ななきたのご隠居~野崎 幸治

千葉市美浜区で行政書士をしています。
地元では「ななきた(磯辺7丁目北自治会)のご隠居」と言われています。

6月(ギンザシックス)

2017年05月31日 | 日記

明日から6月ですね。そして30日過ぎると今年も半分終わります。

お正月からGWの連休が終わると時間が加速して年末に向かうような気がします。

さて6月といえば雨のシーズンですね。いやだと思っていても日本の風物詩ですから積極的に楽しみませんか。

特にちょっと涼しい朝、小雨が降っていてそれがアジサイの花にあたって輝いている風景が好きです。ご隠居はなんだかんだ言っても紫陽花の花が一番好きです。

先日都庁に用事があったので午前中に自宅を出て銀座の新名所「ギンザシックス」に寄り道してみました。

銀座5丁目の交差点に面した旧銀座松坂屋の跡地です。

地上13階地下6階、241店舗が入居。

「セリーヌ」だ「フェンディ」「ピエール・エルメ・パリ」(菓子店)だと言われても・・名前ぐらい知っていますが別にたまげもしない。

とりあえず中に入ると6回まで吹き抜けになっていました。

大丸松坂屋百貨店が「シジェームギンザ」と銘打って出店しています。華やかです。

なにはともあれ開業初日は約9万人が訪れたそうです。年間約2000万人の集客と売上高600億円が目標とか。そうですかぁ。

あまり懐具合も良くないので上に行きましょう。

蔦谷書店があってホッとしました。どんな豪華な店舗でも本の値段は同じです。

世界中から集めた約6万冊のアート本が並ぶそうです。

ここまで来て何も買わないのも悪いので「週刊新潮」買ったら愛想がよかった。

まあ最近本屋さんもアマゾンにやられっぱなしで気の毒ですが宅配便の方がおかしくなってきて巻き返せるかも。

どこの世界も独り勝ちはいけません。

屋上に出てみました。広々としていて有名な庭園のようです。

中央通りの方を見渡すとユニクロの細いビルが面白いのでパチリ。

銀座4丁目の交差点が見えました。

服部時計店が11時の時報のチャイムを鳴らしていました。

お昼にはちょっと早いか。いつもは外に出ると吉野家の牛丼が定番ですが今日は新宿まで行って都庁第二庁舎の職域食堂で昼飯でも食らうことにしましょうか。

屋上の一画に「靏護(かくご)稲荷大明神」が鎮座していました。

文化12年如月の午の日、山城伏見の本宮より江戸の根岸に泰安したそうです。

こんなところが日本らしい。路面では土地が高いので空中にもってきたんですね。信心は信心。合理的といえば合理的。

地下も6階もあるのでどんなものかと行ってみましたがよくわからん。

決して人通りが少ないのではなく少ない人が途切れるのを待っています。やたら他人の顔なんかを撮ると怖いので。

平日でも賑わう中央通りに出ました。

日産自動車のショールームにはいつものように下駄ばきでは乗れないような立派な車が並べてあります。

ガラスに服部時計店や街の人々で賑わっているのが写って銀座らしいなと思って撮りました。

小さなデジカメで撮っているからこんなものかな。

数寄屋橋の宝くじセンター。人々の欲望は別にして木々の緑が初夏らしい。

何億円もなくてもワンコインで弁当買ってなんの心配もなくベンチで美味しく食べられれば人生最高ではないでしょうか。

 

さて話はがらりと変わります。

「琵琶湖周航の歌」が平成29年6月で誕生100年を迎えるそうです。

平成29年6月24日に現地でイベントがあるそうです。

第一部 13時00分から14時45分 高島市民会館(滋賀県) 合掌・講演など 琵琶湖周航の歌大合唱

第二部 15時15分から17時15分 琵琶湖汽船ビアンカ  

問い合わせ先

0740-25-8040 高島市観光振興課またはホームページ

若い人は嵐の歌なんかがいいのでしょうがご隠居みたいな年寄りは抒情歌って好きなんですよね。

特に昔訪れたことのある場所は歌詞を聞いていてその場所が目に浮かびます。

今津港からライオンズのレオのマークの遊覧船で(滋賀県は西武鉄道を立ち上げた堤康次郎の故郷)琵琶湖の優しい風を受け間もなく竹生島に接岸です。

ご隠居は一時西国霊場巡りをしていました。まだ全部終わっていません。

平成17年8月30日に西国30番宝厳寺に参拝していました。平成17年は自分的にいろいろなことのあった年でした。

すごく暑い日でみんなが熱心にお参りしていましたが私は一足先に桟橋に戻りかき氷を飲んでいました。

みんながあとから来て「信心の浅い奴だ」と罵声を浴びせられたことを思い出しました。

そうなんです。抒情歌を聞いているといろいろ思い出します。

坂東と秩父は終わっているのですが西国33か所は中途半端になっています。

(坂東札所33か所、秩父霊場34か所、西国霊場33か所で100になります)

