ななきたのご隠居~野崎 幸治

千葉市美浜区で行政書士をしています。
地元では「ななきた(磯辺7丁目北自治会)のご隠居」と言われています。

東京日和(東京ゲートブリッジ)

2017年03月26日 | 日記

春のお彼岸も終わりました。

千葉では今日は朝から冷たい雨が降っている日曜日ですがこれからは一日づつ暖かくなっていくのでしょうね。

連休はどちらかに行かれたでしょうか?

ご隠居は市内の霊園に墓参りに行ったほかは何処に行っても混雑するだけと思い自宅でゴロゴロしていました。

若い頃なら連休なんかは自宅にいたことがなくどこかでふっ飛んでいましたが混雑を恐れるようでは老人になりました。

しかし天気も穏やかなのでうずうずしてきて近場に半日ばかり出かけました。東京ゲートブリッジです。

ゲートブリッジへは京葉線の新木場駅から都営バスで行くのが便利です。

遠くの人は新木場駅といってもピンと来ないかもしれませんが東京駅から来るとこの二つ先の駅が大観光地、ディズニーランドのある舞浜駅です。

ちなみに舞浜はアメリカのディズニーランドのあるマイアミからつけたそうですよ。

新木場駅からは道が広くて連休にもかかわらず(平日のがトラック等で混むのかな?)ガラガラでしたが駐車場は入庫待ちの車が並んでいました。

だからご隠居は観光地に自分の車で来るのは嫌いなのです。

まずはサービスセンターに寄ってみましょう。かならず綺麗なパンフレットなんかを用意してあります。ついでに小便でもしていきましょうかね。

パンフレット

若洲公園は都営ではなくて江東区が運営しているんですね。

広大な園内を周るのに自転車を貸してくれます。

キャンプ場で使用するテントを始めとしてBBQセットから何でも貸してくれます。

これでもどうだ!釣竿から餌まで何でも貸しちゃうぞ!いやいや餌は買うのです。

そういえば最近は冬になっても上野駅あたりでスキーなんか担いでいる人を見なくなりましたね。

皆レンタルか現地に先に送ってあるのでしょう。今どきスキーの板担いでうろうろしているとオマエは北京原人かはたまた縄文人か?などと言われそうです。

能書きはいい加減にして橋の上に登ってみましょう。

このエレベーターで8Fまで昇ります。無料です。

ガードマンの男性が一人いましたが帰りに「ありがとうございました。又お越しください」と愛想が良かった。

やっぱり風が強い。平成24年緒2月に完成したので約5年がたっています。

高速道路ではないので通行料は無料です。多大な税金を投入しているので一度ぐらいは通ってみないともったいない。

ご隠居はレインボウブリッジもゲートブリッジもまだ通行したことがありません。本音をいえば道が良くわからないので怖いのです。

車を使うのは近所のスーパー、病院、仕事では県庁、土木事務所に行くくらい。プリウスも半年たって、4000kmぐらいしか走っていない。

今日はそんなに通行量は多くないようです。前を歩いている人と比べると大きいですね。

橋上からの新橋方面の眺め。遊歩道は都心側にしかありません。春なんですね、霞がかかっている感じです。

望遠で見ると竹芝桟橋でしょうか。白いフェリーが停泊しています。舳先にクレーンがついていないので伊豆七島に向かう船舶ではないようです。

振り返ると葛西臨海公園の巨大な観覧者が見えました。

中央の白い建物がエレベーターホールで、9Fに小さな展望室があります。

展望室から見た若洲キャンプ場。

それでは下に降りましょう。

のんびり釣りをしている人達・・・

灯台もあります。東京湾といっても海なのです。こうみると広い感じがします。

早く初夏が来ないかな・・・・・・・。

海面からトラスト最上部まで約87mです。

最後に橋の全容を出しました。一応演出しているつもりですがたいしたことないかな?

