評価点:34点/2004年/日本
原作:永井豪
監督・脚本:庵野秀明
技術云々の前に、映画としての完成度が低い。
如月ハニー(佐藤江梨子)は、一年前交通事故に遭い、死んでしまう。
ハニーの父親は、ハニーを救うため「アイシステム」を考案。
アイシステムは、体内のナノマシンにより自由に体を変形(変装)できるようにするシステムである。
これによってハニーは実質的に永遠の命を手に入れることになる。
このシステムに目を付けたシスター・ジル(篠井英介)は、宇津月博士(京本政樹)を誘拐する。
かくして、ハニーとジルの壮絶な闘いが始まるのだった。
庵野といえばエヴァ。
エヴァといえば庵野。
その庵野が実写映画に挑戦。
しかも、永井豪原作のあの「キューティーハニー」である。
公開当時、話題になったその「キューティーハニー」を見た。
話題になったのは、庵野監督だからではないだろ。
実写とCG、アニメーションの融合に挑戦するというその手法が、「斬新」だということで話題になったのである。
エヴァに毛嫌いする人も、こちらは案外入りやすいだろう。
もちろん、そこにはきっちり「庵野秀明」しているわけだが。
少なくとも、サトエリ・ファンは、必見の映画である。
っていうか、ファンならもうとっくに観ているか。
ちなみに、僕は原作を全く知らない。
▼以下はネタバレあり▼
この映画は、もしかしたら映画館で観るのが適当かも知れない。
この世には、映画館という限定された空間のみを好む映画がある。
「えびボクサー」にしても、「逆境ナイン」にしても、映画館という非日常的世界が確保されて初めて「面白い」のだろう。
日常的な世界である居間でこの「ハニー」を観ても、完成度の低さに目がいってしまって仕方がなかった。
まず、マイナス点を挙げ連ねてみよう。
この映画は、ジャンルとしてはコメディになるだろう。
ヒーローものには違いないが、軸は笑いにあるようだった。
コメディがコメディたるに必須なのは、「笑いの質」ではない。
それは狙わなくても、生まれてくる。
だってコメディなんだもん(ハニー風)。
問題は、それを成立させるための土台の部分、すなわち、ストーリーとキャラクターである。
そして、それを展開するテンポである。
この映画が、しばしばアクビが出てしまうのは、このストーリーとキャラクターが、物語として見せるにはあまりに脆弱だからだ。
まず、ストーリー。
敵がハニーの変身ベルトを狙って攻撃して来るという、至ってシンプルなもの。
だが、いかんせん全体的に説明不足なため、全てが唐突に、あるいは都合良く展開するように見えて仕方がない。
冒頭のゴールドクローなどはその典型。
まだまだ世界観になじめていない観客を、ここで一気に引き込まなければいけないところだが、
全く説明がないので、ノリについていけない。
映画の世界観として、ゴールドクローの存在が常識なのか、非常識なのかさえよく分からない。
結果として、彼女の行動は、ボス(ジル)の命令ではなかった。
では誰の意志で動いていたのだろうか。
このあたりの設定や展開がおおざっぱで、わかりにくい。
仮面ライダー 対 ショッカーくらい認知度が高ければ問題ないだろう。
しかし、ハニーはそうではない。
(オタクの庵野に言わせればそれは常識なのだろうが)
どういうノリで展開したいのか、冒頭部でもっと丁寧に見せて欲しかった。
それ以外にも全体的に展開が大味。
必要以上に複雑にする必要はないにしても、愛と憎しみの二項対立はもっと丁寧に見せるべきだった。
そうしないと、テーマが浮かび上がってこない。
キャラクターについては、ほとんど何の説明もない。
ここでいうキャラクターとは、どんな武器を持っているとか、どんな能力があるのか、どんな職業かといったことではない。
そのキャラクターを支えている人間的な立体性のことだ。
ジルで言えば、永遠の命を手に入れたい絶対的理由である。
こうしたことがなければ、薄っぺらく、感情移入するに耐えないのだ。
その意味で、比較的マシだったのは、秋夏子のみ。
だから、観客は彼女に感情移入の対象を求めるしかない。
完璧主義者でありながら、植木鉢を育てることも出来ない孤独な女。
その内面がよく描かれているから、観客は彼女を通して物語を体験するのだ。
本来ならこの役目はハニーでなければならない。
彼女が主人公であるなら、彼女の内面をえぐった説明が必要だった。
思い出がない故の悲しみや、父親とのやりとり、実生活での人間関係など、お馬鹿な面だけではなく、もっと立体的に、もっと人間性溢れるように描き出さないと彼女に感情移入することは出来ない。
(もっとも彼女のキャラを保ちたいならやはり感情移入の相手は夏子になるのだろうが)
観客の感情移入できる相手と、少なくとももう一人きっちりと内面を描く必要があった。