最近ご隠居は公私ともに滅茶苦茶忙しいのですが奥の細道旅行譚が終わったら西国霊場に取り掛かりブログにも紹介したいと思います。

生きていたらの話ですが。

それではご隠居の好きな倍賞千恵子さんの爽やかな声で琵琶湖周航の歌を聞いてみましょう。

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追憶

2017年05月25日 | 映画

「追憶」を先日観てきました。昔ロバートレッドフォード主演の同名のちょっと悲しい映画がありましたね。

この映画は降旗(ふるはた)靖男監督、木村大作撮影の映画です。

その昔ご隠居が若い頃(まだ夢が沢山あった頃)シナリオ講座に通っていて、2回ほど降旗さんが講義に来てくれたのを思い出しました。

なんだか懐かしくなって劇場に出かけました。

あの頃は若かった降旗さんも82歳だそうです。

岡田准一、小栗旬、柄本佑の若手が主演です。

降旗、木村のコンビは男優を輝かせるという評判ですが今回はどうなっているでしょうか?

映画館に行くと有料で来ているのにどうして次から次へとCMや予告編やるのかなといつも思います。

今回ではこの「ゴールド」が予告編見た限りでは面白そうです。

最近TVでも話題の「打ち上げ花火、下から見るか、横から見るか?」

ロケ地は千葉県海上郡飯岡町(現旭市)銚子市など千葉県がふんだんに入っています。

声の出演は話題作への出演が相次ぐ広瀬すず。

観客動員数はどうなるでしょうか?

 

さて木村大作といえば「剣岳」や「春を背負って」など監督作品では四季の移り変わりや、山の風景が素晴らしい映像でしたね。

木村さんは東京生まれと聞いていますが北陸、アルプスの作品が多いような気がします。

今回も富山市から見る立山連峰の姿がとてもよかった。

TVで夜9時ごろから始まる2時間ミステリーよりお金もかかっているし丁寧な映像ですよね。あたりまえか。金取っているんだから。

 

3人の少年がある事件をきっかけに二度と会わない約束をして離れ離れになり25年後その一人が遺体となって発見される。

ミステリーですが3人の子供の面倒を見てきた涼子を中心とした人間関係、夫婦間の感情など心の動きなども良かったな。

 

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真岡鉄道の旅(益子陶器市)

2017年05月21日 | 旅行

真岡駅より気動車に乗り益子駅にて下車しました。

第99回益子陶器市が開催されていました。5月のゴールデンウィークはどこでも陶器市が盛んなようです。

ご隠居が博多に住んでいた頃、有田の陶器市に行って珈琲カップを買ってきたのを思い出しました。

益子駅には大きなモニュメントがありました。連休のわりには電車が空いているなと思っていたらここから秋葉原行きの高速バス「関東やきものライナー」が出ていてバス停はすごい人でした。

身内が経営しているバス会社かもしれませんが庭先からお客とられているようで鉄道会社の人は気分悪いでしょうね。

駅から広い道幅の「城内坂通」を1kmぐらい歩くと会場である益子焼窯元共販センターに着きました。

大きな大きなタヌキのお出迎いです。

さすがにすごい人です。

いろいろ並んでいますが車で来ないといいものがあっても買う気が出ませんね。重いのでぶら下げて帰るのはちょっと・・・。です。

古本市なんかだと無理して買ってしまうのですが。

地元ばかりではなくて各地から出品されているようです

旧濱田邸にやって来ました。

濱田庄司氏は陶芸家で昭和5年からこの地で数々の作品を制作しました。

陶芸家というとご隠居なんかはすぐに頑固おやじを思い浮かべてしまいます。

しかし濱田氏は現日比谷高校を卒業後、現東京工業大学をへてバーナード・リーチと英国に渡り共同で築窯しています。

ものすごい経歴のエリートです。

人間国宝、紫綬褒章、文化勲章を受章。

この家は江戸時代市貝町で建築されたものを移築、濱田氏が実際に住んでいた萱葺き屋根の邸宅です。町の文化財。

登り窯

山の斜面に造ることで炎の余熱を余すことなく利用できる窯の構造になっているそうです。

つまり少ない薪の数で多くの作品を焼き上げることのできる構造になっています。

時間もないので展示品を見ながら益子駅に戻りましょう。

真岡鉄道の終点茂木駅(もてぎ)にやってきました。

駅舎を出ると広い通りになっていますが人出はまばらです。

途中車窓から見えた道の駅は満車ですごい人でした。

水戸はわかりますが、「那珂川町」「那須烏山町」「常陸大宮町」など地名は知っていますが現在いる立ち位置がぴんときません。

とりあえずSLに乗るのが目的だったのでこのへんで撤収しましょう。

茂木駅構内です。

「SLもおか」も、もうひと頑張りです。気のせいか朝ほど元気がなさそうです。疲れちゃったかな。

医者なんかでも年よりが一日暇なくせに朝早いうちが滅茶苦茶混んでいるのは先生が元気なうちに診てもらうという気持ちでしょうか。

ご隠居なんかは看護師さんに「午後の方が空いていていいよね」と言われるので「先着10名様診察料半額」とかない限り午前中は来ないとか言って威張っています。馬鹿。

失礼して内部をパチリ。蒸気機関車もオートマがあればいいのにと石炭くべている人は思っているかも。

レトロ感ありますね。

あっちこっちでSLが走っているせいか空いていました。午前中の下りの方が混んでいるようです。

乗車記念証

JR各駅であらかじめ整理券を購入しておくと車内で車掌さんがこの切符と替えてくれます。

真岡鉄道各駅でSL乗車券を購入すると写真入った綺麗な切符が貰えます。

さようなら。真岡鉄道。

 

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真岡鉄道の旅(C1266)

2017年05月18日 | 旅行

真岡鉄道(下館~茂木 41.9km)を乗りに5月の連休に出かけました。

 

下館駅に着くと10時35発「SLもおか」が待機していました。

ご老体が休日出勤でも盛んに蒸気をはいています。

「きあいだぁ きあいだぁ きあいだぁぁぁぁーーー」とお客も多そうなので自分に気力を集中させているようです。

これから煙突に鉢巻でもして出発でしょうか。

ご隠居は茂木駅(もてぎ)14時26分発の上りの整理券を購入してあるのでひとまず先発の気動車で出発します。

水戸線の方を振り向くと常磐線からの直通臨時列車が疾走していきます。

おそらく足利フラワーパークに行くのでしょう。連休は列車もたくさん走っていて楽しいですね。

「SLもおか」を撮る人たち。

2016.4.10真岡鉄道は公式Facebookdeでマナーの悪い撮り鉄にもう来ないでと警告して話題になりましたね。

このようにホームで撮っているのはいいのですが他人の住宅に入り勝手に庭の木を切ったり、違法駐車、立ちションとやりたい放題が問題になりました。

久下田駅(くげた)にて下車。

初夏の光の中綺麗に花壇の花が咲いていました。駅員もいないし、乗降客も少ない、駅前に商店街もないのに花好きの人ってどこにもいるんだなと思いました。

さてこの先の跨線橋が撮影ポイントとなっています。あと15分もすると「SLもおか」がやって来ます。

ご隠居走りで急ぎましょう。ご隠居も口は達者ですがまだ石原慎太郎のよなヨタヨタ歩きではありません。

息を切りながら跨線橋の上にやって来ました。遠くに久下田駅が見えます。

あの林間から真っ黒な「SLもおか」がやって来ます。わくわくしますね。

なに?何も感じないですか。趣味が違うとそんなものですね。

ご隠居は乗り物好きですから飛行機の離陸場面、大型船の接岸の瞬間、また車庫証明手続きを長いこと生業にしていたので新車が出たなどと言うとそれぞれ興味がわきます。

しかし友人にヘラブナ釣りの好きな人がいて一日釣れても釣れなくても川だか沼の脇でボーっとしているのは楽しいと言います。

その上せっかく釣れた魚をキャッチアンド何とかでまた放流などと言う話を聞くと考えただけでご隠居は気が狂いそうです。

能書きこいていたらやって来ました待ち人ではなく待ち機関車。

駅にも撮り鉄の人達がチラホラ見えます。

少し上り坂です。

黒煙をあげながらシュッポ、シュポ、ボッーと音が聞こえるような写真になるといいのですが。

跨線橋の上でまともに下から煙を浴びました。昔と違って良質な(高価)石炭を燃しているせいかちょっぴり枯草の香りがしました。

15分ばかり、あっという間の物語でした。このために自宅を7時ごろ出てきました。シャカシャカシャカとシリンダーの音と共に真岡駅方面に向かいます。

SLが去ると今迄通り青空と栃木の爽やかな風が吹いていました。

海や山をじっくり撮るのもいいですがこんなせわしないのも緊張感があっていいですね。

帰りはゆっくり駅に戻るとモオカ14系が交換で停車していました。

この車輌は最初は富士重工で製作されましたがその後同社が鉄道車両の製造から撤退したため最後の車輌です。

現在は日本車両製造で製作しています。

真岡線は沿線がかつて木綿(コットン)の生産地あったことから「コットンウエイ」という愛称になっています。

真岡駅にやって来ました。駅のデザインもSLです。

一応「SLきゅーろく館」が目当てです。12時の運行に合わせています。安・近・短の旅ですが結構忙しい。

正面のシャッターが開いてSL49671のお出ましです。

ヘッドライトが切れてしまった。ヘボアマチュア写真家。モニターには入っていたんだけどと言い訳。

しかし凛々しいお姿です。ご隠居は思わず観音様でも現れたのではないかと「なんまんだ、なんまんだ、なんまんだ」と手を合わせるたくなりました。

この4-9671(キューロク)は1920年川崎造船所で生まれました。94.35t 256万km走行(地球64周)

以来北海道の機関区で活躍しました。1976年廃車その後

真岡駅まで回送、井之頭公園にて静態保存。

2013年圧縮空気を動力源として走行させるようになりました。

石炭で動いているわけではなさそうです。

車掌車に連結。

300円払って車掌車に乗っての体験。子供達には連休の楽しい思い出になりますね。

キューロク館の中からの後ろ姿です。

動輪もピッカピカ。こんな子供だましではなくてまだ営業運転できるぞと言っているみたいです。

 

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閉店

2017年05月13日 | 日記

わが町のスーパー、イズミヤ検見川浜店が5月10日閉店しました。

26年間の営業でした。

思えば美浜区全体が巨大なニュータウンで30年前頃は若い町でした。

検見川浜駅前に総合スーパーができてやっと買い物難民から救われたと喜んだものでした。

現在でも次々と周辺にマンションが建設され決して高齢化が急激に進んでいるわけでもないのですが午前中に食品売り場に行くとご隠居みたいな老人が増えました。

ちょっと淋しい光景です。

イズミヤは阪神阪急グループで関東地方はここだけになりました。

閉店の為、手伝いの人が多く来ていて関西弁が飛び交っていました。

こちらに単身赴任で転勤している人もいるのではないでしょうか。ちょっぴりホッとしているかも。

最終日はかなりの人出でした。

店舗でも鉄道でも閉店とか廃線とかいうと盛り上がりますので来月になったら閉店を一か月延ばしましたなどと何か月もやると儲かるかも。

大阪の方の靴屋さんでそういうのがありましたね。

イズミヤ検見川浜店 店長の石田祐司さんが最後のご挨拶です。

デパートだと最後に帽子をかぶった綺麗どころが並んで深々と頭を下げてシャッターが下りてきます。殿様商売やって来て最後まで茶番劇やっているなと笑ってしまいます。

こちらは売り場でのユニフォーム姿のままのパートさん達が常連客と握手したりでの流れ解散です。ほっこりした気分です。

ご隠居もこの26年間何して生きていたのかなと思い涙が出そうになりました。

検見川浜駅前の広場です。

東京駅から快速だと30分余りで到着します。

電車だって猿が運転しているんじゃなくて人間が立派なJRの制服着て運行しています。

ただ風にちょっと弱くて台風の時など運休することもあります。

役目が終わって・・・・。

次はイオンが入店するそうです。

幕張新都心、海浜幕張、検見川浜、稲毛海岸のすべての駅前がイオンになります。

 

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奥の細道旅行譚(白石川堤一目千本桜)

2017年05月09日 | 旅行

今回の旅の最後に東北地方屈指の桜の名所に立ち寄りました。大河原町と柴田町にまたがる白石川堤千本桜(しろいしがわづつみいちめせんぼんさくら)です。

芭蕉一行も残念ながら季節が過ぎていたのでこの光景は見られなっかたでしょう。見物したらどんな俳句になったでしょう)桜が咲いたころ新幹線でさっと来られる現代人は幸せです。(4月15日)

JR大河原駅から徒歩約5分大河原橋に出ると白石川沿いに桜また桜です。

なんて表現して良いのかわかりませんが上野公園のお花見のように大騒ぎしている酒飲みばかりが目だつのとは違ったのどかさみたいなものがあります。

東北地方のみんなが心から桜、そして春の訪れを楽しんでいるようです。

しばし桜を楽しみましょう。

大正12年、および昭和2年大河原町出身で東京に出て成功した高山開治郎が白石川沿いに桜の苗木1200本を寄贈したことから始まります。

白石川の桜の品種は殆どがソメイヨシノだそうです。

ご存知のように「オオシマザクラ」と「エドヒガン」の交配種で葉の出る前に咲くのでよけい綺麗です。

乗船時間約30分ですが川からの眺めもまたいいでしょうね。

貰ったパンフレットと同じ場所で撮りました。

蔵王連峰の残雪が見えないのは残念としても迫力がないですよね。縦のアングルで手前の桜をもっと入れるかな。

同じ場所で人間が考え出したカメラという機械で同じように操作しているのに桜の色が出ません。写真教室の先生に今度の授業の時に訊いてみましょう。

長い堤です。柴田町の方にやって来ました。

さて桜絶景ポイントの「しばた千桜橋」に出ました。

カメラを三脚に装着した写真家で一杯でした。何となく入り込む隙間もありません。朝からずうっと来ているのでしょうか。

(すみません、すみません、すみません。千葉から来たこきたねぇじいさんです。一枚撮ったら帰りますので割り込ませてください)

とは言いませんでしたが背の高い青年の隣が少し空いていたので

「ここで一枚撮らせてもらっていいですか」とお願いしたらだまって頷いてくれました。

やれやれ一枚と言わずに2,3枚撮っていくかと(ずうずうしいじいさんです)持ってきた時刻表のコピー見ていました。

その時青年がスマホから目を離して「情報によると下り普通列車は駅が混雑していて15分ぐらい遅れているらしい。上りの貨物は定時運行なのでうまくするとこのへんですれ違うかも」

なんだなんだ不愛想でも気持ちのいい青年じゃん。今どきコピーなんか持ってきてるようじゃどうしようもない、情報はスマホなのだと思いました。

ご隠居みたいに(ヘラヘラ、ペコペコ、ニコニコ)しているようなのは腹の中では何考えているかわからない。

世の中の女性諸君結婚するなら多少とっつきが悪くても気持ちの暖かい人がいいですよ。

とか思っているうちに下りJR719系普通列車がやって行きました。

えらそうに三脚なんか、なくてもそこそこ撮れるじゃん!その安易さが究極を求められないのです。わかっていますよ。

青年の教えてくれたとおり上りの貨物列車がやって来ました。機関車は「桃太郎」かな。

機関車はあっというまに関東地方の操車場目指して行ってしまいました。

下りはその先に船岡駅が見えてきました。

旅の最後に気持ちのよい青年と出会って終わりにしましょう。

 

おまけ

船岡駅です。鯱ほこが立派です。東北本線が特急や急行ががんがん走っていた頃は格調高い駅が沢山あったのでしょう。

大河原駅・船岡駅間3.5kmを桜を見ながら苦も無く歩きました。ここから仙台まで普通列車で行って「やまびこ」で帰途につきました

 

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奥の細道旅行譚(白石城)

2017年05月07日 | 旅行

今回の旅行は本当に桜の綺麗な季節でした。(4月15日)

そこで奥州街道をもう少し北上しました。

白石市です。

白石市は人口約35000人、かつては18000石の城下町です。

伊達62万石の業績と繁栄の影に名参謀「片倉小十郎」の名声があり、明治維新までの260年間の居城となりました。

伊達藩最南端の守りの地「しろいし」です。

公園内に入るとお城が見えてきました。ご隠居の好きな城下町です。ここも桜が満開です。

緩やかな坂を登って城内へと向かいます。お花見のムードが一杯です。

天守閣のある小高い丘の上に出ました。

大手二階門から中に入ります。

お城の(天守閣)全容が見えました。

入場料を払って中に入りましょう。

平成7年、三階櫓(天守閣)と大手門が忠実に木造で復元されました。

以前に紹介した白河城も木造でした。静岡の掛川城なんかも木造とのことです。

大きなお城でもコンクリート造りで中に入るとデパートみたいにいろいろ展示してあるとちょっとがっかりしますよね。

 

以下最上部からの眺めです。

ここから入って来ました。

白石は白石温麺(うーめん)が名物です。

白石市商家資料館に隣接しているやまぶき亭で食べられるそうです。

この時はすごく混んでいて先を急ぐのであきらめました。もともと食にはこだわらない方ですがさすがにここではいつものように牛丼は食べませんでした。

市内には結構おしゃれな店があってパスタが美味しい店に入りました。

白石温麺の由来

今から400年ほど昔(元禄年間、芭蕉の頃です)城下に鈴木味右衛門という人がいました。

味右衛門の父は胃を病んで床に伏し何日も絶食することがありました。

麺ずきの父のため、胃に優しい麺を探し求めていたところ、旅の僧から油を一切使わない麺の製法を教わりました。

これを温めて父にすすめてところ、小麦粉と塩水だけで作られた麺は口触りがなめらかで消化が良く、長年患っていた胃病もたちまち回復に向かったそうです。

殿様がみちのくの人の温かい思いやりを賞で「温麺」と名付けました。

 

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奥の細道旅行譚(甲冑堂)

2017年05月05日 | 旅行

2017年5月の連休、穏やかな日が続いていますが皆様は自宅でのんびり?はたまた観光地ではしゃいでいるでしょうか。

ご隠居は自宅で朝からゆっくりしています。

さて4月に行った奥の細道の紹介が残っていますのでもう少しおつきあいくださいね。

 

芭蕉一行は飯坂温泉を出発して奥州街道を下るわけですが本文には「鐙摺(あぶみずり)・白石の城をすぎ・・」と簡単に記しています。

国見峠、伊達の大木戸をすぎて宮城県に入ってきました。

斎川宿にある甲冑堂です。桜が綺麗でした。

斎川宿も宿場町でしたが寂しそうで見るべき場所もありませんでした。

4号線もバイパスの方に車は行ってしまうので静かです。

ここに佐藤継信、忠信兄弟の妻、楓と初音の木像があります。

鳥居をくぐって振り返るとこんな感じです。

田村神社の境内に甲冑堂はありました。

田村神社は坂上田村麻呂が東征した機会にこの地で斎川沐浴し、鈴鹿大明神の力を借りて村の人達を苦しめていた悪路王、赤頭、青頭の鬼を退治しました。

その徳をしたって村人がこのお寺を建立したそうです。

坂上田村麻呂は日本中どこでもというか東北地方には武勇伝が沢山伝わっています。

日本がもし大陸と繋がっていたらローマ帝国のシーザーみたいにこの御仁も大帝国をつくっていたかもしれませんね。

甲冑堂です。木像は撮影禁止でしたが・・・・

ちょうど扉が開いていたので遠くから写させていただきました。

何となく凛々しい姿が見えます。

芭蕉は医王寺で義経の家来で二人の兄弟の末路に涙を流し、飯坂温泉でのんびり温泉に入り甲冑堂では二人の嫁の哀れさを感じ・・・では筋書きがちぐはぐだなと思ったのでしょうか。

医王寺で一気に世の儚さを盛り上げ、飯坂温泉では自分たちも旅の辛さを感じたように話をもって行ったのでしょうね。

今回の旅はもう少し続きます。

 

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5月

2017年05月01日 | 日記

5月になりました。

毎年書いていますが列島は一年で一番爽やかな季節になってきましたね。

花見川緑地の草花、木々も次々と花を咲かせています。

2017年連休はこれからお出かけでしょうか?最近は連休慣れしているせいか昔ほど新幹線も道路も混雑していないみたいです。

ご隠居は真岡鉄道の「SLもうか」に乗って来ました。

こちらも全国でSLが走っているせいか混雑していませんでした。(後日掲載します)

転入の 届け済ませて 帰り路 道を聞かれて 住民となる

   (朝日歌壇 京都市 清水ひろこ さんの作品)

4月にいろいろな事情で生まれ故郷を後にしたり、新しい任地に向かったりしますが5月頃になると諸手続きも終わって新しい町での生活が始まります。

ちょっとワクワクする新しい町。若いうちは親元にへばりついていないでどんどん外に出た方が楽しいようです。(ご隠居の経験から)

ポール・マッカトニーさんが4月25日、日本武道館で公演を開きました。

ビートルズが1966年に武道館でコンサートしてずいぶん時が経ちました。1万人のファンから大歓声をあびたそうです。

グループの中でもやっぱり長生きした人がなんだかんだいっても勝ちですね。ポール・マッカトニーさんもこれからも世界中の人を楽しませてください。

穏やかな連休の一日、若葉が輝いている街路樹を観ながらビートルズを聞くのもいいですね。珈琲でも飲みながら。

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