ななきたのご隠居~野崎 幸治

千葉市美浜区で行政書士をしています。
地元では「ななきた(磯辺7丁目北自治会)のご隠居」と言われています。

岩淵水門

2024年11月25日 | 日記

赤羽駅を出て、20分ぐらい歩くと荒川放水路(岩淵水門)に出ます。

この辺は東京にしては緑が非常に多く、楽しい場所です。

ここではバーベキューなどが楽しめる場所もあります。

江戸時代から市街地を守るために洪水対策が行われていました。

明治になってから帝都建設の過程で人口増加とともに市街地の拡大が起こりました。

荒川沿川では、江戸時代から頻繁に洪水が発生していました。

明治元年から43年の間に洪水が10以上も発生しました。

43年のは特に大きかったようです。

44年に荒川放水路が着工され、墨田川には堤防がなくても洪水が氾濫しないようになりました。

この工事で掘削した土砂の総量は東京ドーム18杯分にも及ぶそうです。

放水路開削工事では、多数の水門や閘門が建設されました。

昭和22年にカスリーン台風が荒川のみならず多数の河川に爪痕を残しました。

その後、墨田川などの都市内を流れる川もいったんはきれいになり、人が泳ぐこともできました。

上の写真は新閘門です。

川もまた汚くなってしまいましたが、その後何とか取り直してきました。

荒川知水資料館です。

東京都北区志茂にある荒川放水路と隅田川(旧河道)とを仕切る水門が、旧岩淵水門。

大正5年から8年間の歳月をかけて完成した水門は、経済産業省の近代化産業遺産に認定。

昭和30年代の改修工事で赤い色に塗りかえられたことから「赤水門」と呼ばれています。

昭和57年に下流側に岩淵水門(青水門)が完成し、お役御免に。

東京都北区岩淵町、昭和5年に完成した荒川と新河岸川の間に広がる広大な荒川河川敷を利用して築かれた北区の区立公園が、荒川赤羽桜堤緑地。

埼玉県川口市と東京都北区を結ぶ新荒川大橋の北区側に位置し、ソメイヨシノ108本が植栽されたプロムナードになっています。

桜の花もとても綺麗です。とにかく広く、私もこの年になって初めて来ました。

皆様もぜひ暇なときに散歩がてら行ってみることをお勧めします。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

赤羽八幡神社

2024年11月10日 | 日記

久しぶりに東京に行く用があったので、高校時代の友人の大野君の家に寄りました。

彼の家は十条ですが、赤羽のすぐそばで自宅は3年前に取り壊し売ってしまったようなのです。

今は赤羽の公団住宅に一人でいるのですが家賃が15万円で、中はとってもきれいな家でした。

赤羽の駅も昔と違って、ホームが上下に分かれていたのが一面にまとまり、数本の線路が通っていました。

街に出てもとてもきれいな街並で、飲み屋もたくさんあり昔飲んでいた時と違って環境がよくなっていました。

久しぶりに来たので、あちこち寄ってみました。ここは八幡神社です。

詳しい文献等は無いようですが、この神社は平安時代、桓武天皇の御代延暦3年(784)、坂上田村麻呂の東夷征伐の折り、この地に陣を張り八幡三神を勧請したと言い伝えられています。