 

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東京日和(両国界隈)

2017年03月23日 | 日記

写真教室の仲間と両国にやって来ました。

いつもは公園で花の写真を撮影するのが多いのですが久しぶりに町でスナップ写真でも撮ろうということになって東京に出てきました。

両国と言えば国技館、相撲の町です。

ご隠居の通っている写真教室も最近退会者が多くて現在は男はご隠居一人、ご婦人が5人です。

この年になって、もててもしょうがないけど悪い気はしません。ちなみに左側の男性が早坂卓先生です。

それにしても女性の方がいくつになっても向学心があるというか興味のあること追及しているようです。

平日の熱海駅なんか子育てを終わったようなご婦人たちのグループが旅行を楽しんでいます。

そこにいくとご隠居の友人の男性(リタイヤーした)なんか昼間はぶらぶらして頼まれもしないのに行動的な奥さんの「あっしー」をして、ひたすら夜になって飲むのを楽しみにしている人が多いようです。

相撲の町らしくこんな彫刻が通り沿いにあります。

歩いている人はこんなつまらないモニュメントに珍しそうに写真なんか撮ってどこの田舎者かと思っているでしょうか。

北の湖の手形

回向院にやって来ました。

振り返ると総武線が走っています。

犬猫の供養塔

回向院は幕命で、1657年(明暦3年)の振袖火事で被害にあった焼死者10万8千人を葬った万人塚が始まりです。

その後安政大地震、水死者、刑死者などの横死者の無縁仏も埋葬したちょっと淋しいお寺です。

あらゆる宗派だけでなく動物などすべて生あるものを供養しています。

犬猫供養塔からオットセイの供養塔まであります。

水子供養塔

ちょっと寂しそうな感じを出したつもりですが写真がななめで評判がよくありませんでした。

右手白いのがねずみ小僧の墓です。石を削って持っているとギャンブルに強くなるということで原型がありません。

「私はギャンブルしないからいいわ」

「〇〇さん人生そのものがギャンブルみたいなものですよ!この先墓場に入るまで何があるかわからないから持っていったら」

「それだったら今までは勝ち負けないような人生だったヮ。たそがれて来たけどちょっと幸運でもつかむといいわね」

先生「素晴らしい写真でも撮って大きな賞をもらうとか」

「今までの月謝取り戻せるわね」

ご隠居「ちょっとせこいんじゃない。宝くじで1億円当たるとかお願いしたら」

馬鹿なこと言いながら歩いているとあっちこっちに相撲部屋があります。

この時は大阪場所の最中でお相撲さんには一人も会いませんでした。

本所松坂公園に着きました。

毎年12月14日の討ち入りの日には「義士祭」がおこなわれ盛大なお祭りとフリーマッケトなど「元禄市」があります。

当ブログでも過去に義士祭の日に訪れ地元主催の見学ツアーに参加して記述しております。

吉良上野介義央公座像

愛知県西尾市に吉良家の菩提寺華蔵寺があり上野介50歳の時に自らが造らせた寄木造の坐像が現存していてそれと同じに作ったそうです。

人もいなくてちょっと淋しそうです。

松坂稲荷神社

吉良上野介追慕碑

 

忠臣蔵では悪役でしたが

上野介は三河吉良町評判が高く、街の人は今でも「吉良様」と呼んで敬っている善政の殿様だったそうですよ。

新田開発、塩業の発展、一昼夜で築いたといわれる長さ180mの堤(黄金堤)など数々の事業で町を繁栄させました。

 

他人の生き様は見方によって良くも悪くもなります。

人はとにかく他人の評判なんか気にせずのんびり生きるのが一番いいのではないでしょうか?

 

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東海道(藤枝宿)

2017年03月17日 | 旅行

岡部宿から藤枝市内にやって来ました。

瀬戸川

この付近が旧藤枝宿の史跡が残っているらしいのですがなにぶん事前の調査不足と時間もなかったので通過しただけです。

(岡部宿で撤収する計画でした)

志太一里塚蹟

このような史跡があると旧東海道と言った感じです。

松林も所々残っています。左折すると藤枝駅です。

二本の松が踊っているようです。

藤枝駅です。

ご隠居がサラリーマンを生業にしていた頃、新入社員研修で(ご隠居でも新人なんて頃もあったんですよね)4月に入社して6月頃だったかな(何十年も昔、笑っちゃいます)?まじめな顔して同期の連中と藤枝駅に降り立ちました。

勤務先の会社が藤枝市に日東紅茶と日本茶の主力工場がありました。暑くて緊張していたせいか工場見学した後のアイスティーが滅茶苦茶美味しかったのを今でも記憶に残っています。

日本人が唯一、インドでの買い付けから、製茶、パッケージしている日東紅茶です。朝の食卓にぜひどうぞ。

さて東海道膝栗毛では藤枝宿の出来事をかなり詳しく書いてあります。そこで素通りも悪いので

急いだせいで時間に余裕が少しできたので歩いてみるかと六合駅までの旧東海道を歩いてみました。

一駅間と軽く見ていたのですが思ったより距離があってあごを出してしまいました。

やはり松並木の面影がそこそこ残っています。

田中藩牓示石(ほうじせき)跡

このあたりは田中藩と掛川藩の土地が入り組んだ特異な村で、境界が分かるように牓示石を埋めたそうです。

またこの書の素晴らしさに旅人は驚いたそうです。

六地蔵堂(鏡池堂)

東海道を旅する人たちがここに立ち寄って旅の安全を祈願したとか。

また松並木が現れました。

東海道線が平行して走っています。一駅ぐらいあっという間です。

上青島一里塚跡

島田宿まで3.2kmとありますがその手前の六合駅までも結構ありました。つかれた!

自宅に帰って分かったのですが六合駅には「クモヤ93最高速碑」というのがあるそうです。

1960年11月21日当駅付近で当時世界最高速度175km/hを記録(狭軌)したそうです。

旅は予習(事前調査)が大事です。写真も撮って来ませんでした。

東海道中膝栗毛です。

藤枝の宿場に入ると田舎親父がやって来た。馬がはねて親父が驚き、避ける拍子に北八にあたる。北八は水だまりに転がり込んだ。

「この田舎親父め、目が見えぬか、寒烏(かんがらす)の黒焼きでも食らやがれ」

「こりゃ、どうも。御免なさい」

「やい、御免なさいじゃすまないわい。おい、この野郎は小粒でもぎゃあという第一声から、見付門の金の鯱(しゃち)を横目でにらんで、産湯の時から上水道をしたたかあびた男だ。江戸っ子だ」

「いんねはい、水を浴びたならようござんすが、そなたのこけてたころは馬の小便だまりだあ。気の毒だあ」

「その小便だまりに、なぜつっころしゃがった。さあ」

「そりぁ、なぜもねえだしもし。わしも急に、馬にはねちらかされ、ついそなたにぶつかっただ。ああ、しかたがないだあ。あきらめて、堪忍しなせい」

「なに、堪忍しろだと。いやだい。大江山の親分が鉄棒引きずって、渡りをつけにこようが、石尊様が、猪熊入道の似顔絵描いた提灯ぶらさげ、露地口からどぶいたの上へ、四つん這いになって、あやまりにきても、きかねぇといったら金輪際きかれねぇ。久米の平内をすわりっぱなしの居催促にやったよりかぁ、輪をかけてびっくりとせぬのが、この奴さまだあ」

     親父の返答省略

「ええい、悪く洒落らあ、尻がかゆいわい。たたき破って、頭のかけらでもひろわせてやりましょうか、ってんだ」

     省略(喧嘩も一段落して二人は旅を続けますが)

笑いながら瀬戸川を渡り、志太村の橋を通って瀬戸という立て場に着く(冒頭の写真の場所です)

江戸っ子というのは元気がいいというか口が悪いというか。

そしてこの先、町はずれの茶店でこの田舎親父と再会します。

田舎親父が先ほどの失礼に免じて酒を二人に御馳走してくれることになりました。

二人は喜んでこれとばかりに飲んだり食ったりしますが田舎親父は小便に立って行きそのまま逃げてしまいます。

田舎者と侮って恨みの仕返しをされます。馬鹿なんです。

 

松尾芭蕉が深川の居宅を処分して決死の思いでみちのくに旅立つのが元禄15年(1702年)です。各地で日本人の心を震わせるような俳句を詠みました。

その100年後享和2年(1802年)に東海道中膝栗毛の連載が始まりました。100年も過ぎてますます世の中が安全になったせいかこちらは日本橋を出立する時から気楽です。

どちらも現代と違って豪華なカラー写真一枚ない紀行文ですが江戸時代の人達に愛されましたね。

 

ご隠居の友人が「紀行文はまずちゃんと読む気がしないよね。以前は交通機関ぐらいは参考にしたけど今はネットを見た方が早い」

たしかに旅行雑誌も売れないでしょうね。

「外はカリッとしていても中はもちもちでフルーティです」なんていう文章読みたくないですよね。

 

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東海道(岡部宿)

2017年03月12日 | 旅行

しずてつバスを岡部宿柏屋前で下車しました。

すぐ前に岡部宿本陣址の公園に出ました。

園内は何もなくて広場になっていました。

内野家が元禄年間本陣職を命じられて明治になって宿場が廃止になるまで180年間代々職を継ぎました。

藤枝市の指定史跡となっていて現在整備中です。

何処にもあります。顔出し看板。

そして大旅館・柏屋(かしばや)国指定の有形文化財となっています。

天気も良くて風もないのにぶらぶらしている人がいないんですよね。

岡部宿を代表する旅籠だそうです。

入館料払って中に入ってみましょうかね。

一応弥次さん喜多さんがお出迎えということになっています。

これも何処の観光地にもありますよね。日本のどこかの工場で一手に引き受けて観光地に送り出しているのでしょうか。

奥の間では衣装なんかを貸してくれるみたいです。

かつらでもかぶって道路の真ん中で刀でも振り回していたら救急車で連れて行かれそうです。

台所

システムキッチンなんかなくても清潔そうな感じがしますね。

江戸時代でも日本人はきれい好きだったんでしょうか(現在よりもっと丁寧に台所なんかを使っていたかも)

本座敷

眺めも良く畳には縁もついていて高貴なお方が泊まった部屋です。

床の間つきです。

ご隠居が江戸時代に旅していてもこういう部屋には泊まれず二階の相部屋、畳に縁もないような所に逗留です。

 

東海道中膝栗毛では二人は岡部宿にやってきて大井川が川止めになっている情報をえます。

宿引「お泊りでございますか」

弥次「いや、わっちらあ日のあるうちに、川をかさにゃあならねえ急ぎの旅だ」

宿引「といっても、大井川は止まりました」

北八「南無三。川止めか」

宿引「さようでございます。よしんば先の宿においでなさっても、お大名様が五つ頭島田と藤枝にお泊りですから、あなた方の宿はございません。・・・・まずまず岡部でお泊りがご安心で」

弥次「そんなら、そうとしやしょうか」

北八「おめえは何屋だ」

宿引「相良屋と申します。すぐさまお供いたします」

 

昔の旅は思わぬところで余計な出費があるようです。

クレジットカードもないし、途中でコンビニでお金も降ろせないので大金もって歩いていたのでしょうか?

 

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東海道(宇津ノ谷峠)

2017年03月08日 | 旅行

さて東海道を歩く続きです。

しずてつバスを宇津ノ谷入口で下車して国道1号線バイパスの陸橋を渡るとすぐに集落です。

左側の石畳を登って行きます。

初春のやわらかい陽射しが街道にあたっています。

江戸時代ははわらじの紐ををしめなおしてひたむきに歩いたことでしょう。

少し歩くと今回最大の目的である御羽織屋の蜜柑の旗が見えてきました。

豊臣秀吉が天正15年小田原城征伐の際、馬の草履を差し出した村長 忠左衛門に礼とし拝領した羽織が石川家(御羽織屋)に大切に保管されているというTVでも紹介されている名所です。

な、なんと!うっかり写真では切れていますが本日休業のプレートが・・・・・

とりあえずだめもとで声をかけてみました。

「ごめんください!ごめんください!ごめんください!」

「はいはい。なんですか?」

「今日は羽織はおやすみですか?」(変な訊き方ですよね)

「いつも説明しているおばあちゃんが風邪ひいて寝ているんだ。きょうはちょっと無理」

「房総半島の山ん中から籠乗り継いできたのに残念だなぁ。(便利な場所から来たというとまた来いといわれそうなので)どこかの市議会議員みたいにワンワン泣いてもいいですか」

「泣いたってしょうがないわね。あきらめてそのみかんでもやるから食べて行きなよ」

「夏ミカンは酸っぱいから嫌いだ」

「これはスルガエレガントといってすごく甘いんだ」少し食べると

「この夏ミカン結構美味しいね。10kg自宅に送ってくれる?」

「夏ミカンじゃなくてスルガエレガントだ。今日は寄り合いがあって忙しいから発送は明日になっちゃうよ」

「今年の大みそかまでに着けばいいよ」

「いじけなくてもいいやね。今の時期時間が経つほどおいしくなるんだ」

そうこうしているうちに寄りあいに行くご婦人方が3人ばかりが誘いに来た。

「お客さんかい?どこから来なさった?」

「千葉から来たんだけどおばあちゃんが病気で羽織見れないんだ」

「そりゃあ可哀相だ。見せるだけだった時間かからないから待ってあげるよ」と石川さんに言ってくれた。

話が思わぬ方向に行きそうでにんまりしてご婦人たちと何度もうなずく。

「しょうがないね。今雨戸開けるから見るだけ。いつもは200円だけどおまけして100円でいいや」

左側の雨戸をあけると400年以上たった秀吉公の羽織がありました。

中の写真は一切だめということなので興味のある方は現地に行ってください。

いろいろな人のブログを見ているとおばあちゃんと縁側に座って中もチラリと見える写真や家康公から拝命された茶碗が写っているものもあります。

しかし今日は代理の人ですので(お嫁さんかな)余計なことさせるとおばあちゃんにあとで怒られるのかもしれません。指示に従いました。

 

いろいろ出かけて大きな博物館に国宝級の物品が淡い光の中で鎮座していてもあまり感激しないのも多いようです。他人事。

ここは1590年に秀吉公が小田原攻めに勝利して上機嫌で「この間はありがとさん!褒美にこの羽織をくれてやるわ」と馬の上から放り投げた姿が目に浮かぶようです。

527年前の事です。ちょっとしたオーラです。

感激して先に進みましょう。

のんびりと・・・田舎と言っては失礼ですがいい犬がいます。

この坂を登って行くのですが感激してお腹もすいたので右折して「蕎麦処きしがみ」に寄りました。

店内はとても綺麗で眺めも良かった。

そば粉のつなぎに水だけを使用した細打ちの十割蕎麦。つなぎをつかわないでよくもまあこんなに細い蕎麦になるなと感心しました。

先ほどの階段に戻って歩きます。

峠から宇津の集落。山村とも言えますが屋根が綺麗でみんな金持ちそうですね。

明治9年に竣工したレンガ造りの明治トンネル(国登録有形文化財)

山道をさらに進みます。

日本は世界でも有数な植林面積(人工林)を持つ国なのですね。

内地材をたくさん利用して日本の山、自然を守りたいですよね。

突然国道1号線のバイパスをまたぐ歩道橋に出ました。

左側にしずてつのバス停があり、そこから先の側道に入り陸橋の下を通って左折すると岡部宿です。

 

