和芋を使用。

地元ならではの味を楽しめ、薬味にうずらの生卵も添えられます。

蕎麦の舟盛りは珍しく、少量づつ束ねて盛り付けるので、食べやすさも抜群です。

他にも男性に人気なのが3種類の味が楽しめる「三味そば」

女性には7種類以上の具材が入っている「佐倉七福神そば」が人気。

こちらは正月の佐倉七福神巡りを意識しており、温かい蕎麦です。

いずれもリーズナブルで美味しい上にボリュームも満点で、観光抜きでも蕎麦だけ食べに行きたくなります。

世間ではもうすぐクリスマスですね。この日記にもいくつかクリスマスにちなんだ写真を入れました。

私の老人ホームでもクリスマス会が土曜日に行われるそうです。

皆様もよいクリスマスを過ごせますように。

 

これで今年の日記はすべて終了です。皆様はどんな1年でしたでしょうか。

今年も色々ありましたが、来年もいい年になるといいですね。

私も来年もとりあえず生きて文章を考えたいと思います。

それではさようなら、よいお年をお過ごしください。

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王子稲荷神社

2024年12月13日 | 日記

今回は赤羽から東京に一つ戻って王子に来ました。

王子は路面電車が通っていて(東京でただ一つだけ)、早稲田から王子あたりがちょうど中間となります。

本当に路面電車は楽しいですよね。

路面電車の駅から飛鳥山の方に歩くと、春には桜が奇麗に咲いています。

ここには歩いてもすぐ来れますが、飛鳥パークレール(エスカルゴ)というモノレールが2~3分の距離ですがあります。

それに乗ってみるのもいいでしょう。

今日は、その話ではなく、王子稲荷の話です。

ここは東京都北区岸町に鎮座する神社です。

この神社が建立されたのは不明です。

源義家が奥州征伐(前九年の役)の際に、当社を深く信仰して「関東稲荷総司」と崇めたと伝わっています。

源頼家が「石清水八幡宮」(京都府八幡市)で元服したことから「八幡太郎」と称しました。

関東圏の八幡信仰の神社の伝承にその名を見る事も多く、新興武士勢力の象徴とみなされていました。

義家の家系からは、鎌倉幕府を開いた源頼朝、室町幕府を開いた足利尊氏が出ており、武門の棟梁としての血脈として神話化されていきました。

前九年の役とは、奥州の陸奥守に任命された源頼義(みなもとのよりよし)が、奥州(陸奥国)で半独立的な勢力を形成していた有力豪族・安倍氏を滅亡させた戦いのことです。

その後天正十八年(1590)に、豊臣秀吉の小田原攻めによって後北条氏が滅亡。

同年、関東移封によって徳川家康が江戸入り。

天正十九年(1591)、家康は「王子神社」と当社に朱印地200石を寄進。

将軍家祈願所に指定され、大いに崇敬を集めました。

今から約千年の昔、この附近一帯は野原や田畑ばかりでした。

その中に榎の大木がありそこに社を建てて王子稲荷の摂社として祭られたのがこの装束稲荷であります。

この社名の興りとして今に伝えられるところによれば毎年十二月の晦日の夜関東八ヶ国の稲荷のお使いがこの社に集まります。

ここで装束を整えて関東総司の王子稲荷にお参りするのが例になっていたそうです。

当時の農民はその行列の時に燃える狐火の多少によって翌年の作物の豊凶を占ったと語り伝えられています。

これが「王子稲荷の狐火」と呼ばれています。

また、ここで有名なのが歌川広重による『名所江戸百景』より「王子装束ゑの木大晦日の狐火」。

装束榎に集まる狐たちの様子を描いたもの。

大晦日の夜に関八州の狐が装束を改めるために集ったという伝承を描いています。

装束榎の下にいる狐たちに視線を向けがちだがその奥にも注目です。

かなり細かいが小さく数多くの狐と狐火が描かれています。

狐火は実に壮観だったのでしょう。

装束稲荷神社は、王子稲荷神社から300mぐらい離れた場所にあります。

装束稲荷神社を出発して町を歩きながら王子稲荷神社に向かいます。

手狭な境内ではあるが、町の小さなお稲荷様としては綺麗に整備された一画です。

装束稲荷大明神と言われています。

御朱印は向かいにある「くらしの器王子ヤマワ」にて購入が可能です。

器の他、狐のお面も常時展示販売も行っています。

12月31日の夕方から神社を出発して、練り歩きながら王子稲荷に行きます。

王子稲荷では子供たちが踊りを踊って、その後獅子舞があり、1月1日の早朝に

「新年あけましておめでとうございます」となります。

来年もいい年になるといいですね。

12月31日の夕方からとなるのでもうすぐ行われます。

ぜひ皆様も行ってみてください。

王子から5分ほど歩いたところにある「名主の滝公園」です。

昔は東京都が管理していたころはよかったのですが、北区の管理になってからは寂しくなってしまいました。

それでもちょっとした観光ついでに寄ってみてください。

 

それではまた次回。

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岩淵水門

2024年11月25日 | 日記

赤羽駅を出て、20分ぐらい歩くと荒川放水路(岩淵水門)に出ます。

この辺は東京にしては緑が非常に多く、楽しい場所です。

ここではバーベキューなどが楽しめる場所もあります。

江戸時代から市街地を守るために洪水対策が行われていました。

明治になってから帝都建設の過程で人口増加とともに市街地の拡大が起こりました。

荒川沿川では、江戸時代から頻繁に洪水が発生していました。

明治元年から43年の間に洪水が10以上も発生しました。

43年のは特に大きかったようです。

44年に荒川放水路が着工され、墨田川には堤防がなくても洪水が氾濫しないようになりました。

この工事で掘削した土砂の総量は東京ドーム18杯分にも及ぶそうです。

放水路開削工事では、多数の水門や閘門が建設されました。

昭和22年にカスリーン台風が荒川のみならず多数の河川に爪痕を残しました。

その後、墨田川などの都市内を流れる川もいったんはきれいになり、人が泳ぐこともできました。

上の写真は新閘門です。

川もまた汚くなってしまいましたが、その後何とか取り直してきました。

荒川知水資料館です。

東京都北区志茂にある荒川放水路と隅田川(旧河道)とを仕切る水門が、旧岩淵水門。

大正5年から8年間の歳月をかけて完成した水門は、経済産業省の近代化産業遺産に認定。

昭和30年代の改修工事で赤い色に塗りかえられたことから「赤水門」と呼ばれています。

昭和57年に下流側に岩淵水門(青水門)が完成し、お役御免に。

東京都北区岩淵町、昭和5年に完成した荒川と新河岸川の間に広がる広大な荒川河川敷を利用して築かれた北区の区立公園が、荒川赤羽桜堤緑地。

埼玉県川口市と東京都北区を結ぶ新荒川大橋の北区側に位置し、ソメイヨシノ108本が植栽されたプロムナードになっています。

桜の花もとても綺麗です。とにかく広く、私もこの年になって初めて来ました。

皆様もぜひ暇なときに散歩がてら行ってみることをお勧めします。

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赤羽八幡神社

2024年11月10日 | 日記

久しぶりに東京に行く用があったので、高校時代の友人の大野君の家に寄りました。

彼の家は十条ですが、赤羽のすぐそばで自宅は3年前に取り壊し売ってしまったようなのです。

今は赤羽の公団住宅に一人でいるのですが家賃が15万円で、中はとってもきれいな家でした。

赤羽の駅も昔と違って、ホームが上下に分かれていたのが一面にまとまり、数本の線路が通っていました。

街に出てもとてもきれいな街並で、飲み屋もたくさんあり昔飲んでいた時と違って環境がよくなっていました。

久しぶりに来たので、あちこち寄ってみました。ここは八幡神社です。

詳しい文献等は無いようですが、この神社は平安時代、桓武天皇の御代延暦3年(784)、坂上田村麻呂の東夷征伐の折り、この地に陣を張り八幡三神を勧請したと言い伝えられています。

坂上田村麻呂の死後、朝廷より従二位を贈られ、山城の国には将軍塚が作られ、国家守護の力と頼まれました。

神社の境内の下を東北・上越新幹線が通っています。テレビの報道などで知っている方も多いかもしれません。

この神社が鎮座する赤羽台は、武蔵野台地が関東平野に突き出している東北端に当たります。

標高20メートルほどの小高い山にあり、昭和初期頃までは、赤羽山八幡宮と呼ばれていました。

ここは社務所です。山の上に建てられています。

ここでは御朱印をはじめ、厄年や八方塞がりの御祈祷、最強開運日の御朱印など様々あります。


上の写真は、神社の脇にある公園から見ることができ、電車好きに人気のスポットとなっています。

近年、電車好きな自身の子供に付き合っているうちに、自分自身も鉄道にはまってしまうというお母さんたちが増えているようです。

そんなママさん達は、『ママ鉄』 と呼ばれているようです。

昔から小さな男の子は、ほぼ全員といっていいほど、電車や自動車などの乗り物が大好きです。

電車の中でも特に新幹線は人気があるようです。私も大好きでした。

鳥居の中を通るように見ることができる撮影スポットです。

電車が小さく見えてますが、普段合わさることのない景色が同時に見ることができ、素晴らしいです。

ここは、赤羽の一番上にある星美女子大学です。

私自身とは全くの無関係ですが、姪っ子が出ている大学です。

卒業後はどこかの会社に無事就職しましたが、結婚を機に退職してしまったようです。

その後、私の知り合いの宅建協会に入ってのんびりやっているようです。

 

今日はここまで。また次回続きをお話したいと思います。

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過去の出来事

2024年10月24日 | 日記

元禄2年3月27日(1689年5月16日)に松尾芭蕉(46歳)と曽良(41歳)が旅に出ました。

深川から日光、仙台、酒田、新潟、金沢、福井などの旅に出かけました。

私もところどころですが酒田などに行きました。その先にも行きたかったのですが病気になってしまい、断念せざるを得ませんでした。

芭蕉稲荷神社

芭蕉は9年間暮らした住居を引き払い「奥の細道」の旅に出る気持ちの高ぶりがひしひしと伝わってきます。

旅に出るという気持ちが滅茶苦茶感じられます。

私も旅に出る時がありますがたとえ一泊でも二泊でもこの高ぶりに変わりありませんね。

 

草の戸も 住替る代ぞ ひなの家

(わが家よ、主人が変わるぞ。前の主人はむさくるしい独身男だったが、今度はいるのは、女の子のいる家族らしい。春にはお雛様が飾られるかもしれない。楽しいだろう)

芭蕉は自宅も売ってこの旅に出たと言われています。今の時代では考えられませんね。

月日は百代の過客にして、行かふ年も又旅人也。

月日は永遠に旅を続ける旅人のようなものであり、来ては去り、去っては来る年もまた同じように旅人です。

人生はだれでも一生旅人のようなものかもしれません。

……後にもずっと続きますが、有名な行のみ書きました。

さてようやく芭蕉一行の旅立ちの地「千住宿」にやって来ました。

まず南千住駅を降りると早速駅前に芭蕉翁の像がありました。

ここは芭蕉たちは船で北千住まで通ったので実際には訪れていません。

1kmほど歩くと4号線に交差して素戔雄神社(すさおのじんじゃ)があります。

神社には江戸時代に近隣の文人たちが建てた「奥の細道」矢立初めの句碑が残されており、有名です。

4号線を北千住の方に向かって歩いていくと千住大橋が見えてきました。

 

芭蕉の時代もすでに木造の橋が架かっていて奥州方面に行く参勤交代などで賑わったそうです。

橋を渡って左折して川岸に降りてみました。

芭蕉一行は深川から船でやって来てこの辺に上陸したのでしょうか?