それは、敵のジルである。
いろいろなシーンからそれを察することはできる。
だが、まだまだ不十分だ。
愛と憎しみ、欲望などの負の感情が、この映画が持っているメッセージ性なのだから、
それを見せるために、くどいくらいにその内面を見せておくべきだった。
ジルがゆがんでいればゆがんでいるほど、ラストの愛で打ち勝つというカタルシスが大きくなるからだ。
始めから分かっている愛の勝利を、敢えて掲げるなら、そこにしかカタルシスは生まれない。
主人公とジル、この二人を丁寧に抑えておくことによって、はじめてストーリーがまともになり、ひとつの物語として動き始める。
それらがなければ、コメディ以前に「お話」として成り立たない。
単発的には面白いシーンは満載である。
ほとんど全員癖のあるキャラクターばかりだから、笑えるシーンは多い。
映像の見せ方も、それを心得ている。
だが、問題はそんなところではない。
ひとつのお話を見せるという意識がなければ、ショートコントを延々と展開するようなぶちぶちの笑いしか生まれない。
この映画で、反復の笑いや、伏線による笑いが圧倒的に少ないのは、ストーリーとキャラがあまりにショボイからだ。
だから世界観に入り込めないし、全体がまとまりのない、ぶちぶちの印象を受けてしまう。
話は変わるが、吉本新喜劇がいい例だ。
「話」がきちんとできている新喜劇は、すんなり楽しめるが、「話」が曖昧なものだと、それぞれがもっているギャグに頼る笑いしか生まれない。
それだと「新喜劇」ではなく、コント大会になってしまう。
「ハニー」もそれと全く同じ状況だと言っていい。
独特のキャラクターがいい味を出しているにもかかわらず、それでしか笑えない映画になってしまっているのだ。
逆に言えば、それだけ特徴的なキャラクターがいるために、物語の軸の脆弱さが目立ってしまう。
面白いシーンと面白くないシーンのギャップが大きくなるのだ。
アニメ出身の監督だが、実写かアニメかという問題以前のことだ。
全体的に、勢いで作ってしまった感がありありと見て取れる。
実写とアニメとの融合に取り組んだ意欲作だが、もう少し出来のいいものを作ってもらわないと、一石を投じることにもならない。
サトエリのファッションショーとしては楽しめるかも知れないが。
(2005/9/22執筆)
原作:永井豪
監督・脚本:庵野秀明
技術云々の前に、映画としての完成度が低い。
如月ハニー(佐藤江梨子)は、一年前交通事故に遭い、死んでしまう。
ハニーの父親は、ハニーを救うため「アイシステム」を考案。
アイシステムは、体内のナノマシンにより自由に体を変形(変装)できるようにするシステムである。
これによってハニーは実質的に永遠の命を手に入れることになる。
このシステムに目を付けたシスター・ジル(篠井英介)は、宇津月博士(京本政樹)を誘拐する。
かくして、ハニーとジルの壮絶な闘いが始まるのだった。
庵野といえばエヴァ。
エヴァといえば庵野。
その庵野が実写映画に挑戦。
しかも、永井豪原作のあの「キューティーハニー」である。
公開当時、話題になったその「キューティーハニー」を見た。
話題になったのは、庵野監督だからではないだろ。
実写とCG、アニメーションの融合に挑戦するというその手法が、「斬新」だということで話題になったのである。
エヴァに毛嫌いする人も、こちらは案外入りやすいだろう。
もちろん、そこにはきっちり「庵野秀明」しているわけだが。
少なくとも、サトエリ・ファンは、必見の映画である。
っていうか、ファンならもうとっくに観ているか。
ちなみに、僕は原作を全く知らない。
▼以下はネタバレあり▼
この映画は、もしかしたら映画館で観るのが適当かも知れない。
この世には、映画館という限定された空間のみを好む映画がある。
「えびボクサー」にしても、「逆境ナイン」にしても、映画館という非日常的世界が確保されて初めて「面白い」のだろう。
日常的な世界である居間でこの「ハニー」を観ても、完成度の低さに目がいってしまって仕方がなかった。
まず、マイナス点を挙げ連ねてみよう。
この映画は、ジャンルとしてはコメディになるだろう。
ヒーローものには違いないが、軸は笑いにあるようだった。
コメディがコメディたるに必須なのは、「笑いの質」ではない。
それは狙わなくても、生まれてくる。
だってコメディなんだもん(ハニー風)。
問題は、それを成立させるための土台の部分、すなわち、ストーリーとキャラクターである。
そして、それを展開するテンポである。
この映画が、しばしばアクビが出てしまうのは、このストーリーとキャラクターが、物語として見せるにはあまりに脆弱だからだ。
まず、ストーリー。
敵がハニーの変身ベルトを狙って攻撃して来るという、至ってシンプルなもの。