坂上田村麻呂の死後、朝廷より従二位を贈られ、山城の国には将軍塚が作られ、国家守護の力と頼まれました。

神社の境内の下を東北・上越新幹線が通っています。テレビの報道などで知っている方も多いかもしれません。

この神社が鎮座する赤羽台は、武蔵野台地が関東平野に突き出している東北端に当たります。

標高20メートルほどの小高い山にあり、昭和初期頃までは、赤羽山八幡宮と呼ばれていました。

ここは社務所です。山の上に建てられています。

ここでは御朱印をはじめ、厄年や八方塞がりの御祈祷、最強開運日の御朱印など様々あります。


上の写真は、神社の脇にある公園から見ることができ、電車好きに人気のスポットとなっています。

近年、電車好きな自身の子供に付き合っているうちに、自分自身も鉄道にはまってしまうというお母さんたちが増えているようです。

そんなママさん達は、『ママ鉄』 と呼ばれているようです。

昔から小さな男の子は、ほぼ全員といっていいほど、電車や自動車などの乗り物が大好きです。

電車の中でも特に新幹線は人気があるようです。私も大好きでした。

鳥居の中を通るように見ることができる撮影スポットです。

電車が小さく見えてますが、普段合わさることのない景色が同時に見ることができ、素晴らしいです。

ここは、赤羽の一番上にある星美女子大学です。

私自身とは全くの無関係ですが、姪っ子が出ている大学です。

卒業後はどこかの会社に無事就職しましたが、結婚を機に退職してしまったようです。

その後、私の知り合いの宅建協会に入ってのんびりやっているようです。

 

今日はここまで。また次回続きをお話したいと思います。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

印旛沼

2024年11月03日 | 旅行

佐倉にまた出かけました。

今日はケンタッキーフライドチキンを食べて、それから始めました。

千葉市若葉区源町にある増田家住宅を佐倉・くさぶえの丘に移転したものです。

これらの住宅は江戸時代後期から明治にかけて千葉県の上層農家の特徴となっております。

この住宅は茅葺き屋根の住宅です。板の間の室内で、中には囲炉裏もあるようです。

敷地内には案内板が立ち、江戸時代の農耕機具なども展示されています。

周辺は、とても多くの緑に囲まれ、江戸時代の雰囲気を現代に持ってきたような錯覚を覚えます。

この頃の人々は、どんな暮らしをし、何を考え、どんな日々を送っていたのか。

前述したように千葉市は若葉区から移設したものです。

周囲の景色にとけ込んで、まるで最初からそこにあったかのように思えます。

春にはサクラソウが咲き、夏には蝉が鳴き、秋には紅葉もきっと綺麗で、四季折々の姿が見れることでしょう。

この建物の中は資料館のようになっていて、いろいろなものが入っています。

くさぶえの丘自体が公園になっていて、老若男女が楽しめるところとなっているので、ぜひ寄ってみてください。

 

前回は向日葵があるところに行きましたが、今回はずーっと右側の方に行ってきました。

印旛沼は、千葉県は北部の利根川の下流に位置する湖沼です。

印旛沼自体が千葉県立印旛手賀自然公園に入っています。

この印旛沼は本来周囲60キロメートルの規模でした。

戦後の干拓によって2つの細い水路でつながった北部調節池と西部調節池に水域が分かれています。

北側は長門川を渡って利根川に流れ、花見川側は東京湾に流れています。

ここは一周全部公園になっていて、回れるようになっています。

とにかく楽しい場所なので、一日のんびりできます。

 

前回に四街道に行った際に撮ったものなのですが、入れるのを忘れていたので今回入れました。

JR四街道駅から南西へ500メートルほど行った四街道十字路の傍らに駒方方形の道標石塔が立っています。

ここが「四街道の地名発祥の地」で、文字通り4方向への道が伸びています。

石塔の各面には、それぞれの指す方向に向かって、4つの街道の名が書き記されています。

長沼方向が船橋道方面

都賀方向が千葉町道方面

四街道駅方向が東金道・馬渡道方面

大日五差路方向が成田山道方面

というようになっております。

 

所で皆さん毎日定年を過ぎた方はどう暮らされておりますか。

私は朝4時には起きて7時過ぎに朝食を食べ、すぐに風呂になります。

その後はリハビリマッサージの人を招き、マッサージをやります。

その後は昼食を食べ、13時30分から14時20分ぐらいまでは体操を行います。

その後15時におやつを食べ、夕食までは何もありません。

その間にテレビを見たりインターネットでyoutubeを見たり株を見たりして過ごしています。

とにかく毎日暇で困っています(笑)

今日はここまでとします。また近々お会いしましょう。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする