ななきたのご隠居~野崎 幸治

千葉市美浜区で行政書士をしています。
地元では「ななきた(磯辺7丁目北自治会)のご隠居」と言われています。

奥の細道旅行譚(日光東照宮)

2017年11月28日 | 旅行

ようやく東照宮、表参道にやって来ました。

東照宮の石碑の前に知らないご婦人が映ってしまいました。表参道の写真ではこれが一番良かったので我慢してください。

前の写真は反対側から写したものです。

夕方にもかかわらずすごい観光客です。平日です。

世界遺産めぐりのシャトルバスは7割がた外国人でこちらが海外旅行している気分でした。

 

芭蕉は4月1日(陽暦5月19日)に日光に到着後東照宮を参拝しました。

江戸から関東平野をとぼとぼ歩きこの見事な表参道の杉並木を見た時にはどんなに感激したでしょうか。

現代みたいに旅番組のTVなんかないので本当に初めて見る大感激の日光だったのでしょう。

うっかり芭蕉の気持ちのコメントなんか書けません。

それでは能書きはいい加減にして中に入りましょう。

三猿から御水舎、陽明門、眠り猫、坂下門、奥宮、さらに下って本社そして鳴龍の本地堂とまわります。

五重塔はまだ仁王門の外のほうでした。この後拝観受付所です。

五重塔は1650年福井の小浜藩主酒井忠勝公によって奉納されました。

さてまずは左側に三猿のある神厩舎です。

リニュウアルした猿たちの彫刻です。

色彩豊かになりましたが少しマンガチックになった感じもします。

蹄鉄などいいお土産になりそうです。

最初1万円のを見て高いからやめたと思ったのですが今見ると3300円のもあったんですね。

三猿の反対側の上神庫の彫刻。

御水舎(おみずや)

1618年佐賀藩鍋島勝重公の奉納です。

以前はよく外国人が柄杓から直接水を飲んで口をすすいでいましたが今はちゃんと手に移してから口に含んでいます。

よく勉強しています。

鐘楼

いよいよ陽明門ですが。しかし・・・・・・・・・・。うまく撮れませんでした。

暗いのでISO800、F/5.6他、露出をプラス補正するのを忘れて何枚か撮りましたがみんな暗くなりました。

帰り際に反対からなんとなくオートで撮ったらこれのが良かった。

これからもっと写真の勉強して上手に撮りたいと思います。皆さんも呆れないでもうすこし付き合ってくださいね。

江戸時代、武士は陽明門の中の石畳、庶民は陽明門の前に土下座して東照宮を拝んだそうです。

今はご隠居みたいな平民でも入場券さえはらえば偉そうに写真なんかを撮ったりしていい時代になりました。

社務所で買った東照宮のパンフレットの表紙はやはり綺麗です。プロです。

御本社の前の唐門。

全体が胡粉(ごふん)で白く塗られていて金箔とよく似あいます。

まずは眠り猫のいる坂下門に向かいます。

祈祷殿の奥にニャンニャンがいます。

眠り猫。左甚五郎作と伝えられています。牡丹の花に囲まれてうたた寝しているそうです。

こらっ!眠っているふりしていないで昼でも起きてごらん。

 

ここから長い坂を登って奥宮に向かいます。

眼下に御本社を始めとする国宝群の屋根が見えます。

奥宮拝殿。

御宝塔。

御宝塔の下では家康公が祀られ、つまりは家康公の遺骨があることになっていますが創建以来誰も掘ったことがないので実在するかは不明だそうです。

日光の中でも最大のパワースポットです。

ご隠居もしばらくは目を閉じて佇んでいました。ピーチクパーチク中国語が飛び交いながら歩いて行くのが聞こえました。

ご利益も国際的になってきたから薄らいできたかな。

山を一回りして今日はかなり歩いてヘトヘト。

御本社に戻り中を見学(撮影禁止)して唐門の裏側です。

素晴らしい彫刻がありました。

やっぱり東照宮は素晴らしいですね。

芭蕉の時代と同じような建造物を見ているわけですが平凡な感想しか書けないのが残念です。

もっとも芭蕉ですら恐れ多いと書いているわけですから凡人のご隠居などが出る幕ではありません。

日光(前半)

卯月朔日、御山に敬拝す。

(4月1日、日光山を参拝する)