だが、いかんせん全体的に説明不足なため、全てが唐突に、あるいは都合良く展開するように見えて仕方がない。
冒頭のゴールドクローなどはその典型。
まだまだ世界観になじめていない観客を、ここで一気に引き込まなければいけないところだが、
全く説明がないので、ノリについていけない。
映画の世界観として、ゴールドクローの存在が常識なのか、非常識なのかさえよく分からない。
結果として、彼女の行動は、ボス(ジル)の命令ではなかった。
では誰の意志で動いていたのだろうか。
このあたりの設定や展開がおおざっぱで、わかりにくい。
仮面ライダー 対 ショッカーくらい認知度が高ければ問題ないだろう。
しかし、ハニーはそうではない。
(オタクの庵野に言わせればそれは常識なのだろうが)
どういうノリで展開したいのか、冒頭部でもっと丁寧に見せて欲しかった。
それ以外にも全体的に展開が大味。
必要以上に複雑にする必要はないにしても、愛と憎しみの二項対立はもっと丁寧に見せるべきだった。
そうしないと、テーマが浮かび上がってこない。
キャラクターについては、ほとんど何の説明もない。
ここでいうキャラクターとは、どんな武器を持っているとか、どんな能力があるのか、どんな職業かといったことではない。
そのキャラクターを支えている人間的な立体性のことだ。
ジルで言えば、永遠の命を手に入れたい絶対的理由である。
こうしたことがなければ、薄っぺらく、感情移入するに耐えないのだ。
その意味で、比較的マシだったのは、秋夏子のみ。
だから、観客は彼女に感情移入の対象を求めるしかない。
完璧主義者でありながら、植木鉢を育てることも出来ない孤独な女。
その内面がよく描かれているから、観客は彼女を通して物語を体験するのだ。
本来ならこの役目はハニーでなければならない。
彼女が主人公であるなら、彼女の内面をえぐった説明が必要だった。
思い出がない故の悲しみや、父親とのやりとり、実生活での人間関係など、お馬鹿な面だけではなく、もっと立体的に、もっと人間性溢れるように描き出さないと彼女に感情移入することは出来ない。
(もっとも彼女のキャラを保ちたいならやはり感情移入の相手は夏子になるのだろうが)
観客の感情移入できる相手と、少なくとももう一人きっちりと内面を描く必要があった。
それは、敵のジルである。
いろいろなシーンからそれを察することはできる。
だが、まだまだ不十分だ。
愛と憎しみ、欲望などの負の感情が、この映画が持っているメッセージ性なのだから、
それを見せるために、くどいくらいにその内面を見せておくべきだった。
ジルがゆがんでいればゆがんでいるほど、ラストの愛で打ち勝つというカタルシスが大きくなるからだ。
始めから分かっている愛の勝利を、敢えて掲げるなら、そこにしかカタルシスは生まれない。
主人公とジル、この二人を丁寧に抑えておくことによって、はじめてストーリーがまともになり、ひとつの物語として動き始める。
それらがなければ、コメディ以前に「お話」として成り立たない。
単発的には面白いシーンは満載である。
ほとんど全員癖のあるキャラクターばかりだから、笑えるシーンは多い。
映像の見せ方も、それを心得ている。
だが、問題はそんなところではない。
ひとつのお話を見せるという意識がなければ、ショートコントを延々と展開するようなぶちぶちの笑いしか生まれない。
この映画で、反復の笑いや、伏線による笑いが圧倒的に少ないのは、ストーリーとキャラがあまりにショボイからだ。
だから世界観に入り込めないし、全体がまとまりのない、ぶちぶちの印象を受けてしまう。
話は変わるが、吉本新喜劇がいい例だ。
「話」がきちんとできている新喜劇は、すんなり楽しめるが、「話」が曖昧なものだと、それぞれがもっているギャグに頼る笑いしか生まれない。
それだと「新喜劇」ではなく、コント大会になってしまう。
「ハニー」もそれと全く同じ状況だと言っていい。
独特のキャラクターがいい味を出しているにもかかわらず、それでしか笑えない映画になってしまっているのだ。
逆に言えば、それだけ特徴的なキャラクターがいるために、物語の軸の脆弱さが目立ってしまう。
面白いシーンと面白くないシーンのギャップが大きくなるのだ。
アニメ出身の監督だが、実写かアニメかという問題以前のことだ。
全体的に、勢いで作ってしまった感がありありと見て取れる。
実写とアニメとの融合に取り組んだ意欲作だが、もう少し出来のいいものを作ってもらわないと、一石を投じることにもならない。
サトエリのファッションショーとしては楽しめるかも知れないが。
(2005/9/22執筆)
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます