ななきたのご隠居~野崎 幸治

千葉市美浜区で行政書士をしています。
地元では「ななきた(磯辺7丁目北自治会)のご隠居」と言われています。

東海道(天竜二俣駅)

2019年01月30日 | 旅行

天浜線の基地である天竜二俣駅に来ました。

いくつになってもこういう風景にはワクワクします。好きなことは一生変わらないものですね。

TH2100形、TH3501形など賑やかです。

見学ツアーが毎日行われているので近くで風や音の響きを聴いてみましょう。

踏切を渡ってまずは転車台のある扇型車庫のある場所に案内されました。

右側のTH2100形を実際に動かしてくれます。

ゲージをあわせて転車台に乗り上げる場面ではさらにワクワクします。

車輌がぜんぶ転車台に乗ると回転を始め駅のほうの線路に連結します。

昔は蒸気機関車がここで活躍していたんですよね。

つぎに鉄道資料館に入ってみました。

昔のむかしの空襲警報発令のパネル。平和の時代にこうしてのんびり列車を見られてよかったなと思います。

本日案内してくれたスタッフの女性です。

昨年11月にBS3チャンネルで六角精二さんの呑み鉄の旅ではもっと年配の女性が案内していましたね聞くと

「あの方は主任さんです。私はまだかけだしです」とのことでした。

浴場

昔は蒸気機関車を運転していたので身体も汚れたでしょうね。

運転区休息所、運転区事務所など。ちょっと炭鉱の町のような感じもします。

後ろに見えるのは高架貯水槽。蒸気機関車の給水をしていた時の名残でしょうか。

約40分の施設見学ですがめちゃくちゃ楽しかった。

まだ物足りない人はレールの上を実際に動いてみます。

ペダルをこぐと、線路の上を走るミニ電車です。

時間があったので少し町を歩いてみました。

 BS3チャンネルの火曜日夜8時からの世界ふれあい街歩きという番組が大好きです。

村井秀清さんのテーマソングにのって町角から町角へ、やがて夕陽がかがやくころ川沿いとか丘陵に出るのが素晴らしい。

外国が多いですが(昨日は那覇でしたね)以前に秩父が放送されていた時、ご隠居が歩いている時と全く違った感性の撮影にびっくりしました。

自分の目で見ている景色だとあまり感動しないんですよね。編集が上手なんですかね。

天竜川の見える場所まで歩きました。飛竜大橋です。

さて駅に戻り帰途につきましょう。

列車で天竜川を渡ります。

浜名湖佐久米駅ではかつてプラットホームでユリカモメの餌付けをしていたそうですが(2月頃まで)今は禁止しているという噂でした。

しかしこんな状況です。

終点新所原駅です。

六角精二さんもここのうなぎを食べていました。

今回の静岡の旅はこれで終わりです。

 

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東海道(遠州森町)

2019年01月27日 | 旅行

東海道を少し離れて天竜浜名湖線に乗って旅しました。

天竜浜名湖鉄道は掛川駅~新所原駅間67.7km、戦時中東海道線が爆撃を受けた時のう回路として出来ました。

東海道線の掛川駅のわきにこじんまりと駅がありました。

イオンの旗艦店の近くで昔からやっていて繁昌している八百屋さんみたいな感じです。もっともお客の数は少なそうです。

さあ出発!車両も賑やかです。右側の列車に乗車。

遠州森駅に到着です。上りと交換です。みんな一両編成です。

森の石松の育った所です。(ガッツ石松ではない)

早速降りてみましょう。

駅を出ると駅長さんがいたのでレンタサイクルを借りようかと思いましたが坂が多くて大変だから時間がないならタクシーで行った方がいいよと言われました。

役場に行くと観光案内人もいるし資料も沢山あるよとのことでそこまで歩きました。

平成24年より全国京都会議に加盟して遠州の小京都町づくりが進められているそうです。

わが町は昔からの建造物が多いから〇〇小京都と宣伝しようなどとは簡単にはできないみたいですね。

森町役場。

ロビーを入るとすぐにポットとティバッグの遠州森の茶が誰でも飲めるようにおいてありました。

さすがです。

時間もないのでとりあえず石松の墓にやって来ました。

広沢虎造の浪曲でも石松の殺される場面なんかは盛り上がります。

石松は次郎長の代参として金毘羅詣でをした帰り都田(みやこだ)の常吉家によったところ御幸山鎌太郎(みゆきやまかまたろう)