往昔、此御山を「二荒山(ふたらさん)」と書しを、空海大師開基の時「日光」と改給う。

千載未来をさとり給ふにや、今此光一天にかかや来て、恩沢八荒(おんたくはっこう)にあふれ、四民安堵の栖(すみか)穏やかなり。

(千年未来を予言してか、今や東照宮のご威光は一天下に輝きわたって、恵の波はすみずみまで行きわたり、四民が安住の身を寄せる国土はいかにも穏やかである)

猶憚り(はばかり)多くて筆をさしおきぬ。

(あまり恐れ多くてこれ以上書くのは差し控える次第だ)

あらたうと 青葉若葉の 日の光

(青葉や若葉の濃淡が織りなす初夏の緑に降り注ぐ陽の光。神域に荘厳そのものだ)

黒髪山は霞かかりて、雪いまだ白し。

(男体山は初夏なのに霞がかかっているし古歌に詠まれているように雪が白く残っている)

剃捨てて 黒髪山に 衣更(ころもがえ) 曾良

(黒髪を剃り捨てて、旅に出た自分が今や黒髪を思い出させられる黒髪山の麓で夏衣に替える季節になったのは皮肉にも興味深い)

曾良は河合氏にして惣五郎と云へり。

芭蕉の下葉に軒を並べて、予が薪水の労をたすく。

(芭蕉と軒をならべ住んでいて、男所帯の炊事の世話などの手伝いをしてくれた)

このたび松しま・象潟の眺共にせん事を悦び、且は羈旅の難いたはらんと、旅立暁髪を剃りて墨染にさまをかえて、惣五を改め宗吾とす。

(道中の難儀を慰めようというわけで、旅立ちをするときに髪を剃って墨染の僧衣に姿を変えて名も改めて惣五郎を宗吾とした)

仍て(よって)黒髪山の句有。「衣更」の二字、力ありてきこゆ。

(「衣更」の二字が単なる季語ではなくて俗人から僧衣に替わった境涯の変遷と決意を象徴して効果的だと感じられる)

 

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奥の細道旅行譚(裏見の滝・大猷院)

2017年11月23日 | 行政書士のお仕事

含満の淵よりバス停「裏みの滝入り口」から更に進むと一般車の駐車場があります。

そこから急な上りが約400m続きます。

 黄葉した木立の間から滝が流れ落ちています。

あっちこちから滝が流れ落ち本当に水量が豊富と言った感じです。

最後はこんな感じの歩道が造られていて快適です。

芭蕉の時代はどんな感じで滝まで行ったのでしょうか。

ついに来ました裏見の滝です。

もう少しアップにしました。

芭蕉は下からの岩と上からの岩がV字型になっている中間の道によじ登り水浸しになりながら滝を裏から見たのでしょうか。

すごい根性です。

明治35年9月の風水害で落ち口が崩れ、昔に比べて滝の裏が狭くなって現在は通行禁止みたいです。

もっとも金くれると言ってもご隠居は行きません。ぜんぜん根性のない人です。

さあ日も少し落ちてきました。引き返して東照宮に早く行きましょう。

大猷院(たいゆういん)常行堂。

西参道口に戻りました。この先が大猷院です。右側正面が二荒山神社、そしてさらに右の参道を歩いて行くと東照宮です。

ちょっと暗くなりました。

小学生の一団が仁王門を目指しています。あとをついて行きましょう。

仁王門。

大猷院廟は徳川三代将軍家光公の廟所で公は1651年4月20日薨ぜられ、後光明天皇から「大猷院」の法号を勅賜せられました。

水盤舎

二天門は残念ながら工事中でした。

とにかく境内には世界遺産委登録された国宝、重要文化財が22件もあります。

さらに階段を登ります。日本の観光地はどこも階段です。

眺めの良い場所に出ました。秋の静かなたたずまいです。

夜叉門です。四体の夜叉が霊廟を守っています。

現場で写真を撮ってモニターを見ていた時にはもう少し明るく撮れていたと思っていましたが自分でもイライラするほど暗いですね。

家康公の東照宮に遠慮して彩色や彫刻が控えめになっているそうですがそれでも綺麗です。

鼓楼

夜叉門の門番は夜叉です。

ケン陀羅(けんだら・白色)ケンは牛に建と書きます。

夜叉は古代インドの鬼神です。

烏摩勒迦(うまろきゃ・青)膝が白い象になっていて膝小僧の語源とか。

境内には315基の灯篭があります。

唐門。

更には拝殿の中に入り説明を聞いて出てきて左側に行くと皇嘉門(こうかもん)がありますがあわてていたので見逃しました。

その先に徳川家光公の墓所がありますが入れません。

皇嘉門は入場券にあった写真で代用します。これが一番綺麗でしたね。

写真が上手に撮れていないので、やる気が無くなったのでこれで終わります。

次の東照宮もパァとしないので期待しないでください。今になって失敗の原因が分かりました。

また5月の若葉の美しくなった頃の昼間に行きたいと思います。

 

日光(後半部分)

廿余丁山を登って滝有。

岩洞の頂より飛流して百尺、千岩の碧潭(へきたん)に落ちたり。

(百尺、千岩の重畳するまっさおな深淵に(滝壺)に落ちている、李白の詩に飛流直下三千尺・・・というのがあるそうです)

岩窟に身をひそめ入り、滝の裏よりみれば、うらみの滝と申伝え侍るなり。

(滝の裏側から見るので裏見の滝と申し伝えているのです)

暫時は(しばらくは) 滝に籠るや(こもるや) 夏(げ)の初(はじめ)

こうしてしばらく洞窟にこもり、滝の放つ冷気にふれると夏の荒行に挑む修行僧のように身も心も引き締まる。

 

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奥の細道旅行譚(含満の淵)

2017年11月20日 | 旅行

鹿沼より日光例幣使街道を今市方面に向かいます。

鏡石からJR文挟(ふばさみ)駅近くまで続き、さらには今市で宇都宮からの日光街道の杉並木に合流します。

そこに杉並木公園がありました。

まん中に舗道があってゆっくり歩けるところがあります。

杉並木は1625年から東照宮造営奉行松平正綱が20年かけて作りました。

それから400年もたっても12500本の杉が生い茂っています。世界最長の杉並木です。

当時の造園技術はたいしたものですね。我々の代まで楽しませてくれます。

JR日光駅に到着です。東武日光駅の方が観光客は多いのですが最近は豪華列車四季島も到着するようになりました。

さてここまで来たらリニューアルした陽明門に心は逸りますがバスの時間その他の事情でまずは含満の淵に行ってみましょう。

バス停西参道から含満大橋を渡り公園にでます。

入り口に茶店がありました。芭蕉の頃はなかったのでしょうね。

「曾良旅日記」によると

4月2日の午前中(辰の中尅宿ヲ出。ウラ見ノ瀧・ガンマンガ淵見巡、漸ク及午)見学したようです。

岩間を急流が走りますが、水面が鏡のように止まっている深い淵があります。

岩面に不思議な暗号が刻まれていて、青葉のあいだから一瞬光が射し込みます。

すると薄緑色の水面に梵字が浮かんできた。岩面に彫られていた逆版の梵字が水面に現れるのです。

とある本に書いてありました。

対岸の絶壁に晃海の刻ませた梵字があるみたいですがわかりませんでした。

川の流れに沿って閑静な遊歩道になっていて気持ちがいいウォーキングが出来ます。

石仏が沢山並んでいました。ここが大観光地の日光かと思うぐらい静かです。

しかしどこで調べたのか外国人観光客が結構歩いていました。

さらに歩くと大日橋がありました。石のアーチで清々しい感じです。

橋を渡ると大日堂跡の公園がありました。

大日堂は明治35年9月の洪水で流されましたが素晴らしい景観の庭園だったそうです。

芭蕉の句碑がありました。

「あらたふと 青葉若葉の 日の光り」

大日堂跡から見た大日橋の全容です。

さてここからさらに約2km上流にいくと裏見の滝です。

 

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奥の細道旅行譚(鹿沼秋まつり)

2017年11月17日 | 旅行

秋まつりの会場にやって来ました。

例幣使街道には午前中とはがらりと変わって沢山の人出です。

鹿沼宿の氏神は今宮神社です。34の氏子町があり、27台の彫刻屋台があります。

屋台は単層館型の四輪形式で全国的には囃子屋台に分類されるそうです。

装飾からみると、彫刻屋台に分類され、彩色の有無などによっていくつかに分けられます。

まずは敬意を表して今宮神社に参拝しました。

遠くからお囃子の音色が聞こえてきてお祭りらしい感じになって来ました。

本殿です。今日はお祭りで神社も忙しいそうなのでお願い事はしないでお賽銭だけを入れてきました。

境内では祭りの最後の調整でしょうか。

神楽殿では「上殿の太々神楽」の猿田彦命の舞が演じられていました。

それでは会場に行きましょう。

屋台にどっこいしょ。

屋根に上がるのも大変そうです。怪我をしないようにお願いします。

華やかになってきました。次々と屋台が繰り出されます。

 

