月山から神秘の霊域、湯殿山にやって来ました。
便利なことに有料道路がありました。
昔から湯殿山で経験したことは「語るなかれ」「聞くなかれ」と戒められています。
駐車場を出ると大きな案内図がありました。
先日いつも行っている床屋さんのばあやに湯殿山は神秘的でご利益がありそうだと話しました。
「あたしも30年ぐらい前に行ったことあるけどご神体からお湯が流れていてさ、すごいよね」
「湯殿山の事べらべらしゃべるとご利益が無くなるというか罰が当たるかもしれないよ」
「だって30年もお客さんに喋っているけど罰が当たるどころかますます繁昌しているよ」
「そうか、少しぐらいブログに書いても神様からクレームはこないかね」
「どっちみち野崎さんのブログなんかたいして見ている人もいないだろうけど、少しは宣伝になって参拝する人も増えたりして感謝状でもくるかもしれないよ」
「ずいぶんだねぇ」
まずは度肝を抜くような大きな鳥居が現れました。
このへんはどのガイドブックを見ても載っています。肝心のご神体の岩などの写真がないのが不思議でしたがそういうことなのです。
こちらも大きい。
宿泊もできるみたいです。
近在の温泉なんかに泊まって美味しいものをたらふく食べて、二日酔い気分で参拝に来るよりこういうところで夜は静かに湯殿山の霊気にあたった方がいいかもしれません。
駐車場から先は一般御車は入れませんのでシャトルバスに乗ります。
もっともゆっくり歩いても30分ぐらいで高齢の人も登っていました。
ご隠居はもちろんバスに乗りました。
いよいよ本宮です。
ここから登ってご神体に向かいます。
よく撮影禁止でもスマホで隠し撮りしている人がいますがここではさすがにいないような気がしました。
神社では参拝所でお祓いを受け、500円払って、お守りと人形の形代(かたしろ)をいただきました。
紙の形代は水に濡らして流します。こうすることで身の汚れを俗界に置いて行くことになります。
そして履き物を脱いで裸足になり石敷きの道を歩くと湯の花に覆われた巨大な茶褐色の岩があり温泉が噴き出ていました。
噴出した温泉が足元も暖かく流れ、ぬらぬらとしてこの世のものとは思えない液体と言った感じ。いやぁすごい。
なんていったらいいのでしょうか。古代からこんな感じだったのでしょうか。猿の惑星という映画のワンシーンみたい。
そしてご神体の後を登り(上から見下ろすようになるのですがばあやの話では昔はなかったそうです)谷全体を見渡せる場所でもう一度拝みます。
駐車場の鳥居が見えます。この山々全体に神様が飛び回っているのですね。
ここは撮影禁止の場所ではありません。念のため。
駐車場まで下りてきたら急に冷たい風が吹いてきました。
パーカ(馬鹿ぁではない)を持って行って良かった。ユニクロで買ったんだぞぅ。
ご隠居はいずれ隣の聖のようになりたいと思っています。
南無・・・・・・・・・・・・。
湯殿山では夢うつつとなりました。
出羽三山(湯殿山)
谷のかたはらに鍛冶小屋というあり。
この国の鍛冶、霊水を撰びて、ここに潔斎して、剣を打ち、ついに月山と銘を切って世に賞せられる。
かの龍泉に剣を淬(にら)ぐとかや、干将・獏耶(ばくや)の昔を慕う。
(中国には呉山に尋ねて龍泉の水に剣をきたえたという話があるが、この刀工の業績は干将・獏耶(刀の制作者の夫婦の名前)のいにしえの苦心の跡がしのばれる)
道に堪能の執浅からぬこと知れたり。
(まことに一芸に優れたものの執着心が浅くないのが分かる)
岩に腰掛けてしばし休らふほど、三尺なる桜つぼみ半ばに開けあり。
降り積む雪ノ下に埋もれて、春を忘れぬ遅桜の花のこころわたりなし。
(降り積もる雪の下に埋もれながら、こうして春を忘れない花ごころには感銘を受ける)
炎天の梅花ここにかをるがごとし。
(禅家における炎天の梅花がまのあたりに香っているようだ)
行尊僧正の歌ここに思い出でて、なほあはれもまさりておぼゆ。
(「もろともにあわれと思へ山桜」と詠んだ行尊僧正を思い出される)
総じてこの山中の微細、行者の法式として他言することを禁ず。よりて筆をとどめてしるさず。
坊に帰れば阿闍梨の求めによりて三山巡礼の句、短冊に書く。
涼しさや ほの三日月の 羽黒山
(日が落ちて黒々とシルエットを浮きだたせている羽黒山の上に三日月がほのかに見える。神秘的で心も涼しくなる)
雲の峰 いくつ崩れて 月の山
語られぬ 湯殿にぬらす 袂かな
(他言を許さない湯殿山の尊厳さに対する感涙にぬらす私の袂。何も語らずともお山のありがたさはわかるでしょう)
湯殿山 銭踏む道の 涙かな(曾良)
(湯殿山は地に落ちたものを拾ってはならぬおきてで、地上におびただしく落ちている賽銭を踏んで参拝してもこの霊山の尊さに思わず涙がこぼれた)