からの預り金を、常吉の兄、吉兵衛に一晩貸すことになる。

その返済を迫ったところ吉兵衛兄弟らによって1860年6月1日夜閻魔堂(浜松市北区道本)近くで殺されました。

石松が助けを求めて知り合いの所に行く場面がいい。

目が片方で、大酒のみ、喧嘩好きなどはあとから人気者と仕立てたらしい。

次は小國神社にやって来ました。驚くほど広大なのでびっくりしました。

この駐車場から遥か奥に本殿が少し見えます。

茶店が何軒かありました。

1450年の長い歴史がありますがぜんぜん知らなかったとタクシーの運転手さんに言ったらお正月なんかはすごい人だよとの事。

地方、地方には有名な神社仏閣が沢山あるんですね。

本殿

参道には老杉が繁り、静かな池があり「古代の森」といった感じです。

町内に戻りました。

あっちこっちに城下町にみられる民家があります。

毎年8月夏の夜には夕暮れから9時ごろまで和紙張りの行灯をともしふれあいの輪をひろげる「森ほたる」

パンフレットで見ると暗くなるとこの古い倉庫も魅惑的に見えます。

何処に行ってもシャッター通りはありますね。

森町に車でいくのでしたら新東名の遠州森町「スマートIC]が便利です。

時間があれば歴史の散歩道が整備され、桜の咲く頃楽しく歩けそうです。

 

 

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東海道(掛川宿)

2019年01月22日 | 旅行

寒い日が続いていますがお元気でしょうか。

ご隠居はインフルエンザになりました。医者に予防注射をしたのにどうしてですかねと訊いたら「予防接種しても注意しないと罹るよ」

ただし病状は軽くなるそうで熱も38℃ぐらいだったし節々も痛くなかった。

ついでにパソコンが故障したが風邪をうつすと悪いのですぐに友人に修理を頼めなかった。

更には大学からの友人で若い時奄美大島なんかにも一緒に旅行したA君がすい臓がんで19日に亡くなった。

昨年暮れに見舞いに行った時はレベル5で手術もできないんだと寂しそうだったけれどこれから人生を楽しもうというときに可哀相です。

今年はしょっぱなからいろいろあります。

掛川駅。

とりあえずパソコンも直ったので東海道の続きを始めましょう。

みんなには「お前はいつも能天気だから長生きするよ」と言われているので期待の沿うようにがんばります。

陽も少し傾きかけてきたのでとりあえず掛川城に行きましょう。

舗道もゆったりとってあり気持ちの良い城下町です。

お堀に架けてある橋を渡ればもうお城です。

天守閣が見えてきました。

平成6年に140年ぶりに木造で再建されました。

奥の細道でも廻った白河小峰城や白石城も木造でそれぞれこじんまりしてますが好感が持てます。

長い坂を上って行きます。

同じ写真でもプロだとこのようになる。ご隠居はまだまだ未熟モン。

霧吹き井戸

徳川家康が今川氏真が立てこもる掛川城を攻めました。

この時井戸から立ち込めた霧が城を包み家康の攻撃から城を守ったという伝説があります。

やっと天守閣の入り口に付きました。春は桜が綺麗そうです。

観光協会で販売している絵葉書を買いました。ご隠居のつまらない写真より見ごたえがあります。

桜の咲く頃に来たいですね。

1590年豊臣秀吉が天下をとり、家康を関東に追っ払って旧領には秀吉配下の大名を置きました。

この掛川城には奥さんが全国規模で有名な山内一豊が入りました。

彼はこの後ご存知のように高知県の方に転勤になりました。大名も大変でしたね。

最上階に登ると町並みが良く見えます。

新幹線が走っています。秀吉も家康も一豊もいなくなって400年ぐらい?

48億年の地球の歴史から見ればわずかですが世の中がこんなに変わってしまいます。

現在世の中で認められていなくても100年もたてばすごいことになっているかもしれません。

頑張りましょうね。ご隠居のブログも100年もたつと有名になっているかもしれません。

お城を下ってこれから向かう掛川城御殿が見えています。

市内からの眺めから90度まわすと露出がずいぶん変わってしまいました。

掛川城御殿は二の丸に建てられた江戸時代後期の建物で現存する江戸時代後期の建物で、

京都二条城など全国でも四か所しかないそうです。

ちなみに御殿とは

儀式、公式対面などの藩の公的式典の場、藩主の公邸、藩内の政務をつかさどる役所としての三つの機能を持っていました。

国の重要文化財

今度は御殿からの天守閣。

外に出て少し街を歩きましょう。

この二の丸茶室からの天守閣が定番でどこの旅行雑誌にも載っています。

こんな風景がいいですよね。

大日本報徳社

報徳図書館

二宮尊徳が唱えた報徳の教えを実践して全国に広める報徳運動の拠点です。

また3年に一度の掛川大祭も有名です。

龍尾神社のお神輿の渡御が行われ全国でも類を見ない大獅子の壮麗な舞や大余興が繰り広げられるそうです。

今年がちょうど大祭の年だったそうで残念でした。

 

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東海道(島田宿)

2019年01月13日 | 旅行

蓬莱橋から大井川沿いにとぼとぼ歩いて島田宿、大井川川越遺跡にやって来ました。

近代的な橋の上の丘陵部分に「茶」の文字が見えます。

島田市博物館に入ってみましょう。

島田宿は日本橋から約203km、23番目の宿場です。

「箱根八里はうまでも越すが越すに越されぬ大井川」

川越しや川留めにまつわる物語がたくさん生まれました。

徳川家康が東海道に宿駅伝馬の制度を設けて街道整備を行ったが大きな河川にはほとんど橋が架けられませんでした。

特に大井川は渡船も禁止され、不慣れな旅人は自分で渡れないので川越しの手助けが必要になり川会所が出来ました。

何処の博物館い行ってもこんな場面がありますね。

大井川を渡るには川札を川会所で買い、人足に手渡しして人の肩や蓮台に乗って川を越しました。

この川札の値段は毎朝、待川越しが水の深さと川幅を測って定めたそうです。

肩車・・・川越人足の肩にまたがって越した。川札は一枚。常水以上は補助者がつくので川札は合計二枚必要。

大高欄蓮台は担ぎ手だけでも16人が必要。川札52枚が必要。

着物の女性が肩車されるのも嫌だろうし大名行列なんかでは莫大な費用が掛かって大変だったでしょうね。

川越え人足の数は金谷・島田合わせてそれぞれ350人と定められていてお金が回って地元は繁昌したのでしょうが経済的価値はないですよね。

島田市博物館分館。

芭蕉の俳句がありました。

「馬方は しらじ時雨の 大井川」 「さみだれの 空吹きおとせ 大井川」

芭蕉も大井川を肩車してもらって渡ったのでしょうか。

難しい話は別にしてのんびりしていていいですよね。

弥次さん喜多さんも川越賃を値切って恥をかいたりします。

二人も川越しの値段を交渉して、一歩蓮台に乗り込んで四囲を眺めやると、大井川の濁水は逆流奔流し、

逆巻く渦に、目もくらむばかりで、命の瀬戸もこの川かぎりと思うほどの恐ろしさだ。

まさに、東海道第一の大河、水勢は矢より早く、岩石多く流れきて、渡るになやむ難所であるが、

ほどもなく向こう岸に着き、蓮台を降りた時のうれしさは、言う言葉もなく安堵感が湧きあがる。

もうすぐ島田駅です。

ご隠居は電車であっという間に大井川を越して掛川市に向かいます。

なお市内の大井神社の大祭は3年ごとに行われる帯祭りとして有名です。10月中旬に開かれます。

 

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東海道(島田・蓬莱橋)

2019年01月06日 | 旅行

今年もボチボチ事情がゆるせば旅に出かけたいものです。

奥の細道の方は寒くて雪もすごそうなので春までお休みです。

昨年藤枝まで出かけている東海道を歩きましょうか。

といっても最近友人達が定年になって東海道を歩いて京都まで行ったという人が何人かいますがご隠居は新幹線、バスなど使って要所だけ見て回るだけです。

そんなに根性のない人なのです。分かっているって!そうですか。

今回は島田宿です。

新幹線が止まるわけでもないのですが島田駅はすごく綺麗です。

静岡方面から来る列車はここで折り返すのが多いようです。

ただ駅前を歩いていても人が少なく静かです。

蓬莱橋には反対側の出口から20分ぐらいです。

蓬莱橋

全長897.4m「世界一長い木造歩道橋」として平成9年12月に英国ギネス社より認定されました。

橋の下から富士山を写すなどと言う芸当はちょこっと立ち寄ったものにはできませんね。

大井川はおとなしそうですが弥次さん喜多さんの頃は激流だったのかな?

いまでも台風でもくればすごいのでしょうか?

1869年7月、最後の将軍徳川慶喜を護衛してきた幕臣たちが大井川の右岸、初倉にある牧の原を開拓してお茶造りを始めました。

大変な苦労の連続のなかお茶づくりが営まれました。慶喜公は最新の自転車に乗って(現在だったらフェラーリという感じですか)悠々と遊んでいたという話もあります。お坊ちゃん育ちはいつの世も変わりませんよね。

やがて生活が安定してきて左岸にある島田に買い物に出かけたりするのには大井川を船で渡っていました。

その後1879年1月に蓬莱橋が完成しました。大井川の増水のたびに被害を出したので橋脚部分だけコンクリート製になりました。

寒かったけれど渡って反対側からみた風景です。大きなショッピングセンターが見えます。

島田の人はこの辺に買い物に来ているのかな?

下からも一枚撮ってみました。やっぱり長いですね。

蓬莱橋897・4茶屋(やくなしちゃや)

平成30年3月20にオープン。蓬莱橋が897.4mであり「厄なし」と厄払いのご利益スポットになっていることから由来しています。

寒いので中に入って団子でも食べようかと思いました。

川越しの絵がいいですね。

団子と思ったが極上の島田茶と黒大奴というお菓子のセットを進められたので食したところがすごく美味しかった。

次は大井川の川越しのあった島田宿跡に行ってみました。

 

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2019/お正月

2019年01月02日 | 日記

  新 

  新しき年を迎え、皆々様のご健康と

   ご多幸をお祈り申し上げます。

  2019年 お正月

  ななきたのご隠居  野崎幸治

 

新しい年が始まりましたが如何お過ごしでしょうか。

千葉は穏やかに晴れて気持ちの良いお正月となりました。

 

昨年の暮れ小石川植物園に行った帰りに東京大神宮に寄って来ました。

東京のお伊勢さまといわれ飯田橋駅からすぐです。

パンフレットには

「東京のお伊勢さま」と称され

親しまれている東京大神宮は、

伊勢神宮(内宮と外宮)の御祭神である

天照皇大神(日本人の総氏神)と

豊受天神(農業、諸産業、衣食住の守護神)、

さらには倭比賣命を奉斎しています。

また、天地万物の生成化育つまり

結びの働きを司る造化の三神が

あわせ祀られていることから、

縁結びにご利益のある

神社としても知られ、

良縁を願う人たちの御参拝も多く、

其の御神徳は実に

広大無辺といえます。

これから良縁をめざす若い人たちは(年寄りでもいいけど)このお正月に行ってみては如何でしょうか。

 

ご隠居はいつものお正月と同じで元日に検見川神社に参拝しました。

うっかりカメラを持っていくのを忘れたのでで写真はありません。正月から何やっているんだかね。

でもこのブログを見てくださっているみなさまの健康とご発展もあわせてお参りしました。

みんなも良い一年間を過ごせますように!

 

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