 

屋根に乗って皆の注目のを浴びている人もいる陰で裏方さんも大変です。

沢山の人が作業を分担してお祭りが盛り上がるんですね。祭りを成功させるという高揚感はみんな同じです。

おかめが沢山輝いていて面白いと思いパチリ。

祭りは最高潮です。

皆輝いていますね。この日を待っていたのかな。

石橋町の交差点で屋台が回転します。

昔は「テコ廻し」といって二本の長い棒と、ウシと呼ばれる回転台、ウマと呼ばれるテコ台を使う方法です。

「きりん」とい屋台伝統技術です。

現在は殆どが油圧ジャッキが使用されています。

若い人たちが遠くの希望でも見つめているようで、ご隠居的には気に入った写真になりました。

町全体がお祭りを大事にしている様子がひしひしと感じられます。

脚光を浴びている人達、屋台を引っ張る人、それを押している人、交通整理をしている人、みんなが一体になってお祭りを成功させるのです。

 

秋の陽射しを浴びて走り回っていたら帽子をかぶっていたのに、でかいい顔がすっかり黒くなりました。

姪が「おじさんは帽子の似合わない人だねぇ。

どんなかっこいいのを被っても八百屋さん顔だ」と言われます。

ほっといてくれ。だいたい八百屋さんに悪いよね。

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奥の細道旅行譚(鹿沼市)

2017年11月12日 | 旅行

栃木県鹿沼市にやって来ました。

人口約10万人、木材の産地、園芸用の土なんかでも有名です。

東武鉄道新鹿沼駅(JRは鹿沼駅です)に降り立つと芭蕉の像がありました。

奥の細道本文には文章はありませんが鹿沼に一泊して日光に向かったことになっています。

千住を3月27日(陽暦5月16日)に出て3月29日には鹿沼に到着しています。

駅前のロータリーではお囃子の音色が聞こえます。

今日は鹿沼秋まつりの日でした。TVの旅番組なんかではきちんと調べて来たのに「ちょうど秋祭りがやっていて賑やかでよかった」などと白々しく言ったりします。

ご隠居は単に鹿沼市に来るだけではつまらないのでこの日に合わせてやって来ました。

秋の日差しに遠慮気味の看板がいいですね。

さて曽良の旅日記には

室の八島を参拝して壬生、楡木を経て鹿沼に向かいます。

「壬生ヨリ楡木へ二リ。ミブヨリ半日バカリ行キテ、吉次ケ塚、右ノ方廿間バカリ畠中に有。

にれ木ヨリ鹿沼へ一リ半。昼過ヨリ曇。同晩、鹿沼(ヨリ火バサミヘ弐リ八丁)ニ泊ル。」

火バサミ・・・嫌今市市文挟町

と簡単に書いてありどこに泊まったかは定かでありません。

町は祭一色という感じです。

まだ動いていない彫刻屋台はちょっと元気がないと言ったところでしょうか。

どの屋台も彫刻が素晴らしい。

色彩の豊かな屋台もあります。

街角ではイベントに参加するチームのリハーサルが行われていました。

この日のために頑張ってきたのでしょうからみんなから喝さいを浴びてね。

 

さて屋台の町内引き回しまで時間があるので光太寺(こうだいじ)にまずは行ってみましょう。

光太寺本堂

前夜から小雨が降り続き江戸から所持した古編み笠の雨漏りを危ぶんだ芭蕉は寺で新しい笠にに替えて日光に向かいました。

一説には鹿沼の宿泊地はこの寺ではなかったかと言われています。

やっと関東地方のはずれまで千住から3日間でやって来た芭蕉です。

雨に打たれてて辛かったでしょうか。

しかしいよいよこれから日光、平泉、出羽三山とこの旅のハイライトが始まるわけです。

旅行が好きな人たち共通のまだ見ぬ世界への胸の高まりを感じたのではないでしょうか。

当ブログでは最上川に行ったり黒羽に戻ったり切れ切れにやっているので感動が少なくなりそうです。

反省。

一年に一度の秋まつりに湧く鹿沼の町並みです。

 

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東京日和(日比谷公園から)

2017年11月07日 | 日記

今年の11月の連休は素晴らしい天気でしたね。

みんなはどんな時間を過ごしたでしょうか?

ご隠居はあっちこっちに出かけて金使い果たしました。

東京の秋の様子はどうかなとカメラを持ってぶらりと出かけました。

11月5日連休最終日です。まずは日比谷公園。

菊花大会を開催していました。

ついでにトランプ米国大統領が来日、初日ということで警戒がすごかった。右の看板がその案内です。

公園の周りには機動隊の車輌やパトカーが緊張して駐車していました。

トランプ大統領がぶらぶらしていたら

「あたしゃねぇ千葉市から来た、ななきたのご隠居と言われている男だけど知っているぅ?」と話しかけたら

「知らねぇなあ」と言われますよね。

アメリカの不動産の不良物件でも勧められないように近づかないほうがいいかも。

イベント会場の中に入ると早速端正な菊の花でいっぱいです。

菊の花を展覧会に出すような人って気難しい人が多いかもしれません。ご隠居の父がそうでした。

ご隠居の父も菊の花を丹精込めて咲かせるのが趣味でした。

花も「天、地、人」と三本立てでも高さを微妙に変えます。そのためには支え棒を調整したり成長抑止剤なんかも塗るみたいです。

支えの竹も昔は自分で黒く塗り(葉っぱの見栄えが良くなる)葉っぱの数も整えます。葉の色も黒っぽい重厚感のある色合いがいいようです。

留守の時「水をやっておいてくれ」とか言われて適当にばさばさやっておくと土が跳ね返って葉に着いたとか一枚でも葉が取れたら怒り心頭で大変です。

菊なんかこの世から無くなればいいのにと子供の頃思いました。

秋になると落ち葉を集め、いろいろ調合して腐葉土を造ります。

春になると小さな苗から三本立てにして、台風が接近しそうなときは部屋の中に新聞紙を敷いて避難させます。

毎日早朝に水やり殺虫剤をまき一年かけて秋に咲かせます。

ご隠居なんかはコスモスみたいにいつの間にか咲いているような花が好きです。

しかし澄んだ秋の空に菊の大輪というのは日本的ですよね。

 

さて大噴水の場所にやってくると「パープルストライドトウキョウ2017」すい臓がん撲滅キャンペーンが始まるようです。

いりいろな癌がありますがひとつひとつにこういうイベントがあるのでしょうか。

まだまだ癌は人類の厄介者です。

小さな虹が見えました。人類の未来も虹のようなバラ色になるといいですね。

ステージの裏にバスが到着しました。今日のイベントに参加する阿波踊りの連の人達でしょうか。

音楽も何もないシーンとした中でリハーサルを行っていました。

静寂の中に気迫みたいなものが感じられます。他人に披露するということは緊張感が生まれますね。

 

東京駅の方に向かいます。

帝国劇場の前はいつもと同じ感じです。トランプだろうがスペードだろうが関係ないよね。

仲通りから行幸通りにかけて「ジャパンハーヴェスト2017」というイベントが開催されていました。

食と農林漁業の祭典だそうです。

東京ばかりでなく地方都市でも最近は休日に行くとよくイベントが開催されています。

ご隠居ぐらいの歳になるとパソコンやケイタイなどこれ以上便利にならなくていいから美味しいもの作りに励んでほしいと言った感じです。

最近東京駅の丸の内側に出ると、はとバスの車輌の多いのにたまげてしまいます。

今や東京は日本最大いや世界の観光地なんですね。

山ん中の温泉なんかに行くよりよっぽど楽しそうです。

北海道や九州の人達ならお金と時間がかかりますが千葉あたりに住んでいればちょこっと来られます。

天気の良い休日には部屋で暗い顔して小説なんか読んでいるより有意義だなと思います。

さて神田神保町の毎年恒例の「古本まつり」にやって来ました。

この日はこれが一番の目的です。

最近はブックフェスティバルというのでしょうか。

本日が最終日です。値札よりさらに安くなっていると思います。

すずらん通りではワゴンセールの本の得々市が賑わっています。

本で教養を身に着ける前に人間はやっぱりパクパクするのも捨てがたい。

ご隠居も焼きそば450円を食べました。

通りで共立女子大学の女性がパンフレットを配っていました。

最近は女子大の人気が下降気味と聞いていますが東京のど真ん中にある共立女子大学の女の子はどんな勉強をしているのでしょうか。

靖国通りに出てみました。

こちらは昔から古本屋さんが立ち並んでいる場所です。

いつも通り「古本まつり」の旗が風になびいています。

ここにも昔は本屋さんがあったのでしょうか?