千住大橋のたもとにある石碑

「矢立」は墨壺に筆入れの筒のついた携帯用の筆記用具です。

日光東照宮にむかう日光街道の咽喉元でした。

千住の町は街道の最初の駅であり、飯盛り旅籠、煮売酒場、居酒屋が立ち並ぶ歓楽街でした。

飯盛り女すなわち娼婦がたむろす色町に芭蕉は6日間も滞在したことになります。

 

行春や 鳥啼き魚の 目は泪

の句ですが川に泳ぐ魚が泪を流す、というのはあまりにも幼児的な描写である。と嵐山さんは書いています。

「魚とは杉風(さんぷう)のことではないか」と言っています。

杉風は芭蕉の弟子でこの旅のパトロンです。芭蕉が大変世話になった恩人が千住で別れを惜しんで泣いたのです。

また前回芭蕉一行が6日間千住宿に滞在したのは日光街道の工事が遅れたからだとご隠居はいい加減のこと書いていますが嵐山さんは次のように書いています。

 

曾良は吉川神道の出で、幕府とのつながりが深かった。

当時日光工事普請で、伊達藩と日光奉行の対立がありそれを調べるミッションを与えられた。

そしてその工事が遅れたので出発も遅れた。

「面八句を庵の柱に掛け置」も最初から面八句はなく芭蕉は「旅日記」の序章からいかにも本当らしい虚構を書き入れている。とのことです。

奥の細道は1689年出発、150日、2400kmを歩き5年後の1694年位完成した。

細道を歩いてから清書本が出るまで5年間かかっています。たかが400時づめ原稿用紙30枚程度です。

それを5年間かけて推敲したしたのです。

たかが30ページ程度の文章でも5年もかけて作ったということは、本当に魂を込めて作られたのでしょうね。

大したものだと思います。

 

 

皆様から色々便りをいただいておりますが、字を書くことが少し不自由になってしまっています。

皆様の手紙はすべて拝見しております。今後もよろしくお願いします。

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四街道駅

2024年09月15日 | 日記

9月15日は稲毛区小深町のお祭りです。

八幡神社は15日にお祭りでした。神輿渡御の日です。

岸和田のだんじりみたいな大きなお祭りではないですが、それなりに人が集まっていました。

施設の人達も一緒になってお祭りを見ていました。

地元住民が老いも若きも集まってお神輿を担いでいました。

それなりにみんな楽しめた1日でした。

お祭りが終わった後、近くのイトーヨーカドーに食事に行きました。

ここは大きいのでつぶれる心配はなさそうです。

リンガーハットのちゃんぽんを食べました。その後、ちょっと買い物をしてそこそこ楽しみました。

ヨーカドーのあと、この散歩道はとても気持ちがいいところでした。

すぐそばに市役所があり、その脇に野球場やテニスコートがあってのびのびとしています。

四街道市は人口が約9万弱ぐらいですので、千葉と合併すればいいという人もいましたが、一方ではこれくらいの街がちょうどいいのでは、という人もいます。

ちょっと先に行くとドンキホーテがあり、昔は長崎屋でした。とにかくたくさんの物があって何を買っていいかわからないくらいです。

今日は少し寄っただけで何も買いませんでしたが、また今度ゆっくり買い物をしたいと思います。

上記の写真はさつきが丘というところです。四街道は最初は分譲地がはじまり、ここは最後らへんのの分譲地です。

この分譲地は土地だけで売っていたので、建物は各々が立てていたので素晴らしいデザインの建物が多く並んでいます。

上記の写真は四街道警察署です。私が現役の時には週に2回くらいは車庫証明の仕事で行きました。

警察は一般の窓口は8時30分からですが、忙しい時は8時からも開いています。

冬の寒い朝でも国旗掲揚をするのですがとても寒い中頑張っています。でも終わった後は「おお、さむさむ」などと手を振り帰っていきます。やはり人の子だなと思います。

一階は落し物のほかに道路占有許可や、大型車両の通行許可、車庫証明、運転免許証の変更届、交通安全協会などが入っています。

2階に行くと、パチンコの許可証や飲み屋の窓のいわゆる風俗店等の許可の申請場所となっています。その奥は弁護士などでないと入れないような留置所なんかがあります。

四街道駅前です。千葉から佐倉までは便利ですが、その先は総武本線と成田線に分かれており、電車の本数も少なく不便です。

駅前の通りはイトーヨーカドーをはじめ、いろいろあり賑やかな場所になっています。

これで大体終わりですが、ネタ切れなのでしばらくお休みになるかと思います。次の日記をお楽しみにしていただけたらと思います。

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柏あけぼの公園

2024年09月08日 | 日記

9月に行っても何もないですが・・・

あけぼの山公園は、やわらかい風と素晴らしい風景が楽しめます。

佐倉のコスモス畑のオランダのリーフデほどではないけど、そこそこ良い風情があります。

春はチューリップや桜、夏は向日葵など、四季折々にいろんな花が咲いています。

ただ、9月は何もなくて、8月の末に行ったときは、アウトドアを楽しむ人々が多くみられました。

あけぼの公園の奥には、広い庭園があって楽しめます。

茶室のある柏泉亭(はくせんてい)は料理も食べられるし、のんびり休むこともできます。

庭園の外でも、はちみつパンナコッタとか、ブルーベリークリームなど楽しそうなメニューがあり、それだけでもウキウキします。

柏の弁財天です。

浅草寺と江の島とここが、関東の三大弁財天と言われています。

807年に弘法大師が連れてきたものです。

平成18年に本堂と楼門と鐘楼が千葉県重要文化財に指定されました。

平将門の乱のときには、弁財天を松の木の上に隠しておいて難を逃れたので、松光院と名づけられました。

北は利根川の雄大な流れで、あけぼの山の広大な田園風景が眺められる素晴らしいところです。

弁財天は、サラスバディといいます。

インドの大きな河に名付けた聖河の呼び名です。

雄弁な才を司る神とされ、意訳されて弁財天といわれ、インドの信仰から続いているんですね。

 

さて、柏の駅に戻ってきました。

柏のそごうはなくなってしまいましたが、屋上のレストランは結構好きでした。

だけど、品ぞろえとしては高島屋の方がいい物が多くて、私はそちらの方が好きでした。

柏の東武線の駅に行きました。一度外に出て眺めると、けっこう絵になるんです。

昔は、野田線と言っていましたが、今はアーバンパークライナーと言います。

興味のない人にとっては、どうでもいい話です。

ここは、都市型スイッチバックになっています。

船橋から来た電車は柏で前と後ろが逆になって走って行って、右側の線を通って行って、大宮へ行きます。

また、逆に大宮から来た電車は柏でスイッチバックします。線路が大変複雑になっているのが面白いです。

石北本線の遠軽、大曲駅、佐世保の早岐、私鉄では藤沢駅、飯能駅などがそうです。

JRの常磐線の岩沼の方まで行く本線の方が、いろいろな電車があってずっと楽しいですよね。

 

今回は頑張って、続けて投稿しました。

では、また。

 

 

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鉄道いいですね!

2024年07月14日 | 日記

私は旅行が大好きです。

特に路面電車が好きで、寺島広小路から日本橋まで行く路面電車が大好きでした。

しかし、その後廃止になり一路線だけ残りました。

早稲田からの路面電車で、荒川線だけになってしまいました。

運転士が「毎度御乗車ありがとうございます。この電車は早稲田から三ノ輪へ参ります」などとアナウンスして、楽しかったです。

 

奄美大島に友達3人で行くときに、東京駅から西鹿児島まで行く急行桜島に乗りました。

この電車は、朝10時30分に出て翌朝10時ころ着くのですが、途中も乗ったり降りたりする人がたくさんいました。

広島の駅は夜中だったのに『あさ』という名前で、さらに鹿児島まではまだまだあります。

この時代は、鉄道の写真など撮るところでなくて、やっと旅行で西鹿児島まで到着する感じでした。

今と違って、体力的には疲れましたが、その分奄美大島はすごくよかったです。

与論島から先はまだアメリカ領でした。(いつの話だ!!お前は!!・・・)

 

次に、下関から京都まで山陰本線で途中泊まりながら行きました。

この電車も、車窓の景色は素晴らしいけど、何度も同じような景色が出てきます。

出雲から岡山まで『やくも』にも乗りましたが、今度新型がでたそうで乗ってみたいと思いました。

 

さて、次は東京の話です。

小田急線が何十周年かの記念で、小田原まで乗ってみました。

一輌目の切符が取れ、最前席は無理でしたが7列目になりました。

途中途中で、駅員が窓の外から挨拶してくれて、なんともいい気分でした。

小田急線とか東武線など特急を持っている鉄道会社はいいですね!

