ななきたのご隠居~野崎 幸治

千葉市美浜区で行政書士をしています。
地元では「ななきた(磯辺7丁目北自治会)のご隠居」と言われています。

奥の細道旅行譚(月山)

2017年09月29日 | 旅行

羽黒山(現世界)から月山(死の世界)に向かいましょう。

出羽三山といっても三つの独立した山があるわけではなく頂上が月山とすれば(1984m)峰の北側のふもとが羽黒山、そして南西の中腹が湯殿山です。

途中でなだらかな尾根の月山が見えてきました。

月山は、遥かな庄内平野の北限に、富士に似た山裾を海に曳く鳥海山にに対峙して、右に朝日連峰を覗かせながら金峰山を侍らせ、左に鳥海山へと延びる山々を連瓦させて、臥した牛の背のように悠々として空に曳くながい稜線から、雪崩れるごとくその山腹を強く平野へと落している。

すなわち、月山は月山と呼ばれるゆえんを知ろうする者にはその本然の姿を見せず、本然の姿を見ようとする者には月山と呼ばれるゆえんを語ろうとしないのです。

月山が、古来、死者の行くあの世の山とされたのも、死こそはわたしたちにとってまさにあるべき唯一のものでありながら、そのいかなるものかを覗わせようとせず、ひとたび覗えば語ることを許さぬ、死のたくらみめいたものを感じさせるかもしれません。

・・・森敦「月山」から

難しい文章ですね。

上古より<死者の行く山>と畏れられる出羽の霊山・月山。

その山ふところの破れ寺に、ある夏、何者とも知れぬ男が辿りつく。男は雪に埋もれた長い冬に耐えて春の終りと共に再びいずこに去って行くが・・・

読者はこの男と共に、閉ざされた山間の村人の土俗の暮しにひたりながら、いつしかこの世ならぬ幽冥の世界に誘い出され、生と死の淵源をさまよい歩く。

難しい本ですがご隠居は結構好きな小説です。読んだ本はどんどん捨てていますがこの本は大事にとってあります。

月山高原ラインを上って八合目までは自動車で行くことができます。

駐車場から庄内平野を望みます。雄大な景色です。

月山ラインは道が狭いうえに急こう配、右へ左へとめまぐるしくカーブします。そこに大型観光バスが道一杯にもやって来ます。

観光バスは絶対に道を譲らないので交差するのにバックしたり大変でした。ご隠居は車を運転していてこういうのが一番嫌いです。

もう一回ぐらい訪れる機会があったらその時までに金を沢山儲けて鶴岡駅から優雅にタクシーで来たいなと思いました。

路線バスは運転手さんの他に誘導員が乗車していて対向車に会うたびに交差の調整をするみたいです。

日原の鍾乳洞に行く西東京バスにも補助員が乗っていますが、日本にはこんな場所がまだ多いようです。

しかしここは一級の観光地ですから道ぐらいもっとよくしろよと言いたくなります。

駐車場の脇の道を登って弥陀ヶ原湿原遊歩道に行きました。

すぐに高度があがります。

木道が続いています。

尾瀬ヶ原ほど広大ではありませんが夏の初めに来れば高山植物が素晴らしいのではないでしょうか。

標高約1400m、「いろは48沼」といわれ湿原の中にさまざまな沼が散らばっています。

少し花が残っていました。

もちろん水芭蕉は終わっていました。でも風が気持ちいい。

月山山頂に続く鳥居です。

ここから老人の足だと2時間30分ぐらいかかるのでしょうか。

若いうちに来ればよかったなと思いました。

日頃から訓練しておけば登れないこともないでしょうがご隠居は大きな願い事がないので八合目で撤収です。

曾良の「旅日記」ではこの弥陀ヶ原で昼食をとり、頂上へと向かいます。日記には「難所成」とあります。

芭蕉は曾良と強力<ごうりき>(現在でいう山岳ガイドまたはシェルパといったところか)の3人で頂上の月山神社を目指しました。

鍛冶小屋で一泊しました。笹を敷いてわらを枕にして寝ました。食事も「やわら」というおかゆのみだったそうです。

寒くてひもじくて大変だったでしょうね。そこまでしても芭蕉一行のこの参拝への意気込みはすごかったのでしょうか。

月山は「細道」前半の日光への対応であり、日光では「日の光」をたたえ、月山では「月の光」をたたえたのも芭蕉の精妙な構成であると嵐山光三郎さんは書いています。

日光も東照宮の修繕も終わり綺麗になったとか。近いうちに再度訪れたいと思っています。

月山中の宮、御田ヶ原参籠所でお願い事をして御朱印もいただきました。ここで聞いてくれた願い事を山頂の月山神社までラインかなんかで報告してくれるといいなと思いました。

やれやれやっと羽黒山、月山と二つ参拝しました。

 

羽黒(月山)

八日、月山にのぼる。

木綿しめ身に引きかけ、宝冠に頭を包、強力と云う者に道びかれて、雲霧山気の中に、氷雪を踏みてのぼる事八里、

(木綿しめを身にひきかけて・・・こよりでできた修験袈裟)

更に日月行道の雲関に入るかとあやしまれ、息絶え身こごえて頂上にいたれば、日没し月顕る。

(高山にのぼるさまを、雲をしのぐに喩える)

笹を鋪、(しき)篠を枕として、臥して明るを待。陽出でて雲消れば、湯殿に下る。

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奥の細道旅行譚(羽黒山三神合祭殿)

2017年09月24日 | 旅行

さらに登ります。

杉木立です。

芭蕉塚

江戸時代鶴岡の俳人衆が「涼しさや ほの三日月の 羽黒山」に因み永く面影を慕おうと三日月塚と称して建立しました。

御本坊跡(別当寺宝前院の跡)

途中、奥の細道本文にも出てくる南谷別院跡に下る分岐点がありましたがもう汗まみれで省略しました。

三の坂を登り終えてやっと2446段最後の鳥居が見えてきました。

厳島神社・蜂子神社

三社合祭殿(重文・日本最大の萱葺き建物)

三神合祭殿は月山、湯殿山、羽黒山を祀っています。

月山、湯殿山は冬期間積雪で登拝できないので三神を羽黒山に祀るとされています。

萱葺き屋根の壮大さにただただ目をみはるばかりです。

日本の各地の山にそれもかなり高い場所に荘厳な神社仏閣が建立されていますが本当に驚いてしまいます。

御朱印もいただきました。

8月31日 蜂子神社祭(八朔祭)

9月1日 田面際    お祭りの時で山伏姿の人にたくさん出会いました。

鶴岡市観光協会のパンフレットから

重文 鐘楼と大鐘 屋根も切妻造りの萱葺きで質素な感じですが歴史を感じます。

鐘は日本第三の大きさとか。

霊祭殿

出羽三山は先祖の霊魂を祀る山としても信仰を集めています。

末社 稲荷神社や白山神社など九社が祀られています。とにかく山中、神、神、神です。

ちょっと面白いなと思い撮りました。

手水舎 こちらの鳥居を抜けると有料道路を登ってくる車のための大きな駐車場とお土産屋さんなどが並んでいます。

階段を登ってこなくても気軽に霊山の空気に触れることができますので安心してくださいね。

何よりも天気が良くてラッキー!雨でも降ってガスっていたら目も当てられないです。

 

「さて2446段の階段とは大変なものだね」

「気合だ、気合だ、気合だぁぁぁぁぁぁぁぁ・・・」

「うるさいねぇ、こんな静寂で荘厳な場所でなんで大声出しているのかねぇ」

「気が狂いそうです。頭の中じゃ茶店までもたどり着かない感じです」

「山寺でも800段以上、標高差は同じぐらいのなのになんとかなったから大丈夫」

「根拠のない自信は無敵です」

「染物師の呂丸さんの紹介で本坊、別当代・会覚さんの好意で南谷紫苑寺に泊まることが出来ました」

「翁はどこにも沢山ののファンがいて助かります」

「アイドルグループのファンみたいな軽い人たちではありませんよ。俳句の修行をしている人達です」

「お言葉ですがおニャン子クラブやモーニング娘でもその後、会社経営に成功したりネットなどで活躍している人も多いようです。侮れません」

「曾良さんは芸能通だね」

「ところでリュチェルとペコちゃんが結婚して式に1000万円もかかったって知っていますか?」

「知らん!宇宙人の話ですか

「馬鹿っぱなししているうちに五重塔に着きました」

「なんとみずみずしい五重塔でしょうか。人間が作ったのに地から生えてきたような生命力があり、塔が地から水分を吸って呼吸しているようです」

「簡素ですが太古の力があり、見る者は全身を浄化されるようです」

(注、この二行は嵐山光三郎さんの文を参照しています。)