そしていつものように宅急便のコーナーもあったので少したくさん買っても大丈夫です。

そしてこれも恒例、駿河台下交差点側のすずらん通り入り口ではミニコンサートがありました。

連休最終日の昼下がり。心地よい時間が流れていきます。

いつも書いてしまいますが歌の上手な人、楽器の弾ける人は羨ましいなと思います。

我らが首都東京の一日でした。

さて来週からまた「奥の細道旅行譚」を始めましょうかね。

ただいま編集中です。もう少しお待ちくださいね。

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11月

2017年11月01日 | 日記

11月になりました。今夜は十三夜。(11月1日)秋が深まって来ました。

今年の秋は雨ばかりでちょっとがっかりでしたね。

でもこれからは大陸からの高気圧が張り出してきて天気も安定するのではないでしょうか。

今年も先月、佐倉市のコスモスフェスタに行ってきました。

昨年は一人で行ったのですが今年は写真教室のみんなとガヤガヤと出かけました。

毎年お馴染みの風景でしたが今年はコスモスの花が少なかったようです。

いつものパターンです。手前のコスモスの花に焦点を当てて風車をぼかします。

オランダの国旗の色です。

イタリアやフランスの国旗はレストランが沢山あるので縦の配置で緑、、白、赤(伊)や水色、白、赤(仏)などはよく目にします。

いつも外から見ている風車ですが今回は中に入ってみました。

オランダから直輸入して国内で組み立てた風車は四基しかないそうです。

建設した当時でも何億とかかったそうですが現在だったら二ケタになるかも。

風車の中から羽の動きを見るのも面白いですね。

外に出て逆光で撮りました。

会社をリタイアしたらこのような場所でたまには一日のんびり過ごすのもいいと思うし、健康で長生きできる秘訣かもしれません。

隣の物産館では卵がけごはん300円、トン汁100円などで販売していてこれがまた美味しいのです。安上がりで過ごせます。

 

観覧車の 向かいの席に 誰も居ず いな秋の精 ふわりほほえむ

(朝日歌壇  名古屋市 長尾幹也 さんの作品)

観覧車に乗って明るい秋の空を眺めるのも楽しいかもしれません。

観覧車に最後に乗ったのは10年以上昔に千葉動物園の小さな観覧車だったかな。

それも現在では廃止されたそうです。

そのうちに葛西臨海公園の観覧車でも乗りに行こうかな。

金さえ払えば爺さん一人じゃだめとか言われないでしょう。

 

元ミス・ユニバース・ジャパンの知花くららさんが俳優の上山竜治さんと結婚したというニュースがありました。

彼女ももう35歳になるんですね。それはどうでもいいのですが、

コメントに一緒にいると「若合一契」の心地よさがあるとありました。

意味を調べてみたら「割り符をあわせるようにいつも思いが一致すること」とのことです。

ずいぶん難しい言葉を知っていますね。

 先日イトーヨーカドーに買い物に行ったついでに本屋さんに寄ったらカズオ・イシグロの本が沢山積んでありました。増刷できたんですね。

熱が冷めないうちにと2冊ばかり買ってきました。

まだいくらも読んでいませんが・・・

文庫本にしては字が大きくて、ふり仮名がなければ読めないような難解な漢字はありませんので読みやすそうです。

品格のある執事の道を追及している主人公がご主人から休みをもらって6日間ばかりの旅に出ます。

仕立てのいい服とご主人から借りたフォードに乗り朝食付きの宿に泊まります。

今までの人生を振り返ったりして至福のひと時を過ごす話がまずは始まると言うところまで読みました。

 

宿からソールズベリーの町に出てみたのは、四時を少し回ってからだと思います。

どの通りも広々として風が良く通り、町全体に素晴らしくゆったりした感じを与えていました。

そのため、暑めの日差しではありましたが、私は何時間散歩しても少しも苦になりませんでした。

それにこの町には見どころも多いのです。

あちこちで見かけた古い木造の家並みは、ながめるだけで十分楽しいものでしたし、町を流れるいくつもの川には小さな石橋がかかっていて、これを渡るのも楽しい経験でした。

 

よい旅行をするのはこういうことかと思いました。

ご隠居は小汚い服装で新幹線をウロチョロして,観光地では歩きながら飲んだり食ったり、松の木陰で立ちションはするは、いい写真を撮ろうと回りを見ないで溝に落ちたこともありました。

反省しなければ!

ひき続きこの本も読もうと思っています。

当分秋の夜長を楽しめます。

また秋の夜空も素晴らしいですよね。千葉市みたいな田舎でも星はよく見えないので郊外にちょっと出かけてみたいですね。

みんなも師走に向けて行事の少ない11月に体調を整えておきましょう。

 

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