その先は、箱根登山鉄道に乗りましたが、線路の幅が小田急線とは違い広くなっています。

こんなところも面白いですよね。

(線路の幅のことを言ったら、女友達が「え~~、そんなこと全然感じたことないですよ。や~、野崎さんは本物のてっちゃんなんですね」と感心されました。)

早雲山から箱根湯本にかけて、何回行ってもワクワクします。

この路面鉄道は豊橋です。

日本一の急カーブですが、意外にあっさりと曲がってしまいます。

キーキーと車輪とレールが擦れ合い車体がかしぐようなスリリングなものは期待してはいけません。何事もなくスムーズに曲がれるのが運転士さんに課せられた使命なのですから。

これを見るために、いつも何人か来ていますが、この時も5人ばかりいましたね。

私もその間に交じって写真を撮りました。

私は次の目的地があるのですぐに退散しましたが、みんなはもっと粘っていたみたいで「根性のないやつ」と言われそうでした。

新潟から会津若松に行く『ばんえつ物語号』の話です。

津川まで行きました。ここは狐の嫁入りの話で有名な場所です。

この蒸気機関車は週に2回くらいしか走りませんが、車内がとてもレトロ楽しいんです。

狐の嫁入りは、『狐の嫁入り物語(祭り)』は夕方4時ころから始まるのですが、とりあえず時間つぶしに散策しました。

この祭りは夕方4時から夜中まで踊りをします。

10時頃になって狐の嫁入りのクライマックスですごく盛り上がります。

 

最後に木曽路です。

この列車は観光鉄道です。それなりに観光としては心がくすぐられます。

とにかく、電車の旅は楽しいから、移動はなるべく鉄道を使いたいものです。

今、リハビリ中の私はどこにも行けませんが、ぐっと我慢をしています。

 

今年も暑い夏になりそうですね。みなさんもお体大切に!

では、また。

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麻賀多神社

2024年07月04日 | 日記

今日はまた佐倉に行きました。

お昼にお寿司を食べました!

その後、麻賀多神社に行きました。

当社をはじめとしてこの佐倉市内に11社・隣接する酒々井町2社・成田市2社・富里市2社・八千代市1社の計18社を数えます。一見多く存在するようですが、これを全国的に見ますと他の地方には見られない、珍しい名前の神社で、印旛沼の東側から南にかけての地域にのみ存在する神社という話です。

徳川時代に、神社の西方に土井利勝公が佐倉城を築きました。その城主となってからは、当社はこの地方の氏神様であるばかりではなく、城の追手門近くに鎮座する神社です。

上記の写真の神社でお参りをしてきました。すがすがしい気分でした。

当神社は、毎年10月の第2金土日がご例祭となっています。全国でも有名なお祭りのひとつです。

このお祭りで使用される大神輿(佐倉市指定文化財)は、県内で使用されている神輿では最大級のもので、江戸中期・享保六年に江戸から職人10名程を呼び、8ヶ月の月日と当時の金子約360両という大金をかけて造り上げた豪華な大神輿です。

山車は7台(現在は2台)あり、江戸時代から明治初期にかけて神田周辺で調えられもので、竹生島・石橋等の本格能装束を着けたもの、日本武尊・関羽等の武勇たけるものが上に乗ります。

御神酒所は屋根型の屋台で、神社神輿の担ぎ棒を欄干に掛けて麻賀多様に御神酒を奉納するところから、佐倉では屋台のことを御神酒所と呼んでいます。

とりあえずは今日はここで終わります。また、他の神社にも行きたいと思います。またの機会をお楽しみにしてください。

 

参考サイト お祭りのご案内 -佐倉藩鎮守 *麻賀多神社* (makata.jp)

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博物館にて

2024年06月21日 | 日記

国立歴史民俗博物館に行きました。ここと奈良にしかありません。

1番先史、古代

日本列島に人類が出現した約3万7千年前の旧石器時代から、中世への扉が開き始める10世紀までの人々の生活と文化のことです。

水田稲作の始まりや正倉院のこともよく書かれています。

2番中世

平安時代から安土桃山時代までの日本の文化と生活を、貴族や武士、庶民といったさまざまな階層の立場のことです。

平安時代のあでやかな王朝文化、鎌倉時代の武士のくらしと荘園絵図などが関わっています。

 

3番近世

江戸時代の人々の生活や文化のことです。

人やモノの移動がどのように行われていたかです。

寺子屋「れきはく」もあり楽しく遊べます。

4番民俗

民俗へのまなざし、祭りや妖怪、人生儀礼、死者の祭礼から豊かな想像力を考えられる。

民俗へのまなざしおそれと祈りのことなどが書かれています。

5番近世

現在リニューアル中です。

6番現代

1970年ごろまでの生活と文化そしてそれを取り巻く日本の社会と世界の動きについて書いてあります。

 

とにかく2時間ぐらいでは見れなくて1日ゆっくり見たいです。

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印旛沼

2024年06月20日 | 日記

佐倉にまた来ました。

今回は印旛沼に来ましたが前より綺麗になりました。ボートレースもやつてました。

美味しいウナギを食べました。ただし、5000円もしました!

今日はこの辺で終わります。3年ぶりにブログを作りました。今まではほかの人に頼んでいましたが、今度から少し自分で作っていきたいと思います。

後でゆっくり考えます。

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株式投資について

2024年05月29日 | 日記

みなさん、お元気ですか?

私もなんとか元気です。

今日は、暇だから株の話でもします。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私は大学を卒業したあたりから株を始めました。

最初は、売ったり買ったりしたけど、トントンより少し損をした程度で終わってしまいました。

13年経って会社を始めましたが、宅建士・行政書士・測量士・FPの資格などを持っていて、主に不動産業を開業しました。

最初の3・4年は結構儲かって笑いが止まりませんでした。

ところが3年過ぎると、まず株が大暴落して、4年後には不動産業もダメになりました。

そのお金を返すために忙しくて株どころではなくなり、行政書士の仕事で頑張りました。

10年くらいは株はやらずに借金返済に必死でした。

不動産業の借金は20年かかってやっと返済できましたので、また株を再開しました。

今度は、売ったり買ったりではなく、最低でも一つの株を5年くらいは持ちました。

その方が、儲かります!!

今考えているのが、トヨタやTDK、ファナック、京セラ、NTTなどが確実に上昇すると思います。

ユニクロ、アドバンテスト、キーエンス等は値段が高すぎて買えません。

アメリカのウォーレンバケットは、昔の株はコカ・コーラ、今はマイクロソフトなどで、どんどん儲けてます。

最近では、日本の5大商社も買いはじめて、儲けようと思っています。

彼は90歳はとうに超えていますが、まだまだ儲けようと思っています。

大したもんだ!! 頑張ってください。

 

 

藤井由美子さんから、お便りをいただきました。

 

「モネのポストカードで野崎さんから自筆の字でお便りありがとうございました」

と、返信がありましたが、私はまだ字が書けないので、代筆してもらいました。

「先日友達と佐倉に行ったそうですね。お昼はトンカツを食べて、その後武家屋敷に行かれたそうですね。

私も次男が佐倉に住んでいるので、孫の入学式に行きました。最近はパソコンやブログで交流を楽しんでいるようですね。

11月には後期高齢者になるので、行く末を考えるようになりました。

『思い出は人生の燃料になる』の言葉を信じて心強く生きようではありませんか。」

 

廣田寿美さんからお手紙いただきました。

「だいぶ春めいて来ました。桜の花が咲くと気持ちがウキウキしますね。

ただ私は花粉症なので・・・」

みなさん、お便りありがとうございます。

 

 

コメント (3)
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