「さてやっと別院に着きました。暗くなってきて心細かったですね」

「私はね、出羽三山に一度死にに来ました。いままで積み上げてきた俳諧の道をすべて捨て去り、その後に新しい命が吹きこまれるとの覚悟です」

「まぁ難しい話は別にして別院で飲んだり食ったりしたお礼に句会でもじゃんじゃんやりましょう」

「困った人だねぇ」

 

嵐山光三郎「芭蕉紀行」から

三神合祭殿は巨大な萱葺き屋根をのせ、現在の建物は1818年の再建である。

一棟の中に拝殿と本殿が造られ、冬は雪で参拝できない月山と湯殿山も祀っている。

ここでも祭壇のなかで、講中人達が祈祷をしていた。

耳をすますと、祝詞と声明と般若心経が入りまじって煮え立つような不思議な音調であった。

カーンとしずまりかえった石段を登りきったあとに聴くと、祈りのだみ声の渦に吸い込まれて宇宙の迷子になりそうで足がもつれた。

陶酔しきった祈祷の声にはエロチックな誘惑が満ち、講中の婦人は身を悶えて白衣を汗で濡らしている。

羽黒山、月山、湯殿山が古代において「恋の山」であり、湯殿山ご神体である自然岩が女体の象徴であったことも無関係ではない。

歩きながら首筋に汗が流れる。

汗はつーっと首から背骨へおちていき、自分の肉体も生身であることを実感した。

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奥の細道旅行譚(羽黒山五重塔)

2017年09月17日 | 旅行

やっと羽黒山にやって来ました。

鶴岡市内から行くと大きな鳥居が見えてきました。

反対側を見ると鳥海山に雲がたなびいています。

社務所のある手向(とうげ)に着きました。

まずは「いでは文化記念館」に入ってみましょう。

出羽三山の山麓に広がる村々の神事、祭事などが紹介されています。

羽黒山伏の実寸大の人形や芭蕉一行が月山で一夜を過ごしたといわれる小屋のレプリカなどに興味がわきました。

なお館内は撮影禁止です。

出羽三山を訪れた後、大日坊などに寄りますがそこではこの地方に即身仏のミイラが何体も作られたことの説明を受けました。

羽黒山伏が吹くほら貝の音色には衆生の迷夢を覚し諸悪を祓う力があると言われています。

とりあえず記念館を後にして出羽山神社を目指しましょうかね。

隋神門

ここから山頂まで約2kmの参道です。樹齢300年から400年の杉が生い茂り、石段は2446段です。

前置きはいいかげんいしてミシュラン・グリーンガイド・ジャポン三ツ星に認定されているこの参道を登ります。

継子坂

さぁ登るぞ!と気合を入れて鼻の穴おっぴろげていくとまずは下り坂でした。

 

登る途中に日本全国の神様が祀られています。

祓川神橋を渡ります。

撮影ポイントのひとつ須賀の滝が見えました。

お堂の後ろに流れ落ちる滝はなんだか神々しい。

やがて一の坂の入り口に五重塔がそびえ建っています。

素木造り、柿葺、三間五層の作りは森閑とした緑の中に均整がとれていて優美な姿に感嘆です。

こんな山の中にだれに参拝してもらおうと思って建造したのでしょうか。

場所を変えて撮ってみました。

東北では最古の塔だそうです。国宝。平将門の創建ですとのこと。

昔JR東日本のCMでライトアップされたものが放送されていました。

こんな東北の山中で妖しく輝く五重塔の夏の夜を体験してみたいですね。

更に登ります。

木々の間から庄内平野が見えます。汗を拭いていると爽やかな風が吹いてきます。

やっと二の坂茶屋(名物力餅)の看板が見えてきました。

ここまで来ると半分です。

眺めが良さそうだし息も切れているので客引きなんかいなくても倒れこむように入りました。

早速賞味しましょう。

抹茶を飲んで、餅を食べてお茶を飲んで、いやまだのどが渇くとペットボトルの水を買いました。

牛飲馬食と言いますが馬のように水を飲んでいるようだと思いました。

もっとも馬も「あたしだってそんなには飲みませんよ」と言われそう。

せっかくだから素晴らしい景色も堪能しましょう。

景色を見ていたら(アンケートみたいなものに名前を書いておいたので)・・・。

認定書をいただきました。

よく読むと道半ばなのにもう踏破したことになっています。

途中まで行って戻って来たらこの認定書は返すのか聞いてみたくなりましたがそんな軽口をきく雰囲気でもないので止めました。

さらに階段は続きます。

 

羽黒(羽黒山)

6月3日、羽黒山に登る。

図司佐吉と云う者を尋ねて、別当代会覚阿闍梨に謁す。

南谷に宿して、憐愍(れんみん)の情かまやかにあるじせられる。

           (何くれと憐みの情をふかくしてもてなされた)

4日、本坊において誹諧興行。

有難や 雪をかほらす 南谷

(この南谷は下界の暑さを忘れるような真夏の風だが残雪の香りをもって吹いているので涼しい。ありがたいことです)

5日、権現に詣。当山開闢(かいびゃく)能除大師は、いづれの代の人と云事しらず。

        (この羽黒神社を開山した大師はいつの時代かわからない)

延喜式に「羽州里山の神社」と有。書写、「黒」の字を「里山」となせるにや。

      (書写の際に、黒の字を誤って里山に下のでしょうか)

羽州黒山を中略して羽黒山と云にや。

出羽といへるは、「鳥の毛羽を此国の貢に献る」と風土記に侍とやらん。

(出羽としたのは「鳥の羽毛をこの国の貢物として献上したからだ」と風土記に書いてある)

月山、湯殿を合わせて三山とす。

当寺武江東叡に属して、天台止観の月明らかに、円頓融通(えんどんゆずう)法の灯かかげそいて、僧坊棟をならべ、修験行法を励まし、霊山霊地の験効(げんこう)、人貴且つ怒る。

(武蔵の国江戸の東叡山に所属して、天台宗の止観の観法は月の曇りなきがごとく明らかに輝き、円頓融通(えんどんゆずう)を教義とする法を盛んにしている)

繁栄長にして、めで度御山と謂つべし。

(繁栄は永久に続くべく、まことに素晴らしい山です)

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奥の細道旅行譚(尾花沢)

2017年09月12日 | 旅行

山刀峠を越えた芭蕉一行は尾花沢の大金持ち鈴木清風宅(本名鈴木道祐)へと向かいます。

尾花沢市は鉄道の駅がないのでどの辺か迷いますが奥羽本線大石田駅からバスで尾花沢ターミナル行きで行くのが便利なようです。

昔鉄道の敷設に反対したのでしょうか陸の孤島のようです。

現在は芭蕉清風歴史資料館となっています。

館内には芭蕉と清風がやり取りした書状などが展示されているそうですが・・・・・・

改修工事のため臨時休館中でした。残念。

もちろん芭蕉翁の像は青空をバックにして輝いています。

念通寺 鈴木清風の菩提寺です。

少し寂れていましたが庭の手入れなどは整っています。

この本堂は元禄10年、清風の独力寄進による建立といわれています。

清風の墓を探しましたが見当たりませんでした。

後で解説書を読んだら「境内にある骨堂は念通寺檀家すべての共同墓地で、ために清風のための墓というものはない」とのことです。

養泉寺。 

芭蕉が訪れた時はベニバナの開花で忙しい時期で清風の自宅ではなく新築になったばかりの養泉寺に案内しました。

仁王門の中を覗いてみました。

本堂です。秩父札所を思い出しました。最上三十三か所のひとつです。

お寺の向こうは一段下がって田圃が続きます。段丘のの端に位置して涼しい風が吹き抜けていたことでしょう。

また北西には鳥海山、西には月山が眺められる絶景の場所です。

札所ということで御朱印をいただいてきました。

 

さて尾花沢で10日ものんびりした後一行は山寺、更には道を引き返して大石田、新庄そして最上川下りに向かいます。

当ブログでは最上川下りは2015年9月に掲載してありますのでさかのぼってごらんください。

新庄市内も芭蕉の足跡はあるのですが石碑とか標柱だけとかが多くなっています。

これは市民プラザ前にある「風の香も南に近し最上川」の句碑です。

 

そして6月3日には(陽暦7月20日)には本合海から快晴の中、舟下りに出かけます。

現代ではご隠居は電車で行ったので陸羽西線の古口駅より最上峡芭蕉ライン乗船場(戸沢藩舟番所)から乗りました。

芭蕉一行は本合海(もとあいかい)から乗船したそうなので寄ってみました。

立派な案内がありました。

古い案内でしょうか。

もちろん芭蕉、曾良さんもいましたよ。

最上川の流れです。

なんだか東北、みちのくだなあと思いました。

 

尾花沢

尾花沢にて清風といふ者を尋ぬ。

かれは富める者なれども

志卑しからず。

都にもおりおり通いて、さすがに旅の情けをも知りたれば、日ごろとどめて、長途のいたわり、さまざまにもてなしはべる。

 (都にもたびたび往来しているだけあって、旅の心もよくくわきまえているので幾日も自分たちを引留めて、長旅の労をねぎらい、あれこれともてなしてくれた)

涼しさを わが宿にして ねまるなり

(清閑の涼を楽しんでいるあるじ清風の心根が偲ばれるこの座敷の涼しさを我物顔にのうのうとくつろいでいます)

這い出でよ 飼屋(かいや)がしたの 蟾(ひき)の声

(蚕を飼っている床下で(万葉の歌)そのままにヒキガエルが鳴いている。そんな暗い所で鳴いていないで這い出しておいで)

眉掃きを 俤(おもかげ)にして 紅粉(べに)の花

(女性の唇を彩る原料となる紅粉花。花の形は女性が化粧に使う小さな刷毛を思い出させます。なまめかしくも優しい感じをただよわせています)

蚕飼(こが)ひする 人は古代の 姿かな   曾良

(蚕を飼うことは古代に始まる習慣だがこの土地の人が袴にも似たフグミをつけて蚕を飼っているのは神代の姿さながらのようだ)

 

「ようやく翁が楽しみにしていた清風さん宅につきましたね」

「ちょうどベニバナの開花期で忙しいのに悪かったかな」

「しかし毎回トリバコであっちこっち旅籠を探すんじゃ疲れちゃいますよ。宿泊先が決まっていると楽ですね」

「トリバコってなんだい?」

「旅籠の宿泊代金の安い所を探す閻魔帳です」

「しかしさすがに清風さん。多忙と言ってもこんな新築のお寺を世話してくれるなんてにくいじゃないの。

極楽、極楽。  涼しさを わが宿にして ねまる也 てっか」

「翁も清風さんのこと、さらりと褒めて嫌味が感じられないですね」

「人を褒めるのにああだこうだとネチネチ書くと感じが悪くなります」

「清風さんはベニバナの不買同盟にあいましたが品川海岸で焼き捨てて相場が高値になり3万両もの利益をあげたそうです」

「この国の未来に平成などと言う時代がくるがその時生れていたらジョージ・ソロス氏やウオーレン・バフェット氏と肩を並べる投資家になっていたかもしれません」

「儲けた金をバフェットさんならボランテァ活動に寄付でもしますが、清風さんは儲けた金で3日3晩吉原の大門を閉じて遊女たちに休養を与えました。日本的でいいですね」

「しかし養泉寺には甘えて7日も逗留してしまった。その間僧侶や庄屋さんなども会いに来てくれるし俳句の会もやったしよかったね。実際に世話してくれた素英さんにも感謝です。」

「サービスして本文にも涼しげな俳句を4本も載せましたね。それにあたしの句も載せていただいたおかげで帰ってから講演会でもやった時にはギャラがあがります。」

「同じサービスでもサービス残業じゃないから誰にも迷惑かけていないよ。それにしても江戸を立つときは決死の覚悟だったけれどなんだかこの辺まで来るとホッとして先が楽しみになって来ました」