東海道中膝栗毛では

鞠子宿でとろろ汁屋の夫婦ケンカ大騒ぎを見ておかしさをこらえて宇津ノ谷にやって来ます。

それより宇津の山にさしかかったが雨が次第に篠を乱すように降りしきり蔦の細道を心細くも杖を力に十団子の茶屋近くになって弥次郎が坂道を転がり落ちた。

降りしきる雨やあられの十団子 ころげて腰をうつの山道

 

十団子は小さな団子十固を串刺しにした峠の茶屋の名物(江戸時代)現在はお守りとして親しまれています。

あられ、団子がころげる、腰を打つ、宇津の谷とごろ合わせが面白いですね。

 

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ラ・ラ・ランド

2017年03月05日 | 映画

ラ・ラ・ランドを観てきました。

テレビのCMでよく流れていますがオープニングの高速道路の渋滞の中、躍り出す人々の場面が素晴らしい。

それから一気に撮影は進み主人公二人が公園でダンスの場面へと映画の中に吸い込まれます。

ただ物語は陳腐です。ジャズを愛するピアニストの男が自分が好きな音楽を演奏できる店を持ちたいと思っている。

そして彼に心を惹かれるハリウッドスターを夢見る女性。

女性役はエマ・ストーンです。特徴ある顔立ちですがアメージングスパイダーマンに出ていましたよね。

ご隠居はスーパーマンとかバッドマンは嫌いですが何故かスパイダーマンは好きです。

どうでもいいけど映画の中で主人公の女性は最初の頃プリウスに乗っていました。アメリカの風景に良く合っていると思いました。

そしてラストがいいんですよね。これから観に行く人もいるのであまり書きません。

ただ遠くから二人が微笑んで終わります。人生なんて思い通りいかない事が多い象徴みたいに。

ロケ地のロサンゼルスの町も魅力的に映っていました。

グリフィス天文台、グランドセントラルマーケット、コロラドストリートブリッジなど。

ご隠居は小説や映画を観てそこに行くのが好きなんですがロスではちょっと遠いです。あす新幹線で、というわけにはいきません。

 

ミュージカル映画を久しぶりに見ました。

昔は(というと笑われますが)自宅に大きな液晶テレビがあったわけではないし、レンタルビデもなかった。

綺麗な画面を早く見ようと思うと有楽町や新宿のロードショウをやっている映画館に行かなくてはなりませんでした。

ジュリーアンドリュースの「サウンドオブミュージック」(あれも出だしが綺麗だった)、「南太平洋」「メリーポピンズ」カトリーヌ・ドヌーヴの「シェルブールの雨傘」

そのおかげで自宅で観ているより感動もあったしあの時はだれだれと行ったとか世間では学園紛争があったななどと思い出されて懐かしくなります。

 

10年ぐらいたって(もし生きていればですが)「ラ・ラ・ランド」を観たら何を思い出すでしょうか?

3月の日曜日暇こいてぶらりと幕張まで出かけて帰りに一人で「てんや」で天丼食べて来たなぁぐらいか。世間では安倍総理が昭恵夫人がしでかした不祥事のもみ消しに走り回っていたなど。

だんだん思い出もこつぶになってきたようです。

今日は幕張シネフレックスも混雑していました。(3月5日)

本屋さんでも映画館でもベストセラーがでれば大繁盛ですので芸術家に良い物を作ってくれと祈るばかりでしょう。

 

そういえばアカデミー賞の作品賞発表で「ムーンライト」と間違われて気の毒でした。みんな大喜びしたのに。

世界中が注目しているような場面でもミスがあるんですね。もっとも人間だれでも間違いをするということが改めてわかって良かったなと思いました。

法律の手続きなんかでも(登記とか供託)添付書類が決まっていますが、この書類を紛失した時にはどのような代替え処置ができるとか細かく書いてあります。

そうです人間は間違ったり紛失たりするものなのです。ご隠居やそれに似たうっかり型人間はめげずにがんばりましょね。

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3月

2017年03月02日 | 日記

3月になりましたね。春近し。

さて今年の冬はいつもの年に比べて寒く感じたでしょうか?

事務所に立ち寄るヤクルトレディが「今年の冬は暖かかったですよね」と言うので「寒さ厳しかったと思うけど」などと会話していました。

先日の天気予報でデーターで解説していましたが今年は暖かかったそうです。(特に12月)

毎日オートバイ乗って体感で温度を感じている人達はデーターなんかなくても季節の微妙の差が分かるのかなと思いました。

 

大寒の 影の食い込む 商店街 ひとり花屋の あたり春めく

  (朝日歌壇 東京都 吉竹純さんの作品)

 

なにげなくても季節を感じるいい歌ですね。

最近何処に行ってもシャッター通りといわれるぐらい商店街が寂れています。

たまに賑やかな商店街に出会うとなんだかうれしくなります。

そんな中でも花屋さんは季節を先取りしていて一段と輝いている感じがします。

花屋や本屋の店員さんはただ生活の糧として働いていてもその職業が好きなんだなと感じることがあります。

花を買って育て方を聞くとだいたいはきびきびと答えてくれます。購入したい本がなくて注文しようかと思うと「その本ならありますよ」とさっと棚に走って行って持ってきてくれます。

そうそう車庫証明の仕事で行くことの多い自動車販売店のショウルームスタッフの女性も仕事柄運転が上手ですよね。みんな自動車そのものが好きみたいです。

お客さんの車をヒューとスピーディにバックで整備工場に入れたりしています。ご隠居などは狭い道を走っていて対向車が来てバックしたりするような所は歩いて行くか自転車の方がよっぽどいいと思います。

ましては他人の車をバックで狭い場所に入庫させるなんてまっぴらごめんです。

2月に紹介した「楽園」ですが読み終わりました。

久しぶりに宮部みゆきの小説を読みました。

最後に犯人が分かる時点ではマスコミ、警察、野次馬、主人公の前畑滋子が入り乱れて「模倣犯」を思い出しました。

タイトルに「進化し続ける作家、宮部みゆきの最高到達点!」とあります。

ひさしぶりに面白い本でした。お勧めです。

日本人はもの心がついて小学校に入ってからは3月は別れの季節、4月は出会の場面です。そして社会に出ると4月は転勤のシーズンです。

ご隠居もよく転勤しましたがこの本を読んで昔のことを思い出しました。

「引っ越し大名」といわれた不運の君主・松平直矩の話です。生涯に7回も国替えさせられました。

国替えに伴う、莫大な経費の調達、石高が少なくなれば人員整理、長旅の手配などをかたつむりというあだなでひきこもり侍と後ろ指される若輩片桐春之介が任せられたところが面白い。

サラリーマンの小さな転勤でも仕事しながら手配するのはわずらわしいものですが江戸時代から宮使いは大変だなと思いました。

この作者の土橋彰宏は「超高速!参勤交代」でシナリオ部門の最高の賞である城戸賞をとっています。

佐々木蔵乃介が主演した同名の映画は結構面白かったですね(テレビで観たのですが)

最近はアマゾンに午前中に本を注文すると日が暮れるころにはポストにほん投げてあるほど便利になりました。

しかし先日本屋さんの前を通ったら話題の村上春樹の「騎士団長殺し」が積んでありました。

村上春樹のファンが発売日の真夜中に並んで買っているニュースが流れていました。

ご隠居はそれほどのファンではありませんがどんなこと書いてあるのかなとついつい買ってしまいました。

ネットもいいけど本屋さんの店頭でハードカバーの本の重みを感じながら手にしてパラパラめくって字の大きさなんかを確認して買うのもいいものです。

店員さんに「売れている?」と声なんかをかけて「お陰様で」とか会話するのもいいです。これから上・下をゆっくり読みます。

それにしても早く春が来い。ふらふら出かけたい!

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