 「この先清風さんの勧めてくれた立石寺に行ってみましょう。歌枕にはなかった場所ですが二人で新しい名所を創りましょう」

 「二人とは大きく出たね。この旅と紀行文は私が主催しているのです」

「分かっていますよ。翁との一線は超えません。ワイドショーにでてくるような男女の仲でもありませんから」

「なに言ってるんだかね」

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奥の細道旅行譚(山刀伐峠)

2017年09月07日 | 旅行

また奥の細道の話です。

当ブログでは2015年9月20日に「封人の家」を訪れています。その後尾花沢までの行程を抜かして最上川下りに行ってしまいました。

その補足です。

芭蕉一行はここから山刀伐峠(なたぎりとおげ)を通って尾花沢の鈴木清風宅に向かいます。

この峠の最上側は「二十七曲がり」と呼ばれるほど曲がりくねった道で車道はありますが対向車が来たらどうしようかといった感じの情報です。

ご隠居は車の運転に自信がないのでこの標高470mの小さな山は避けて尾花沢側に行ってみました。

県道わきに立派な案内板がありました。

「雪とスイカと花笠」雪が深いのでしょうね。

それと尾花沢は日本一のスイカの産地だそうです。

スイカは千葉が一番かと思っていました。馬鹿ですね。

芭蕉一行はあの橋の上を峠の方から疲れ切って降りてきたのでしょうか。

サルビアの花が綺麗に咲いていました。

観光客は誰もいません。9月のからっとした風が心地よく吹いていました。

誰の句だかよくわかりませんでした。

 

尿前の関 後半

あるじの云う、是より出羽の国に、大山を隔てて、道さだかならざれば、道しるべの人を頼みて越べきよしを申。

 (途中に大きな山があって道もはっきりしないから道案内を頼んだ方がいいと言われた)

さらばと云て、人を頼侍れば、究きょうの若者、反脇差をよこたえ、樫の杖を携えて我々が先に立ちて行。

けふこそ必あやうくめにもあふべき日なれと、辛き思いをなして後について行。

(今日という今日はきっと危ない目にあうかもしれないと後をついて行く)

あるじの云にたがわず、高山森々として一鳥声聞かず、木の下闇茂りあひて夜る行くがごとし。

(高山は森が生茂り鳥の鳴き声ひとつ聞こえない。木の下は真っ暗で夜道を行くようだ)

雲端につちふる心地して、篠の中踏み分け踏み分け、水をわたり岩につまずいて、肌につめたき汗を流して、最上の庄に出づ。

(深山を陰風の吹き抜けるさまに、雲の果てから土を吹き下ろすと詠んだ杜甫の詩句そのままの感じだ)

かの案内せしおのこの云やう、「此みち必ず不用の事有。つつがなうをくりまいらせ仕合したり」と、よろこびてわかれぬ。

(この道ではいつもきっと乱暴なことが起こるのですが、今日は無事に送ることが出来て良かったと喜んで別れた。

跡に聞きてさへ胸とどろくのみ也。

(後になって聞いても胸がドキドキするばかりだ)

 

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9月

2017年09月04日 | 日記

9月になりました。

7月は滅茶苦茶暑くて8月の長雨と関東地方では変な夏でした。

それでも各地に出かけて楽しい夏だったでしょうか。

葛西臨海公園では一時マグロが殆ど死んでしまい元気がありませんでしたが又飼育を始めたということで行ってみました。

ちょっとうまく撮れませんでした。

シャッター速度を遅くするとマグロがぶれちゃうし、早くするとこのように暗くなってしまいます。(ISO3200)

写真教室の先生に聞いてみよう。前にも教えたじゃないかと怒られるかもしれません。

だんだん死ぬまでにはうまくなるつもりです。

外に出てペンギンを見ました。

昔ここから脱走したペンギンがいましたが羽根に認識票をつけていました。

しかし楽しそうに泳いでいても所詮、人間の手の中で操られているだけですよね。

マグロが全滅しかかった原因はまだわかっていないみたいで自然界は謎が多いですよね。

列島もだんだん涼しくなって心地よい季節になってきます。

秋を楽しみましょう。

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